79 〈幻夢(VR)〉でも「運」は見えない
「いらっしゃいませ。どのように遊ばれますか?」
「やるのは俺一人で。卓を用意してもらえますか?」
俺達は準備を整え、『雀鳳』を訪れていた。異国情緒溢れる俺達を見て、店員は驚いていたようだが、俺が流暢に日本語を話すと、安心した様子で案内をしてくれた。
煙草の煙で視界の悪い店内を、案内に従って進んで行く。昼間だというのに、そこかしこで牌を掻き混ぜる音が聞こえ、良い手を上がったのか、喜びの声や振り込んだ者の悲鳴が聞こえてくる。
大抵、こういうところは一見の人間には最初勝たせるはずだけど…。俺は案内された卓に着くと、店員はエメロードとマグダレナに席を用意する。スマラは影の中だ。
卓にはすでに人が待っていた。その中の一人が、
「おや兄さん、こんなところで会うとは奇遇だね」
そう言って声を掛けてきたのは、銭湯で出会った老人だ。
「こんにちは。今日は休みなんで遊ぼうかと」
「別嬪さんを二人も連れて来るような場所じゃなかろうに。彼女たちは退屈なんじゃ?」
「そんなことないよ~。麻雀には興味あるし」
「ヴァイナスが勝つところ見たいわ」
老人の問いかけに、二人は笑顔で答えた。それを聞いて老人は呵呵と笑うと、
「おやおや、それじゃあ儂も兄さんが良い所を見せられないよう、頑張らないとな」
と言いながら洗牌を始める。他の二人もニヤニヤと笑いながら牌を掻き混ぜ始めた。俺も洗牌に参加する。
雀荘なら全自動卓だと思っていたので、久し振りの手積みに懐かしさを感じつつ、手早く積んでいく。
「お、兄さん慣れてるねぇ」
サクサクと牌山を積んだ俺に、老人が驚いた顔をする。どうやら、興味本位で遊びに来た、外国人だと思っていたようだ。他の二人も表情が変わる。普通に打つ気になったようだ。
賽子を振り、親を決めると牌を取り、配牌を確認する。…ふむ、悪くない。
「そういや、レートを言ってなかったな」
老人の言葉に、そういえばと俺は頷く。
「テンピン割れ目のアリアリで良いかい?」
「良いですよ」
雀荘なのに、随分と良心的だ。テンピンは点棒1000点につき100円、割れ目は積んだ山牌が割れた人の、その局における点数計算が倍に、アリアリは喰いタンあり、後付けありのルールのことだ。
金額に関しては一応確認しておくか。
「1000点100円で良いんですよね?」
「おうとも。もうちょい高くするかい?」
「久しぶりなんで、それくらいが有難いですね」
俺の確認に、老人は頷いた。一見であるし、最初は低いレートで楽しませるのかな?
「それじゃ始めるとするか!」
老人の音頭に合わせて、東一局が始まった。俺は久し振りの麻雀ということもあり、最初は素直に打つことにした。
鳴きをせず、流れに任せて役を作る。リーチが掛かれば案牌を切り、手が悪ければ無暗にリーチを掛けずやり過ごす。
そうして東場が終わるころには、一位になっていた。
「兄さん、やるねぇ。素直な打ち筋なのに、しっかり上がってる」
老人は可笑しそうに笑いながら声を掛けてくる。他の二人も笑っているところを見ると、楽しんでいるようだ。
「皆さんが、手加減してくれているからですよ」
「手加減できる程、上手かないよ。下手の横好きであるのは間違いないがね」
俺の答えに、老人たちは笑う。俺も嬉しくなって笑った。
半荘を終え、逃げ切った俺の一位で幕を閉じた。勝ち逃げは許さん、と笑顔で言われ、肩を竦めつつ次の準備をしようとした時、
「お客さん、強いねぇ。どうだい、もう少し高いレートで遊んでみないかい?」
と声を掛けられる。視線を向けると、派手なスーツに身を包んだ若い男が立っていた。
「高いレート?」
「ああ。それだけの腕があるなら、きっと儲かるぜ」
俺の問いに、男はニヤリと笑う。そこに、
「おい、儂らは楽しんでやっているんだ、邪魔をしないでくれ」
と老人が抗議する。若い男は肩を竦め、
「悪いが、俺はこのお客さんと話をしているんだ。道楽でやってるような奴にゃ相手にならん」
この人だって、物足りないだろうさ。そう言って笑顔を向けてくる男を、俺は静かに見返した。
どうやら、仕掛けてきたようだな。
ここからが本番だ。老人たちには申し訳ないが、俺は頷き、
「せっかく遊びに来たんだ、やってみましょう」
俺の答えに、男は満足そうに頷いた。慌てて止めようとする老人に睨みを効かせて黙らせると、
