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85 〈幻夢(VR)〉は胡蝶の夢?

 ……はぁ……?


 唐突に告げられた内容、それを機会出来ずに俺は呆然とする。頭の中でもう一度繰り返した。


 オーラムハロムはゲームではなく、異世界だって?


 俺は頭の中でネフの言葉を繰り返すが、あまりの現実感のなさに思考が追い付かない。

「まぁ正確には『異世界』とは言えないかもしれないけどね。ここは、あらゆる『魂』を持つ存在が訪れることのできる世界、それも選ばれた『魂』のみが訪れることを許された、例えて言えば、『限定会員制』の並行世界だ」

 ネフの説明は続く。益々分からなくなった。魂? 並行世界? 次々と出てくる単語に、俺の理解は遅々として進まない。

「ふむ、流石に驚いたのかな? そうだなぁ、別の言い方をすれば、、君達〈異邦人〉にとって、いや〈現地人〉を含めた、この世界に存在する全てのものにとって、この世界(オーラムハロム)は間違いなく、『現実』なんだ」

 オーラムハロムが『現実』…。俺はその言葉を聞いて、理解し難いという気持ちと、ストンと納得する気持ちが同時に沸き上がり、鬩ぎ合うことで立ち眩みがした。

 心を落ち着けるために、一度深呼吸をする。そして、

「この世界はゲームではなく、現実だと?」

「その通り。以前言ったはずだ。私の言葉は、君が理解し易いように表現を変えている、と。君がこの世界を『ゲーム』として認識しているのは、それが君達にとって、最も馴染み易い認識だということなのさ」

 ネフの言葉に、俺は徐々に理解をしていく。つまりは、オーラムハロムはゲームの形を取った( と俺達は認識している )『異世界』で、そこは俺の『魂』だけが訪れていると。その間、肉体はどうしているのだろうか?

「今、君の『肉体』がどうなっているか、と考えたろう? 君達の『神』は考えているじゃないか。〈神の(アルジェント)揺り(シュロシーロ)〉に、その身は今も抱かれているはずだ」

 アルジェントシュロシーロ、…AGSか! 俺は久し振りに聞くその言葉に愕然とした。まさか、次世代ゲーム機そのものが、『神』が用意したものだったとは…。

「あれは只のゲーム機じゃないのか?」

「ゲーム機なんじゃないか? 少なくとも君達にとっては、その認識で間違ってはいない。別にゲーム機で『異世界』を訪れてはいけない、なんて決まりはないだろう?」

 ネフの言葉に、俺の『常識』が頭を抱えたくなるが、オーラムハロムがゲームではない、とすれば、この世界の見事を通り越して、異様なリアルさも納得できた。

 つまりはスマラ達も、俺達も『魂』としてこの世界に存在し、生きている、と。

「〈能力〉や〈職業〉、〈レベル〉、〈魔法〉や〈戦闘特技〉といったものは?」

「それも君達に分かり易く、この世界の法則を説明したものじゃないかな? 私たちとしては、私たちの理解の中で認識しているから、『そういうものだ』としか言えないけどね」

 だって事実としてそこにあるのだから。そういうネフの言葉に、成程と俺は頷く。つまりは表現方法が違うだけで、この世界の物理法則は『そういうものだ』と。だが、

「《蘇生》や〈不死なる者〉の力は? これって凄いことだと思うんだけど」

「それらのことにしたって、この世界の法則の一つでしかない。それが、どれだけ君達の世界(地球)で突拍子のないことであっても、ね」

 あー、魔法がある世界なんだから、俺の「現実世界」の常識は通用しない、と。この辺りのことを踏まえて、『ゲーム』としたのかもしれないな。

 大抵の非現実的なことは、『ゲームだから』の一言で済ませてしまえるくらい、ゲームというものの想像性と多様性は、俺達にとって身近になっている。

「恐らく、君達の『神』は、そういった事を踏まえた上で、ゲームを娯楽として提供したんじゃないかな? 長い年月を掛けて、『常識』として浸透するように」

 ネフの言い様に、俺なりに漸く事態が飲み込めてきた。だが、疑問は残る。何故俺達をこの世界に呼び、閉じ込めるようなことをしているのか?

