62 〈幻夢(VR)〉の帝都で決着をつける
「それで結局、ヴァイナスの勝ちなわけですね」
ヴィオーラとの闘い( 口づけ? )を終え、観客からの冷やかし交じりの声援を受けながら、俺たちは勝敗を決めようとしたところ、ヴィオーラからの『降参』宣言によって、俺の勝利が確定した。
曰く、あのまま闘っていても、〈超入神〉が終わった時点で、ヴィオーラの勝ちはなくなったと。確かに、【神速】以外の魔法は、効果が1時間と長い。SPが切れた時点で、俺の勝ちは揺るがなかった。
観客たちの歓声に応え、俺の腕を抱え込んだヴィオーラを連れて退場した後は、マグダレナとグリフォン、俺たちの治療を終えてから、皆と合流した。
そして俺たちを迎えた第一声が、ロゼの殺気が籠った一言だった。
「おめでとうございます」
「あ、ありがとう」
皆にヴィオーラを紹介する間もなく、ロゼは俺の腕にしがみつく。リィアも俺の腰にしがみついた。珍しくジュネも寄り添うように、腕を絡めてきた。ブリスは俺の肩に止まり、祝福のキスをしてくれる。
俺は笑顔が引き攣りつつ、礼を言う。ヴィオーラは観衆の前で、熱烈な口づけを交わしたことが恥ずかしかったのか、頬を赤らめながら静かに微笑んでいる。
「いや見事だったぞ! 最後のあれは予想外だったが、そこまでの闘いは、ただ、見事の一言に尽きる!」
イーマンから絶賛の言葉をかけられる。手放しの称讃に、俺は照れ臭くなったが、頬を掻こうにも両手は塞がっている。おい、ゼファー、なんか凄い表情になっているぞ。
「何故、何故ヴァイナスばかり…! 捥げろ、爆発しろ!」
「ほんと、飽きないね~。でもまぁ、横恋慕しないのは紳士だし、拗ねたりしないのがゼファーの良いところ♪」
歯軋りしそうなゼファーと、その横でニコニコと笑うキルシュから視線を逸らしつつ、俺は無理やり頭を下げた。
「ありがとうございます」
「それにしても、ヴィオーラは見違えたな。もはや〈女剣士〉の異名は返上だな。あれほど見事に二槍を振るうとは」
「確かに。輝く鎧を身に纏い、槍を振るう姿は、伝説に謳われる戦女神、ヌトスのようでした」
「お褒め頂き、恐縮です。ですが、戦神ヌトスと呼ばれるのは、畏れ多いことです。ご容赦下さい」
「ふむ、其方は敬虔なヌトスの信者であったな。それではヌトスの使徒である〈十二乙女〉に肖って、〈勝利を謳う者〉は如何であろう?」
「素敵です、お兄様! 伝承では、ヴィオーラ様と同じ菫色の髪を持つと言われますし、相応しいと思います!」
イーマン兄妹に讃えられ、ヴィオーラは恥ずかしそうに肩を竦める。〈勝利を謳う者〉か。格好良くて良いなぁ。俺も格好いい異名が欲しい。
「いよいよ明日は決勝戦だな! ヴァイナスの強さは知っているが、まさか本当に決勝まで残るとはな! 我も勝利を願っているぞ!」
「あら、お兄様、ヴィオーラ様やクロスレィ様にも賭けておりませんでしたか?」
「当然だ! 我が闘場の闘士達が参加しているのだ。その全てに期待し、賭けることは君主としての義務である! そういうお前こそ、ヴァイナスに賭けていたではないか」
「当然ですわ。わたくしの闘士を見事討ち果たした〈名誉闘士〉に賭けぬなど、アル=アシの貴族としてあってはならないことです」
ナジィルからの指摘に、イーマンは力強く答えた。イーマンの返しに答えるナジィルもだが、本当、この人たちはぶれないな。
「大丈夫、ヴァイナスなら優勝できるわ! 私の保証じゃ頼りないと思うけど」