「良い答えだ。それじゃあこっちにどうぞ。お嬢さん方もご一緒に」
と言って、歩き始めた。さてさて、どうなることやら。
「こっちでのレートはピンピンになります」
男から説明を受けながら個室に案内されると、すでに対戦者が座って待っていた。女連れで現れた俺を、値踏みするように見ていたが、すぐに視線を逸らす。俺は席に着きつつ、軽く頭を下げる。
「割れ目のアリアリは変わらず。ただし、トビはありません。ハコテンになった者が、降りなければ半荘ごとに継続するかどうかを選択します」
勝ち抜けはできない仕様か。まずは勝たせてくれるはず。そして、調子に乗らせてから、徹底的に攻めてくるはずだ。
徐々に負けが込んでくれば、挽回しようと勝負を続ける。そして、にっちもさっちもいかなくなったところで、借金を持ちかけてくるのだろう。
「了解しました。早速始めましょう」
俺の言葉と共に、洗牌が始まる。注意して見ているが、今のところイカサマは見えない。まぁ最初からやっていたら、カモが逃げてしまう。最初は適度に勝たせる筈だ。
まぁ、『適度』に勝つつもりはないがね。
彼らは恐らくプロの雀士だ。腕も相当なものなのだろうが、俺には鍛え上げた〈幸運〉がある。先程の卓で打った時、その手応えは感じていた。
様子見だったのはこっちも同じ。最初からいかせてもらおう。
「まずは、俺が親か」
賽子の結果、俺が親に。しかも割れ目だ。配牌を確認した俺は、徐に捨て牌を横にする。
「ダブル立直」
ざわり、と周囲の気配が変わった。だが、流石はプロの雀士。一瞬で元の気配に戻ると、自摸を行い、牌を切る。自摸が一巡し、俺は牌を自摸ると、宣言しつつ牌を倒した。
「自摸、一発だ」
一人の男の眉がピクリと震えた。別の一人は肩を竦め、もう一人もやれやれと首を振る。だが、その表情がハッキリと変わったのは、俺が晒した牌を見た時だった。
「ダブリー一発自摸ピンフドラ2。…おっとチャンタも付くな。高めで親倍の割れ目だな」
親の倍満で24000、割れ目で48000だ。16000オール。親万振り込みでトビ圏内である。
まさか東一局でハコテンが見えるとは思っていなかったのだろう。唖然として俺の手牌を凝視している。他の二人も表情が変わっていた。
だが、この半荘にハコテンはない。いきなり原点割れした男は思わず若い男に視線を送る。だがすぐに視線を逸らすと、大人しく俺に点棒を渡し、洗牌を始めた。
さて、仕掛けてくるかな? 俺は洗牌しつつ注意する。だが、特に不審な動きはない。どうやら、最初の半荘はまともに打つようだ。
尤も、油断はしない。いつイカサマが来ても良いように、注意を続ける。
最初の手は上手くいった。程よく勝たせる筈がいきなり大差をつけられ、男達が僅かにだが、動揺するのが手に取るように分かる。
普段ならもっと慎重に打つのだろうが、負けを挽回しようと打ち方が荒くなった。そこを俺だけでなく、お互いに容赦なく突き合い、さらに負債が増えていく。
結局、負けを挽回できないまま、俺の断トツトップで半荘が終了した。俺以外の三人は全て原点割れという、独り勝ちだ。
「いや、お強いですね」
半荘を終えた所で、若い男が声を掛けてくる。
「今日は運が良いですね。こんなに勝ったのは初めてですよ」
俺は笑顔で男に答えた。エメロードとマグダレナも、素直に喜んでいる。
「最下位の者が降りたので、面子を変えますが、どうします? 続けますか?」
男の言葉に俺は頷いた。点数が清算され、現金が渡される。そこに新たに三人の男が現れた。目つきの鋭さは、先ほどまでの男たちの比ではない。
どうやら、相手も本気の様だな。
「そこで提案なんですが、どうです? 次の半荘は更にレートを上げ、1000点1万円では?」
来た、これだ。この条件で嵌められたんだ。俺は内心気を引き締めると、笑顔で答える。
「今日はツイている。やりましょう」
俺の答えに、若い男はかかった! と笑みを浮かべた。こちらこそ、望むところだ。最早勝ちを確信しているのだろう。男は笑顔で、
「それでは、ごゆっくり」
と言い残し、その場から立ち去った。その時にエメロードとマグダレナに送った視線は、絡みつく蛇の様だ。すでに頭の中では、二人をどうするかを算段中なのだろう。
さて、本気で行かせてもらおうか!