「それで、この世界が『異世界』だとして、俺達が現実世界に帰ることができないことと繋がるんだ?」

「そこは順を追って説明しようか」

 そこが重要なのに…。俺はネフをじっと見つめるが、今話す気はないらしい。

「結局は〈陽炎の門〉を探して脱出しろということか」

「そうだね。君にとっても、そのほうが良いと思うよ」

 俺にとっては? どういうことかと首を傾げた。

「そうか、君達は自由に訪れることができないのだったね。〈陽炎の門〉は、肉体を持った存在の魂が、この世界を訪れるために使う『扉』の一つなんだよ」

「それは、どういう意味だ?」

「うーん、何て言えばいいかな。君達人間は、肉体と魂が堅固に繋がっているから、基本的に魂が遊離して行動することはない。稀にその結合を自らの意志で、或いは外的要因によって解くことができる存在もあるが、そちらの方が少数派だ」

 ネフの言葉を俺は黙って聞いていた。

「意図的に結合を解ける存在は、そのことを認識している者に限って、自由にこの世界を訪れることができた。そうでない場合、肉体が失われた、つまり『死』を迎えた存在となって、初めて訪れることができるわけだ」

「でも俺は死んでいない」

 俺の言葉に、ネフは頷き、

「そう、そこで〈神の揺り篭〉だ。あれを用いれば、自ら結合を解くことのできない存在でも、魂を解いてこの世界を訪れることができる」

 それが「外的要因」ってやつか。だが、何故?

「それは、この世界において『演者』が減ってしまったのさ」

 演者が減る? どういうことだ?

「君達の世界は、技術の進歩によって、生物、特に人間が死に難くなっている。局所的に見ればそうでもないが、全体を通して見れば、人間は増え続けているだろう?」

 ネフの言葉に俺は頷く。現在、地球上には約100億の人が存在する。その数字は確か増え続けているはずで、減少傾向にあるとは聞いたことがない。

「本来、生と死のバランスは保たれていたんだ。けれど、君達の技術は、そのバランスを狂わせてしまった。肉体を持つ存在が増えすぎて、この世界(オーラムハロム)にあるべき魂の数が減ってしまったんだよ」

 そこで君達の『神』は考えた。ネフの言葉に耳を傾ける。

「肉体を持ったまま、魂をこちらに呼ぶ方法はないのか、と。この方法だって、最善というわけじゃないのだけど、それでも何もしないよりは遥かに良い。この世界にだって、生態系は存在するのだからね。『人』が減れば、問題が起きる」

 折角創った世界だ、無くすのは惜しいだろう? そう言って笑うネフに、俺は何も言えなかった。

 そういうことか。俺達はこの世界へ仮にだけど「移住」させられたわけだ。ゲームという娯楽によって惹き寄せられた、誘蛾灯に集まる蟲のように。

 移住させた以上、簡単に出て行かれても困る。そこで〈陽炎の門〉という出口を用意して、それを探させているわけだ。少なくとも、探している間はこの世界に留まるわけだから。

「あー、そこは少し事情が違う」

 俺の考えを見透かしたかのように、ネフが異を唱えた。

「本来、〈神の揺り篭〉は使用した者が違和感を覚えないように、自由にログイン、ログアウトできるものだった。けれど、そこに手を加えた者がいたのさ」

「それは、どういう…?」

 次々と明かされる事実に、俺は必死に脳内で情報を整理しながら、ネフに言葉を促した。高くなった〈知性〉の影響なのか、話を聞きながらでも、脳内で情報が整理されていく。〈能力〉さまさまだな。

 これもゲームじゃないとしたら、俺自身の力、ということになるのだが、現実世界では、高卒がやっとだった学力の俺が、そんなに頭が良いわけがない。やはり異世界補正ってやつなのかな。

「君達の世界の『神』とは相反する存在(もの)、つまり別の『神』さ」

 俺の思考が明後日に行っている間、ネフの説明は結論に達していた。

「別の『神』…。それはこの〈稀人の試練〉に関わっている神なのか?」

「いや、件の『神』はこういった形で直接関わることを由としない。その代わり、それ以外のあらゆる手段を使って、君達の『神』に敵対し、対抗し、屈服させ、自らの足元にひれ伏させん、としているのさ」

