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58 〈幻夢(VR)〉の闘技場で借りを返す

「そういえば、どうしてログアウトできないって分かったんだ?」

 俺はキルシュもログアウトできていないと聞いて、尋ねてみることにした。

「だって〈刻の刻御手〉を無くしちゃったんだもの。〈陽炎の門〉も帝都にはなかったし、一月以上経っても強制ログアウトもされないから、流石におかしいって思うわ」

 ここまでの会話でキルシュも〈異邦人〉だとは気づいていたが、〈刻の刻御手〉を無くしていたとは…。

 俺はふと思い立ち、テーブルの上を片付けると、〈全贈匣〉から〈簒奪者〉達から手に入れた刻御手を取り出し、テーブルに広げた。

「キルシュ、ロゼ、もしかしたらこの中に君たちの〈刻の刻御手〉があったりするかい?」

 広げられた刻御手を見て、ゼファーが呆れた声をあげる。

「これ全部〈刻の刻御手〉かよ…。ヴァイナス、お前〈簒奪者〉だったのか?」

「実はな…。って言うのは冗談で、〈簒奪者狩り(PKK)〉した結果だよ。それだって襲われたのを撃退しただけだ」

 俺の答えに、ゼファーは頷いている。ジュネやブリスの〈現地人〉組も興味津々といった様子で刻御手を眺めている。

 キルシュとロゼは刻御手を手に取り、確認していく。すると、

「あ、これ! これわたしのだ!」

 刻御手の一つを手に取り、キルシュが嬉しそうな声をあげる。キルシュが手に取ったのは、アルテミシアと出会った難破船で見つけたものだ。見つかったのなら幸いだ。

「私のはないですね…」

 ロゼは残念そうに言う。俺は頷くと、

「それは残念だ。ロゼ、他人のでもいいから一つは持っておいた方が良い。何かの拍子にログアウトできるようになるかもしれないから」

 と言う。ロゼは頷くと、首飾り型の刻御手を手に取り、身に着けた。キルシュもいそいそと自分の刻御手を身に着ける。

「残りの刻御手はどうするんだ?」

「とりあえず保管しておく。この先も仲間になるやつがいたら確認するつもりだし」

 ゼファーの問いに俺が答えると、ゼファーは了解だ、と頷く。

「とりあえず今日はもう試合もないし、戻って休むか?」

「そうだな。ブリスとキルシュはどうするんだ?」

「私は自分の部屋があるから、そっちに帰るわ。色々と荷物を纏めたいし」

 ブリスはそう言ってるが、荷物を纏めるということは、後々俺たちと合流したい、ということか。一方キルシュは、

「わたしは荷物を取って来たら皆と一緒の宿屋に移るわ」

 とすぐに合流する気満々だ。それを聞いたゼファーは、

「俺たちは宿には泊まっていない。港に停泊している船で寝泊まりしているんだ。それに少々特殊な船だから、乗るにはヴァイナスの許可がいるぞ」

 とキルシュに向かって言う。キルシュはそれを聞いた途端、俺に向かって振り向くと、俺に向かってダイブしてきた。その軽快な動きは、流石セリアンスロープといったものだ。

 キルシュはそのまま俺の首に腕を回して抱き着いてくる。そして、甘えた声で、

「ヴァイナス、勿論許可してくれるんでしょ? もう仲間なんだし~」

 と言ってきた。俺は苦笑すると、

「大丈夫、心配しなくても許可するよ。ただし、毛色の変わった奴らも多い。もめ事を起こしたら出てってもらうから、注意してくれよ」

 と言うと、キルシュは嬉しそうに頷き、

「命じる、命じる、肝に命じるわ! ありがとう!」

 と言って、俺の頬にキスをする。それを見て穏やかでないのがロゼだ。肌に感じるほどの殺気を放ちつつ、それでも必死に自制しているのが分かる。

 これ以上ロゼの心を乱すつもりもないので、俺は首からそっとキルシュの腕を外すと、キルシュに向かって言う。

「ほら、俺なんかにサービスしてないで、ゼファーにサービスしてやれよ。俺がゼファーに嫉妬される」

「いや、別に嫉妬したりはしないぞ」

 ゼファーは肩を竦めて否定するが、キルシュは今度はゼファーに飛びつき、

「もう、ゼファーったら、やきもち焼きさん! 心配しなくても、わたしはあなたのものよ!」

 と言って、ゼファーの頬にキスをした。身長差があるので、キルシュがゼファーの首からぶら下がっているような感じになってしまっている。

 一方のゼファーもまんざらではないのか、無理に突き放すようなこともなく、そっとキルシュの腰に手を回して支えると、自らの腰を落としてキルシュの足が地につくようにしていた。

 その優しさを知ってか知らずか、キルシュは嬉しそうにゼファーへとキスの雨を降らせている。ゲームとはいえ、キルシュの積極性は凄い。どこの国の人なんだろう?

