84 〈幻夢(VR)〉で究極の選択
ここは、何処だ?
門を抜けた先は、幻想的な場所だった。
遥か頭上から流れ落ちる瀑布が全周をぐるりと囲み、見通すこともできない、遥か下方へと流れ続けている。
その中心に浮かぶ小さな島( と言っても、サッカースタジアムよりは大きい )に俺は立っている。
島の中心には緩やかに蛇行しながら上へと続く水晶の階段が、一段ごとに、何の支えも無しに浮かび連なっている。
その先には、簡素な、しかし緻密に彫刻の刻まれた、見事な両開きの扉が静かに佇んでいた。
その階段の前に、俺は懐かしい顔を見つけた。
「お久し振りですね」
「確かに、数年振りになるかな? まさかこんなところで会うとは思わなかったよ」
俺に笑顔で挨拶をしてきた男、ネフに対して俺も笑みを返す。
「そうか、君の体感ではそんなになるのか。まぁ確かに只人の身では『時間』というものに、どうしても囚われるものだからね」
ネフはそう言って軽く腕を振ると、目の前にテーブルと椅子、酒と簡単な料理が現れた。
「どうだい、まずは落ち着いてみないか?」
「…また、これも試練なのですか?」
俺の疑いの目に、ネフは大袈裟に天を仰ぎ、
「酷いなぁ。これは純粋に好意だよ。おもてなしの心は大事じゃないか」
と嘆いて見せる。俺は肩を竦めると、
「それは申し訳ありません。ですが、これまでの経験上、どうしても疑ってしまいますよ」
と言う。ネフは首を項垂れると、
「そう言われると返す言葉がないけど。それにしても、君だって色々反則ギリギリの手段を使ってたみたいじゃないか」
と言い、今度は顔を上げてニヤニヤと笑い、俺の合一装備へと目を向けた。
「出来た以上、ルールを逸脱しているとは思いませんよ」
「それは然り! まぁ次の稀人からは考えるんじゃないかなぁ。流石に試練の難易度が変わり過ぎる」
けど、試練によってはスマラ達の力を借りて何とか、といったものもある。制限する必要はない気がするのだが。
「君が考えていることは分かるけど、今回に関してはイレギュラーだよ。君の仲間たちがいなければ突破できなかった試練であれば、それは『突破できない』試練であったり、他に方法がある試練であるわけさ」
俺の表情から考えていたことを見抜いたのか、ネフはそう説明した。まぁ、結果的に突破できているので、俺としては問題ないのだが。
「というわけだ。お嬢さん方も一緒に楽しみましょう」
ネフはそう言ってにこやかに笑い、手ずから盃を並べ、酒を注いでいく。その言葉に、スマラ達も姿を現し、用意された椅子へと腰掛けた。スマラはテーブルの上に乗ったが。
「それでは、再会を祝して、乾杯!」
「乾杯」
盃を手に、笑顔で宣言するネフの言葉に続いて、俺達も盃を掲げる。そして、酒を口にした途端、その味に思わず吐き出しそうになった。
「ネフ、これは〈神蜜〉じゃないか!」
「あれ? 知ってた? なぁんだ、驚くかと思ってたのに、拍子抜けだな」
ネフはドッキリが失敗した、という表情で肩を竦めるが、問題はそこじゃない。俺は良いが、皆は神蜜を飲んだことはない。
慌てて飲むのを止めさせようとしたが、既に時遅く、スマラ達は神蜜の入った酒を口にしてしまう。
「「「美味しーい!」」」
スマラ達はそう言って盃を傾けるが、不意に盃を取り落とすと、身体を震わせ始めた。
「ネフ! この娘達はまだ飲んだことはないんだぞ!」
「それは良かった。用意した甲斐があったというものだね」
「そうじゃなくて! 何でこいつらまで『試練』に巻き込むんだ!」
俺の剣幕を、ネフは涼しい顔をして、
「だって、この娘達だって〈稀人の試練〉に参加しているわけだろ? それなら、試練を受ける権利はある」
権利はあっても義務はないだろうが!
