8 これが幻夢(VR)の死なのか
俺が意識を取り戻したのは、四方に扉のある部屋の中だった。ゆっくりと周囲を確認する。
マンティコアの死体はなく、それ以外の変化はないように思える。
死んでしまった。あれが〈オーラムハロム〉での【死】か。
どうやら、復活すると直前までいた場所に戻るようだ。それはそうか。潰れたままじゃ復活しても意味がない。
『スマラ、無事か?』
俺は心話でスマラに話しかける。
「無事よ」
スマラはそう言って、俺の影の中から姿を現した。
「俺が死んで、どれくらい時間が経った?」
「大して経ってないわよ。せいぜい10分くらい?」
なるほど、リスタートは結構速いんだな。俺は身体を動かし、どこかおかしいところはないか確認していく。
特に後遺症のようなものはなかった。戦闘で受けた傷も完治している。あまり使いたくはないが、死んで復活したほうが、回復手段を講じるよりも有利な時がありそうだ。
「確認して欲しい。俺の〈幸運〉はどれくらい減った?」
「ちょっと待って…」
スマラが俺の顔をじっと見つめる。
「〈幸運〉は43になってるわね」
2点減少か…。まぁ悪くない。俺はその場に座り込むと、周囲を警戒しつつも、考えを巡らせる。
さっきの仕掛け、何が間違っていたのか?
正解は黄色の水晶だったのだろうか? これが一番可能性としては高い。もう一度試してみるか。
だが、それも間違いだった場合、もう一度ペシャンコになるわけだ。それはなんともやるせない。
こういったゲームは、トライ&エラーを繰り返して攻略法を見つけていくものだが、コンシューマーゲームと違い、中断と再開はあるが、MMOにはセーブ&ロード機能はない。残機も限りがあるのであまり無茶はできない。特に出口が分かっていない以上、この先を考えると余計なチャレンジは控えるべきだ。
しかし、北の扉の先が行き止まりだった場合、東の扉の仕掛けをクリアしなければ、先に進めないことになる。
それに、北の扉の先にも同じ仕掛けがあった場合、同じようにトライ&エラーを繰り返す可能性がでてくる。
であるならば、ヒントが出ている東の扉を攻略したほうが、結果的に危険を少なくすることに繋がる気がする。
「さっきのは何が不味かったんだろうな?」
「さぁね~。黄色が正しい水晶なんじゃないの?」
「その可能性が高いよな。試してみるしかないのか…」
「どっちも太陽の色なのは間違いないしね~」
どっちも太陽の色…。
なぜ俺は太陽の色で悩んでいたんだ?
朝日と夕日じゃ色が違うから?
違う。
「そうか、ここは〈オーラムハロム〉(ゲームの世界)だった」
「いきなり何よ?」
スマラは訝しげにこちらを見るが、俺は気にせず思考を続ける。
そう、ここは〈オーラムハロム〉。
太陽は「二つ」あるのだ。
「謎は解けた」
「本当? 大丈夫なんでしょうね?」
「これで駄目ならまた死んで挑戦するさ」
俺はスマラに答え、立ち上がると、東の扉を開ける。
扉を開けると俺を押しつぶした天井は元に戻っており、死ぬ直前に開けた床の隠し棚が開いたままになっている。
俺は部屋に入り、扉が閉まる音を聞くと、隠し棚に近づき、中にあった薬品を取り出した。
「なぁ、これが何だが分かるか?」
「ちょっと見せて…。これは〈能力上昇の秘薬〉(ステータス・ポーション)よ。飲めばランダムに選ばれた〈能力〉が上昇するわ」
俺はそれを聞いて蓋を開け、瓶の中身を飲み干した。
口の中に広がる強い薬品臭。そして薬独特の苦みと風味が舌を刺激する。はっきり言って不味い。
我慢して飲み下すと、一瞬、胃の中が熱くなり、その熱が身体全体に広がるような感じがした。
「もう効果は出ているのかな?」
「調べてみるね」
スマラが俺の顔をじっと見て、
「うん、〈幸運〉が46になってる。良かったわね」
なんとも皮肉な結果だ。まぁ、結果的にプラスなのだから喜ぶべきか。
俺は気持ちを切り替え、水晶の前に立つ。
そして、赤と黄色の水晶に同時に触れる。
すると、前回と同じように天井が下がり始めた。俺は慌てずに扉へと近づき、取っ手を掴んで引く。