「私だってヴァイナスの勝利は信じてるよ。例え相手が『秒殺』の男だとしてもね」
『ヴィオに勝ったんだもの。ヴァイナスなら大丈夫』
「ここまで来たら、優勝しかないわね。それなら私が負けたのも仕方がないってことになるし」
皆が口々に俺の勝利を願ってくれる。ブリスの言葉には少々引っかかるものがあるが…。まぁ、優勝者以外は、一度は必ず負けるので、負けた言い訳にはなるが…。ちょっと情けないぞ。
とはいえ俺だって、ここまで来ておめおめと負けるつもりはない。明日は全力を持って闘うつもりだ。
「そうと決まれば、今日は勝利を期しての前祝といこうではないか! 帝都で我が行けつけの店で大いに食べ、英気を養おうではないか!」
イーマンの言葉に、皆から歓声が上がる。俺たちは、イーマンの誘いを有難く受けると、明日の勝利を願い、宴を楽しんだ。
「そう言えば、明日の対戦相手ってどんな奴なんだ?」
宴の最中、俺は気になって聞いてみた。
「うーん、実は良く分からないんです。強いのは確かなんですけど…」
ロゼの答えはいまいち要領を得なかった。他の面子はというと、
「確かに、あれじゃあ分からないな」「そうね」『強い?』
と口々に答えるが、まとめると「分からない」だった。
俺はイーマンに目を向けると、彼は肩を竦めつつ、
「いや、本当に分からないんだよ。何しろ、決勝までの全ての試合、相手を一撃で『秒殺』してるからね」
…なんですと?
それって滅茶苦茶強いんじゃないか?
「無名だし、恐らくは〈異邦人〉なのだろうが、対戦した相手もピンキリでね。実力者と分かっている者も、〈体力〉特化型の戦士だったので参考にはならんだろう。とりあえずは、〈勇士〉であることと、近接戦では敵なしだったってことぐらいしか分からん。後は身の丈が2メートルを超えてることぐらいか」
いや、それだけでも充分脅威だと思うんだが。特化型の戦士を秒殺って、一撃で倒してるってことだろ? 正面から闘ったら勝ち目がないぞ。
「大丈夫じゃないか? ヴァイナスなら純粋に戦闘力が高いだけの相手だったらどうとでもなるだろうさ」
クロスレィ、それはどういう理屈だ? 買いかぶりも甚だしい。
「そうだな。搦め手やエグイ方法なら一番じゃないか?」
ゼファー、お前は俺に喧嘩を売ってるんだな? 買うぞ。
「ヴァイナスは絶対に勝ちます! 例えどんな相手でも!」
ロゼ、ありがとう。無垢の信頼がプレッシャーだが。
「まぁ、ここにいる人で、あんたの勝利を疑っている奴は一人もいないわ。気負わずに頑張りなさい」
ジュネ、その言い方だと逆に気になるぞ。
「そうね。私も信じてる」
ヴィオーラは、ほんとに俺の勝利を疑ってないな。
「大丈夫よ。自分を信じて」
ブリス、俺は自分が一番信用ならないぞ。
「ヴァイナスなら勝てるよ~」
キルシュは気楽だなぁ。お蔭で気が楽になる。
「私も頑張るから! 勝とう!」
マグダレナ、そうだな。負けられない。
『勝つ』
リィアのシンプルな言葉に込められた思い、受け取ったよ。
「ここまで来たのです。勝ってくださいね」
「マスターなら勝てるよ!」「ヴァイナスなら優勝だよ」
テフヌト、エメロード、クライスもありがとう。
皆それぞれの言葉で、俺を勇気づけてくれた。どんな結果になろうとも、決して諦めないで闘おう。
俺は皆を見回して頷くと、決意を込めて盃を掲げる。皆も盃を掲げ、決意を込めて盛大に打ち鳴らし、一息に飲み干した。
明日は絶対に勝つ!
