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48 〈幻夢(VR)〉の家で思わぬ再会

「一体、どういうつもりなんだろう?」

 俺たちに向かって服従のポーズを取るバーゲストは、俺たちが近づいてもポーズを続けていた。よく見ると、深紅に染まっていた瞳が、澄んだ翠色に変わっている。

 どうやら本当に服従するつもりのようだ。鎖による呪縛から解放されたのが原因だろうか?

「とりあえず、敵対する気はないみたいだな」

「そうね。殺意は感じないわ」

 俺が武器を納めると、バーゲストは察したのか、ポーズを解いて足元に擦り寄り、今度は伏せの状態を取る。豊かな毛並みの尻尾を丸めてフルフルと震えている。

 陽光の下で見ると、体中が傷だらけだった。完治は難しいが、少しでも治してやろうと、【回復】の魔法を唱えるためにその場に跪き、傷のこと忘れて右手を差し出すと、バーゲストは俺の掌を舐め始めた。

 生じた痛みに手を引きそうになるが、丹念に舐められているうちに、痛みは和らいでいく。俺は左手で頭を撫でてやると、特に酷い首筋に左手を翳し、【回復】の魔法を唱えた。

 ゆっくりと傷が塞がり、流れていた血が止まる。治療されたことに気が付いたのか、バーゲストは起き上がると、千切れんばかりに尻尾を振り、俺の顔を舐め回した。

「おいおい、まだ完治したわけじゃないんだ。落ち着け」

 一向に舐めるのを止めないバーゲストを、俺は傷に触れないように気を付けながら引き剥がす。バーゲストは素直に離れ、その場でお座りのポーズを取った。そのままじっと待っている。

 スマラとマグダレナから【回復】の魔法を掛けられつつ、俺はバーゲストをどうするか考えていた。

 祭壇を破壊したことで、〈妖の森〉を覆っていた呪縛から解放されたとは思うが、このまま放置して良いものだろうか?

 解放されてもこの場に留まっているということは、送還されたりするわけではないようだ。元々この森に棲んでいたのかもしれないが、それであれば放置しても問題ないだろう。

「マグ、〈黒妖犬〉って元々この森に棲んでいたのか?」

「御免なさい、分からないわ。私が来た時には、もうすでに〈妖の森〉だったし」

 なるほど、それは仕方がない。俺の治療を終え、今度はバーゲストの傷を癒しているマグダレナに礼を言うと、大人しく治療を受けているバーゲストに視線を向けた。

 俺の視線を感じると、バーゲストは嬉しそうに尻尾を振る。完全に敵意を失ったバーゲストに対し、俺は問い掛けた。

「お前はこれからどうするんだ? 住処に帰るのか?」

 俺の問いにバーゲストは首を傾げた。言葉は通じてないかな? 俺は〈精霊語〉を使って話しかける。

『お前はこれからどうするんだ?』

 俺の問いに返って来たのは、尻尾を振りながら顔を舐め回すことだった。これはどういうことなのだろう?

『住処に帰らないのか?』

 俺の問いにバーゲストは答えない。

『ここに住むのか?』

やはり答えない。帰らない、ここに住まないのに、この懐きよう。とすれば、もしかすると…。

『俺たちと一緒に来るのか?』

 俺の問いに対し、バーゲストは、

「ワウ!」

 と一吠えする。どうやら付いて来るらしい。まぁ、今更一人二人増えた所で問題はない。他の面子と上手くやってくれれば良いんだが。

「なんか、付いてくるみたいね」

「強い味方は大歓迎よ。一緒に頑張りましょう。よろしくね」

 二人の言葉に、バーゲストは元気に吠える。もう大丈夫そうだ。俺は微笑むと、皆を促し、森を抜けるために『祭壇』を後にする。それにしても、言葉が通じないのは不便だな。今度レベルが上がったら、イヌ語を覚えよう。

〈妖の森〉の呪いは消え去った。ようやく帝都へと向かうことができる。新たな仲間を迎え、俺たちは一路、帝都を目指して出発した。



 呪いの失われた〈妖の森〉は、もはや迷わされることはない。だが、広大な森であることには変わりがないので、迂闊に進めば当然迷ってしまう。

 俺たちは太陽の位置を頼りに東へと向かう。湖へ戻ると『幸運の風』号に乗って横断し、更に東へと進んでいてく。森の中であるとはいえ、マグダレナの速さは平地のそれと変わらない。バーゲストも悠々とそのスピードに付いて来た。これならば今日中には森を抜けられそうだ。