 そのうち聞いてみようと思いつつ、流石に帰ろうと皆を促す。

「明日の試合まで、〈妖精郷〉で過ごすの?」

「そのつもりだよ。あっちの方がゆっくりできるだろ?」

「それは良いんだけど、随分と人数が増えてきたから、部屋の数が足りなくない?」

 確かに、ゼファーにロゼ、ジュネに加えてキルシュとブリスも増えるとなると、今の庵じゃ部屋の数が足りないな。

「わたしはゼファーと一緒の部屋に住むから問題ないわ」

「問題大ありだ! 俺のプライベートはどうするんだ?」

「わたしと一緒じゃ嫌?」

「そういう問題じゃない! プライベートな空間は必要だって言ってるんだ!」

 ゼファーはアメリカ人らしく( ? )、プライベートな時間や空間を大事にするらしい。ゼファーは俺に向かって、

「確かガデュス達の村のほうに家がいくつかあったよな? そっちは使えないのか?」

 と言う。キルシュが「あら、もうマイホームを持つなんて、ゼファーはせっかちさんね」などと言っているのは無視している。

「ないことはないだろうが、ガデュス達はいま傭兵として活動しているから、いないんだよな。流石に許可は取らないと」

「お前が主なんだから、その辺は事後承諾で良いんじゃないか?」

「ゲームとはいえ、ガデュス達だって意志を持った存在だ。俺は彼らのことも尊重することにしている。それなら、精霊達に頼んで、庵を増築するなり、建物を新築するなりした方が良いだろう」

 俺の答えに、ゼファーは肩を竦める。だが反対はしなかった。

「お前の〈妖精郷〉だ。その辺りは任せるよ。だが、居候の身として申し訳ないが、プライベートルームの件は譲れない」

「そこは強くは言わないよ。俺だって踏み込まれたくない部分や、一人になりたい時間はあるし。キルシュ、部屋が用意できるまでは、テント暮らしになるかもしれないが、構わないかい?」

「全然構わないわよ~。アウトドアも大好きだし! それにゼファーはプライベートを大事にする人だって分かって嬉しかったわ! わたしがゼファーのプライベートの一つになれるように、努力しなさいってことよね!」

「そうじゃない! 恋人同士だって、プライベートな空間や時間は大事だって言ってんだ!」

「ああん、もう恋人って認めてくれたのね! 嬉しい!」

 すげーな、この二人の会話。コントみたいだ。実際にこういう会話を交わすのを見ると、文化が違うんだなぁと感じてしまう。

 二人の会話を微笑ましく見ていると、ロゼとジュネが申し訳なさそうに尋ねてくる。

「もしかしたら、私たちも迷惑でした?」

「ヴァイナスが何も言わないから気にしていなかったけど、迷惑をかけていたなら謝るわ」

 二人の言葉に、俺は笑顔で答える。

「俺は別に気にしていないよ。むしろこっちが気を遣っていなかったことを反省してる。もう少し女性に対して配慮があっても良かったかなって」

「ううん、そんなことないわ。ゼファーじゃないけど、居候の身だもの。ルームシェアをするのは珍しくないし、ジュネとも色々話せて楽しいもの」

「そうね。お互いを理解することにも繋がっているし、あんたって言う共通の話題もあって楽しんでいるわよ」

 二人の言葉を聞き、俺は内心安堵する。期せずして複数の女性と関係を持つことになったが、ゲームということを差し引いても、人間関係には気を遣うものだ。ハーレムを作っている友人とかいれば、アドバイスを貰えるのだが。


