5 これが幻夢(VR)の闘い(バトル)か
気が付くと、俺は見知らぬ道の真ん中に立っていた。
周囲を見渡すと、道の両側は見渡す限りの野原で、時折丘陵となっていたり、林があったりといったところで人里の気配はない。
あの二人、転移をしくじったんじゃないだろうな…?
俺は急に心配になったが、この場で立ち止まっていても良いことはないので、まずは道が何処に続いているのかを見える範囲で確認した。
どちらを見ても、視界の中に人が住んでいる形跡は発見できなかった。そこで、足元を調べ、往来の様子を確認してみる。
道には、馬車が通ったであろう轍や蹄の跡、旅人のものであろう足跡などが残っていた。その中でも新しいものが向かっている方向に進んでいくことにする。
道の様子を見る限り、誰もいない荒野というわけではないようだ。であれば、道なりに進んで行けば、いずれは人里に辿り着くだろう。
問題があるとすれば、俺が餓死する前に辿り着けるかどうかということだ。
なにせ街に転移すると言っていたから、食料を買っていない。ナーシュとカマンからもらった携行食はあるが、これだってせいぜい2日分だ。それまでに人里に辿り着けなければ、かなり厳しい。
とにかく歩くことにした。
おっと、その前にやることがある。
俺は〈全贈匣〉を発動すると、そこに〈刻の刻御手〉を収納した。
何故か?
それは〈簒奪者〉対策だ。この状況で襲われた場合、俺にとって非常に不利な状況であるうえに、現実世界に帰還する数少ない手段を失うことになるし、今のところ、俺が〈探索者〉だと知らせる意味もない。
更に数枚の金貨を残して、それ以外の金貨も〈全贈箱〉に移す。容量の少ない俺の〈全贈箱〉でも、貴重品を入れて置けるくらいの容量はある。
準備も終えたので、出発する。
疲れない程度に意識して歩を進める。空は青く澄み渡り、雲がゆっくりと流れていく。聞こえるのは、草木を揺らす風の音だけだ。
変化のない景色に、時間が止まったかのような錯覚を受ける。そんな中、俺はひたすらに歩き続けた。
中天に差し掛かっていた太陽が傾き、もうすぐ夕方になろうかという時、景色に変化が訪れた。
俺の進む先から、何かがこちらに向かって来るのだ。
俺はその場に伏せると、地面に耳を宛て、音を聞いた。規則的に聞こえる地面を蹴る音から、どうやら馬か、それに類する四足獣が走っているようだ。それも複数。
俺は立ち上がり、道から逸れて様子を窺う。やがて視界に土埃を立てながら、道を走る馬が見えてきた。数は2頭。そして手綱を握る馬上には、ヒューマンの男の姿がある。
周囲には隠れられる場所もない。俺は、警戒しつつもその場で待ち、馬が通り過ぎるのを待つ。
そんな俺の期待を裏切り、2頭の馬は俺の前まで来ると、嘶きを上げて立ち止まった。そして馬上から声が掛かる。
「こんなところに人がいるとは珍しいな。旅人か?」
言葉は共通語だ。俺は返事を返す。
「ええ、まあ」
「一人旅か?」
「ええ」
男は俺を値踏みするかのようにじっと見てきた。男にジロジロ見られても嬉しくないんだが…。
すると、片割れの男が馬を寄せ、俺を見つめる男に小声で話しかけた。
話しかけられた男は頷くと、馬を降りてこちらに歩いて来た。その手が腰の剣に伸びた時、俺は短剣を抜きざまに男に向けて投擲した。
不意を打たれた男は、反応することもできずに短剣を喉から生やすと、口から血の泡を吐き、その場に頽れる。
予告なしの俺の行動に、馬に乗った男が慌ててこちらに向かってくる。
しかし、遅い。
俺は倒れた男に近づくと、男の腰から剣を引き抜き、構えようとしてよろめいてしまう。
剣が、重い!
男が持っていたのは〈片刃の長剣〉(グラディウス)と呼ばれる割と一般的な剣で、必要な体力も大したことがないのだが、平均以下の体力しかない俺には、これすらも重かったらしい。
俺が体勢を崩したのを好機と見たのか、二人目の男が剣を抜き、襲い掛かって来た。
俺は剣を使うのを諦めると、素手で男に立ち向かう。
男は叫び声を上げながら、上段に構えた剣を勢いのまま振り下ろしてきた。
俺は冷静に体を捌き、ギリギリのラインで剣筋を躱す。そして剣を持つ手を掴み、相手の勢いを利用して投げ飛ばした。
投げ飛ばされた男は馬から落ち、蛙の潰れたような声を出し、地面に転がり、呻いている。
俺は容赦なく、転がる男の喉を全体重を掛けて踏みつけた。俺の体重の乗った蹴りを喉に受けた男は、首の骨を折られ、白目を剥きながら事切れた。
足元の男の死を確認した後、短剣を受けた男も確認する。柄まで喉に突き刺さった短剣を回収し、俺は周囲を確認する。
しばらく様子を見るが、後続が現れる気配はない。俺は小さく息を着くと、改めて男たちの持ち物を探る。
この世界に来て、初めての戦闘だったけど、うまく熟すことができた。ゲームとはいえ、既存のVRゲームとはリアリティがここまで違うとは思わなかった。匂いがあるだけで随分と違うものだ。殺気まで感じた気がする。
どうやら〈現地人〉の野盗の類いのようで、〈刻の刻御手〉は持っていなかった。身分を証明するようなものも持っておらず、武器も統一感はない。
おそらく俺を殺して身ぐるみを剥ぐつもりだったのだろう。今回はミイラ取りがミイラになったわけだが。
俺は二人の荷物から使えそうな物を選び、それが終わると、死体を引きずり道から外れた場所まで運んだ。
従来のVRゲームだと、死体は光のエフェクトを残して消えるものが多いのだが、この世界はいつまでかは分からないけど、死体はオブジェクトとして残るらしい。まぁ銃を使って戦う戦争系VRなんかじゃ、死体を遮蔽として利用するものもあるから、おかしくはないんだけど。
死体を運んだのは、道の上に死体を放置しておけば、余計なトラブルを起こしかねないと思ったからだ。道の左右別々に死体を運ぶと、残された2頭の馬を見て考える。
俺、乗馬の経験なんてないんだけど、乗れるかな?