 解放された影響か、特に魔物に襲われることもなく、夕方には森を抜け、帝都へと続く街道に辿り着くことができた。後は道なりに進めば、ズォン=カの都に行けるはずだ。

 俺たちは可能な限り走り続けた。ヴィオーラたちが心配しているだろうし、できるだけ早く合流するべきだと思ったからだ。ただし、道程は急ぐが、休息はしっかりと取る予定だ。森を出たので、街道沿いならいつでも〈妖精郷〉に行くことができる。全員《暗視》があるので、日が暮れてからも、体力の続く限り走り続けた。



 マグダレナたちの頑張りによって、真夜中には帝都を囲う城壁が見える場所まで辿り着いた。例に漏れず、帝都も夜間は門を閉ざされてしまう。

 俺たちは街道を逸れると、見晴らしの良い小さな丘の上に移動し、〈妖精郷〉への扉を開いた。初めて見るはずのバーゲストは、特に驚いた様子もなく静かに待っている。

 まぁ、空間を歪めて出現するくらいだし、転移・転送系の移動は驚くほどのことではないのかもしれない。

〈妖精郷〉へ行く前に〈念話〉を試してみたが、リィアとは繋がらなかった。これは帝都に入らないと繋がらなそうだな。愛想を尽かされて〈誓約〉を解除されたんじゃなければいいけど…。

 一抹の不安を覚えつつ、俺たちは〈妖精郷〉の門を潜る。

 門を抜けると、いつものように見張り役のゴブリンが迎えてくれた。見ると装備が変わっていた。どうやら武具が完成したようだ。

 革鎧の下に鎖帷子を着込み、左手には小型の盾を、右手には槍を構えている。ゴブリンは俺を見るとキビキビと最敬礼し、踵を返す。

 ガデュスを呼びに行ったのだろう。以前より動作が精練されている。訓練は頑張っているようだな。

 程なくしてガデュスが姿を現した。ガデュスの鎧も新しいものに変わっている。全身を覆う、プレートメイルの重さを感じさせない速さで走ってくると、跪き首を垂れる。遅れて到着した他のゴブリン達も、同様に跪いた。

「主殿、お帰りなさいませ。よくぞご無事に戻られた」

「ただいま」

 俺が答えると、ガデュスは顔を上げ、太い笑みを浮かべる。

「また一回り強くなられたようですな。気配が違いますぞ」

「結構大変だったからな。2、3日はこっちでゆっくりするから、後で話すよ」

「こちらもご不在の間のことをご報告します。ですが、まずはお身体をお安めください」

 ガデュスはそう言って立ち上がると、先導して歩き出す。俺たちも後に続く。他のゴブリン達は、俺たちの周囲を囲むように付いてくる。

「そういえば、装備ができたようだな」

「御意。新たな武具は意匠を揃えているので、団結力が高まった気がします」

 俺の問いに、ガデュスは嬉しそうに答える。新たに設置した『鉱脈』も機能してきたようで、鍛冶場からは冶金や鍛冶の音が、絶え間なく聞こえている。精霊たちが頑張ってくれるのは嬉しいが、働き過ぎないように言っておくか。

 もっとも、精霊たちは気まぐれなので、不意に仕事を止めて遊んだりするから、気のすむまでやらせてもいいのかもしれないが。

 ようやく街に行くことができるし、ホワイトドラゴンから手に入れた財宝もある。予算の許す限り、必要なものを買い込む予定だ。

「帝都に着いたら色々なものを買い込む予定だから、何が必要か後で教えてくれ」

「それでしたら、我々も共に行きましょうか?」

「街に行っても大丈夫なのか?」

 ゴブリンが街に入ることに違和感を覚えて確認すると、スマラが、

「大丈夫じゃない? 帝都には様々な種族が住んでいるみたいよ。〈緑子鬼〉や〈豚頭鬼〉も住んでるみたい」

 もっとも、大半は労働奴隷らしいけど。スマラの説明に俺は頷く。それならば大丈夫かな?