 今度、イーマンにでも聞いてみるか…。


 未だにコントのように会話を続けるゼファー達を宥め、部屋へ戻るというブリスと別れると、俺たちは船への帰途についた。



 港に停泊する船へと戻ると、見張りのゴブリンが敬礼で迎えてくれる。俺たちは挨拶を交わすと、船の中へと進み、門の前に立つ。

「キラキラ光って綺麗な門…。これが〈妖精郷〉への入り口なの?」

 キルシュの質問に俺は頷き、キルシュが門を使えるようにする。

「通れるようにしたから、門を潜ってくれ。入るのが怖かったら、俺たちが先に…」

 俺の言葉が終わらないうちに、キルシュは門へと飛び込んだ。その動きに躊躇は全くなかった。俺は苦笑して門を潜る。

 門を抜けた先では、キルシュがせわしなく周囲を見回しては、感嘆の声をあげていた。

「ねぇねぇ、ここってすっごく素敵な場所ね! 景色はとても綺麗だし。あの空の先はどうなってるの?」

「確かめたことはないが、どこまでも空が続いているのかもな」

「へぇ~。あ、凄い、湖が空中に浮かんでる! てゆうか、島が一杯空に浮かんでる!」

 キルシュは楽しそうに新たなものを見つける度、歓声をあげている。俺は放っておくといつまでも騒いでいそうなキルシュを宥めつつ、庵へと向かう。

 途中精霊達に会って、庵の増築や建物の新築について相談した。庵の増築に関しては、〈制御盤〉を使った施設の増設が密接に関わっているらしく、難しいとのことだった。

 そこで、庵の近くに建物を新築する方向で話を進めた。最近は庵とガデュス達の村を繋ぐ道を整備したり、家畜を種類ごとに放牧するための柵を設けたりといった作業をお願いしていたのだが、その作業も落ち着き、手すきになった精霊達が、快く請け負ってくれた。

 彼らに報いるために、何かしてあげたいとも思うのだが、彼らの好きな食べ物やお菓子、酒といったものを充実させるのが一番喜ばれそうだ。ロゼやジュネと協力して、地道に充実させるようにしていこう。

 とりあえずは庵に戻って寛ごうと考えていたら、キルシュは湖の畔で、

「うわ~、なにこれ凄い! 本当に湖が空に浮かんでる!」

 と叫びながら、早速毛布を用意してキャンプの準備を始めている。あの様子なら、心配はなさそうだ。

「キルシュ、食事や風呂なんかは庵を使うから、準備ができたら庵に来いよ」

「分かった~!」

 俺の言葉に元気よく答えると、今度は一人用のテントを張り始めている。楽しんでいるようなのでこれ以上は邪魔をしないことにして、俺は庵へと向かい、まずは風呂に入ろうと心に決める。

 ゆっくりと温泉を堪能した後は、ロゼやジュネと共に料理を作り、皆で楽しく食事をした。食事の間にキルシュへ〈妖精郷〉に関する説明をし、その後は闘いの疲れもあって早々にベッドに潜り込んだ。

 夜が明けてからは、〈妖精郷〉での日課となっている精霊達を交えた訓練を行い、頼んでいた各種作業の確認をする。家畜の様子を確認し、オフィーリア達に闘技大会の様子を伝えたり、湖の畔でエメロード達と水遊びをしたり、昼寝をしたりしてゆったりと過ごす。

 ゼファー達も思い思いの過ごし方で英気を養っているようだ。ロゼは精霊達やコボルドたちと共に料理の創作に余念がないし、ジュネはファリニシュを連れて森で狩りのようだ。ゼファーはキルシュに追いかけ回されていたが、それでも楽しそうに相手をしている。あそこまで一途に思われていて、女好きのゼファーが嬉しくないはずはない。なんだかんだいって憎からず思っているに違いない。

 なんにせよ、仲間たちが楽しそうに過ごしているのは、とても嬉しかった。いつ帰れるとも分からないオーラムハロムでの生活を、少しでも楽しめるのなら、ある意味「幸せ」なことだと思う。

 こうしてそれぞれが十分に休息を取り、次の試合へと心身ともにリフレッシュした俺たちは、3回戦に出場するため、闘技場へと向かうのだった。



 3回戦からは、いよいよ闘技場を舞台に闘っていくことになる。今までは会場が分散していた分、観客も存分に観戦できていたのだが、試合会場が一つになったため、闘技場からあぶれる者たちが増えてきた。

