64 〈幻夢(VR)〉で家政婦は存た?
案内された部屋では、シシーシャだけでなく、なんと皇帝陛下までが一緒にいた。装いを変え、先ほどとは違うドレスに身を包んだ皇帝は、また違った魅力で俺を惹きつける。
目を奪われそうになる俺を戒めるように、ロゼ達から無言の圧力が掛かる。俺は慌てて視線を逸らし、勧められるままに席へ着くと、二人の求めに従い、話をした。
俺たちの話が一通り終わったところで、許しを得て質問をさせてもらう。
「シシーシャ殿下は、なぜ私たちを態々この部屋に招いたのです? 宴の席で話をしても良かったのでは?」
「あんなに周囲の目があるところで、込み入った話なんてできないでしょう?」
込み入った話? 俺が首を傾げると、皇帝陛下は微笑んで、
「ヴァイナス様、貴方がたは〈異邦人〉ですね? 実はシシーシャも〈異邦人〉なのです」
と言った。俺たちは驚きに目を丸くする。シシーシャがプレイヤーだって? シシーシャは悪戯が成功した小悪魔のような笑みを浮かべ、
「ええ。私はプレイヤーよ。ビックリした?」
「ええ、驚きです。何故皇帝陛下の娘に?」
「それは私の〈才能〉のせいね。〈稀尊血脈〉って言うんだけど」
〈稀尊血脈〉? 聞き覚えのない単語に首を傾げる。それに関してはロゼから説明が入った。
「〈稀尊血脈〉は、高貴な血筋に連なる立場を得られる〈才能〉です。〈能力〉などに対して直接的な影響はないので、フレーバー的なものだと思っていたのですが…」
「ええ。実際どんな血筋に連なるのかは完全にランダムだし、生まれによっては宮廷規則や慣習に縛られることになるけど、お姫様役割演技を楽しむにはうってつけの〈才能〉ね」
ロゼの言葉に、シシーシャが補足する。なるほど、シシーシャは『ロールプレイヤー』か。
オーラムハロムに関わらず、MMOの楽しみ方の一つに、キャラクターになり切って遊ぶプレイヤーが存在する。キャラクターの設定を詳細に決め、言葉遣いや仕草にまで拘り、背景情報や性格に沿った行動を心掛ける。
そうやって、まるで役者が演技をするように楽しむ姿から、ゲーマーとは異なる人種として、ロールプレイヤーと呼ばれるのだ。
「たとえ〈稀尊血脈〉があったとしても、皇帝陛下の娘って破格の血筋じゃないかな?」
俺の問いに、シシーシャは頷き、
「私もそう思う。普通は貴族の子女になるのが殆どで、王族であっても傍系であったり、失われた王家だったりが多いらしいし」
と言った。俺は感心しつつ、
「詳しいな」
「大事なことだもの。ロールプレイをするには、詳細な背景情報や習慣・作法の設定と習得は不可欠よ。言葉遣いだって本来なら頑張って覚えるんだし」
今の状況じゃ、そんな余裕はなかったけどね。シシーシャはそう言って肩を竦める。皇帝も苦笑しつつ、
「妾の娘が〈異邦人〉と知って驚きましたが、シシーシャの父親も妾に対して恐れ敬うことなく、どこか飄々としておりましたし、『宰相』にしようとすると、いつの間にか姿を消しておりました。彼も〈異邦人〉だったのでしょう」
もっとも、淑女としての礼儀作法を学ばせるのには、苦労しましたが、と言葉を続ける。確かに、シシーシャの仕草は、お世辞にも皇族として洗練されているとは言えない。
それにしても、〈稀尊血脈〉の才能に関して、〈現地人〉が特に違和感なく受け入れていることには驚く。ゲームとして考えればその方が都合が良いが、いきなり自分の子供が異世界人です、なんて言われたら、俺なら冗談と思うか、さもなくば正気を疑うところだ。