「念のため、俺たちが先行して街に入る。確認して大丈夫そうなら、皆に手伝ってもらおう」

「畏まりました。主殿の名を汚すようなことは決して行いませぬ故、ぜひ我らをお使いくだされ」

 そういえば、折角意匠を揃えたんだ。何か紋章のようなものを入れても良いかもしれない。やっぱりチームロゴとかあった方が盛り上がるし。

 その後新たに加わったバーゲストの紹介などをし、例によって「おかえり」の言葉代わりに飛び込んでくる、クライスとエメロードにもみくちゃにされながら、俺たちは家へと戻った。



「それにしても、つくづく貴方は試練を引き当てますね。森を脱出する前に〈白竜〉と闘うとは…」

 ゆっくりと風呂に入った後、俺たちは居間で遅い夕食を食べていた。食卓にはスマラ、マグダレナ、テフヌトが座り、〈饗宴の食卓掛〉から取り出した料理を思い思いに食べている。

 食事を採りながらのテフヌトの言葉に、俺は肩を竦め、

「仕方ないだろ。向こうからやってくるんだから」

 と答えると、テフヌトは苦笑しつつ、

「この短期間に、竜を二体も斃すなんてそうそうありませんよ。まぁおかげで素材が潤沢にあるので、〈魔法の品物〉を作るには苦労しませんが」

 と言って、人化にもすっかり慣れた様子で、スプーンを使って旨そうにカレーライスを食べている。

「街に着いたら、船に積んである素材も降ろせるから、もっと増えるぞ」

「それはそれは。とはいえ、すぐに取り掛かれるわけではありませんし、暫くはゆっくりするのでしょう?」

「そのつもりなんだけど、まずは仲間と合流しないと。遺跡にあった転移装置の誤作動で、離れ離れになったからな。とにかく会って無事を伝えないと」

 俺の答えに、テフヌトは頷いている。そして、

「それですと、ここもそろそろ手狭になってきますね。見た所魔力も上昇しているようですし、施設の増設をしたらどうですか?」

 そういや〈能力〉が上昇したんだっけ。〈妖精郷〉の施設は俺の魔力に比例して増設できるから、とりあえず家の増築をするかなぁ。

 テフヌトに相談すると、今の俺の魔力なら上方に1階、地下へは2階層増築することができるらしい。また新たな施設として、湖を増やすことができるそうだ。

 湖が出来れば、船を浮かべることもできるし、漁を行うこともできる。魚は生け捕りにして放流しないといけないが。

 魚の餌に関しては、湖が生成された時点で付随してくる水草や、魔力で十分に飼育できるらしい。

 折角なので、今できる増築は全てやってしまおう。因みに、家を増築して、〈古木〉に悪い影響を与えないのかをテフヌトに確認すると、〈妖精郷〉の施設はそれぞれ独立した空間になるらしく、見た目と内部は異なるので問題ないらしい。


 本当に便利だな、〈妖精郷〉。


 俺は〈制御盤〉を呼び出すと、早速施設を増設する。設定を終えると、一瞬周囲が光りに包まれ、それが収まると増設が完了していた。お手軽過ぎて少し怖い。

 俺は皆を伴って、新たに増設した施設を確認していく。4階部分は気の洞から張り出した部分がバルコニーになっている開放感のある部屋になっており、「なんかできてる!」と外から様子を見に来たエメロードが一目で気に入ったため、バルコニーは彼女の『巣』と決定した。

 見晴らしも良いし、風通しも良いので、ハンモックなんかを用意して昼寝をするにはもってこいの部屋だ。

 一方、地下2階と地下3階は、非常に広い間取りをとっており、倉庫や酒蔵として利用するのに丁度よい造りになっている。酒蔵(ワインセラー)に憧れがある俺としては、是非とも様々な酒を揃えて並べてみたいところだ。

 造りもしっかりしているので、パーテーションで区切って多目的に使うのも良いだろう。娯楽室としてビリヤードやダーツ、ルーレット台とかを置いても良いかもしれない。

 そして家を出て湖を確認しに行く。湖は森の端から離れ小島のように浮かんでいた山のある島( 最近まではエメロードが寝床にしていた )を繋ぐように出現していた。途中に浮いていた浮遊島は湖に浮かぶ小島の様になっている。〈妖の森〉の湖に比べたら遥かに小さいが、琵琶湖並みの湖と比べたらいけないな。