俺はそう叫び掛かったが、それよりの三人の様子が気になり、ネフのことは放置し、意識を切り替える。
皆は痙攣するかのように身体を震わせていたが、エメロードとマグダレナが人化を解き、竜と二角獣の姿に変わる。すると、二人の身体が光を発し始め、そこに、二人の合一装備である盾が浮かび上がると、それぞれの額の前に引き寄せられた。
次の瞬間、強い光が発したかと思うと、盾は影も形も残らずに姿を消していた。だが、代わりに二人の姿の変化に気付く。
エメロードの身体が一回り以上大きくなり、失われた左目が蘇っている。だが、その瞳の色はかつてのものとは異なり、鈍色を湛えている。あの色はもしや…。
マグダレナは、額の中央で螺旋を描く角の色が、白黒二色から三色へと変化している。白角を失ってからは、片方の額からしか生えていなかった角が蘇っているのだ。
そして、三色目の色は、同じく鈍色だった。
まさか、合一装備が勝手に【再生】した?
俺は二人の様子も気になったが、残るスマラの様子にも注意を向ける。
二人とは違い、猫の姿だったスマラは、テーブルから飛び降り、光を放った後、二人とは逆に人化を始めていた。
スマラの持つマジックアイテムで変身する姿とは異なり、今まで見たことのない姿の女性に変化していく。
三人の変化が落ち着くと同時に、皆は大きく息を吐くと、心配そうに見つめる俺へ、安心させるように頷きを返してくれた。
「マスター、目が見えるよ!」
「私も、角が元に戻って…いえ、違うわ。新たに増えた…?」
「ふぅ、久し振りの感覚ね。こんな感覚だったかしら。思い出すのも大変なくらい、猫の姿に馴染んでいたってことよね」
三人は口々に感想を述べているが、特に悪い影響は出ていないようだった。俺はほっと息を吐き、胸を撫で下ろした。
「良かった、無事に乗り越えたか」
「ねぇマスター、見えるだけじゃないよ、こんなこともできるの!」
エメロードがそう言うや否や、光に包まれると、そこには合一装備の盾が浮かんでいた。これは…、
『ほら、こうやって盾に変身できるよ!』
エメロードから伝わる念話に、エメロードが自分の意志で自由に合一装備へと、変化することができるようになったことが分かる。
「ヴァイナス、私もできるわ」
マグダレナもそう言って嘶きを上げると、額の角が解け、左右と中央、三対の角が額から伸びている。そして光を発し、やはり合一装備の盾へと姿を変じた。
二人とも、俺の左手みたいに、合一装備を身体に取り込んだみたいだ。身体にも負担はないみたいだし、正直二人の身体が欠損していたことは心苦しく思っていたので、これはこれでアリだと思おう。
スマラは大きく伸びをすると、
「はぁ~。この世界で再びこの姿を取るとは思わなかったわ。一応、挨拶をしておこうかしら。改めまして、大地の神の一柱、ウアジェトよ。宜しくね」
と妖艶に微笑んだ。姿は変わっても、声はそのままなのでスマラだということは分かるが、あまりの変化に目を丸くしてしまう。
「よ、宜しく。これからはウアジェト様と呼んだ方がよろしいですか?」
俺の問いにウアジェトは肩を竦め、
「今更でしょう? ウアジェトでもジェトでもスマラでも、好きに呼んだら良いわ。それにこの姿を取れるからといって、普段から取るつもりはないもの」
と言うや否や、再び猫の姿へと変わり、俺の肩へと飛び乗ると、首筋を擦りつけてきた。
折角女神としての姿を取れるのにな…。少々惜しいと感じつつ、今まで通りとホッとする。
「それなら、今まで通りスマラと呼ぶよ」
「はいはい」
エメロードとマグダレナも合一から人化し、再び席に着いた。
俺達の様子を楽しそうに見ていたネフは、
「いやはや、皆が皆して力を得るとは、僥倖僥倖」
と拍手をする。俺はそんなネフを睨みつけ、
「これからは必ず一言確認してくれ。不意打ちの試練はこりごりだ」
と言う。もう敬語など必要あるまい。ネフは俺の視線を意にも介さず盃を傾け、上機嫌に、
「承ろう。もう不意打ちでの試練は課さないと」
と約束した。こいつの言葉だから、鵜呑みにしたくはないのだが、稀人の意志を尊重するという、このダンジョンのルールに従えば、約したことを反故にはするまい。
「それじゃあ、皆の試練の突破を祝して、改めて乾杯といこうじゃないか。…ああ、心配しなくても、一度飲んでしまえば、次から何かあるわけじゃないから安心して」
ネフはそう言って皆の杯に酒を注いでいく。俺の警戒をよそに、スマラ達は注がれた酒を嬉しそうに受け、さっさと乾杯をすると飲み干してしまう。
「うーん、美味しいわね! ヴァイナス、登録しといてよ!」
なみなみと注がれた酒を、小さな身体で一気飲みしつつ、スマラが俺に催促する。呆れてものも言えない俺は、言われるがままに〈極光の宴〉へ神蜜酒を登録する。