皇帝の言葉に、シシーシャは、
「仕方がないでしょう? だって『私』は元の世界では只の一般市民よ! 皇族の作法なんて知らないもの」
と、胸を張って開き直ると、その後頭部を皇帝の扇が薙ぎ払う。景気の良い音と共に、シシーシャが頭を押さえてしゃがみ込んだ。
「まったく、どれだけ言わせるのですか? 皇族の一人として、相応しい所作と言動があるのです。できる、できないではありません。やるのです」
俺ですらはっきりと視認できない速さで繰り出された扇に、俺は戦慄した。皇帝陛下、近接戦闘力も侮れん。
「母様、わたくしは母様と違ってレベルが低いのですから、もう少し容赦を…」
「貴方は〈異邦人〉なのですから、もっと研鑽を積まねばいけませんよ。万が一にも『蘇生』できるのですから、ズォン=カの皇族として、嗜み程度であっても格を上げなさい。折角ブリスに協力してもらい、個別に指導をしてもらっていたというのに…。迷宮にもあまり挑んでいないようですし」
「うう…、分かりました」
皇帝の容赦のないツッコミとダメ出しに、シシーシャは涙目で肩を落とした。この国の皇族は強くないといけないんだなぁ。
って、何故そこでブリスの名が? 俺がブリスに視線を向けると、ブリスは笑顔を浮かべ、
「言ってなかったかしら? 私が以前住んでいたのは皇城。私はシシーシャ様付きの家庭教師をしていたの」
と言った。聞いてない。だが、ブリスほどの腕ならば、相応の仕事についていても不思議ではなかった。闘技大会の優勝者とは、それだけの価値があるのだ。
「その仕事、続けなくて良かったのか?」
「私は〈探索者〉だもの。本来は自由に探索を行うのが仕事。家庭教師は一時乞われてやっていただけだから、大丈夫」
元より意欲のある教え子というわけではなかったし、ね。ブリスに言われたシシーシャは更に小さくなる。
その後もシシーシャへの説教が続きそうになり、慌てて俺たちが止めに入るなどの一幕がありつつ、賑やかな時間が過ぎていく。
そう言えば、皇族で思い出した。
「以前、探索で皇族の方に会ったのですが、その時に手に入れたものがあります。お返ししたほうが良いでしょうか?」
と言うと、皇帝は首を傾げ、
「皇族に出会った? 誰でしょう?」
と尋ねてくる。俺は頷き、
「〈慈悲の剣〉の中ですね。その方はアディオール・セス・ズォン=カ、と名乗っていました」
と答えると、皇帝は鷹揚に頷き、
「アディオールですか。皇位簒奪を目論んだ罪で、確かに〈慈悲の剣〉送りになりましたね。アディオールのものですか?」
「恐らくは」
俺はそう言って、〈全贈匣〉からカタナと戦羽織を取り出し、皇帝陛下へと渡すため、控えていた近侍の者に渡す。
皇帝は近侍から受け取ると、矯めつ眇めつしてから頷いた。
「確かに皇族の持ち物です。アディオールはどうしていますか?」
「魔物の手に掛かり…」
俺がそこまで言うと、皇帝陛下は頷き、
「そうですか。〈慈悲の剣〉を抜けることができるのであれば、恩赦を与えても良いと思っていましたが…。分かりました。これは返して頂きましょう。代わりに相応の謝礼をさせて頂きます」
貴方には使えないものですしね。微笑みを浮かべての皇帝の言葉に、俺は首を傾げ、