俺は洗牌しつつ、彼らの挙動に注意する。イカサマとまではいかないが、ある程度牌の流れをコントロールできるように、牌を積んでいるのが分かる。
こいつら、全員グルか。コンビ打ちどころか、3対1の勝負とは容赦がない。だがまぁ、思い通りにはさせんがね。
俺は不自然にならないよう注意しながら、さりげなく彼らが積もうとする牌を取り、逆に牌を取らせながら牌を積んでいく。
俺は敢えて牌を確認しない。ランダムに牌を積ませていくことで、『普通』の麻雀にしているのだ。
そこからの勝負は、腕もさることながら、持ち前の〈幸運〉に左右される。
完全に思い通りにはならない洗牌に、一人が舌打ちをする。別の一人が窘めるような視線を送ると、それ以降は黙って牌を積んでいた。
「俺は子か」
賽子を振り、俺の対面が親で上家が割れ目。今回の配牌はと…。
「ダブル立直」
俺が後ろの二人に分かり易いよう、理牌している間に、親の男が徐に牌を横に向け、宣言した。俺以外の二人の視線が集中する。立直を掛けた男が時計を確認し、店員を呼んで飲み物を注文した。
それを確認し、上家の男が自摸り、牌を切る。恐らく、時計から注文までの一連の流れが、通しになっているのだ。
男の待ちが確認できたので、安牌を切ったのだろう。俺はその牌を見て、頷く。
下家の男が自摸ろうとした手を止める。俺が自摸っていないことに気付いたのだ。そして、早く自摸れと目で訴えてくる。だが、それに従わずに、俺は徐に宣言する。
「ロン、一発だ…。うん? そういやここじゃ人和アリだったか」
役満だな。俺はそう言って手牌を晒す。役は平和のみ。だが役は役だ。三人は俺の手牌を凝視した。
何度も確認しているようだが、間違いはない。子の役満、36000点、割れ目で72000点也。
上家の男は、震える手で点棒を渡してきた。尤も、点棒が全然足りないので、店員の一人が専属で計算を始めた。いきなりハコテンだが、半荘が終わるまで降りることはできない。しかも現金にして72万の負債だ。
男の目の色が変わったのを俺は見逃さなかった。こいつ、次から何か仕掛けてくるな。だが、好都合だ。イカサマするならやってみろ。逆に利用してやる。
洗牌をしながら、男の動きに注意した。すると、積んでいく牌が偏っているのが分かる。あれは…。
俺は他の二人の積み込みを牽制しつつ、コッソリと仕込みをした。上家の男は仕込みを終えたことに安心したのか、その後の積み方は明らかに適当だった。そんな隙を見せるなんてな。俺は内心笑みを浮かべる。
男は賽子を振ると、出目は12。対面の割れ目である。そして、牌を取り、ニヤリと笑う。どうやらイカサマが成功したようだ。
男は自信満々に牌を切る。俺も続いて牌を自摸り、牌を切る。流石に人和はない。警戒していたのか、下家の男が小さく息をつき、牌を自摸った。
そして数巡自摸が続き、上家の男が訝し気に首を傾げた。さりげなく視線を他の二人に送るが、二人とも反応しない。どうやら持っていないということが分かり、肩を竦めると不要牌を切る。そこに、
「ロンだ」
俺の声が響く。ギョッとした男は慌てて俺を見た。まったく警戒していなかったらしい。
「混老頭七対子ドラ2。跳満だな」
そう言って晒した手牌を見、男の目が見開かれる。そこには男が待っていたであろう、三元牌が二つずつ綺麗に並んでいた。
男の顔が悔しさに歪む。折角の親が一瞬で流されたのだ。しかも、イカサマまで仕込んだ局にだ。
慌てて俺の捨て牌を確認すると、そこに幺九牌はない。風でも何でもない風牌で当たられるとは思っていなかったらしく、その方は震えていた。
対面の男が「馬鹿が…」と小さく呟いた。イカサマに気を良くして警戒を怠ったことを暗に責めているのだろう。更に負債を増やした男は、荒々しく洗牌を始めた。
男が使ったイカサマは通常「爆弾」と呼ばれるものだ。最初の手牌の中に役牌を積み込むもので、本来なら上家を起点として自身の山に8枚を仕込むのだが、コンビ打ちということもあり、鳴きで大三元を作るつもりだったのだろう。
そのため、三元牌を2枚づつ仕込み、切られるのを待ったのだろうが、それに先んじた俺は、自身の山に同じように積み込んでおいたのだ。
まさか俺が積み込んでいるとは思っていなかったらしく、他の二人も警戒していなかった。俺の牽制も一局目と同じ適度な牌の妨害だったことで、油断したのだろう。
