期待なんてしませんよ、もう。だって貴方は「他人」なんだから
私も随分と甘ちゃんでした。丸くなり過ぎましたかね、歳をとって。
私には、三十年ぶりに会った父がいる。
強引に姉に連れて行かれて、およそ1年半前に会った。
正直、会うまでは本当に本当に嫌だった。
ドラマとかでよく見る「幼い時に生き別れになった父に会う子供」のような心境にはまずなれない。
我が家の不幸の始まりは父が原因だったので、そもそも今更どんな顔して会えばいいかなんて判らなかった。
私が5つの時に借金(ドラマで借金した人の家に「いるのは判ってるんだぞ!」と怖い取り立て屋のおにーさん達がドアを叩くシーンがあるが、あれを実際に何度も何度も体験した)を母に押し付けて、浮気相手(母の知人だと最近知った)と蒸発し、離婚調停に出席せず、警察に捜索願いまで出した父親に対しそんな感情なんて抱けない。
憎かった。
嫌いだった。
いっそ知らない所で死んでいてくれとすら思った。
写真でしか顔を見た事がない相手なのに、今まで生きてきた中で一番憎い相手だったように思う。
だが、現在の父の事情を知り、姉と一緒に父の職場に行き、初めて父と対話した時。
「ああ、この程度だったのか」
本当にそう思った。
憎しみも怒りも嫌いだという感情も霧散した。
家族の情?そんなものではない。
「私はこの程度の相手に、あんなドロドロした感情を抱いていたのか」
一気に感情が凪いだ。好きの反対は無関心、その通りだと実感した。
出会うまでの色々な感情は、出会った父のあまりの小ささと罰を待っているような風情に、綺麗に消えてなくなった。
父は、離婚した後、一緒に逃げた浮気相手ではなく、バツイチで連れ子がいる別の女性と再婚していた。
再婚相手とは子供に恵まれず数年前に死別し、更に連れ子ともあまりうまくいっていなかったらしく、一人で小さなアパートに暮らしていた。その事情を知った事も、多分感情が凪ぐのに一役かったのだろう。
「もう昔の事だから、気にしなくていいよ」
そんな綺麗事すら紡げる程に、私は父親に対し関心がきれいさっぱり消えてなくなった。
ざまあみろとすら思わなかった。所詮どれ程否定しようが拒否しようが除籍しようが、この人が困窮したら結局行政はこちらに連絡してくる。どのみち、放置は出来ない。適当につかず離れずつき合えばいい。
「お父さん」
物心ついて初めて口にした言葉は、本当に、軽かった。
きっと、ずっとそんな関係が続くと思っていた。
今日までは。
父の誕生日と父の日は近い。
正直二度も何かをあげる程に心を砕く必要性も感じないので(電話すら片手で数える程しかしていない)ちょっと自分なりに奮発して、男性用のインナーシャツ数枚とボディタオルを数枚、丁寧に包んで貰い父の家に送った。と言っても送料込みで樋口さん一枚程度だが。
送って数日たっても連絡が来ないのでどうしたのかと思っていたら、酔った風情の父から電話が来た。
「○○(今の苗字)さん、不在通知に気付かず荷物を受け取り損ねていました。大変申し訳ありません」
衝撃を受けた。
酔っていない時の父は、私を名前で呼んでいたし、砕けた言葉で話すよう努力していたから。
「お父さん?娘相手に敬語を使う必要なんて」
「いえ、○○さん。……私の誕生日を、知っていたのですか?」
「……知ってるよ、父親なんだから」
しばらく黙った後、父は、また敬語で荷物を受け取るのが遅くなった詫びを繰り返し、慌てた感じで電話を切った。
スマホを持ったまま、数分程度、固まっていた。
そして、思った。
「……あー、そういえば、私。
父親から誕生日プレゼントも、クリスマスプレゼントも、何一つ貰った事ない、かも」
私と父が再会し、1年半。
もちろんクリスマスも私の誕生日も過ぎている。
私の住所を調べる方法などいくらでもあっただろう、娘なんだから。
(父の住所は父の戸籍謄本(現住所記載)で知った。親子関係があればたとえ30年以上連絡をとっていなくても、戸籍は取得出来るのだ。つまり父だって私の戸籍謄本がとれた筈)
そうでなくても携帯番号を知っているんだ、「おめでとう」の一言位。
そこまで考えて、ようやく、自覚した。
私は父を「父親」として受け入れかけていたのだ、という事に。
そして、きっと、父親は。
私の誕生日を、覚えていないのだ。
「期待してた、んだなぁ」
馬鹿みたいだ。
本当に、馬鹿みたいだ。
少しだけ自分を罵倒し、スマホを手から離した。
「……○○さん、か。ふふ、馬鹿みたい。他人に何を期待してたんだろう、私は」
多分、父……あの人からの電話は、もう来ないだろう。
来年の父の日、私があの人に何かを送る事も、……多分、無い。