宴を終え、俺たちは〈妖精郷〉へと戻る。ヴィオーラも当然〈妖精郷〉へと招待しているが、とても気に入ってくれたようだ。騎獣のグリフォン、エウラリアも喜び、早速浮遊する小島の一つを住処と決めていた。
俺はヴィオーラに精霊達やガデュス達ゴブリン、レイアーティスやオフィーリア、ファリニシュを紹介する。ヴィオーラも嬉しそうに挨拶をし、特にガデュス達からは、〈十二乙女〉の顕現であると、五体投地で崇拝されかけ、慌てて止める一幕もあった。
ヴィオーラとの一戦で、SPの大半を消費していたこともあり、俺は〈妖精郷〉での時間の大半を、休息を取ることに費やした。本当は訓練や、こっちでしかできないことをやりたかったのだが、決勝戦を前に、体調を万全にすることを優先したのだ。
俺はヴィオーラたちが訓練をしているのを見学したり、精霊達が行う作業を見学したり、幻想種達( ドラゴンにユニコーン姉弟、グリフォン、ヘアリージャックにシルバーパンサー、おまけにグレイマルキンと、随分と増えたものだ )と日向ぼっこをしたりして過ごした。もふもふ分が増えたので、癒し効果は更に上がった。
クロスレィに倣って、〈魂石〉をテフヌトに用意してもらった。材料となる宝石は、白竜の財宝でかなりの量を手に入れているので、問題なかった。
テフヌトは大地神連なる豊穣と性愛、音楽や踊りも司る猫頭の女神、バーストの神官でもある。彼女が用意してくれた〈魂石〉は最上級のもので、これでSPに関してかなり融通が利くようになった。スマラやマグダレナにも渡しておく。追加ができあがり次第、皆にも配っていこう。
ヴィオーラが馴染めるのかが心配だったが、一番の懸念だった、ロゼ達女性陣とも、俺の知らぬ間に親睦を深めたらしく、今ではすっかり仲良くなっていた。これに関しては、本当にありがたい。
俺は皆を大事に思っているし、女性として好意を持っているわけだが、同時に複数の女性と交際しているのは事実である。彼女たちは一様に、強い意志と行動力を持った素晴らしい女性だ。そんな彼女たちがお互いを攻めることなく、友として認め合い、その上で俺への想いを紡いでくれることが、とても嬉しかった。
俺が誰か一人を選ぶことができない優柔不断男であることも、受け入れてくれている。こんな幸せで良いのだろうか?
彼女たちに相応しい、男として立てるよう、頑張らないといけないな。勿論、彼女たちを不幸にしないよう、頑張って稼がないとな。
こうして〈妖精郷〉での休息を終えた俺たちは、決勝の舞台となる、闘技場へと向かうのだった。
いよいよ、闘技大会の決勝である。対戦に恵まれた( ? )とはいえ、ここまで残れるとは、正直思っていなかった。皆の協力もあり、俺たちの準備は心身共に完璧だ。相手はここまで秒殺で勝ち上がって来た強敵だ。どこまで通用するか分からないが、全力で挑むぞ!
もはや恒例となった控室での準備を終え、俺はマグダレナに跨りゲートへと向かう。今回はスマラも姿を現し、俺の肩に乗っている。
今更ながらに確認したのだが、実は使い魔も騎獣と同様、大会で共に闘って良かったそうなのだ。許可されているのなら、コッソリ魔法を使ってもらうなんて後ろ暗いことをしなくても良いように、堂々と姿を現して、魔法を使ってもらおう。
もっとも、危険が迫るようなら、影の中から魔法を使ってもらうのは変わらないのだが。
「こんなことなら、最初から姿を現しておけば良かったわね」
「まぁ、相手の油断も誘えるから、俺としては手の内を明かさずに済んだと考えているよ」
「でも、スマラが一緒に戦ってれば、クロスレィの時も、ヴィオーラの時も、私だってもっと戦えたかも…」
マグダレナがそう言って首を落とす。途中でリタイアしたことが、相当に悔しかったようだ。俺はマグダレナの首を撫で、
「確かにな。そこは俺の油断だった。マグは頑張ってたよ」
「そうよ、マグは立派だったわ。今日は遠慮なくサポートできるから、頑張りましょう!」
俺とスマラの言葉に、マグダレナは顔を上げ、力強く頷いた。
ゲートを潜ると、既に対戦相手は登場していた。俺たちも歓声に応えながら、所定の位置へと立つ。
デカい。
俺は静かに佇む対戦相手を見て、思わずそんな感想を漏らす。対戦相手は褐色の肌に、長く伸ばした銀髪を無造作に束ねている。今は閉じられているので、瞳の色は分からないが、僅かに尖った耳を見ると、エルフの血が混じっているのは間違いない。
だが、その身の丈はとてもエルフとは思えなかった。何しろ、マグダレナに跨った俺の視線と、男の顔の位置が殆ど同じ位置なのだ。恐らく、2メートルは軽く超えているだろう。