 なんか、それだけ聞いていると、ゲームによくある設定の魔王か邪神のように聞こえるな。俺がそのことを指摘すると、

「善悪、正邪なんてものは、見る者の主観によって決まるものだから、私たちにとっては、分類分けがある程度のことでしかないけどね。君達にとっては、確かに悪、邪であるといえるかな」

 何しろ、君達の「味方」である神に、全てを以て敵対する存在なのだから。そういってネフは肩を竦めた。

 味方だから善、正義というのも極論だが、意地悪されるより、助けてくれるものを好意的に見てしまうのは、仕方がない。

「尤も、俺達はその『神』の身勝手な決定で、この世界に閉じ込められているわけなんだが」

「それだけ『神』も必死ってことさ。それに君達の世界にも、強制的に義務が課されることもあるんだろ? それと一緒だと思えば良い」

 ネフの言葉に、確かに徴兵制が義務となっている国もあったな、と考える。

 俺は日本人だから、生憎と成人してからの義務は納税くらいだけど、それだって社会を動かすのに必要だからと納得している( させられている? )し、何より「そういうものだから」と自分を納得させていた気がする。

 この状況も、「そういうものだから」と考えると、気分が軽くなるのだから不思議だ。

 俺は頷いて、

「そこは理解した。まだ納得はしていないが。『神』に会ったら文句の一つも言わせてもらう」

「良いんじゃないか? 君らしくて」

 と言うと、ネフは可笑しそうに笑った。

「だが、疑問はまだある。〈陽炎の門〉を使わなくても、【消滅】という方法でだって現実世界に帰還出来るはずだ。この方法はそれに伴う苦痛を除けば、最も安易に帰還できる方法の筈。何故〈陽炎の門〉を探させる?」

 俺の問いに対し、ネフは、

「ああ、そのこと? 簡単だよ。【消滅】によるこの世界からの離脱(ログアウト)は、『夢を見る力の消失』に繋がるからね」

 夢を見る力の消失? 俺は首を傾げた。

「ピンとこないかな? 君達人間は、寝ている時に夢を見るよね? あれは『魂』が得た情報なんかを整理するのと同時に、性質の異なる『肉体』との接続によるストレスを緩和する役目を負っている。何しろ、魂の『寿命』は肉体の『寿命』と比べて遥かに長いからね。夢を見ることで、その時間の齟齬を埋めているのさ」

 つまり、魂は夢を見ることで、肉体の寿命と歩調を合わせていると。そう言われると、そういうものだと納得するしかないが。

「そして、この世界は君達の『夢』と密接に関わりがある。何しろ、魂が訪れる世界だからね。【消滅】は、この世界での『死』を意味する。それは夢を見る力の『消失』に繋がるわけさ」

「夢を見れないとどうなるんだ?」

 俺にはそこがピンとこない。夢なんて、見る時と見ない時があるし、身体を休めるためだけに睡眠を取る、というのも問題はないように思えるのだが。

「夢を見れない、ということは魂と肉体の齟齬が埋まらない、ということだ。その歪みは時が経つほどに大きくなり、様々なことでその弊害が出る。まぁ、大抵はそれに耐えられなくて自死を選ぶみたいだけど」

 なってこった。それじゃあ戻っても意味がない。さらに追い打ちを掛けるように、

「そして、夢を見る力の消失は、二度とこの世界に来ることができない、ということでもある」

 とネフが言った。


 ああ、それは駄目だ。却下だ。選択肢にもならない。


 少なくとも俺にとって、オーラムハロムは第二の故郷と思えるくらい愛着がある。それならば意地でも〈陽炎の門〉を見つけるしかない、ということか…。

「まだ疑問がある。俺はこの世界で体感として一年以上を過ごしているが、AGSの安全装置によって、一向に強制離脱させられないんだが、これはどういうことなんだ?」

「AGSの安全装置って? ふむふむ…成程、それは簡単だね。答えは君が今経験していることだよ」

 俺の疑問に、ネフは笑みを浮かべてそう言った。どういうことだ?

