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91 〈現夢〉で澱む水の街

「ここがル=グルゥの街か…」

 帝都を出発して三日、俺達はル=グルゥの街に到着した。

 ル=グルゥの街は北大陸を縦断するように流れる大河、コル・アススの河口に築かれた港湾都市だ。

 街は河口にある大小の三角州の中で、最も大きいものの上に築かれており、街中に縦横に張り巡らされた水路と、何層にもわたって築かれた地下水道を持つ、正に『水の都』だった。

 湾部の海岸線は全て港となっており、遠目にも、様々な大きさや形をした船が、所狭しと停泊しているのが分かる。

 俺達はフェリーチェの先導で、ル=グルゥの街へと向かう。だが、近づくにつれ、俺は違和感を覚える。だが、何がおかしいのか、ハッキリとは分からない。

 違和感の原因が分からぬまま、俺達は街へと近づいていく。そこで、俺は気づいた。


 街から出てくる人がいない…?


 今の時間は昼に差し掛かる少し前、といったところだ。普通なら、朝市での商売を終えた商人や、遅出の旅人がいる時間だ。にもかかわらず、街から北に向かう街道、この辺りでは最も大きいこの街道を、北上する者が一人もいないというのは、明らかにおかしい。

 俺はマグダレナに念話で合図を送り、フェリーチェの傍へと近づき、話しかける。

「奇妙ですね、街道を北に向かう人がいない」

「ええ、そうですね。…何かあったのでしょうか」

 フェリーチェも眉根を寄せ、考えを巡らせているようだ。だが、暫くして一つ頷くと、

「たとえ何があろうとも、調査の必要はあるのです。このまま進みましょう」

 と言う。俺は頷いてそのまま留まることなく進んで行く。近づいていく間にも、街から出てくる者の姿はない。

 街を覆う外壁が大きくなり、街道と街を繋ぐ門が見えてくると、門の前に衛視が立っているのが見える。街を気にすることなく、街道をじっと見つめる様子に、俺は街に何かあったことを確信する。

 背後にある街を気にする様子がないということは、街から出る者がいないと分かっているからだ。そして、門衛とは街の顔だ。交易都市の門衛ならば、旅人を笑顔で迎えるものである。

 だが、その口元は引き締まり、明らかに何かを警戒している。

 衛視は俺達が近づくと、槍を交差させて道を塞ぐ。

「止まれ! どのような理由で街を訪れたのだ!」

「私達は傭兵団です。仕事を探しに街々を巡り、その途中に補給と休息も兼ねてこの街に来ました」

 フェリーチェが代表して説明する。街への通行証を取り出して提示するが、衛視は槍を降ろさない。

「悪いが、今街に入ることはできない。お引き取り願おう」

「何があったのですか?」

「現在、街では流行り病が広がっている。被害を広げないために、外からの立ち入りを禁止しているのだ」

 衛視の言葉に眉を顰めるフェリーチェ。俺も思わず表情が強張る。流行り病…。

「そういったわけだ。病に罹りたくなければ、このまま引き返すことだ」

「とはいえ、こちらとしても糧秣が乏しく…。せめて食料の買い出しだけでもさせてもらえませんか?」

「今、街では交易ができず、食料も不足している。申し訳ないが許可できない」

 フェリーチェの提案はにべもなく断られてしまう。これは相当深刻だぞ…。

 フェリーチェは俺の方を見て、どうしたものかと視線で問うてくる。俺は頷き、

「仕方ありません。出直してきましょう」

 と言って、街に背を向ける。皆も後に続いた。背後には、未だ槍を構えたまま、隠しきれぬ不安を表情に浮かべた衛視だけが、佇んでいた。



 街からある程度距離を取ったところで、俺は立ち止まりマグダレナから降りた。皆も俺に合わせて騎馬から降りる。

「これは、予想外の状況になってきましたね」

 馬を降りるや否や、フェリーチェはそう切り出した。

「ええ。これは予想外です。流行り病とは」

 ただの病なら、ここまで隔離しないはず。感染性の高い病であるのか、発病すると致死性が高い病なのか。

 こういう時の流行り病としては、黒死病(ペスト)のイメージが強いが、現代日本では見たことのない病気なので、上手くイメージが湧かない。

「フェリーチェさん、何か分かりますか?」

「流行り病と言われれば、幾つか思い当たりますが、症状を見ないと、何とも」

 フェリーチェも首を振る。さて、どうするべきか。

「どうしますか?」

「何とかして、中の様子は知りたいですね。あの様子では、海側も規制されているでしょうし、どうしたものか…」

「帝国の名で、救援を送ることはできませんか?」

 俺の提案に、フェリーチェは眉を寄せる。

「確かにそれも考えました。ですが、あの衛視の対応を見る限り、南部の懇意にしている国にも詳細を伝えていない様子。決して仲が良いとはいえない帝国の援助を受けるかどうか」