「うわぁ、ヴァイナス凄いね! 空に湖が浮いているよ!」

 変化を感じ取ったのか、クライスも合流した。虚空に浮かぶ〈妖精郷〉に併設して出現した湖は、クライスの言葉通り浮遊する湖なのだ。

 湖底は存在せず、大小様々な大きさの皿のような形の島が湖を支えるように浮かび、島の地表部分に生えた水草がゆらゆらと揺れている。そして、円形の島の淵から滝のように水が下方へと流れているのが見えた。流れ落ちた水はどこまでも続く虚空に、吸い込まれるように流れ落ちていく。

 その幻想的な光景に暫く目を奪われていたが、不意に掛けられた言葉に振り向いた。

『これは素晴らしい。まるで伝説の理想郷のようだ…』

『流石勇者様ですね。このような場所に住んでいるとは』

振り向いた先には、レイアーティスとオフィーリアが微笑みを浮かべて寄り添いながら立っていた。俺は驚きつつ、

「どうして二人が? てっきり聖樹の元へと旅立ったのかと」

『言ったではないか、其方を見守ると』

『わたくしたちが聖樹の元へと行くのは、貴方との約束を果たしたと思えた時。それにレイアーティスと共に過ごす時を、今しばらく享受したいのです』

 二人はそう言って微笑んでいる。そうか、あの時聞こえた声は幻聴ではなかったのか。俺は微笑んで、

「なるほど、それならば好きなだけここを堪能して頂ければ。変わり者が多いですが、気の良い者たちばかりなので、仲良くして頂ければ幸いです」

『友よ、堅苦しい言葉遣いは無用だ。友に気遣いはいらぬ』

『そうですわ。周囲の方たちに向ける言葉でお願いします』

 俺の答えに、二人は不満そうに顔を顰める。俺は苦笑して、

「了解だ。それならば素でいかせてもらうよ。俺のことはヴァイナスと呼んでくれ。それで、今の二人はどういう状態なんだ?」

 以前の二人は霊体だったのか、半ば透けたような姿だったのに、今は実体があるように見える。二人は俺の言葉に頷くと、

『ここは周囲に精霊の力と魔力が満ちている。その力を借りて肉体を形成しているのだ。生者とほぼ同じ状態だ』

『食事もできますし、眠ることも水浴びすることもできますよ』

 そう言って二人は微笑んでいた。なるほど、彼らも〈妖精郷〉の中では実体化できるということか。

「それは良かった…と言って良いのか分からないけど、好きなだけいてもらって構わないよ」

『心遣い感謝する。其方への助力、我が力の許す限り惜しまぬつもりだ』

『わたくし達に出来ることがあれば、何でも言ってくださいね』

 二人の言葉に頷き、俺はレイアーティスとオフィーリアを皆に紹介する。マグダレナが二人のことを先に説明していたようで、紹介した時には皆穏やかに対応していた。ただ、彼らの話す古いエルフ語が理解できたのはテフヌトだけだったが。

『古いエルフ語なんて聞いたのは久しぶりですね。私はテフヌトと言います。よろしくお願いしますね』

『テフヌト殿の使う言葉は非常に綺麗だ。ヴァイナスの言葉には少々訛りがあるのに。どこで学ばれたのですか?』

『エルフではないのに達者でいらっしゃるのね』

 二人の感嘆の声に、テフヌトはドヤ顔をしている。いや、それは【翻訳】の魔法を使っているだけだ。俺はテフヌトに、

「得意げなのに申し訳ないが、お前【翻訳】の魔法を使っているだけだろ?」

 と言うと、テフヌトは澄ました顔で、

「失礼ですね。【翻訳】による力であっても、私の能力であることには変わりありません。問題ないです」

 と言う。確かにそうだが、微妙に納得しかねた。俺は思ったことをそのまま言わず、言葉を変え、

「それなら俺にも教えてくれよ。レベル上がったから使えるし」

 と言うと、テフヌトは肩を竦め、

「それは契約上できません。それに貴方は〈盗賊〉じゃないですか。10階梯以上の魔法は使えないでしょう?」

 と、バッサリ断られてしまった。確かに【翻訳】は使えないんだが、10レベル以下の魔法なら使えるし、別に正式に交わした契約じゃないんだから、ここまで仲良くなったんだし、教えてくれたって良いんじゃないだろうか…。

「貴方が11階梯以上の魔法を使えるようになったら、教えてあげますよ」

 テフヌトはそう言って微笑んでいる。こいつ、俺が習得できないのを分かってて言ってやがるな。悔しいが、言われたままなのは癪なので、

「よし、言質は取ったからな。使えるようになったら、お前が知っている魔法、全て教えてもらうぞ」

「良いでしょう。新たな〈契約〉ですね」

 テフヌトの笑顔( というよりドヤ顔か )から目を背けつつ、ふと思う。そういえばエルフの二人は共通語使えないのだろうか?