 闘技場の周囲には、観戦チケットを手に入れられなかった観客が溢れ、それを当て込んでプレミアムをつけたチケットを販売するダフ屋や、水晶による中継だけでも見ようと群がる人々に軽食や酒を売り込む屋台や行商人、賭けを取り仕切るノミ屋の叫び過ぎでしゃがれた声などが入り混じり、活気に満ち溢れていた。

 俺とゼファーは参加者用のゲートへと向かい、ロゼ達は用意された観戦席に向かう。イーマンから闘技大会の終了までの間、一緒に観戦しようと誘われているのだ。

 キルシュは貴族と共に観戦すると聞いて緊張していたが、まぁキルシュのことだ。すぐに打ち解けて、楽しく観戦できるに違いない。

「それじゃヴァイナス、お互い頑張ろうぜ」

「ああ。健闘を祈る」

 俺はゼファーと拳を突き合わせて挨拶をすると、控室へと向かう。試合の前に準備されている控室は、準備を行うための設備が整えられている。俺は念入りにストレッチや準備体操、武装の点検などを行っていく。今回からはマグダレナも共に闘うので、揃いの飾り布を身に着ける。

「ヴァイナス、今日も勝とうね!」

「ああ。ヴィオーラに会うまで、負けるわけにはいかないからな」

 人化しているマグダレナが、昂る気持ちを抑えきれない、といった様子で俺に抱き着き、俺の首筋に頬を擦りつけてくる。俺は落ち着かせるようにゆっくりと髪を撫でてやる。

 影に潜んでいたスマラが姿を現し、準備を整えながら出番を待っていると、呼び出しの鐘が鳴った。

 スマラが影に潜み、控室を出て人化を解いたマグダレナに騎乗し、ゲートへと向かう。ゲートの先からは観客たちの声援が今まで以上に大きく聞こえてくる。俺はマグダレナの首筋を優しく叩き、ゲートを潜った。

 俺が姿を現すと、観客たちの声援が一層大きくなった。以前の大会優勝者であるブリス( これは先日の闘いの後、ブリス本人から聞かされて驚いた )を斃した俺は、一躍注目の的になったようだ。

 闘技場の剣闘士なら、ここで観客に応えるのだろうが、恥ずかしいので何もせずに開始位置へと進む。対戦者はすでに開始位置に立ち、観客たちに向かって手を振り、歓声に応えていた。

 その姿を見て、俺は驚いた。知った顔だったのだ。

「よう、久しぶりだな。元気だったか?」

「そっちこそ、元気そうで何よりだ。イーマン様はお前が参加しているなんて教えてくれなかったぞ」

 笑顔を浮かべて立つ男、〈伊達男〉クロスレィとの再会は、以外な場所でのことだった。

「ブリスとの試合のことは、イーマン様から聞いたよ。凄いじゃないか。相当腕を上げたようだな」

「クロスレィだって腕を上げているだろう? ここまで勝ち進んでいるんだ。それが何よりも証明している」

「いやいや、私なんて運が良かっただけさ。組み合わせに恵まれただけだよ。大したことはないさ」

 そう言って笑うクロスレィ。だが、その瞳は決して笑っていなかった。ブリスに勝利した俺、更にはバイコーンのマグダレナを前に、全く臆していない。


 こいつは厄介な相手だな…。


 以前は仲間として共闘した相手だ。手の内はお互いにある程度分かっているのだが、別れた後の研鑽に関しては未知数だ。

『ヴァイナス、あの人、強い』

『ああ』

 マグダレナも感じたのか、そっと呟いた。俺は頷いて意識を切り替える。こいつはかつてのクロスレィじゃない。別人だ。

 クロスレィも構えを取る。その手には見たことのない精巧な造りの弓が握られていた。

「ヴァイナス、お前の強さは予選でしっかり確認させてもらったよ」

 クロスレィが笑みを浮かべたまま、そう呟いた。

「昨日対戦したジュネって娘も強かったが、お前はそれ以上だ。本気で行かせてもらう」

 クロスレィの言葉に、俺は僅かに目を見開いた。予選での俺の闘いを知っている? それにジュネを倒したのはこいつだったのか。

「…あの矢はお前か」

 俺は予選の時、俺に向かって射られた矢を思い出し、口にする。

「そうだ。あっさり受け止められるとは思わなかったがな」

 クロスレィはそれを肯定した。なるほど、あの時の挨拶を返せるとは…。俺は開発者の粋な計らいに、心の中で感謝した。これが仕組まれたイベントだとしても、このシチュエーションに俺の心は湧きたっていた。