「分からないかい? この世界の時の流れは、地球と比べると、そうだな、非常に圧縮されている。君達の表現で言えば、えーと、10の5乗分の1くらいかな?」

 10の5乗っていうと、ゼロが五つだから…、


 1/100.000!? 


 ってことは、現実世界での一日が、こちらでの10万日に相当するってことだから…、計算すると約270年だ。途方もない数字過ぎて、実感が全く湧かなかった。

「つまり、こちらで数百年過ごして、漸く地球での1日になる、と?」

「そういうことだね。まぁ私達にとって、時間とは大きな意味を持たないから、そういうものだとしか言えないけど」

 それだけの負荷? を掛けて、影響はないのだろうか?

「大丈夫なんじゃない? 魂の寿命には個人差があるけど、人間の場合、最低1000年はあるから。流石に肉体は千歳も生きられないだろう? 君達が普段、眠る際に見る夢の時だって、かなり『時間』は圧縮されているわけだし」

 そういえば、夢の中では時間軸も場所もバラバラな時があるし、長い夢を見ていた気がしても、一晩のことだったりするのは、それが理由か。

「ここは『夢の世界』ってわけだ」

 俺はそう結論付けた。ネフは頷き、

「そうとも言えるね。尤も、無邪気な子供たちが想像するような、所謂『好きなことを何でも自由に』できるわけじゃないけどね。この世界にも法則があり、魂の経験を超えて突拍子もないことができるわけじゃない」

「例えば、この世界を崩壊させて、滅ぼすというようなことはできない、と?」

「今の君には出来ないよ。君がそうしようと努力し、方法を考え、実践できる経験を積むことができれば、分からないけど」

 ネフの言葉に、俺は苦笑する。

「あらゆる存在、例え神であろうとも一撃で倒し、何故か大金を持っていて、理由もなく出会う異性全てに無条件でモテる、などといった都合の良いことは起こせないというわけだ」

「最初の二つなら、後々叶う可能性はあるかな。最後のだって、そういった呪いや魔法があるかもしれない」

 ネフの言い様に、俺は再度苦笑する。それが「今はできない」って言葉に集約されるわけだ。

 結局、今までの認識で問題ない、ということか。

 ここは地球とは違う世界法則(ルール)を持つ場所で、それは俺の良く知るゲームというシステムに類似したもの。けれど、そこに存在するのは、プログラムで作られたAIではなく、〈現地人〉も〈魔物〉も、動植物においてまで、全て意志を持った『魂』を持つ存在(プレイヤー)というわけだ。

 そう思い至ると、不思議と肝が据わった。俺は頷いて、

「成程、自分なりに理解したよ。兎に角、時間を気にすることなく、〈陽炎の門〉を探せば良いってことをね」

「それが良い。私としても、君達の描く物語は、非常に興味深い。これからも是非楽しませて貰いたいものだね」

 そう言って笑うネフに背を向けると、今度こそ、俺は振り返ることなく階段を昇って行った。

 階段を昇る間、スマラ達が話しかけてきた。

「良かったの? 〈陽炎の門〉に行かなくて」

「約束したろ? ゼファー達を置いて勝手に帰るわけにはいかないよ。それに、ここで知り得たことを皆にも伝えないと」

「マスター、帰らないの?」

「今はまだ、ね。皆と一緒に〈陽炎の門〉を見つけた時は、一度帰ると思う。でも、またすぐにオーラムハロムに来るさ」

「分かった。私とも約束してね。また共に過ごすと」

 三人の言葉に、俺はしっかりと頷いた。スマラ達は頷くと、合一装備へと姿を変えた。

ここでは本当に色々なことがあったけど、その経験は一つも無駄にならず、俺が『生きる』ための糧となっている。

 久し振りに会うロゼ達に、どんな言葉を掛けようか、そんなことを考えつつ、俺は左手で扉を開き、溢れる光の中へと足を踏み出した。



 光を抜けた先は、〈稀人の試練〉の入り口である、神殿だった。俺は噴水の傍に佇んでいる。周囲では、硬貨を投げ入れる探索者達が溢れ、開かれた扉へと次々に進んで行く様子は、以前と変わらぬ光景だった。