 確認してみると使えるとのこと。共通語の方が理解できる者が多いので、これからは共通語で会話してもらおう。クライス、寂しそうな顔をしてないで、共通語覚えなさい。

 エメロードにも覚えて欲しいが、まだ早いかな。まぁ、おいおい覚えてもらうとして、今は湖の確認を続けよう。

 試しに水をすくって飲んでみる。山の中の湧水のような、澄み切った飲み心地に思わず笑みを浮かべる。このまま飲料水にできるほど清浄な水は有難い。

 魚を放流した後は、流石にこのまま飲むのは抵抗があるが、動物たちは問題なく飲むことができるだろうし、畜産を始める時にも助かるな。ゴブリン達も手軽に水浴びできるようになるし( 今までは村に作った井戸から汲み上げた水で身体を拭っていた )、良いこと尽くめである。

 ガデュス達の村も、もう少し設備を増やしたいところだ。公衆浴場とか、上下水道とかのインフラ関係はあった方が良いだろう。専門的なことは分からないので、後で精霊たちに相談しよう。



 一通り確認を終え、家に戻った俺は、大事なことを忘れていることに気付いた。バーゲストの名前を決めていなかったのだ。気付いたのはテフヌトが、

「そういえば、新しい子が増えていますね。こちらは?」

 と聞いてきたので、紹介した時に思い出したのだ。施設の確認の間、バーゲストは大人しく付いてきていたが、テフヌトは頷き、

「それにしても〈黒犬精(ヘアリージャック)〉ですか。人に懐くとはあまり聞きませんが、ヴァイナスですからね」

 と言った。うん? ヘリ―ジャック?

「こいつは〈黒妖犬〉じゃないのか?」

「ええ。〈黒犬精〉ですね。恐らく鎖か首輪かの影響で、存在を歪められていたのでしょう」

 テフヌトの言葉に俺は頷く。なるほど、瞳の色が変わったのも、妙に懐かれたのもバーゲストじゃなくなったからか。

 まぁ大した問題ではない。むしろ名前の方が重要なので、テフヌトに【翻訳】の魔法を使ってもらい、名前があるかどうかを確認してもらう。

 その結果、名前は特にないということだった。名前を付けるとあって、バーゲスト改めヘアリージャックは、円らな翠色の瞳でじっと俺を見つめている。期待のプレッシャーが半端ないな。一応、皆にも聞いてみるか。

「何か良い名前はないかな?」

「貴方が飼い主なんですから、貴方が決めるべきです。この子もそれを望んでいますし」

「そうね。それが良いと思う」

「ヴァイナスがつければこの子も喜ぶよ」

「名前とは神聖で尊いものだ。その者の存在そのものといっても過言ではない。一度名を得れば死すまで使うのだ。主である其方が名付けずにどうする」

 全員から、異口同音に俺に付けろと言われた。特にレイアーティス、お前ハードル上げ過ぎだ! 俺は必死に名前を考える。

「…ファリニシュ」

「「「ファリニシュ?」」」

 皆の聞き返しに頷き、

「『愛』と言う意味だ。皆に愛されるような存在になって欲しいからな。どうだろう?」

 俺の言葉に、ヘリ―ジャックは「ワウ!」と吠える。どうやら気に入ってくれたらしい。俺はヘアリージャックの頭を撫でつつ、

「気に入ってくれたか。それじゃあ今日からお前はファリニシュだ。よろしくな」

 俺の言葉にファリニシュは再度吠えると、撫でる俺の手をペロペロと舐め回した。尻尾は千切れんばかりに振られている。

「良かったわね、ファリニシュ」

「ファリニシュ…愛称はファルで良いのかしら?」

「良き名だ。ファリニシュに幸あらんことを」

 皆も口々にファリニシュを祝福する。ファリニシュは喜び勇んで俺に飛び掛かると、そのまま押し倒して今度は顔を舐め回す。

 俺は悲鳴を上げつつも、無下に扱う気にはなれず、ファリニシュが満足するまで頭を撫で、首の後ろを掻いてやる。皆も俺を助けることもせずに笑っている。

 こうして新たに増えた仲間たちと共に、〈妖精郷〉での時間は過ぎていった。


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