体格も歴戦の〈勇士〉に相応しい、無駄なく鍛えられた筋肉に包まれていて、身につけた鎧の上からであっても、疑うことはない。
俺の到着を受けて、男の瞳が開かれた。穏やかともいえる瞳の奥に、隠しきれぬ闘志が噴き出し、俺へと向けられる。
「…この大会に出場すれば、名だたる強者と闘えると思っていたのだが、肩透かしを食らっていた。この世界に来て間もないというのは理解しているのだが、それにしても修練が足りな過ぎる。ゲームなのだからこそ、本気で挑まなくては」
男はそう言って、腰から剣を引き抜いた。通常の倍は厚みがありそうな刀身を持つ長剣は、俺の〈西方の焔〉の倍近い長さを持っている。とても片手で扱うようなものではない。だが、男は軽々と振り回すと、対照的に短い( とはいっても通常の長剣だが )剣を、もう一本引き抜き、両手で構えた。
「だが、漸く、俺が求める闘いができそうだ。今日ばかりは、祈ることもない神に感謝するぞ!」
「盛り上がっているところ悪いが、あんたの名は? 俺はヴァイナス」
瞳を喜びに輝かせ、開始の鐘が待ちきれない様子の男に、俺も剣を構えながら問いかける。男はニヤリと笑みを浮かべ、
「トーヤ」
と短く答えた。トーヤ、聞き覚えのない名前だ。肩の上のスマラから、心話が届く。
『ヴァイナス、この人ヤバいかも』
『ヤバい?』
『今確認してみた。レベル、24』
…は?
レベル24!? 俺の倍近いレベルだって!?
思わず叫びそうになるのを必死で我慢する。
『しかも、そのことを隠そうともしてない。〈体力〉は240を超えてるわ』
今の俺でさえ、体力は装備の恩恵もあって100を超えているっていうのに、倍以上ですか、そうですか。俺も大概無茶なクエストを熟してきたと思っていたが、上には上がいるようだ。俺は目の前が暗くなりそうになるが、頭を振って切り替える。
『まさかとは思うが、バランス型じゃないよな?』
『流石に特化型よ。それでも50以下の能力はないけど』
…レベルに見合った能力を持っているってことですか、そうですか。確かにこの強さならば、対戦相手を秒殺してきたのも頷ける。はっきり言って桁が違う。
だが、黙って負ける気なんか更々ない。俺は気持ちを奮い立たせ、負けじと気合を入れる。
「マグ、スマラ、補助は最初から全開で行くぞ。スマラは全員に【神速】、次いで【付与】だ。マグは【倍化】で〈体力〉〈器用〉〈幸運〉の順で全員にだ。俺は【金剛】、【魔刃】、【倍化】の〈耐久〉を使うが、【瞬移】も考慮する」
「【飛行】で一旦空中に離脱して、補助魔法全部かけてからのほうが良いんじゃない?」
「相手が空を飛べないならな。飛行用のマジックアイテムくらい持ってるだろう?」
今回は手番を一つだって無駄にする余裕はない。できる最善を最短で尽くしていかないと。スマラは頷いて、魔法の準備に入る。
「魂力が保たないよ?」
「〈魂石〉を使い潰していいぞ」
俺の言葉にマグダレナは目を丸くする。マグダレナに渡した〈魂石〉は最大級のものを5つ。金貨1万枚をこの戦いで使い潰せと言ったのだ。
当然、俺やスマラも〈魂石〉を使うので、その投資はクロスレィを超える。だが、勝つために、生き残るためには最大限、努力をするつもりだ。
俺の本気を感じ取り、マグダレナも意識を集中する。俺たちが覚悟を決めるのを待っていたかのように、開始を告げる鐘の音が鳴り響いた。
「最初から全力で行くぞ!」
俺はそう叫んで、【金剛】の魔法を唱えた。俺、スマラ、マグダレナの身体を魔力の光が包み込む。同時に発動した【神速】、【倍化】の魔法も俺たちを包み込んだ。懐で〈魂石〉の砕ける音が聞こえてきた。
「面白い、ならばこちらも全力で行かせてもらう!」
トーヤはそう叫ぶと、左手の剣を鞘に戻し、懐から取り出した小瓶を空け、一気に飲み干した。空になった瓶を投げ捨てると、再び剣を抜き、その場で気合の声を上げる。
トーヤを中心として、衝撃を伴った暴風が吹き荒れる。いきなり〈超入神〉かよ! トーヤの本気を受けて、竦みそうになる心を必死で鼓舞し、次の魔法に取り掛かる。トランス状態のトーヤは、迷いの一切ない動きで、俺たちに向かって突進してきた。到達される直前で、俺は【瞬移】の魔法を発動させる。
動きが速い! 【神速】によって加速された俺たちの動きと遜色がない速さ。先ほどの薬は【神速】のポーションか! 俺は再度【瞬移】の魔法を準備する。補助魔法が唱えられないが、今は距離を稼ぎつつ、スマラとマグダレナの魔法が完成するのを待った方が良い。
触れなば落ちんの鋭さで、トーヤは距離を詰めてくる。その反応は的確で、驚異的だ。
これが高レベル〈勇士〉の〈超入神〉か!