「事実を知ったら、彼らはどうするかな」

 俺はネフに告げられた『事実』をどう伝えたものか、と考えていた。〈現地人〉にとっては大して意味のあることじゃないけど、〈異邦人〉にとって、帰還するには〈陽炎の門〉を探すしかない、という事実は、受け取る者によっては、非情に残酷な宣言となる。

 まずはロゼ達に告げ、相談しよう。そう考え、俺は船に戻る道を急いだ。



「ただいま」

 船に戻り、見張りのゴブリンに挨拶をすると、俺はゲートを通って〈妖精郷〉へと帰還した。庵へと戻ると、そこには皆が揃っており、笑顔で俺を出迎えてくれた。

「随分遅かったな。そんなに大変だったのか?」

「大変といえば、大変だったな。けど、得るものはとても多かったよ」

 笑顔で出迎えてくれたゼファーの顔を見て、懐かしさに頬が緩む。何しろ、俺の体感的には、数年振りに会うのだ。自然と浮かぶ笑みに、気恥ずかしさを感じたのも嬉しかった。

「随分と装備も変わったようだな。まぁそれは俺たちも一緒だが」

 そう言って、ゼファーは俺の全身を眺める。

「まあな。その辺の積もる話は後でゆっくりとするとして、皆無事だったのか? 探索は成功した?」

「バッチリです。かなりの実力を着けてきましたよ」

 もう足手まといにはなりません、そう言って微笑むのはロゼだ。キルシュも、

「わたしも頑張って来た! 聞いてよ、大変だったんだから!」

 と盛んに捲し立ててきた。ゼファーは、

「おいおい、俺達が聞いてやっただろ? まだ話し足りないのかよ」

 と呆れている。懐かしいやり取りに、再び頬が緩むのを感じながら、

「問題なかったみたいで良かったよ。でも、まずはゆっくりしたいな。皆に話すこともあるし」

 そう言うと、スマラが影から飛び出し、エメロードとマグダレナも合一を解いた。スマラも人の姿を取っており、いきなり現れた美女三人に、皆目を丸くした。

「え、えーと、マグダレナは分かるが、こちらの二人は? 新しい仲間ですか?」

 ゼファーは驚きつつ、早速声を掛けている。キルシュに脇腹を抓られているが、気にせず笑顔を浮かべている。

「? ゼファー、何言ってるの? わたし、エメロードだよ?」

「へ?」

 エメロードの答えに、目が点になるゼファー。他の皆も呆然としていた。それを見てスマラはクスクスと笑う。

「エメ、貴方〈人化〉出来るようになってからは、皆に会うのは初めてでしょう? 吃驚するのは当然よ」

「え、その声…、まさか貴方はスマラ?」

 ロゼが黒髪の美女の正体に気付き、目を丸くしていた。スマラは微笑み、

「そうよ、この姿になるとは思ってなかったけどね。折角だから、皆にも見せようと思ったの。普段は猫の姿で過ごすつもりだけど」

 と自己紹介する。そして再び猫の姿へと戻ると、自分の居場所はここだと、居間の一角にある、上質なクッションの上に寝転んだ。

「アミィ、お茶を頂戴! 茶葉は持ってきたやつでお願い!」

 スマラの言葉に、メイド服姿のアマルセアが笑顔で頷く。俺がいない間にすっかりここでの生活にも慣れたのか、その仕草に不自然なところやぎこちないところは見えなかった。

「それにしても、随分時間が掛かったんだな」

「俺が入ってからどれくらい経ったんだ? ダンジョンの中はこっちとは時間の流れが違ったから、分からなくな」

 俺は鎧を脱いで寛ぎながら、アマルセアの淹れてくれたお茶を楽しむ。皆もお茶を飲みながら一息つくと、ロゼが言葉を継いだ。

「ヴァイナス、貴方が帰って来るまで一週間掛かっているわ。私達も〈稀人の試練〉をクリアしてからは、休養するために〈妖精郷〉で過ごしていたんだけど、随分時間が掛かっていたから、心配したのよ」