 俺たちの気持ちが高まった瞬間、開始を告げる鐘が鳴った。

「最初から全力で行かせてもらう!」

 クロスレィはそう言って、素早く何かを唱えた。次の瞬間、クロスレィの姿が目の前から消え去った。

 俺は次の瞬間、マグダレナに動きを任せ、その背に身を伏せた。俺の頭があった位置を、風切り音と共に、放たれた矢が通り過ぎる。マグダレナは前に向かいつつ、左右にステップを踏みながら不規則な動きで回避運動を取ると、小刻みな跳躍を利用して向きを変える。そこには距離を取り、二の矢を構えるクロスレィの姿があった。


 【瞬移】の魔法だって!? クロスレィのやつ、〈盗賊〉だったのか!


 予想外の状況に内心脅威を感じつつ、俺はマグダレナに指示を出す。

「【神速】!」

 俺の指示が終わらぬうちに、マグダレナが【神速】を唱えた。その隙を突き、放たれた矢が俺を捉える瞬間、今度は俺たちがその場から消え失せる。俺が唱えた【瞬移】の魔法だ。

 クロスレィは落ち着いた動作で次の矢を番えつつ、背後に回られぬよう、壁を背にするように移動する。俺たちはクロスレィの右手側に転移すると、一気に距離を詰める。俺の経験則から、弓は引手側に回られた方が狙い辛いとの判断からだ。

【神速】によって倍する速さを得たマグダレナは、黒き疾風となってクロスレィに迫る。

 だが、そこに至ってもクロスレィは冷静だった。もとより右手側に姿を現すのは予想していたのだろう。少しでも距離を取る方向に移動し、番えた矢を解き放つ。

 正確な射撃は真っ直ぐに俺の眉間を狙っている。俺は僅かに首を傾けると、紙一重の距離で矢を躱す。クロスレィの射撃は正確だ。それ故に避け易い。

 俺は〈西方の焔〉を真っ直ぐに突き出し、マグダレナの突進の勢いを利用して即興の騎馬突撃を行う。戦士の〈突撃〉とは比べ物にならないが、勢いをそのまま威力に変える突進攻撃は、軽装のクロスレィを倒すのには充分だ。

 だが、再びクロスレィは姿を消す。俺は舌打ちしながら、背後を警戒するため、突撃の構えを解いて振り返る。しかし、そこにクロスレィの姿はなかった。左右を見回すが、やはり姿がない。

「ヴァイナス、消えたわ!」

「【隠蔽】か!? マグ、周囲を駆け回ってくれ!」

 俺は【隠蔽】の可能性を考え、マグダレナの背から飛び降りると、マグダレナに指示を出す。【隠蔽】であれば、その場から大きく動くことはできない。マグダレナを避けるために移動すれば、【隠蔽】は解除されるはずだ。

 俺の意図を理解したマグダレナは、さっきまでクロスレィがいた場所に向かって駆け出す。俺はそこに向かって【吹雪】を唱えた。氷の刃を含んだ嵐が巻き起こり、クロスレィがいた場所を吹き散らす。


 これで姿を現してくれればしめたものだが…。


 俺の期待は空振りに終わり、クロスレィは姿を現さない。マグダレナはそこに向かって飛び込んでいくが、やはり、クロスレィの姿はなかった。

「ヴァイナス、おかしい、気配を感じないわ!」

 マグダレナが困惑したように周囲を見回す。確かに変だ。【隠蔽】じゃなかったのか?

「マグ、【感知】!」

 俺の言葉に、マグダレナははっと目を見開き、【感知】を唱えた。だが、その隙をクロスレィが見逃すはずもなかった。あらぬ方向から放たれた矢が、マグダレナの背に突き刺さった。

「ぐぅ!」

 マグダレナは突然襲った痛みに耐え、【感知】の魔法を唱えた。俺は矢の放たれた方向に目を向ける。

「上、だと!?」

 俺は驚愕に目を見開いた。

 クロスレィは空中に浮かび、そこから矢を放ったのだ。馬鹿な、あの一瞬であそこまで移動した?