ヴィオーラも使用していた〈超入神〉だったが、より高レベルのトーヤが見せる動きは、ヴィオーラのそれを遥かに凌ぐ。
【瞬移】によって稼いだ距離を一瞬で詰められ、トーヤの手に握られた双剣が振るわれる。俺は再度の【瞬移】でそれを躱す。
二本の剣が繰り出した勢いは止まらず、剣速によって生み出された衝撃波が、闘技場の大気を震わせ、壁を揺らし、石畳を削り、砕かれた石の欠片が宙へと舞う。
剣圧だけでこれか…! 俺は内心舌を巻いた。観客かも驚愕の声が上がる。まともに喰らったらひとたまりもないだろう。
二度の【瞬移】による移動は功を奏し、スマラたちの補助魔法は全て掛かった。
「マグ、【倍化】の耐久は行けるか?」
「大丈夫、任せて!」
俺は【倍化】をマグダレナに任せると、スマラに影に入るよう指示を出す。スマラは素直に影の中へと身を潜め、俺は【魔刃】の魔法を唱える。
再度の【瞬移】にも迷うことなく、トーヤは最短距離で俺達へと向かって来た。補助魔法を完成させた俺たちは、初めて剣を交えた。
ぶつかり合った刃と刃から火花が散り、衝撃波は突風となって観客席を襲った。突然吹き付けた風に、観客から悲鳴が上がる。
【倍化】の魔法で強化した〈体力〉をもってしても、トーヤの剣を押し返すことができない。これほどまでとは…!
俺は絶妙な角度でトーヤの剣を受け流すと、トーヤに勝る速度を持って切り込んでいく。高めた〈器用〉は伊達じゃない!
トーヤを超える速度で、両手の剣を叩き込んでいく。トーヤはその剣を的確に捌いていくが、速度差を埋めることができずに、防戦一方となった。ここは一気に畳み掛ける!
だが、そこで俺は違和感を覚える。トーヤの防御をすり抜けて何度も剣が身体に到達しているのに、殆ど手ごたえがないのだ。まるで見えない壁に攻撃を遮られているような感触には、どこかで経験した記憶があるのだが…。
「くくく、これだ、これだよ! ようやく心震わせる相手に出会うことができた! 俺はこれを求めていたんだ!」
俺の攻撃を捌きながら、トーヤが喜悦の声を上げる。その瞳は歓喜に輝き、彼が心底楽しんでいることが分かる。
「ベータテストからこっち、これほど心が沸き立つことはなかった! 竜も、巨人も、悪魔も、神の試練でさえ、俺の心を満たすことはなかった! ただ単に強さを得るための踏み台でしかなかった!」
トーヤは先駆者だったか! トーヤの動きは、レベルや能力に頼っただけでは決してできないものだ。ベータテスト時代から、俺と同様に、この身体(PC)が、どこまで、どれだけのことができるのか、必死に検証したに違いない。
現実世界同様に、地道な努力と訓練をしたものだけが行える動き。この身でできる「全力」を目指した者同士が繰り出す剣戟に、観客たちは息をするのも忘れ、一挙手一投足を見逃すまいと、食い入るように見つめている。
「嬉しいぞ! 俺と同様に強さの果てを目指す者に出会えたのは!」
トーヤの言葉を、俺は内心否定する。別に強さの果てなんて目指してはいない。単にできることを精一杯やっているだけだ。
だが、彼の努力を否定する気は欠片もない。トーヤもまた、全力でこの世界を楽しんでいるのだから。
今の俺にできることは、全力でトーヤにぶつかることだけだ!