 フェリーチェの言葉に、思わず唸ってしまう。どこの世界にも、国同士の問題はあるらしい。

 詳しく調べるためにも、まずは街に入ることが必要なのだが。

「いっそのこと、勝手に侵入してしまうか」

「どうやってです?」

 俺の呟きに、フェリーチェが反応する。

「確か、ル=グルゥの街には地下水道がありますよね?」

「そうですね。縦横に何層にも作られた古代からの地下水道がありますが、その複雑な構造から、今では全貌を知る者はいないと言われています…まさか」

「はい。地下水道を通って侵入しようかと」

 俺の提案に、フェリーチェは目を見開く。確かに、状況も分からない街に潜入するのに、どのような危険があるか、出口すらも判然としない地下水道から行こうとは考えないだろう。

 だが、俺は探索者だ。未踏掘のダンジョンに挑むのは、探索者としての本業だ。

「主殿、我らも御伴致します」

「いや、潜入は俺一人でやる」

「それは!」

 ガデュスの追及を、手を上げて塞ぎ、俺は説明を続ける。

「こういった時は少数の方が身動きし易い。中に入ったら〈遙楽園〉のゲートを開いて皆を呼ぶから、お前たちは〈遙楽園〉で待機しておいてくれ」

「それならば、我らが潜入し…」

「それだと、連絡手段がないだろう。俺はいざとなれば【転移】の魔法で帝都に戻ることもできるし、ゲートを開けるのは俺だけだ。それに地下水道を通るとなれば、泳ぐことも必要だ」

 俺の言葉に、ガデュスは唸り声を上げつつも反論できない。

 ガデュス達も探索に慣れてきているとはいえ、それはあくまでもハクスラ系ダンジョンの話だ。こういった潜入系ミッションをやったことはないし、鎧を着たまま泳ぐのも難しい。

 俺には〈全贈匣〉もあるし、【呼吸(アクア・ブリーズ)】の魔法もある。この魔法を使えば、呼吸も行えるし、水圧などの影響を受けずに自由に水中を行動することができるので、問題なく行動することができる。