さて俺の親だ。賽子を触れないので、やれるイカサマは限られる。恐らくこの局は何もしてこないだろう、そう思っていたのに、上家の男は性懲りもなく積み込み始めた。
俺は内心ため息をつくと、対応して積み始めた。当然、他の男への注意と牽制も忘れない。
賽子を振る。出目は4。上家の男の頬が引き攣った。動揺しすぎである。自身が割れる確率は11/3だとはいえ、自分が賽子を振れない時に、イカサマを仕込んでも良いことなどない。
割れ目な上に、イカサマを仕込んだ山を配牌され、意気消沈する上家。自業自得だ。
対面の男が鋭い視線を上家に送る。どうやら、こいつが三人の中ではリーダー格だな。上家の暴走を止めたいが、この場で諫めるわけにもいかない。上家の男は焦っているのか、その視線には気づいていないようだった。さて、もう少し苦しんでもらおうか。
その局も、上家から容赦なく上がり、親を維持したのだった。
「済まない、トイレに行きたいのだが」
山を積み、俺が賽子を振ろうとした時、対面の男がそう言って来た。俺が頷き賽子を置くと、対面の男が席を立つ。その際、上家の男に一瞬視線を送る。
上家の男も気づいたらしく、「俺もトイレだ」と言い席を立つ。分かり易い行動だが、俺は敢えてスルーする。その間、エメロードとマグダレナと共に、飲み物を頼んで話しながら寛いでいた。
「済まない、待たせたな」
対面の男はそう言って席に戻る。上家の男はまだ戻って来ていない。黙っていた下家の男が、対面の男と視線を交わす。どうやら、俺がイカサマをしないように見張っていたみたいだ。
「すいません、戻りました」
上家の男が戻り、麻雀を再開する。さてさて、どんな作戦を立てたのか。
今回は露骨な積み込みはしていない。可能性が高いのは、通しを駆使して速攻で上がり、俺の親を流すことだ。そうすれば親が下家に変わり、色々と仕掛けやすくなる。
さて、俺の『運』はどれだけあるかな?
コンビ打ちを行うプロ雀士相手に、俺が対抗できる条件は『運』しかない。俺は自分の運に賭け、今回は『無作為』に賽子を振る。
実はさっきの賽子に関しては、出目をコントロールさせてもらった。
力の加減と持ち方で、賽子の目はコントロールできる。それは他の雀士だって同様なので、正直、賽の目に関しては出来レースのようなものだ。
賽子の目は7。対面が割れた。配牌を終え、俺は理牌してから捨て牌を切った。
「ポン」
対面の男が俺の捨て牌を鳴く。そして切った牌を、
「チー」
と上家の男が鳴いた。成程、本当に速攻で上がるつもりだな。さて、俺の運と彼らの運、どちらに女神は微笑むか?
「カン」
俺は自摸った牌を確認し、徐に宣言する。槓子の牌は「東」。東場の親なので二翻確定である。そして更に自摸った牌を見、
「カン」
と宣言。その結果を見て、男たちの表情が変わった。カンしたことで捲られた牌は「北」。俺の槓子した牌になったのだ。ドラ4が確定し、いつでも上がることができる状態になった。
更に悪夢を見てもらおうか。
言葉を失った男達に対し、俺は更に追い打ちを掛けた。
「カン」
馬鹿な! 思わず下家の男が声を上げた。槓子を作り、ドラ牌を捲る。その牌を見た男たちの表情が消える。
北
役牌ドラ8が確定し、しかも三槓子が確定している。山牌の大半は、対面と上家の山から取られているので、積み込みではあり得ない。思わず睨みつける対面の男に、上家の男は首を振った。
まだ一巡すらしていない状況に、男達は言葉を失う。そして俺は捨て牌を横にし、
「立直」
と宣言した。たった一枚の捨て牌から、待ちを予想することなど人の身で出来る筈がない。下家の男は、長考を重ねるが、どうにもならないと首を振り、牌を切る。
「…チーだ」
対面の男はすかさず鳴く。この状況でも、自らが上がるために最善の手を尽くすのは、雀士の鑑といえる。
「それはチー…」
対面の捨て牌を確認した上家の男が鳴く前に、俺は手牌を倒し、
「ロンだ」
と一言宣言する。裏ドラを確認し、
「立直三槓子ドラ12。数えで役満だな。あんたの割れ目だぜ」
俺の言葉に、わなわなと震える対面。上家の男は、俺の槓子を確認し始めた。そして間違いがないことに落胆する。
通しを駆使して早上がりを目指したにも拘わらず、それを超える速さで上がる。俺の運も捨てたもんじゃないな。
「さて、続きをやろうか?」
俺の笑顔での問いかけに、男たちは項垂れる。悪いが、ここで手を引く気はない。徹底的にやらせてもらうさ。
この後、精彩を欠いた男達のミスも味方し、俺は容赦なく上がり続けるのだった。