「一週間か…」

 あの数年が一週間とはね。まぁ、1日が数百年になることを知った今、驚きはなかったが。

「俺達もあの中では、外との時間の流れが違ったんだが、お前もそうだったんだろう? それにしたって俺達は二日と経たずに出られたんだ。一体どんな試練だったんだ?」

 ゼファーの問いかけに、俺はどこから話したものかと考える。

 うーん、どこから話しても時間が掛かる。俺は今話すのは止め、後でしっかり時間を取って話すことにする。

「俺の方は本当に長くなるんだ。試練の期間も、話すことも。だから、まずは休ませてくれないか? 身体だけでなく、精神的にも疲労が溜まってる」

 俺がそう言って見回すと、皆も頷いてくれた。

「そうね、迷宮探索を終えて帰って来たのに、休みもせずに話を聞けるほど、簡単な探索じゃなかったみたいだし。話を聞くのは後にしましょう」

 ヴィオーラの言葉に、ジュネやリィアも頷いている。テフヌトも興味津々といった様子だったが、俺の言葉を優先してくれた。

「済まないね。俺も話したいことは沢山あるから、休養を兼ねて、暫くゆっくりするつもりだ。焦らず行こう」

 俺はそう言って立ち上がる。そうと決まれば、まずは何より風呂だ、風呂! ヴァーンニクの温泉に入るべく、俺はいそいそと準備を始めた。

「日本男児たる者、温泉に浸かって疲れを取らずして何とする。いざ征かん!」

 準備を整えて地下へと向かう俺を見て、ゼファーが、

「お、風呂か? それなら男同士、裸の付き合いと洒落込む…」

 と言いながら続こうとするのを、女性陣が押し退け、立ち上がる。

「何言ってるの、折角久し振りに会えたんだもの、私が背中を流してあげるわ」

「それなら、私もご一緒しようかしら。何しろ、探索からあぶれた身で寂しかったし」

『私も入る』「当然、私もね」

 そう言って次々に手を上げる女性達に、俺は頭を掻きつつ、皆の気持ちを感じて嬉しくなった。無下にするのも悪いので、ここは一緒に入るとするか。

「ぐぬぬ、何という楽園、羨ましい」

 吹き飛ばされたゼファーを、キルシュがよしよしと慰めていた。

「ゼフは後でわたしと一緒に入ろ?」

「いや、流石に二人きりってのは問題あるだろ…」

 わたしはゼフにならいくら見られても構わないもん。そう言って笑うキルシュに、ゼファーはあらぬ方向を見て頬を掻く。あの二人もすっかり仲良くなったな。

 俺はそんな二人を居間に残し、女性陣を伴い、温泉へと向かうのだった。



「わぁ、マグダレナってそんなにスタイル良かったんだ。着痩せするんだね」

「自分では良く分からないけど、そうなのかしら?」

 そうですね。マグダレナは〈稀人の試練〉での経験を経たためか、より大人びた印象を受ける。体形もそれに合わせて成長したのか、女性陣の中では一、二を争う双丘を持つ。

『羨ましい…』

「私はリィアのような華奢な身体は可愛いとおもうけど」

「そうね、リィアは今ちょうと、蕾が開くところだもの。この時期はあっという間。貴重な時よ?」

 そうだな。リィアはこれからだ。気にすることはない。

「こうして見ると、皆綺麗ね…」

「ヴィオーラ、どうしてタオルを巻いているの? 女同士だし、恥ずかしがることないじゃない」

 いや、俺もいるんだが。

 ある程度予想していたとはいえ、この光景は破壊力抜群だな。湯煙の中に浮かぶのは、個性あふれる美女たちの艶姿。

 ロゼ、ジュネ、リィア、ヴィオーラ、スマラ、エメロード、マグダレナ、アマルセアにヴァーンニクも加わった女神たちの共演は、どちらを向いても目のやり場に困ってしまう。

 俺は極力意識しないように目を瞑るが、皆の会話の内容に、思わず視線を向けてしまい、また閉じるということを繰り返していた。

「そういう会話は、俺がいない時にしてくれないかなぁ…」

 思わず零れた一言に、いつの間にか隣に来ていたロゼが、

「貴方には聞いて欲しいんですよ。自分のことは貴方に知って欲しいから」

 と言いながら、俺の肩に頬を乗せるように身体を預けてくる。湯の暖かさとは違う、体温特有の温もりに、妙な照れくささを感じて動けなくなってしまう。