 【呼吸】を使えばガデュス達も入ることはできるのだが、その後の行動を考えると、SPを大量に消費したまま行動するのはリスクが高かった。

「それに、今回の依頼は調査が目的だ。あまり事を荒立てなくはないし、俺一人なら対応もし易いよ」

「うぬぬ、折角主殿と戦えると思っておりましたのに…」

「いや、別に戦うと決まった訳じゃないだろうに」

 悔し気に表情を歪めるガデュスに思わずツッコミを入れる。そもそも、こんな潜入系ミッションが待っているとは想定していないのだから、仕方がないのだが。

「恐縮ですが、お任せして宜しいですか?」

 フェリーチェの言葉に、俺は笑顔で頷く。

「任せてください。こういった事は、本職ですから」

「分かりました。宜しくお願いします」

 フェリーチェはそう言って深々と頭を下げた。俺は頷くと、皆を送るためにゲートを開く。

「私達は一緒に行くわ」

「良いでしょ?」

 マグダレナとエメロードは、キラキラした目で俺を見つめてくる。どうせ断ったところで、合一装備になってスマラの〈全贈匣〉に隠れて付いて来るのだ。

 俺が頷くと、二人は嬉しそうに笑った。横でガデュスが恨めしそうに見ているが無視しておく。

「俺も一度戻って皆に話しをしておくか」

「私は戻り次第、陛下に報告します」

 俺はフェリーチェと顔を見合わせ頷くと、ゲートを潜る。皆も続いてゲートを潜り抜けた。



 サロスの街に戻った俺は、ガデュス達に待機を命じ、報告に向かうフェリーチェを見送った後、城に戻って皆を呼び、相談することにした。

「訓練は行っていても?」

「怪我しない程度で、いつでも動けるようにしておけばね」

 ガデュスの一時も無駄にしない、と言わんばかりの提案に、苦笑を返しつつ答え、城へと戻る。

「成程、流行り病ですか…」

 集まった皆に話をすると、シェアトが顎に指を当て、小首を傾げる。

「病であれば、私の力で何とかなるかもしれませんが」

「どんな病か分からないといけないだろう? それにどれだけの規模で蔓延しているのか分からないから。それに軽々と神が力を使うのはどうかと思うぞ?」

 俺の言葉に、シェアトは小さく舌を出し、肩を竦める。

「そうですね。我の力でも賄いきれない可能性もあります」

 マフデト、俺の話を聞いていたか? 力を軽々に使うなと…。

「いずれにせよ、状況を確認してから、ということだな?」

 グリームニルの言葉に、俺は頷いた。

「それにしても、侵入イベントか。何かこう、燃えるものがあるよな!」

「ゼファー、不謹慎よ」

 地下水道からの潜入と聞き、妙にテンションを上げているゼファーをロゼが窘めている。

「ヴァイナス、私も行こうか?」

「有難いけど、ジュネは今ダンジョン攻略中だろ? 中断するのは不味いよ。ゼファー達にも迷惑が掛かるし」

 ジュネの提案に、俺は礼を言いつつもやんわりと断りを入れる。

「これは俺が受けた依頼だからな。久し振りの外界での探索だし、頑張るさ」

「俺達もできるだけ早く攻略して、そっちを手伝えるようにするよ」

 ヤル気を見せるゼファーに、俺は釘を刺す。

「無茶はするなよ。ジュネやブリスは《蘇生》できないんだ」

「分かってるって」

 ゼファーの態度を見て、理解しているのは思うが、念を入れる。

「別に私達も無茶はしないわよ。状況が分かれば、どちらを優先するか判断できるし」

 迷宮は逃げないからね。ブリスはそう言って笑い、キルシュも頷いている。だが、その表情はどこか浮かない。

「キルシュ、顔色が優れないけど、大丈夫か?」

「平気平気。女の子にはそういう日もあるの」

 おっと、デリカシーに欠ける発言だった。笑顔で首を振るキルシュに俺は頷き、この話は切り上げる。

「兎に角、明日から探索に向かうから、こっちのことはよろしく頼むよ」

「「「了解」」」

 異口同音に返事をする皆に頷き、解散しようとすると、

「それじゃあ、ヴァイナスは暫く留守になるわけですね」

 シェアトが確認をしてきた。俺は首を傾げ、

「ああ、そうなるな。何か問題があったかな?」

 と答えると、シェアトは頭を振り、

「いえ、そうではなく。暫く会えないのですから、今宵はゆっくりと共に過ごしたい、と」

 と言って微笑んだ。だが、その表情とは裏腹に、こちらを見つめる瞳は『今夜は寝かさないぞ!』と訴えている。


 俺、明日から探索なんだが…。


 すると、その言葉に、他の女性陣も反応する。

「抜け駆けはいけませんね」

「共に過ごしたいのは姉様だけではありません」

「一緒に探索にいけない分、しっかりと過ごしてもらわないとね」

「折角だし、一緒にする?」

「それも良いわね」

『私も…!』

 次々と発言するその瞳は、一心に俺へと向けられる。あ、これ、断れないやつだ…。てかリィア、お前はまだ早い。

「明日から探索だというのに、盛んなことだ」

「くそ、この得も言われぬ思いをどこにぶつければ良いんだ…!」

「わたしにぶつけて! 全部受け止めてあげる!」

 呆れた表情で首を振るグリームニルに、妬みの炎を燃やすゼファー。それに抱き着くキルシュを眺めながら、俺は珍しく、強壮薬に頼ることを考えていた。