ガチャリと音がして扉が開いた。同時に背後から何かの音がする。
振り返ると、碑文のある壁の一部が開いていた。
「やるわね。なるほど、太陽の数と同じ水晶に触れる必要があったのね。色だけじゃなかったの」
「ああ。もっとも、これだって確証があったわけじゃないけどな」
扉はもう勝手に閉まることはないようだ。俺は碑文の前に進み、開いた壁を調べる。
壁は隠し棚になっていたようで、小さな台座の上に、白い宝石をあしらった首飾りが飾られていた。
俺は首飾りに触れないように、隠し棚の中と台座を観察する。
どうやら罠の類いはないと判断し、首飾りを手に取った。
その判断は早計だったようだ。
背後でガチャリと音がして、扉が閉まる音がした。同時に、南側に当たる壁が動き、新たな通路が現れた。
俺はレイピアを抜き、何が現れても良いように構える。
幸い、通路から何かが現れることはなかった。念のため、通路に近づいてみると、下りの階段になっている。石造りの螺旋階段だ。
俺はレイピアを収め、手にした首飾りをスマラに見せ、
「これが何か分かるかい?」
「見せて。…これは〈月光の護り〉(ムーン・ベネディクタ)よ。身に着けた状態で月長石を握りしめて〈月神〉に祈りを捧げると、HPが全快するわ。一度使うと効果は失われるけど、満月の光に一晩中照らすことで、また使えるようになるわよ」
これは強力なアイテムが手に入った。一度きりとはいえ、HPが全快するのは強力過ぎる。〈オーラムハロム〉では、HPの減少(いわゆる怪我)を治療する手段が限られているので、非常にありがたいのだ。ちなみに以前受けた説明は以下の通り。
●HPの回復●
減少したHPは、簡単には回復しません。自然治癒するには、何もせずに一週間療養するごとに1点回復します。魔法や薬で回復する場合は、効果を確認し、適宜解決してください。
つまり、自然治癒で回復する場合、(ゲーム内時間で)1週間でたった1点しか回復しないのだ。市販の傷薬で治療する場合、1点回復するのに20ゴルトかかる。今回は砦でかなりの薬をもらっておいたが、WPも考えるとそう多くは持って来ていない。
決してHPが高くない俺にとって、正に神からの授かりもの。俺は月神に感謝しつつ、首飾りを身に着けた。
「それで、どうするの?」
「どうするも何も、ここを進むしかあるまい?」
後ろの扉は閉まってしまったし、俺は覚悟を決めて階段を降りていくことにした。
階段を降りた先は、暗く埃が積もった部屋だった。そこかしこに蜘蛛の巣が張り、訪れるものがなかったことをうかがわせる。
カサコソ、カサコソ
部屋に入った途端、周囲から何かが動く気配を感じた。
レイピアを抜き、ゆっくりと周囲を警戒する。
突然、頭上から何かが襲いかかって来た。俺はレイピアを突き出し迎撃する。手ごたえがあり、小さく鳴き声が上がった。
レイピアを引き戻すと、刀身に刺さっていたのは、拳くらいの大きさの蜘蛛だった。わきわきと足を動かしていたが、やがて動きを止める。
レイピアを振り、死体を振り払うと、それに群がるように他の蜘蛛が集まって来た。どうやら、空腹のようだ。こいつらにとっては共食いは何ら禁忌ではないらしい。あっという間に死骸を食べつくした。
そして、集まってきた蜘蛛は大きな獲物(つまり俺だ)を見つけると、一斉に襲い掛かってきた。
俺は螺旋階段の柱を背にしながら、蜘蛛を迎撃する。
頭上の巣から飛びかかる蜘蛛を避け、足元から這い上がろうとする蜘蛛を踏みつぶす。捕り付いた蜘蛛は外套を振り払って対応する。
そうしてしばらく闘い、気が付くと周囲に動くものはなくなっていた。物陰に潜んでいる可能性も考え、部屋の中を警戒しながら探索する。
どうやら全て退治したようだ。レイピアを仕舞い、ちゃっかり影に潜んでいたスマラに声を掛けると、改めて部屋を確認する。
降りてきた階段とは別の登り階段が東側にあり、西側には扉が見える。俺は羊皮紙を取り出し、部屋を書き込むと、どちらへ向かおうか考えた。
「どっちに進むの?」
「こういう時のセオリーとしては、まず扉からかな」
「どうして?」