その後は用意された酒や料理を堪能し、ネフに問われるまま、今までの試練に関する話をしながら、時は過ぎていった。
用意された料理や酒もなくなり、落ち着いたところで、徐にネフが言葉を切り出した。
「さて、それじゃあ門を開こうか」
「門? あれは門じゃないのか?」
ネフの言葉に、俺は階段の先にある扉を示し、問いかけた。
「あれ? あれは確かに『門』だよ。入り口の神殿へ戻るものだけど」
え? それって、
「それじゃあこれで〈稀人の試練〉は終了なのか?」
「そうだよ、おめでとう! 君は見事『神与の試練』を突破したのだ!」
誇りに思うと良いよ! ネフはそう言ってわざとらしい拍手をする。あまりにあっけないクリア宣言に、俺の目は点になる。
「それなのに門を呼び出すって、どういうことだ?」
俺の問いかけに、ネフは取り合わずに儀式のようなものを続け、新たに『扉』を呼び出した。
意味が分からず首を傾げる俺に対し、
「さて、『扉』も呼び出したことだし、最後の『試練』といこうかな?」
ネフはそう言ってニヤリと笑う。こいつ、今さっきクリアしたって言ったじゃないか! 思わずツッコミを入れそうになるが、ネフは頷くと、
「さっきの言葉に嘘はないよ。『神与の試練』は確かに突破した。だから、あの扉を抜ければ、この迷宮から出ることはできる。この試練は、そうだね、君の言葉で言えば…、エクストライベントってやつになるかな」
と言った。エクストライベントか…。
「それで、試練の内容は?」
「その前に、君がこの迷宮に来た時の質問に答えようか」
俺の問いに、ネフは答えとは異なる言葉で応える。俺が口を挟む間もなく、ネフは語り始めた。
「〈陽炎の門〉は『存在』する」
ネフはそう言うと、呼び出した扉を指し示した。
「今呼び出した扉を通れば、〈陽炎の門〉へと行ける」
…なんだって?
俺は自身の耳を疑った。ネフが呼び出した門の先に、〈陽炎の門〉があるだって?
「ネフ、悪いが確認だ。今、何と言った?」
「疑り深いねぇ。まぁそれでこそ君らしいけど。この扉の先に、〈陽炎の門〉があるよ」
俺の問いに、ネフは笑みを浮かべつつ答えた。
間違いない、こいつは本当のことを言っている。
俺の直観が告げる。ネフの言葉は真実だと。俺の願望がそう思わせているだけかもしれないが、不思議と今の俺は真実なのだと理解してしまった。
ネフは戸惑う俺を尻目に、懐から一つの鍵を取り出した。精緻な細工の施された、見る角度によって様々な光を反射する、銀色の鍵だ。
「これは、あれらの扉を開く『鍵』だ。左手を出したまえ」
俺は言われるままに左手を出すと、ネフはそこに鍵を乗せ、握らせる。すると、左手の中へと染み込む様に、鍵が消える。
「これで、君の左手は『鍵』としての機能を持つわけだ。後は好きな方の扉を開けると良い。あ、どちらかの扉を開けたら、もう一つの扉は消えて使えなくなるから注意してね」
鍵の消えた左手を見つめていると、ネフがそんなことを言い出した。その言葉を理解するにつれ、愕然とした。
ここで、ここで! こんな選択を持ってくるかよ!
俺は思わず頭を抱えそうになる。つまりは「究極の選択」をしろ、ということだ。
今ここで〈陽炎の門〉に向かえば、俺はこの世界から脱出できる。そうすれば現状を運営に連絡し、対応策を取ることができる。そうすれば、ゼファーやロゼ、キルシュ達も助けることができる。
けれど、それでは彼らとの約束を破ることになってしまう。『〈陽炎の門〉を抜ける時は一緒に』という約束を。
そして、リアルの彼らを知らない俺は、二度と会うこともできない可能性がある。勿論、オーラムハロムで再会できる可能性はあるが、これだけの問題を抱えたゲームが、そう簡単にサービス再開されるとは思えない。
大幅な修正を行い、再開すればまだ良い。下手をすればサービス停止の可能性だって高い。そうなれば、二度と会うことはできないだろう。
一方で、オーラムハロムに戻った場合、いつ見つかるともしれない〈陽炎の門〉を探すために、どれだけ掛かるか分からない苦労と努力が必要になる。
今ここで〈陽炎の門〉の実在をネフが保証したとはいえ、その存在を直に確認したわけじゃない。少なくとも希望にはなるが、正確な場所も分からないし、ネフが正確な場所を教えるとも思えない。
戻ってゼファー達と共に探索を続けるか。
恨まれようとも、脱出を優先するべきか。
俺の心は乱れに乱れた。今回の選択は非常に重要だ。何しろ、あれだけ探していた〈陽炎の門〉が目の前にあるのだ。この扉の向こうに現実世界が待っている、その選択は余りにも甘美な蜜のように、俺の心に染み込んでくる。
俺は無意識に扉へと手を伸ばし、すんでのところで思い留まる。
待て、待つんだ、良く、良く考えるんだ!