 そして、その夜は久し振りの眠れぬ夜を過ごし、探索の出発を一日遅らせることになるのだった。



「ヴァイナス様、あたいも連れて行って下さい」

 思わぬ理由で一日遅れの探索へと出発するため、皆に見送られた後、ゲートに入ろうとした時、俺に声を掛けてきたのは、ワルワラだった。

「言ったろう、お前たちは待機だと」

「承知しています。ですが、敢えてお願いいたします」

 何故? そう思い首を傾げると、

「あたいはル=グルゥの生まれです。貧民街(スラム)で生まれたあたいに、良い思い出なんか大してありませんが、街の中にも詳しいです」

「だが、どんな病が蔓延っているのか分からないんだぞ」

「あたいたち〈緑子鬼〉は、病気や毒にはめっぽう強いんです。病なんてへっちゃらです」

 ジュネ様に習って、斥候の技術も学びました。

 泳ぎも得意なので、足手まといにはなりません。

「だから、連れて行ってください、お願いします!」

 ワルワラはそう言って、その場で土下座をする。地に頭を擦りつけたまま動かないワルワラに、俺はどうしたものかと考える。

 確かにワルワラはゴブリン達の中でも努力家で、訓練にも全力で取り組んでいるのは知っている。

 俺との手合わせでも、最後まで必死に喰らいついてきて、その真剣さに、俺に恨みでもあるのかと思ったほどだ。

 訓練の後に問い質すと、顔を真っ赤に染めて「ヴァイナス様に憧れるあまり、つい必死になりました」と恥ずかし気に俯く姿が可愛かった。

 そういったこともあり、ヤル気のある『弟子』には頑張ってもらおうと、訓練の際には特に目を掛けていたのだが、ワルワラは期待に背くことなく、頑張っていた。

 彼女の実力はゴブリンの中では抜きんでていたが、これから向かう場所は、未知の病が蔓延る場所だ。あまりリスクを背負わせたくはないのだが…。

 確かに、街のことを良く知っている者が同行してくれれば、街中では動きやすいのも事実だ。俺は連れて行くことのメリットとデメリットを秤にかけ、暫く思案した。

 その間、微動だにせず頭を伏せたままのワルワラを見、これ以上考えても仕方がないと思い、直観に従うことにした。

「分かった、一緒に行こう」

 俺の言葉に、ワルワラはガバッと顔を上げると、嬉しそうに笑い、再び頭を下げる。これもイベントのフラグかもな。

 異世界(オーラムハロム)であると分かっても、ついついゲーム的に考えてしまうのは変わらない。まぁ、ゲームがこの世界の法則(ルール)に類似する以上、あながち間違いとも言い切れないのだが。

「それじゃあ、すぐに出発するぞ。準備は良いか?」

「何時でもいけます!」

 ゲートへと向かう俺に従い、慌てて身を起こしたワルワラと共にゲートを潜る。思わぬ同行者が増えたが、この判断が吉と出るか凶と出るか…。

 無論、吉と出るように努力をするのだ。俺は新たな決意を固めながら、ゲートの光に包まれた。



「ヴァイナス様、こっちです」

 太陽は水平線の彼方へとその身を隠し、二つの月が柔らかに宵闇を照らすころ、ワルワラの案内で、俺達はル=グルゥの街を迂回するように、港の見える岬へと移動した。

「あそこが地下水道の出口になります。大きさとしても只人が立って入れますし、位置的に管理も厳しくないです」

 ワルワラの指し示す先には、アーチ型の排水溝があった。丁度影になる位置で分かり難かったが、《暗視》を持つ俺達は問題なく見ることができる。

 管理が甘い分、妙なものに襲われたりしますけど。ワルワラはそう言って肩を竦めた。

 俺達が目指すのは、ル=グルゥの地下水道、その中でも排水や汚水を処理する、所謂下水道だった。

 人が生活する以上、どうあっても排水や汚水は生まれる。それはこの街でも例外ではなく、それらは地下水道を利用して処理されている。

 処理しているとはいっても、上水道と分け、海に垂れ流しているだけなのだが、こういった都市の例に漏れず、増築や改築によって新たに水路が拡張される度に、地下水道網は複雑さを増していく。

 その結果、迷路の様相を呈した地下水道は、最早全貌を知る者などいない『迷宮』と化していた。

 特に下水道は管理の手が疎かになる場所だ。重要な場所ではあるが、好き好んで汚物塗れになりたい者などいない。管理する者も、最低限の手を入れるだけで、他の場所に比べ、警備も甘くなっていた。

「妙なものって何がいるんだ?」

「〈巨大鼠(メガラット)〉や〈大蜚蠊(メガローチ)〉なんかが大半ですけど、偶に〈粘蠢魔(スライム)〉なんかもいます」

 あたいも知ってる場所しか入ったことないんで、詳しくはないんですけど。

 申し訳なさそうに俯くワルワラの肩を叩き、

「充分だよ。少なくとも危険があるということが分かれば、後は注意しながら進むだけだ」

 まずは街に入れれば良いのだ。その後のことは、その時に考えれば良い。

 俺には【転移】の魔法があるし、【飛行】の魔法で空から入るということもできそうだ。それなのに何故、このように面倒な手段を取って潜入をしようとしているのか?