「まぁ可能性の話なんだけど、通路は少なくともその先があるだろう? 対して扉はそこで行き止まりの可能性がある。もちろん、扉の先が通路になっていることもあるから、一概に扉が正解とは言えないけど、全てを調べるなら、行き止まりかどうかを確認するのが効率的だからね」
俺の言葉にスマラは頷く。
「そうね、理にかなっているわ。それじゃ扉から調べましょ」
調べるのは俺なんだがね…。言っても結果は変わらないので、俺はぐっと言葉を飲み込み、扉を調べる。
それにしても、ここの扉は鍵穴がないものが多い。何に使われていたのか気になるところだ。
それなのに、錠は降りるのだから性質が悪い。侵入者を試すような造りになっているのが嫌らしい。
もしかすると、本当に試すための場所なのかもしれない。
まぁ、考えたところで答えが出るわけじゃない。気持ちを切り替えて、探索を続ける。扉を開け、先へと進む。
そこは薄暗い部屋になっていた。倉庫というか、物置といった感じの部屋である。
そこに、朽ち果てた亡骸が横たわっていた。
長い年月を経ているのか、すでに白骨と化した亡骸は、何かに覆い被さるように倒れている。
俺は思わずその場で目を瞑り、冥福を祈っていた。
現実世界でも、交通事故なんかで轢かれた犬や猫の死体を見たとき、俺は冥福を祈ることにしている。つい、その癖が出てしまった。
祈りを終え、目を開けると、そこには骸骨が虚ろな眼窩をこちらに向け、手に持つ錆びた剣を振り上げているところだった。
『危ない!』
そう言って影からスマラが飛び出し、骸骨へと飛び掛かった。肉を失った身体は随分と軽いのだろう、スマラの突進を受け、骸骨はバランスを崩した。
俺は慌ててレイピアを引き抜き、眼窩に突き入れた。衝撃で頭蓋骨が吹き飛ぶ。しかし、頭蓋骨を失ってなお、骸骨は俺に襲い掛かってくる。
振り下ろされる剣を躱し、今度は胴体を蹴り飛ばした。十分に体重の乗った一撃で、骸骨は奥の壁に激突し、動きを止める。
「助かったよ」
「油断し過ぎよ! ダンジョンの骸骨なんて大抵魔物なんだから、注意しなさい」
俺が礼を言うと、スマラは得意げに鼻をヒクつかせた。
その様子に俺は苦笑を浮かべ、改めて骸骨を調べる。
壁にぶつかった衝撃で、完全にバラバラになってしまった骸骨だが、骨格から小柄なヒューマノイドであることが分かった。
「どうやら、エルフみたいね」
「分かるのか?」
「〈鑑定眼〉」
便利だな、鑑定眼。
羨ましく思いつつ、何か役に立つものはないか、確認する。
骸骨が身に着けていた剣は、錆びていて使い物にならなかったが、鎧を調べると、マジックアイテムであることが分かった。持ち上げてみると非常に軽い。
「もしかしたら、このマントの持ち主だったのかもな」
「そうかもしれないわね」
そんな会話を交わしつつ、鎧を調べてもらう。
「これは貴重品よ! 〈森妖精の鎖帷子〉(エルブン・チェイン)と呼ばれる鎧で、〈流白銀〉(ミスリル)と言う金属で造られているわ。ただでさえ軽量で強靭なミスリルを使っているうえで軽量化の魔法まで掛かっているの。そのおかげで、これを着たまま泳ぐことだってできるわ。この人、エルフの中でも腕利きだったのでしょうね。エルフでもこの鎧を着ることができる者は多くないと言われているわ」
スマラの話を聞きながら、俺はエルフの亡骸を集め、一所にまとめると、持っていた大きめの袋に納め、六文銭の代わりゴルト金貨を1枚共に入れる。そして静かに黙祷を捧げた。
エルフの冥福を祈ると、俺はエルブン・チェインを身に着ける。確かに軽い。今まで着けていた革鎧よりも軽いのだ。しかも動きを阻害することがないし、鎖が擦れてもほとんど音がしない。
少し体を動かしてみて、鎧の具合を確かめると、今度は部屋を探索する。
残念ながら扉や通路は見つからず、エルフの持ち物であろうボロボロの財布が見つかったくらいだ(100ゴルトほど入っていたので、ありがたく貰っておく)。
俺は最後にもう一度、黙祷を捧げ、部屋を後にした。
残るは東側の階段を登るだけだ。俺は先ほどの蜘蛛部屋に戻ると、階段へ向かおうとした。