 【瞬移】の魔法? それでは空中に浮かぶ理由が分からない。

 【飛行】の魔法? それではどうやって姿を消した?

 【隠蔽】の魔法には、空を飛ぶ効果なんてない。


 まさか、【転移】の魔法の効果なのか? 俺は未だ習得していない10レベルの魔法、【転移】の可能性を考え、戦慄する。その場合、クロスレィは〈盗賊〉ではなく、〈戦盗士〉〈魔盗士〉の可能性がある。そして、もう一つの可能性にも気づいてしまった。


 クロスレィは〈魔戦士〉、もしくは〈英雄〉だった…?


 様々な可能性が脳裏を過ぎり、それが隙となってしまった。クロスレィの矢が、今度は俺を襲う。思考に意識を奪われていた俺に、それを避ける術はなかった。

「しまっ…」

 眉間を狙って放たれた矢が突き立つ瞬間、俺は不意に襲った衝撃に吹き飛ばされた。地面を転がりながら、勢いを利用して身体を起こす。

 衝撃の原因を知ろうとした俺の目に飛び込んできたのは、首筋に矢を受けて苦しそうに膝をつく、マグダレナの姿だった。

「マグ!」

 俺は慌てて近づき、マグダレナの傷を調べる。深々と突き立った矢がその威力を物語る。だが、甲冑のおかげで致命傷にはなっていない。だが、このまま闘えば確実に死に至るだろう。

 俺は後悔に唇を噛むが、マグダレナの言葉にはっとする。

「ヴァイナス、油断しちゃ駄目…。怪我はない…?」

「大丈夫だ、ありがとう」

「良かった…」

 俺を庇って矢を受けたのに、マグダレナからは俺を案ずる気持ちしか伝わってこない。俺のせいで傷ついたのに…。

「マグ、これ以上は無理だ。ここでじっとしていてくれ」

「うん…」

 下手に矢を抜くと傷が悪化しそうだし、そんな隙を見せれば、クロスレィは容赦なく俺を攻撃するだろう。今は警戒しているだけだが、油断なく構えた弓は、俺を狙い続けている。

 俺は頭上のクロスレィを見上げ、

「一体、どんな手品だ? そんな隠し芸を持っていたなんてな」

 と言う。クロスレィは弓を構えたまま、

「まさか、こんなところで使うことになるとは思ってなかったがね。高かったんだよ、実際」

 と言った。なるほど、マジックアイテムか…。

 どの効果がそれなのかは分からないが、クロスレィはマジックアイテムと魔法を併用して、今の状況を作り上げたのだろう。予選の際、俺に向かって矢を放った時も、同様に姿を消していたに違いない。

「本来は、決勝まで使うつもりはなかったんだが、お前が相手では手が抜けない。このまま決めさせてもらうぞ!」

 クロスレィはそう言うや否や、構えた弓から矢を放った。狙いは、俺じゃ…ない!?

 俺は咄嗟に射線へと身を躍らせる。迎撃することもできず、肩で矢を受けるのが精一杯だった。竜鱗の装甲を突き破り、矢が肉へと食い込む感触と共に、痛みが走り抜けた。

 歯を食いしばり痛みに耐えると、俺は牽制の【火球】を放つ。クロスレィは慌てて回避する。その隙に、俺はマグダレナを〈小さな魔法筒〉に回収する。

「マグ、後でしっかりと治療するからな」

「うん、ヴァイナス、頑張ってね…」

 マグダレナは頷くと、光の粒子となって〈小さな魔法筒〉に吸い込まれた。俺は魔法筒を腰鞄に納めると、改めてクロスレィに向き合った。

「将を射んとする者はまず馬を射よ、だったか? お前から教わった戦法だな」

 クロスレィは再び矢を構え、そんなことを言った。確かに俺が訓練の時に教えた言葉だ。こうやって実際に活用されると、悔しさと共に、ある種の満足感を得る。教えたことをちゃんと実践されるのって気持ちいいよな…。

