ゆらゆらしてるね#1
こんぶ食べながら見てくれると幸いです。
その日は太陽が輝いていて、海の中にいても日差しが強いことがわかる。
「わっ・・・」
私はまぶしさで一瞬目を瞑る。今日も水温は心地いい。
最近地上では春を迎えたのか、たまに海底に桜が落ちている。近くの子供たちがそれを拾って集めているのを見た。
私の住んでいる浅瀬では地上の気温の影響を受けやすく、季節を感じやすい。
深海では太陽の影響を受けないので、水温は一定らしい。昔父親が教えてくれた。
私は人間に食べられたいだなんて思ったことがない。
むしろ食べてやりたいくらいだ。
海藻の子供たちは洗脳されている。人間に食べられることが最高の幸福なんて、馬鹿げてる。
しかし、生き物というものは多数派の意見が正しいと思っているらしい。
私が人間に食べられたくないと言ったところで、白い目で見られるのは確かだし、そもそもそんなこと言うつもりはない。
みんなと同じように多分大きくなって、食べられて死ぬ。
心の中で食べられたくないと思っていても、いつかはそうなる人生なんだろうと漠然とそう思っていた。
今日までは。
「こんぶ!」
ふと名を呼ばれて、振り向くとそこには佃煮のつくちゃんが立っていた。綺麗な黒髪が揺れる。私は自分の変な緑色の髪の毛と見比べる。
私も、こんな色の髪の毛じゃなくて綺麗な黒がよかったな。
「どしたの?」
「儀式もう始まるってさ、早く行こ?」
つくちゃんの言葉に私は少し顔を顰める。
「え、やだ・・・行きたくない」
「いつもサボってるから今日こそは行かないと」
一年に一度、七十歳を迎えた海藻は、人間に食べられに行くため、海面まで昇りに行く。
それを見送るのを私たちは儀式と呼んでいる。
人間に食べられることが幸福な海藻にとって、その儀式はとてもおめでたいものではあるのだが、なんせ私はその考え方について不満を持っている。
人間に食べられたくないのに、その儀式に参加して何になるのだろうか。
何かしら理由をつけて今までもずっとサボってきている。
一番最後の儀式の記憶は私が五歳の時だ。あの記憶はいつまで経っても消えてはくれない。
『事故だったのよ、お父さんもきっと幸せに食べられたと思うわ』
母親の言葉も忘れられない。
あれは、こんな風に暖かい日のことだった。
家族で儀式に来ていた時、それは起こったのだ。
七十歳を迎えた一人の海藻が海面に昇るのが遅れてしまったせいで、人間が収穫をしに来た時間に間に合わなくなってしまった。
それを見た父親が、遅れた海藻を助けるため、人間の船に近づいた。
すると、人間の船から降ろされた鉤が父親と遅れた海藻を巻き付けて、そのまま。
まだ父親は二十八歳だった。
そこまで思い出して私は溜息をつく。
何がしたくてそんなに海藻は人間に食べられることに執着しているのかがわからない。
でも、私自身わかっている。
一番許せないのは、父親が二十八という若い年齢で食べられたのに、海藻たちは喜んでいたということ。
母親が笑いながら幸せだと思うわ、なんて言っていたこと。
「・・・行きたくない」
死んでも行くものか。
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