その時、嫌な予感を感じた俺は、扉を潜る足を止めた。その目の前をブン、と音を立てて通り過ぎたのは、不気味な燐光を放つ剣だった。俺はレイピアを引き抜くと、剣の持ち主が姿を現すのを待つ。
俺の目の前に姿を現したのは、大柄な体格を持つ2体の骸骨だった。ただし唯の骸骨ではない。錆の浮いた鎧を着こみ、燐光を放つ魔剣を持った戦士なのだ。
「〈骸骨剣士〉(スケルトンファイター)よ! ただのスケルトンとは別物だから、気を付けてね!」
おそらく、先ほどのエルフの仲間だったのだろう。1体は剣と盾を持ち、もう1体は両手剣を構えている。スマラが早速1体の前に飛び出し、牽制を始めた。その間に、俺はもう1体を倒すべく、間合いを詰める。
骨だけの存在であるスケルトン系には、刺突が中心のレイピアは相性が悪い。だが、魔力の籠もったこの剣ならば、斬撃にも充分耐えられる。
俺はスケルトンファイターが繰り出す上段からの斬撃を、半身になって回避する。そして、振り切られ地面を叩いた両手剣を持つ手首を狙ってレイピアを繰り出した。
関節の隙間を狙って繰り出した斬撃は、鋭い切れ味を持ってスケルトンの両手首を切断した。
武器を失ったスケルトンは、手首のない両腕を振り回して襲いかかって来た。大振りに繰り出される攻撃を避け、背後に回り込むと、無防備な足を膝裏から切り裂く。
片足を失ったスケルトンはその場で転倒する。もがきながら俺を見上げる頭蓋骨を、俺は体重を乗せて踏み潰した。
スマラが惹きつけているスケルトンは、相棒が倒れたことに気が付くと、今度は俺に襲い掛かってくる。その足が床を踏む瞬間、スマラが踵を擦るように体当たりをした。
身体を使った足払いを受けたスケルトンは、バランスを崩して膝を着く。その隙を逃さず、俺はスケルトンの盾を足裏で思い切り蹴飛ばした。
体重の軽いスケルトンは、そのまま勢い良く倒れた。剣と盾を手放さないのは流石だが、人の身体は、両手に物を持ったまま起き上がるのには適していない。
もたつくスケルトンの首筋を狙ってレイピアを繰り出し、その首を跳ね飛ばす。そのまま転がる頭蓋骨を踏み潰して止めを刺した。
残された身体はしばらく動いていたが、不意に糸が切れたように動きを止めた。
「どう? 私もちゃんと戦えるのよ?」
フフンとドヤ顔で髭をヒクつかせるスマラを褒めつつ、スケルトンウォリアーの亡骸を探索する。
鎧や盾は錆びついていて使い物にならないが、両手剣と片手剣は魔法が掛かっているのか、仄かな光を発しており、錆びついてもいないので使えそうだ。俺は何気なく手に取ろうとする。
「ちょっと待って。迂闊に触ると危険よ。特にその両手剣、あまりいい感じがしないわ。調べてあげる」
柄を持とうとする直前に、スマラが注意を発した。俺はすんでのところで手を止め、慌てて引っ込める。
スマラは【感知】の魔法を唱えると、更に剣をじっと見つめ、
「うん、やっぱり。その剣は触ると呪われて、その武器を片時も手放すことが出来なくなるわ。しかも、徐々に〈耐久〉を吸われて最後には〈不死種〉(アンデッド)になるみたい」
…あぶねー。触らなくて良かったぜ。【死亡】に関しては幸運消費で何とかなるけど、〈能力〉喪失による【消滅】状態に関してはリトライできないからな。これからは気を付けないと。
「両手剣は触らない方がいいか。こっちの剣は?」
「そっちは大丈夫みたい。単に【鋭刃】(ヴォーパル・ブレード)の魔法が付与されているだけだから。良かったじゃない。使ったら?」
なるほど、【鋭刃】が付与されているのか。しかも〈永続型〉のようだ(【鋭刃】の永続型は〈常時〉。つまり常に発動状態にある)。〈耐久〉が低くてSPが低い俺にとってはありがたい品だ。
問題は、この剣が〈三日月刀〉(シミター)だってことだな。残念ながら、今の俺には重すぎた。貧弱な〈体力〉が憎い…。
まぁ、捨てるのはもったいないし、〈体力〉が成長すれば使うことができるので、持って行くことにする。
俺はスケルトンの亡骸を、エルフと同じように袋に詰め、先ほどエルフを葬った場所に共に安置した。そして再度冥福を祈る。
そして、今度は新たに発見した階段を昇ることにした。