「それらはやはり皇族限定の装備なのですか? 俺、装備できましたよ?」
と言うと、皇帝は目を丸くし、
「どういうことです? これらの装備には皇族の血筋以外の者が身に着けると、災いを成す呪が籠められているのですよ?」
と言ったが、俺は肩を竦め、
「理由は分かりませんが、俺は装備できますし、外すこともできます。やって見せましょうか?」
と答えると、皇帝は頷いて装備を渡してくる。俺は立ち上がって、カタナを腰に差し、戦羽織を身に着ける。皆から少し離れると、許可を取り、カタナを抜いた。
その場で二、三度素振りをしてから鞘に戻し、戦羽織を脱ぎ、カタナも腰から外す。そして、外した装備を近侍に返した。
皇帝はそれを見て、信じられないという表情をしていた。シシーシャも驚いている。
「本当に使えていますね。ブリス、呪は健在ですか?」
「確認しましょうか? では失礼して」
ブリスはそう言って【鑑識】の魔法を唱えた。そして頷くと、
「装備に籠められた呪は残っていますね。特に変化はありません」
と答える。皇帝はその言葉を受けて首を傾げていた。
「不思議ですね。呪が残っているのであれば、ヴァイナス殿は皇族、ということになるのですが…」
「〈稀尊血脈〉は初期限定の〈才能〉のはず。ヴァイナス様は〈稀尊血脈〉を?」
持ってません。ついさっきまで知らなかったぞ。そこでゼファーが口を開く。
「なぁ、やっぱアレじゃないか? 国別限定品」
ああ、そういやそんな予想をしてたっけ。ゼファーの言葉に、シシーシャが反応する。
「国別限定品…? あ、そういうことか」
「シシーシャ、何か分かるのですか?」
「母様、私とヴァイナス様はこちらに来る前の世界では、同じ国の国民でした。私たちの世界では、国ごとにある種の『加護』を得ています。その加護を持たぬ者には扱えない装備があるのです」
「それが皇族専用の装備だと?」
「それだけではありませんが、そうなった理由は、私が母様の娘であることかと」
シシーシャの言葉に、俺は頷く。なるほど、そういうことか。
「シシーシャ殿下がズォン=カの皇族に連なるため、皇族限定の装備が使えると。ってことは、シシーシャ殿下は」
「ええ。日本人よ。貴方も?」
「はい」
俺とシシーシャはそう言って微笑んだ。こんなところで日本人プレイヤーに会うとはね。意外な出会いに親近感が湧いていると、横に座るヴィオーラに太腿をつねられた。別に下心があるわけじゃないのに…。
「〈異邦人〉の世界には、妾達の知らぬ理があるのですね。それではヴァイナス殿は皇族として遇しましょう」
は? 俺が皇族?
皇帝の言葉に、俺たちは目を丸くした。
「なぜ、そうなるのです?」
「ズォン=カでは、皇族の装備を身に纏うことのできる者は、皇族である証となります。この装束を身に着けることができる時点で、貴方は皇族なのです」
なにその凄い理論。皇帝の言葉を受けた近侍の者たちが、慌てて皇帝の横に席を増設している。皆も驚きで言葉が出ない。
「それって、もしかしなくても俺の席ですか?」
「当然です。皇族である以上、他の者と席を同じくする時は、妾の傍に座るのが決まり。さぁ、こちらへ」
皇帝は良い笑顔で、横に用意された席へと俺を誘う。これ、断ったら不味いよな…。
仕方なく、俺は立ち上がると皇帝の横へと移動し、用意された席に座る。先ほどまでの椅子と比べても、座り心地が違った。皇族専用の椅子なのだろうか?