 理由は、この世界(オーラムハロム)の都市全般に共通する〈結界〉にあった。

 オーラムハロムの都市は、一部の例外を除いて〈結界〉が敷かれている。

 これは外部からの【転移】や空からの侵入を防ぐもので、ある程度の規模の都市であれば、必ず設置されている。

 このため、戦時における都市の攻防戦では、攻め手は正面から攻め入るか、外壁を乗り越えたり、地下を掘り進んで侵入するといった古典的な方法を取ることになる。

 【転移】の魔法に関しては、一度街の中に入り、〈基点(ポイント)〉を認識すれば可能になるのだが、〈基点〉を認識した当人のみ可能になるだけで、他者を【転移】によって街に移動させることはできない。

 こういった防衛手段がないと、空飛ぶ魔物や魔法があるオーラムハロムでは、街などあっという間に占領されたり、滅んでしまうことにもなりかねないので、先人達が苦労して作り上げたシステムなのだろう。

 〈結界〉は村や宿場町といった小さな集落には設置されていないことが大半なので、そのような場所は傭兵を雇ったり、住人全員がある程度の戦闘訓練を積んだりと、自衛手段を講じているのだが、戦争になった場合は、近隣の都市に避難するのが最も安全で確実だ。

 防衛面から見れば有難い〈結界〉だが、今回のように潜入する側としては、非常に面倒だ。ル=グルゥの街にも当然〈結界〉が存在する。それで仕方なく、地下水道から潜入しようというのである。

「あたいが先行します。後についてきてください」

「了解だ。宜しく頼むよ」

「はい!」

 俺の声に嬉しそうに返事をすると、ワルワラは周囲を警戒しつつ、歩を進めていく。

 夜の海岸には俺たち以外の姿はなく、打ち寄せる波の音だけが周囲を包む。整備された港湾部と異なり、この辺りはゴツゴツとした岩場だ。

 月明りに照らされた視界の悪い岩場を、俺とワルワラは危なげない足取りで音もなく進んで行く。

 高い〈器用〉に裏打ちされた俺は兎も角、ワルワラの足運びは堂に入ったもので、彼女がしっかりと技術を身に着けているのが分かる。ガデュスも重宝しているだろう。

 排水溝に近づくにつれ、様々な臭いが入り混じった異臭が強くなってくる。思わず顔を顰めてしまうが、咽ないように注意しながら呼吸する。

 周囲には見張りの姿もない。俺は排水溝に架けられた、腕程の太さを持つ鉄格子の一本を掴み、力を入れる。鉄格子はあっけなく外れ、俺は手に持った鉄格子をそっと立て掛けると、まずはワルワラが先に身を滑り込ませる。

 俺はワルワラが通路の先を確認し終えたのを見、鉄格子を手に取り排水溝へと入ると、鉄格子を元のように戻しておく。ただ填め込んだだけなので、調べれば外れていることは分かるだろうが、見ただけでは問題があるようには思えないだろう。

「ヴァイナス様、見える範囲に脅威はありません」

 ワルワラの報告に頷く。だが、ワルワラの様子がおかしい。何か言いたそうだ。

「どうした?」

「あの、それがですね…」

 ワルワラは視線を逸らし、言い難そうにしながらも、何とか言葉にしようと考えているようだ。俺は彼女の言葉を待つ。

「ありえないと思うんですけど、道が、変わってます」

 嘘じゃありません。ワルワラの言葉に、俺は口元に笑みを浮かべた。成程、どうやら簡単にことは運ばないようだな。

 ワルワラを安心させるように肩を叩くと、俺は改めて『探索』となった地下水道を見つめ、闘志を燃やした。


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