「私の探索のこと、話しても良いですか?」

 ロゼの言葉に、俺は頷きを以て答える。

 ロゼはゼファーやキルシュ同様、『小英雄の試練』から始まり、『大英雄の試練』へと挑戦したそうだ。

 初めての本格的なソロ探索だということで、全てを自分でやることに四苦八苦しながらだったが、幾度かの《蘇生》を経験しつつ、無事に試練を突破できたらしい。

「ヴァイナスは、今まであんな探索を何度も行って来たのですね」

 経験してみて初めて実感できました。そう言って微笑むロゼに、俺も微笑みかけた。

「俺の場合は否応なしの部分があったからなぁ。無我夢中だったよ」

「それでも、凄いです。嫌なことや辛いことがあっても、誰も頼れない状況は思いの他、苛まれましたから」

 ロゼの苦いものが混じった言葉に、スマラ達の力を借りたことを後ろめたく感じる。だが、そんな俺の心中には気づかずに、ロゼは更に身を寄せてくる。

「私、頑張ってクリアしました。ご褒美が欲しいです」

 ロゼが珍しくおねだりしてきた。上目遣いに俺を見る仕草が、非常に愛らしい。俺はにやけそうになる頬を引き締め、

「良いよ。何が良い?」

 と聞いてみる。すると、ロゼは妙に艶めいた表情で、

「〈稀人の試練〉に挑戦する前と一緒です。愛してください」

 と囁いた。ロゼから感じる吐息に、思わずドキリとする。反応しそうになる息子を必死に宥めつつ、俺は笑顔で頷いた。

 〈稀人の試練〉に挑戦する前日、「勇気を下さい」と言われて一夜を共にしたのだが、ご褒美として求められるとは思わなかった。

 別にご褒美じゃなくても大歓迎なのだが、ロゼの気持ちを尊重したい。俺からのご褒美は後で別に用意しよう、と考えていると、

「ちょっと、ロゼだけ雰囲気出しているのは卑怯じゃない?」

 と言ってジュネが近づいて来た。ロゼとは反対の側に座り、身を預けてくる。

「私だって久し振りに会うんだから、触れ合いたいのよ」

 そう言いながらそっと腕を絡ませてくる。いつになく積極的なジュネの態度に、驚きながらも顔がにやけてしまう。

「聞いたわよ、ロゼには激励のキスをしたって。私にはしてくれないの?」

「そんなことはないよ。機会があればジュネにも…」

 俺が言葉を続ける前に、ジュネに唇を塞がれてしまう。ジュネからしてくることは滅多にないから、やはり驚いてしまう。

「久し振りに貴方を見たら、想いが溢れて我慢できなくなっちゃった。ねぇ、抱いてよ」

 ストレートなジュネの言葉に、更に驚かされた。想いを伝えてから、初めてジュネから求められたことに嬉しさを嚙み締めつつ、俺が頷いていると、

「抜け駆け禁止」

 とブリスが俺の頭へと止まり、

「二人とも、ズルいわよ。さぁ交代交代」

 とヴィオーラが、背後から俺の頭をブリスごと抱え込んできた。

「ヴァイナス、私との約束、忘れていないわよね?」

 俺の耳元で囁くヴィオーラの声と共に、首に回された腕に力が籠る。後頭部で圧し潰される柔らかさを堪能しつつ、俺は何度も頷いた。

「あら、それなら私もお願いね」

 ちゃんと大きさ合わせるから。とブリスにも催促された。すると、

『私も』

 とリィアが正面から詰め寄って来る。いや流石にそれは不味い。

「リィアにはまだ早いかな」

『どうして? 私だってできるもの』

 妙にヤル気を見せるリィアに、俺は戸惑う。誰だ、リィアに教えたのは? そう思う間に、リィアは近づくと、そっと俺の唇を塞いだ。そして、

『おかりなさい。無事で良かった』

 と告げると唇を離した。なんだ、キスのことか…。

 内心ほっとすると同時に、俺は微笑みを返し、

「ただいま」

 と改めて言う。リィアは頷くと、俺の膝の間に座り、背を預けてきた。

 美女に取り囲まれた至福の状態に、俺は必死に息子を抑制しつつ、それから暫くの間、身動きできぬままで温泉を堪能するのだった。


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