「マグ、【倍化】で〈知性〉も上げてくれ!」
「無理! もう魂力が保たない!」
「俺だけで良い!」
俺の指示に、マグダレナは暴風のようなトーヤの攻撃に耐えつつ、必死に【倍化】の魔法を唱えた。同時に、俺は自分自身を対象に、【倍化】の魔法で〈魅力〉を強化する。
付与された魔法のエーテルが俺の身体の中をぐるぐると廻り、酒を呑んだ時のような高揚感を感じる。極限まで高められた魔力が、今にも身体から噴き出しそうだった。
その隙を逃さず、トーヤが渾身の攻撃を繰り出してくる。俺も反撃を加えるが、見えない壁に阻まれたかのように、俺の攻撃は弾かれ、手応えを感じない。その時、まるで浸透するかのように、痛みだけが身体中を走り抜けた。
マグダレナも同様だったのか、ビクリと身体を震わせる。その時、俺の脳裏に光が走る。
深紅の騎士だ!
俺は妖の森で戦った、深紅の騎士を思い出していた。深紅の騎士の鎧に秘められた効果、圧倒的な防御力を誇るあの効果と同様の力を、トーヤには感じていた。
違いがあるのは、トーヤの場合、その力の源は、左手に構える剣にあるということだ。確かに鎧も上等な板金鎧だったが、魔力らしい魔力を感じない。
あの剣を何とかできれば…。
俺はこの状況を打開できる方策を模索する。その間にも剣戟は絶え間なく続いていく。できる限りの強化をした今の状態で拮抗してるということは、魔法が切れれば負けなのだ。トーヤの〈超入神〉だって無限ではないが、圧倒的な〈体力〉に裏打ちされたSPが尽きるのは、こちらの魔法が切れてからになるだろう。
拮抗する中で、徐々に蓄積されていくダメージに、俺は勝負に出ることにした。
剣を強くぶつけた反動で、一旦距離を取ると、俺は魔法を唱える。
【遅滞】の魔法。
【神速】と対をなすこの魔法は、対象の速度を半分にし、【神速】の魔法を打ち消す効果がある。俺は唱えた魔法を放つ。
対象はトーヤではない。トーヤが飲んだ【神速】のポーションだ。生物に掛けるものとは違い、魔法自体に掛けることによって、薬が持つ効果を打ち消す。これならば、相手がどれだけ高いレベルであっても、薬が作られたレベルを突破すれば効果を消すことができる。
【神速】の魔法は2レベル。より高レベルで掛けられることがあれば、打ち消すのは難しくなるが、他者に掛ける魔法とは違い、自身の強化に使う薬は、抵抗する必要がないので、大抵はその魔法のレベル以上で作られることは殆どない。
万が一高いレベルで作られていたとしても、強化された魔力によって打ち破ることができないほど高いレベルで作られているとは思っていなかった。
この魔法が通じれば、試せることがある! 俺は体内のエーテルを高めると、薬の効果を打ち消すため、魔法を放つ。
放たれた魔法がトーヤを包み、一瞬光を発したかと思うと、トーヤの動きが目に見えて遅くなった。
良し!
まずは薬の効果を打ち消すことに成功した。だが、俺の詠唱は止まらない。唱えるのは【遅滞】の魔法。これが決まれば…!
俺は残ったSPに加え、残りの〈魂石〉も使ってレベルを高め、渾身の【遅滞】の魔法をトーヤへと放つ。
トーヤは〈体力〉特化型だ。頼む。効いてくれ…!
俺の願いは天に届いたのか、トーヤの動きが更に緩慢になる。良し! ここからだ!