俺の視線の先には、スマラが、エメロードが、マグダレナがいる。彼女達は、俺がどんな選択をしようとも、構わないとでもいうように微笑みを浮かべて見守ってくれている。
彼女たちを置いて、今この世界を去ることができるのか? 残された彼女たちはオーラムハロムに戻ることができるのだろうか? 冷たい言い方をすれば、彼女たちはゲームのNPCであり、所詮はデータだけの存在だ。
だが、そうと切り捨てることができないくらい、俺は彼女達と共に「刻」を過ごしてきた。共に笑い、泣き、怒り、喜び、救われ、助けられて来た。
扉を前に悩む俺に対し、ネフは新たに言葉を重ねる。
「君に渡した『鍵』は、大半の扉に対して有効な、アクセスキーのようなものだ。君の左手が失われない限り、使うことができるが、反面、他の者に渡すことはできない。その鍵は簡単に手に入るものじゃない、ってことは一考に値するんじゃないかな」
その言葉を聞いて、俺は益々悩んでしまう。オーラムハロムには、技術や魔法では開けることのできない、特殊な鍵の掛かった扉や宝箱がある。
これらは破壊することもできず、特定のイベントをクリアすることで入手できる、専用の特殊な鍵を手に入れることで開くことができるのだ。
さっきの鍵は、その類のものなのだろう。ここの二つの扉以外に、何を開くことができるのかは分からないが、これからの探索に役立つものであることは間違いない。
これからの探索?
俺は今しがた考えたことに、思わず吹き出してしまう。そして、そのまま堪えることができずに笑いだしてしまった。
俺の唐突な変化に、皆首を傾げている。一頻り笑って落ち着くと、俺は深呼吸し、今度は迷わずに、階段へと足を向ける。
何のことはない。
俺自身、まだまだオーラムハロムを楽しみたいのだ。
皆と共に「刻」を過ごし、喜びを分かち合いたい。
答えは最初から決まっていたのだ。〈陽炎の門〉が実在するというのなら、皆で見つければ良い。それがどれだけ時間が掛かるとしても。
さっきまでの逡巡が嘘のように階段へと足を掛けた俺に、
「随分あっさりと決めたねぇ。良いのかい? 君の『世界』に還るチャンスなのに」
「〈陽炎の門〉があるのが分かったなら、探せば良い。どこかにあるのなら、いつか必ず見つけるさ」
と声を掛けるネフに俺は答えたまま、階段を昇っていく。
「成程、成程。君が〈異邦人〉として『選ばれた』理由が分かる気がするよ。その魂の力は、この世界に必要なものだからね」
ネフの言葉に、俺は足を止める。背後をついてきていたマグダレナが俺の背にぶつかり、「ふぎゅ」と可愛い声を立てた。
「ネフ、それはどういうことだ? 選ばれる? それは一体…」
俺の問いかけに、ネフは珍しく『しまった』という表情をする。だがすぐに気を取り直したのか、いつもの飄々とした顔に戻った。
「うん、そうだね。その顔の君に伝えたところで、決意が変わるとは思えないけど、この際だ、伝えておこう」
ネフはそう言って笑みを浮かべた。俺はその場で向き直り、ネフを見つめる。
「真実とは、それを受け取る側によって変化するものだが、事実とは受け入れる側に関係なく、変化することはない」
いきなり禅問答のようなことを言い始めるネフ。俺は踵を返すとネフの前に戻り、
「持って回ったような言い方は止めてくれ」
と言うと、ネフは肩を竦めつつ、
「せっかちだねぇ。まあいいさ」
と言う、俺は黙って先を促した。
ネフは頷くと、さして特別なことはない、という風に言った。
「それなら結論から言うよ。この世界は、《オーラムハロム》は君が考える『ゲーム』ではない。君の言葉を借りるなら、『異世界』というものだ」
 




