森の少女
基本的に、朝は苦手だ。
どれだけかったるくても、どうしても起きなければいけない時間だからだ。
でも、今日は違う。
カーテンから朝日が差し込むと、休日ならまだぐだぐだと寝ている時間にも関わらず、ベッドから飛び起きる。
久しぶりに仕事をしなかった目覚まし時計のアラームを切っておき、用意していた服に着替える。
「おっと。」
忘れ物に気がつき、机を漁る。
『取材ノート』という文字が表紙を飾るノートを鞄に入れ、よしっと気合いをいれて外へと飛び出した。
「いってきまーす!」
駅から電車に乗って、一時間とちょっと。
僕は普段は馴染みがない、自然豊かな森へと向かう。
目的は、取材だ。
この間、自分の無力さをもう嫌なほど思い知った。だから、作品の方向性を見直すための取材をしようと昨日思い立った。
当然、思い立ったが吉日。
いや正確には一晩越したけどそのくらいまだ運勢が変わってないと思うし、まあいいや。
いつものカメラの重みを肩に感じながら、目的地につく。
「・・・森だなぁ。」
森だ。
感想はともかく、パシャりと一枚写真を撮る。
今度河瀬に見せよう。
ネットを調べて得た情報によると、この森の奥の方には昔、神社があって神聖な森として祀られていたらしい。
今でも鳥居と祠は残っているとかなんとか。
ちょっと行ってみたい。
「ねぇねぇ。」
ちりん
と、音がした。
「ん?」
「こんなところに来るなんて、珍しいね。」
後ろを振り向くと、小学生の高学年くらいの女の子が立っていた。
「なにしに来たの?」
「映画を作るから、取材に来たんだ。」
まだ、僕の作品と決まったわけではないけど、少し誇らしげに答える。
「へぇー。じゃあ、案内してあげるよ。」
「本当に?ありがとう。」
「こっち来て!」
女の子は、手招きをして僕を誘った。
僕らは森の方へとどんどん進んでいく。
僕はこの景色を撮らないのは勿体ないと、ときどきシャッターをきりつつ奥へと向かう。
「君は、この辺にすんでるの?」
「うん。随分昔から、ね。」
女の子は慣れたように草を掻き分ける。
手にチクチクと草の先が当たって、少しくすぐったい。
「ここで生まれて、それからずっとここにいるよ。お兄さんは?どこから来たの?」
「僕は、ちょっと離れた町だよ。名前を言ってもわからないかも。」
「そうなんだ。ここも似たようなものだけどね。」
この女の子は、なんだか不思議な感じがした。
「今、どこに向かってるのかな?」
「それは着いてからのお楽しみだよ。」
肝心の行き先は教えてもらえなかった。がっくりと肩を落としながらも、むせかえりそうな緑の世界をカメラに閉じ込める。
「そういえば、友達とかは?」
「いるよ。ここには、沢山ね。同い年の子はいないけどさ。」
そう言いながら、少女は手を伸ばした。
その細い腕に、いつか、教科書かなにかで見たことがある小鳥がとまった。
ちゅんちゅん
と、少しだけさえずると、その小鳥は翔んでいった。
「・・・ほらね?」
「動物と、仲良いんだね。すごいね。」
「そうでもないよ。昔から、ずっと見てたから。」
森の少女はどこか、物語の登場人物のような雰囲気を持っていた。
儚くて、脆くて、美しい。
「お兄さんが住んでるところってさ、賑やか?」
「うーん、そうなのかな。人は、多いよ。でも賑やかかどうかは、よくわかんないかな。」
この少女は、彼女は、悲しげに、哀しげに、そして愛しげに言った。
「ここはね、いつも。・・・いつも、静かなんだ。いつも来てくれてた人も。みんな、だんだんいなくなっていっちゃった。しょうがないよ。田舎だしね。」
「え?じゃあ、、、」
僕が質問を続けようとすると、女の子はぴっと指で前をさしてこう言った。
「ついたよ。」
目の前には、かつて、神社として信仰を得ていたであろう、建物があった。
祠しか残っていないと聞いていたが、どうやらそうではないらしい。
「ここに来たかったんでしょ?」
「うん。そうだけど、どうして・・・」
僕は目の前の光景を眺め、その場で立ち尽くす。
その光景は、どこか神秘的で、目が離せなかった。
少女は、にこにこと微笑みながら、僕に別れを告げる。
「じゃあ、私はもう、行かないといけないから。」
後ろの方で、タッタッタと走る音が遠ざかっていく。
「バイバイ!お兄ちゃん、また来てね!」
ちりん
と、音がした。
僕は別れの言葉を告げようと後ろを振り向いたときには、少女の姿はもう見えなかった。
そして、また正面を向き直ると、それは先程の風景とは違い、寂しいものに変わってしまっていた。
そこには、簡素な石を積んだ祠と、ひびの入った、色褪せた鳥居が、静かに、佇んでいた。
「・・・彼女が、香具矢だ。」
僕は、小さな、独りぼっちの祠に、手を合わせた。