俺の魔法を受けたトーヤの顔が驚きに染まる。だが、その表情には余裕があった。あの剣の効果があれば、負けない自信があるのだろう。トーヤは速さではなく、確実に攻撃を命中させることに目標を変え、攻撃を繰り出してくる。
それは防御を捨て、攻撃に専念することによって生み出された動き。あの剣の効果がなければ、決してできない捨て身の攻撃だ。
俺は両手で〈西方の焔〉を握り、渾身の力を込めて振るう。狙うのはトーヤ自身ではない。トーヤの繰り出す左手の剣。
〈解除〉
この戦闘特技は、対象の武器を目標に行うもので、対象との力比べに勝つと、対象は武器を落としてしまう。高速で振り合う武器を狙って当てることは非常に困難だが、今のトーヤの攻撃は、命中することに重点を置いた無駄のない攻撃だ。その軌道は避けられないが故に読みやすい。
そして膂力に関しては、ほぼ拮抗している二人の、片や片手、片や両手で振るわれた武器がぶつかり合えばどうなるか?
右手で振るわれた長剣の攻撃は、敢えて鎧で受け止める。鎧を裂き、刀身が俺の身体を斬り裂いていくが、強化した〈耐久〉のおかげで、辛うじて致命傷には至っていない。
一方で俺の渾身の攻撃は、見事にトーヤの左手の剣を弾き飛ばしていた。トーヤの手を離れた剣はクルクルと宙を舞い、闘技場を覆う、天蓋へと突き刺さった。
マグダレナがその強靭な前脚で前蹴りを行うと、トーヤは堪らずに吹き飛ばされた。俺たちは深追いせずに、体勢を整える。
斬り裂かれた傷からは、ドクドクと血が溢れている。俺は痛みに顔を顰めながら、〈月光の護り〉を使い、HPを全快させる。
吹き飛ばされたトーヤは、呆然と左手を見つめていた。そのまま肩を震わせると、大声で笑い始める。
「ハハハ! まさか〈解除〉とはな! しかも明らかに威力のある攻撃を無視して、補助の剣を狙って来るとは! …なぜ分かった?」
「以前、似たような能力を持った騎士と戦ったことがある。それでピンときた」
「なるほどな…。だが、まだ負けたわけじゃない。ここからだ!」
トーヤはそう叫ぶと、懐から取り出した何かを飲み込む。途端、トーヤから噴き出す闘気が倍増した。高まった闘気によって巻き起こる風に、もはや立っていることすら困難だった。【遅滞】の魔法は解除されたのか、動きは元に戻っていた。
「できればこれは使いたくなかったがな…。ここまで俺を追い詰めたのはお前が初めてだ! 次の一撃に全てを賭ける!」
トーヤはそう言って、右手の長剣を両手に持ち直すと、上段に振り上げる。あの構えは…、
「二の太刀要らずと言われたこの一撃、耐えられるか?」
本で見たことがある。蜻蛉の構えだったか? まさかこんなところで示現流と戦うことになろうとは…。
俺は新たな魔法を唱える。トーヤは俺の魔法が終わるのを、敢えて待つようだった。これは、避けたら興醒めだろうな。マグダレナもヤル気に満ちているし、正面から行くしかないか!
俺は魔法の発動と共に、マグダレナと共に突進した。右手に〈西方の焔〉を構え、左手は何かを引き寄せるように大きく引く。
対したトーヤは、気合の声と共に、同様に突進してくる。その眼が俺の手の中にあるものを取られ、僅かに見開かれた。
俺の左手には、弾き飛ばされたはずのトーヤの剣が握られている。
【念動】の魔法。
ブリスがスノーパンサーを運ぶのに使用していた魔法。俺は【念動】を用いて、天井に刺さっていた剣を引き寄せたのだ。この剣の能力を使えば、真正面からでもなんとかなる!