 だが、今はそんなときじゃない。俺は頷きつつも【飛行】の魔法を唱える。マグダレナの掛けてくれた【神速】の効果があるうちに決着をつけたい。

 俺はエーテルを高め、数倍の魔力を込めて【飛行】の魔法を使う。その間に放たれる矢は、時に切り払い、時に身を振って回避していく。

「やはり、目標が一つになると簡単には当たらないか…!」

 当然だ、と言いたいところだったが、これはクロスレィの正確な射撃の恩恵もある。下手な射撃の場合、射線がブレるので着弾地点が読み辛いのだが、クロスレィの射撃は正確なので、狙っている場所が分かれば、回避も迎撃もし易かった。

 それならいい加減に狙えば良いのかといえば、そんなことはない。【神速】で速さが上がっている俺に対して、適当に放った矢が当たることはほぼないからだ。それぐらいの実力はあるし、その程度の相手であれば苦戦することもなかった。

「はやり、これしかないか…」

 【飛行】の魔法を発動させ、大地を蹴って飛翔する俺に対し、クロスレィはそう呟くと再度姿を消した。そこに向かい、俺は腰から引き抜いたミゼリコルドを投擲するが、手ごたえがない。また、俺の知らない透明化の魔法か!

 その瞬間、背後に噴き上がった殺気に、俺は何も考えずに右側面へと身を躍らせる。

 背後から迫る矢が、避けきれずに俺の二の腕を掠め、斬り裂いていく。鎧、竜の血の加護の二重の護りを以てなお、防ぐことのできないクロスレィの弓の技量に、心底驚嘆した。

 今のは【瞬移】か? 俺はクロスレィの戦法に対し、感嘆すると共に内心舌を巻いた。これは非常に厄介だ。

 その後、何度か放たれた矢を躱しつつ、俺は必死で打開策を考える。

 どうやら、俺の知らない透明化の魔法は、転移しているわけではないらしい。だが、空中でどちらに移動するかは選択肢が多すぎて絞り切れないし、かと思えば【瞬移】の魔法で転移して攻撃してくる。

 姿を消されたところからの選択肢が多すぎて、現状放たれる矢に対することしかできていない。このまま相手のSP切れを待つ戦法も考えたが、クロスレィが今の行動を全てマジックアイテムで賄っているとしたら、ジリ貧になるのは俺のほうになる。

 打開策を思いつかず、放たれる矢を避け続ける輪舞曲(ロンド)を舞っているうちに、【神速】の効果も切れ、掛け直しを含めても、そろそろSPの底が見えてきた。何度か避けきれずに蓄積したダメージも、そろそろ厳しいものになっていきている。

 だが、焦っているのはクロスレィも同様だったらしい。何度目かも分からない、放たれた矢を躱した後、クロスレィは悔しそうに表情を歪めた。

「ここまで持ちこたえられるとは想定外だった…。まさか矢を使いつくすとはな…」

 クロスレィはそう言って構えていた弓を背負い、代わりに腰から短剣を引き抜いた。どうやら、耐えていたのは無駄ではなかったらしい。

「そろそろ決着をつける時みたいだな」

「そうだな。できれば弓で決着をつけたかったのだが…。仕方がない。ここからは短剣で挑ませてもらう」

 クロスレィはそう言うと、再び姿を消した。【瞬移】か? 透明化か?

 俺はどちらが来ても良いように、迎撃の構えを取る。同様の作戦を取るとして、こちらが切れる手は【隠蔽】と【瞬移】のみ。

 【隠蔽】は移動がほぼできないので消える意味は少ない。【瞬移】は近接戦を行う関係上、出現位置に相手がいなかった場合はSPの無駄な消費になる。

 それならばいっそ、クロスレィの攻撃を耐え、カウンターで攻撃をした方が攻撃できる可能性が高くなる。俺は神経を研ぎ澄まし、クロスレィの攻撃に備えた。

 不意に迫った「殺意」を感じ取り、俺は身体ごと地面に向かって飛び込んだ。クロスレィは地面に立ち、短剣を投擲してきたのだ。

 物を投げるという行為を考えれば、上から下に向かって投げた方がはるかに効率が良い。それを敢えて下から投げることによって意表を突く、非常に嫌らしい攻撃だった。

 だが、短剣の届く距離ならば、弓と違って一息で詰められる! 俺は放たれた短剣が頬を斬り裂いていくのを無視して、クロスレィへと飛び込んでいく。右手に構えた〈西方の焔〉を突き出すようにして宙を駆ける。