「問題なく座れるようですね。やはり皇族ということですか。ヴァイナス、これからは皇族の一人として生きることを命じます」
この椅子も呪が掛かっとるんかい! てか、
「お待ちください。いきなり皇族として生きろと言われても…。それに俺にはやらなければならない探索があります。帝都に居続けることはできません」
俺の言葉に、皇帝は頷きつつ、
「構いません。貴方は貴方の為したいように為せば良い。貴方は〈異邦人〉ですしね。それに貴方がた〈異邦人〉の置かれている状況については分かっています」
と言ってシシーシャを見た。シシーシャも頷いている。どうやら、ログアウトできないことは知っているらしい。
「アディオールと出会い、皇家の装束を纏ったのも神によって与えられた必然でしょう。ヴァイナス、貴方にはその資格があります。妾が望むことは唯一つ。皇族として恥じない生き方をして欲しい」
皇帝はそう言うと、アディオールの装備を俺の膝の上へと乗せた。俺はその場で考え込んだ。
皇族として生きる、ということは、民の上に立つ者として、それに相応しい生き方をしろ、ということだろう。俺にそんな生き方ができるだろうか…。
グルグルと思考の迷路に陥った俺を見て、皇帝は微笑むと、
「難しく考えることはありません。人として、恥じない生き方をすればいいのです。シシーシャでもできているのですから」
「母様!? 『でも』って酷い!」
皇帝の言い様に、俺は思わず噴き出した。なるほど、難しく考える必要はないってことか。それでも確認しておいた方が良い。
「皇族としての義務や権利はどのようなことがありますか?」
「皇帝は国の頂点ですが、皇族は『象徴』です。ただ皇族である、ということには、特に強い義務や権利はありません。義務や権利の大半は、その者がどのような役職に就いているのかに付随するものですから」
俺の問いに、皇帝は答える。なるほど、日本の天皇家みたいなものか。皇族というだけで権力を持つわけではないらしい。
「とはいえ、皇族に連なる者の大半は、帝国において重要な役職に就く者が多いのも事実です。その結果、強い権利と共に、相応の義務を持つことになります。ですから、皇族には強い義務と権利がある、というのも既成事実になりますね」
続く皇帝の言葉に、俺は頷く。そりゃそうだ。国の要職に就くのだから、権力もあるし、国のために尽くす義務も多くなる。
「ですが、シシーシャのように、要職に就いていないのであれば、義務や権利は普通の民と変わりません。いずれ役職を得れば、相応に義務や権利が生まれるとは思いますが」
結局のところ、務める役職による、ということか。俺は要職に就くつもりなんてないので、探索者としての義務と権利以上のものはないってことだ。
「名乗りたくなければ、皇族を名乗らずとも構いません。ですが、貴方を『識る』者は、そして公の場で皇族を名乗るのであれば、貴方を『皇族』として見るでしょう」
…それってつまり、この場にいる者や、これから俺が皇族を名乗れば、俺の一挙手一投足は『帝国の皇族』として見られるってことだよな。
しかも、俺が悩んでいるのを見て、
「妾としては、ヴァイナスに『宰相』となって欲しかったのですが、皇族となると事情が変わります。残念ながら、皇帝になると、血統が近いということで、皇族を伴侶とすることができないのです」
と、皇帝がそう言うや否や、
「ヴァイナス、皇族は名誉なことです! 是非名乗りましょう!」
「私はあんたが皇族だとしても、変わらないよ」
「皇族なら、複数の女性と関係しても問題ないわね。もっとも、私たちが認めた相手に限るけど」
と女性陣から異口同音に皇族を勧められる。着々と外堀が埋められていく…。
てゆうか、もはや断れなくね?
少なくとも、皇帝は俺が受ける受けないに関わらず、俺を皇族として見るだろう。それはこの場にいる近侍の者たちも同じだ。シシーシャも皇帝に倣うだろうし、クロスレィもむやみに喧伝することはないだろうが、言うなとも言えなかった。
俺は大きく息を吐くと、頷き、皇帝と向き合う。