「良かろう、我が剣と共に、受けて見よ! 我が渾身の一撃を!」
イェーッ! と言う気合の声と共に、大上段から振り下ろされるトーヤの長剣に、俺は両手の剣を叩きつけるようにぶつけていく。俺たちの身体を不可視のエーテルが包み込み、ガラスを引っ搔いたような音が周囲に響き渡る。
耳障りな不協和音と共に、両者の剣が鎬を削る。強大な力がぶつかり合う余波を受け、大気が震え、大地が揺れる。俺たちは刃を交えたまま、互いに譲らず、その場から一歩も動くことができなかった。
永劫に続くかと思われた鍔迫り合いは、しかし終焉を迎えることになる。徐々に、徐々に、本当に僅かずつながら、トーヤの剣が俺の剣を押し始めたのだ。込められた力故に、真っ赤に染まったその形相は、まるで鬼のようである。俺は必死に受け流そうと力を込めるが、トーヤの絶妙な力の込め方によって、逸らすことができない。
トーヤは歯をむき出すように笑みを浮かべると、ゆっくりと押し込んでくる。
このままでは、真っ向から断ち斬られることになる。だが、俺も負けるわけにはいかない。真っ向勝負に水を差すのを覚悟のうえで、俺は【瞬移】の魔法を唱えようとした。
その瞬間、腕に掛かる力が急に抜けた。
ここで引くのか!
俺はトーヤの駆け引きに驚嘆する。渾身の力を込めて抗っていた俺の身体は、トーヤが引いたことによって大きく崩れた。そんな隙をトーヤが逃がすはずもない。俺は慌てて【瞬移】を発動するが、間に合うはずがなかった。
南無三!
俺は万が一の可能性に賭けて、【瞬移】を発動する。襲い掛かる痛みに耐えるため、気合を入れた。
だが、俺を襲うはずの痛みは、いつまで経っても訪れなかった。【瞬移】の座標も定めずに発動した俺は、慌てて周囲を確認する。
トーヤは、俺たちの斜め後ろで、大の字に転がっていた。その位置は、俺たちが鍔迫り合いをしていた位置から、殆ど変わっていなかった。
「凌がれたか…。まさか俺の剣を使って迎撃するとはな…。自らの剣に負けるとは、俺もまだまだ修行が足りん…」
俺はゆっくりとトーヤへと近づく。トーヤは仰向けに転がったまま、俺を見上げる。
「一体何が起きた?」
「簡単な話だ。俺の使った薬は、ほんの僅かな間だけ、能力を倍増させるものだ。だが、強力故に効果時間が短くてな。しかも、効果が切れると、反動で能力が半減しちまう。一撃でけりをつけるつもりだったんだが、凌がれた時点で俺の負けだ」
トーヤはそう言って荒い息を吐きながらも、笑っていた。
「お前は本当に強いな。やはり神に愛されし〈英雄〉には、届かなかったか…」
トーヤはそう言うと、大声で『降参』だ! と宣言する。
固唾を飲んで見守っていた観衆は、堰を切ったように歓声を上げる。俺は苦笑しつつトーヤの剣を返そうと逆手に持ち替え、柄を差し出した。
だが、トーヤはそっと柄を押し返してくる。
「その剣はお前にやろう」
「良いのか?」
俺は驚いて問いかけるが、トーヤは笑顔で頷き、
「剣に頼っていたが故に、俺は負けた。その剣は俺にとっては甘美な毒だ。手元に置けば甘えが出る」
と言った。俺は頷くと〈無限の鞘〉に剣を収める。そしてトーヤの手を取り、立ち上がるのを手伝った。
トーヤは俺の手を素直に握り、一息に立ち上がる。そしてそのまま両手で俺の手を握ると、
「お前なら、最後の時、魔法で背後に回るなりして凌ぐことも可能だったはずだ。真正面から受けてくれて、嬉しかったよ」
と言って笑った。俺も笑みを浮かべ、
「こっちこそ、あれだけ強化して倒せなかったのは、正直ショックだったよ。トーヤは本当に強かった」
と答えた。トーヤは頷き、俺の手を取り、高々と振り上げた。観客からの歓声が、より一層高まった。
声援に応えながら、トーヤがポツリと言った。
「お前なら、あのダンジョンを踏破することができるかもしれない」
問いかける俺の視線にトーヤは頷き、
「俺が半ばで諦めた迷宮、〈稀人の(アウトサイダー)試練〉を」
トーヤの発した〈稀人の試練〉、そのダンジョンに挑戦することになることを、俺は定められた運命であるかのように、不思議な確信を抱くのだった。