 クロスレィは残った短剣も投擲してきた。俺はそれを左手のカタールで払い除け、さらに距離を詰めようとする。

 その隙にクロスレィは、再度姿を消した。【瞬移】の可能性を無視して、俺はそのまま突進した。

 地面に接するギリギリまで減速せずに飛び込んだ結果、俺は賭けに勝ったことを知る。〈西方の焔〉が何かを斬り裂く感触を伝え、同時に受け身を取るために、身体の向きを調整する。柔道の前回り受け身の要領で、勢いを殺しつつ回転すると、即座に立ち上がる。

 俺の視界に、距離を取り、腕を抑えたクロスレィの姿が映った。クロスレィは右腕から流れ出る血を左手で抑えつつ、それでも笑みを浮かべていた。

「今回は読み切られたな。まさか突っ込んでくるとは…。だが、まだ決着はついていない」

 クロスレィはそう言って、最後に残された武器であろう、短剣を腰から引き抜いた。

「接近戦で勝負とか言って、短剣を投げてくるとは思わなかった。だが、その腕はこの戦いでは使えまい。『降参』したらどうだ?」

「馬鹿を言うな。まだまだ戦えるさ。そっちこそ、『降参』しないか?」

 何を馬鹿な、そう返そうとした俺の言葉に被せるように、クロスレィが言葉を発する。

「俺はお前に勝つために、全てを尽くすと言った。そろそろ効いて来るんじゃないか?」

 クロスレィの言葉に、俺は内心首を傾げた。クロスレィの言葉が続く。

「先ほど投げた短剣には、毒が仕込んであった。当然矢にも、だ。お前がいくら強靭な身体を持っていても、毒には勝てまい」

 クロスレィの言葉に、俺は驚いた。まさか、毒まで使っていたとは。闘技大会では、別段毒の使用を禁じてはいない。だが、アル=アシの闘場では毒を使うのは禁じられているため、クロスレィが毒を使うのは意外だったのだ。

「私はイーマン様の命で、影の仕事もこなしている。毒は得意分野なのだよ」

 俺の表情を見て感じたのか、クロスレィはそう説明してくれた。なるほど、毒を使っていたのか。クロスレィの自信の理由はそれだったのだ。

 だが、生憎と俺は「毒の効かない」身体になっている。現に毒の影響は全く受けていなかった。だが、これを利用すれば、クロスレィを倒すことができるんじゃないか?

 俺はあることを思いつき、準備をする。クロスレィはそれを見て、

「諦めないのは流石だな。悪いが手加減はできない。死んでも恨むなよ」

 と言い残し、姿を消す。俺は静かにその時を待った。


 来た!


 クロスレィの殺気を肌で感じた俺は、準備していた魔法を発動する。


 【煙幕(スモーク)】の魔法。


 この魔法は対象の周囲を毒性のガスで覆い、吸い込んだ者の〈能力〉を半減させる効果を持つ。ガスの範囲は半径5mほどで、範囲内であれば、複数の対象に効果を与えることができる。

 【煙幕】の対象は俺自身。俺は自信を中心に魔法を発動させた。俺を中心とする半径5mの空間が、毒々しい、真っ赤な霧に包まれる。その霧を切り裂くように、クロスレィの短剣が突き出された。


 しかし、その剣先に勢いはない。


 毒の霧をまともに吸い込んだのだろう。クロスレィの動きが明らかに鈍っている。俺は何なく短剣を弾くと、慌てて剣を引き戻そうとするクロスレィの鳩尾に、左手の拳を叩きこんだ。殺すつもりはないので、カタールの刃は当然仕舞い込んでいる。

 真正面から鳩尾に拳を喰らったクロスレィは、そのまま吹き飛ばされて、ゴロゴロと地面を転がったクロスレィは、そのまま大の字に寝転がり、

「ここまでか…。『降参』だ…」

 と言って意識を失う。俺は大きく息を吐くと、勝利を宣言するために、高々と〈西方の焔〉を掲げる。

 闘技場に、割れんばかりの歓声が沸き起こる。マグダレナと共に闘っていては取れなかった方法で勝つことができた。俺は再度大きく剣を掲げ、踵を返す。

 クロスレィとは後で改めて話そう。今は俺たちの治療が優先だ。俺は傷の痛みに顔を顰めつつ、歓声に包まれながら闘技場を後にした。


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