「分かりました。これからは皇族として、恥じない生き方をしていきます」
俺はそう言うと、膝の上の装備を受け取った。皇帝は微笑み、
「それでは、貴方には『ヴァイナス・セス・ズォン=カ』の名を与えます。その名に恥じぬよう、努めなさい」
と言った。成り行きを見守っていた皆から、様々な感情の籠ったざわめきが起きた。皇帝は頷くと、
「それでは、改めて皇族としての礼儀作法を覚えてもらいます。貴方にはそれほど難しいことではないでしょう。暫くは帝都に滞在し、礼儀作法を学びなさい」
と言う。あまり時間を取られたくはないのだが、
「どれくらい掛かりますか?」
と聞くと、
「貴方次第ですね。ですが、時の進みの違う部屋を使いますから、こちらの時間的には、そう長くは掛からないでしょう」
と皇帝が答えた。仕方がない。腹を括ろう。
こうして、俺は皇族となった。
皇族として新たな生活が始まったわけだが、俺は日々を忙しく過ごしていた。皇族としての礼儀作法や知識を学ぶため、皇城と〈妖精郷〉を往復する毎日。どちらも時間の進みが違うため、日付としては大して経過していないが、俺にとっては、数ヶ月に及ぶ体感だ。その間、皆は自由に過ごしている。
クロスレィはイーマンたちと共に、アル=アシへと帰って行った。イーマンたちは俺が皇族になったと知って驚いていたが、特に態度が変わるわけでもなく、これからも宜しくと言っていた。
ゼファーはガデュス達と共に、傭兵として活動している。闘技大会でヴィオーラに負けたことが悔しかったらしく、以前に比べて強くなることに対して、貪欲になってきた。あれなら、近いうちに〈勇士〉となるだろう。
ヴィオーラもガデュス達と共に傭兵稼業に参加していたが、一方でロゼとジュネは、魔法の習得と訓練に邁進している。テフヌトとブリスという、優秀な魔法使いが身近にいることもあって、二人とも( ロゼは未熟であり、ジュネは苦手である違いはあるが )、魔法を使いこなそうと熱心に取り組んでいた。
魔法組にはマグダレナも参加している。闘技大会を経て、魔法の重要さを再認識したようで、新たな魔法の習得にも余念がなかった。
俺も〈妖精郷〉で魔法の習得・訓練を、皇城では皇族としての勉強を進め、忙しいながらも充実した日々を過ごした。
そんな生活の中、新たな「家族」が生まれることになった。
ある時、俺が〈全贈匣〉の中身を含め、荷物の整理をしていた時、妖の森で手に入れた自鳴琴があったことに気付いた。そういえば、バンシーの依代だったな、と思い出しつつ、何気なく、元あった場所のように、庵の暖炉に飾って置こうと据えてみた。
すると、自鳴琴から光が溢れ、部屋の中を真っ白に染めた。思わず目を瞑り、見えないながら神経を張り廻らして、周囲を警戒する。
光が徐々に収まるのを瞼越しに感じつつ、ゆっくりと目を開けると、そこには、柔らかな微笑みを浮かべて立つ、長い黒髪の、榛色の瞳を持つ、一糸纏わぬ美しい女性の姿があった。その姿に、以前の哀しみの面影はない。
「バンシー? 成仏したんじゃなかったのか…」
バンシーは、驚きの声を上げる俺の顔に手を当てると、その豊かな胸に抱え込んだ。母親に抱かれたような安心感の中、異変を感じて姿を現したスマラに、
「ヴァイナス、何してるの?」
と問い掛けられた。そりゃ、裸の女性に頭を抱え込まれていれば、確認したくもなるだろう。俺が顔を上げようとすると、バンシーは更に強く抱え込み、乳房を俺に含ませた。
思わず止まる俺の動き、その様子を見たスマラが、
「この人、もしかしてバンシー?」
と呟く。スマラも妖の森のバンシーを覚えていたらしい。思考が止まり、バンシーの為すがままだった俺は、暫くそのままでいたのだが、姿を現したヴィオーラに、悲鳴と共に引き剥がされた。
「ちょっと、こんなところで何してるのよ! 私だって…じゃない、破廉恥でしょ!」
引き剥がされてもバンシーは微笑んでいる。ヴィオーラは身に着けていた外套をバンシーの肩に掛けた。バンシーはニコニコと微笑んだまま、その場に佇んでいる。
「ヴァイナス、この人誰?」
「以前の探索で出会ったバンシーだよ。もっとも、彼女を縛っていた呪力は消えて、成仏した筈なんだけど…」
ヴィオーラの問いに、俺は肩を竦めつつ答えた。
「雰囲気も変わってるし、バンシーっぽくないのよね」
スマラがそう言って首を傾げている。すると、何か思いついたのか目を見開いた。
「ねぇ、もしかしたら、ファルと一緒で性質が変わったんじゃない? 呪力による呪縛が解かれたことで」
スマラの言葉に、俺は【鑑識】の魔法を使う。すると、バンシーの種族が変わっていることに気が付いた。
「種族が変わってる。〈邸乙女〉となってるな」
俺がそう呟くと、スマラは頷いて、
「なるほど、バンシーから、シルキーになったのね。どちらも家を司る精霊だから、それが原因かしら」
バンシーもシルキーも家に現れる精霊らしい。性質的には対を成す精霊らしく、シルキーは生と光を、バンシーは死と闇を司るそうだ。ファリニシュ同様、呪力によって性質を歪められていたのだろう。
バンシー( 改めシルキーか )は、俺たちの会話の間も、ニコニコと微笑んだままだ。俺は微笑みかけると、
「どうしてここに?」
と尋ねると、シルキーは首を傾げつつ、暖炉の上の自鳴琴を指さした。
「オルゴールがどうかしたのか?」
シルキーは自鳴琴を手に取ると、そのまま俺に手渡してくる。俺が受け取ると、またニコニコと微笑んでいた。
「これがここにあるから、姿を現したのか?」
俺がそう尋ねると、シルキーは嬉しそうに頷いた。どうやら、オルゴールと共に存在しているらしい。俺はどうしたものかと考えていると、丁度良くテフヌトが姿を現した。
「こんなところで何をしているんです? …あら、〈邸乙女〉ですか? 珍しいですね」
「テフヌト、どうやらこのオルゴールが依代らしいんだが、どうすれば良いのか分かるか?」
一目でシルキーの正体を看破したテフヌトに、どうすれば良いか聞いてみた。すると、
「どうすればとは? 〈邸乙女〉は家を護る精霊です。姿を現したということは、この庵を気に入ったということ。住んでもらえば良いじゃないですか」
とあっさりと答えた。テフヌトの提案に、シルキーはニコニコと微笑んだまま、頷いている。
俺は頭を掻くと、シルキーに問いかける。
「ここを護ってくれる、ってことで良いのかな?」
シルキーはコクリと頷いた。俺も頷くと、
「それじゃあまずは服を用意しないとな。流石に裸で過ごされるのは、ヴァーンニクだけで十分だ」
と言い、テフヌトに何か作れないか聞いてみた。
「街に住む貴族は、女性の使用人に揃いの女給服を仕立てていますね。ああいったもので構いませんか?」
生憎と、俺はこの世界の女給服を知らなかった。でも、そうか。メイド服で良いのか。俺は【幻影】の魔法を唱え、頭の中でイメージした、メイド服の幻影を生み出す。
「こんな感じの服は出来るか?」
「変わった服ですね。できないこともありませんが、こういった衣装なら〈家小人〉のほうが得意ですよ」
「可愛い衣装ね。でも何で、服を着ているのが私なの?」
俺の生み出した幻影を見て、テフヌトとヴィオーラがそれぞれ意見を述べる。ヴィオーラに着せたのはちょっとした悪戯心だ。
「服はこれで良いとして、シルキー、君には名前はないのかい?」
俺の問いにシルキーは首を傾げ、何かを思いついたかのように、自鳴琴の蓋を開ける。途端に流れる穏やかな音色に、思わず微笑むと、シルキーは匣の内側を示した。
そこには『アマルセア』と刻まれている。
「アマルセア? これが君の名前かい?」
俺の問いに、シルキーは嬉しそうに頷いている。
「そうか。アマルセア、これから宜しく」
俺は笑顔で頭を下げると、アマルセアは嬉しそうに俺の頭を抱え込み、止める間もなく、再び乳房を含ませた。
突然の行為に、皆の動きが止まる。慌てて俺を引き剥がそうとするヴィオーラに、以外に強い力で抗うアマルセア。それを見てニヤニヤと笑うスマラとテフヌト。
こうして新たな存在、シルキーで、メイドのアマルセアが俺たちの『家族』となったのだった。