とりあえず馬に近づき、そっと撫でてみる。
馬は嫌がる素振りも見せず、道端に生えた草を食べていた。近くで殺し合いがあったのに、大したものだ。
俺は映画などの知識を思い出しながら、見よう見まねで跨ってみた。馬は取り乱すこともなく、軽く鼻を鳴らすと『どうするのだ?』と言わんばかりに俺を見た。
俺は手綱を引き、向きを変えると軽く馬の腹を蹴り、男たちが向かっていた方向に向かって進むことにした。
もう1頭の馬も、俺達について来る。この世界の馬はかなり利口なようだ。もっとも、現実で馬と接する機会なんてなかったので、現実世界の馬もこれくらい当たり前なのかもしれないが。
諾足で進む馬の背に揺られながら、俺はさっきの戦闘を思い返していた。
この世界のリアリティはゲームとは思えない拘りだった。他のゲームにあるような、ネームウィンドウやエフェクト効果がないばかりか、死に方に対する表現も細かく造りこまれている。
短剣を引き抜いた時に溢れる血の吹き出し方や匂い。
男から感じた闘いの汗や体臭。
VRに嗅覚が加わるとこうまで戦闘が変わるのか、ということを嫌と言うほど感じたのだ。
〈陽炎の門〉で過ごした生活の中で、嗅覚や味覚のある仕様がどれだけ刺激的なのかは理解していたのだが、戦闘という生命を掛けた殺し合いの雰囲気は、ジュネから受けた訓練とは別のものだった。
これが現実世界なら、竦んで動けなかったかもしれない。今回はあからさまな男たちの雰囲気と、転移してすぐの状況で警戒していたこと、これはゲームであり、「現実世界とは違い、いつ、どこで、どんなイベントが起きても不思議でない」という心構えがあったから対処できたのだと思う。
いずれにせよ、初戦闘を勝利できたのは重畳といえる。あとはとにかく、人里に辿り着きたい。男たちは食料を持っていなかった。だとすれば、馬で移動できる距離に人里がある可能性が高い。もっとも同じくらい、野党のアジトの可能性もあるが…。
MAPや目標ポインターのない仕様が、ここまで心細いとは思わなかった。地図もないし、そもそも現在位置がどこだか分からない。街に転移してくれなかったナーシュとカマンを恨みつつ、俺は馬を駆り、道を走り続けた。
太陽が地平線の先に沈み、星が瞬き始めたころ、ようやく進む先に明かりが見えてきた。問題は、あの明かりが人里のものであるかどうかだ。野盗のアジトの可能性も低くはない。
俺は馬に乗ったまま近づいて行く。いざとなれば逃げだすことも考えておかなければならない。
近づいて行くと、明かりが家々から漏れる光だといいことが分かった。丁度夕食の時間なのだろう、月明かりで見えづらいが、夕餉の煙が上がっていた。
どうやら宿場町のようだ。道を挟むように家が立ち、その周囲を簡単な柵が囲んでいる。入口には門番がおり、俺が近づくと、
「止まれ! こんな時間に何の用だ?」
と声を掛けてきた。俺は馬から降りて、
「旅の者です。今日はこの町で一夜の宿を取りたいのですが」
俺の装備を見て、門番は、
「探索者か?」
と聞いて来たので、俺は、
「ええ、そうです」
と答えた。すると、
「ならば、〈探索証〉(クエストパス)を見せろ」
と言ってきた。
「〈探索証〉?」
俺は思わず聞き返した。
「持っていないのか? 探索者なら皆持っているはずだ」
「実は探索者には成り立てでして。これから街に行って〈探索者組合〉に入るつもりです」
と答えると、門番は頷き、
「なるほどな。まぁいいだろう。町の中で問題は起こすなよ」
と言って通してくれた。俺は礼を言って馬を曳きながら町へと入る。どうやら探索者は〈探索証〉というものを持っているようだ。後で詳しい話を聞いてみるか。
まだ宵の口ということもあって、通りは賑やかだった。宿場町らしく宿屋を兼ねた酒場が軒を連ね、屋台からは旨そうな匂いが漂ってくる。俺は通りを歩く人に、
「すいません、この町に探索者が泊まる宿はありますか?」
と尋ねた。話しかけられた人は驚きつつ、
「〈探索者の宿〉(クエスターイン)かい? それならここをもう少し先に行って、左手の建物だ。入口に剣と馬の頭が交差した看板が出ているよ」
と教えてくれた。俺は礼を言って向かうことにする。
教えられた通りの看板を見つけたので、馬の手綱を柱に結び付け、中に入る。
中はいわゆるファンタジー世界の酒場といった感じだ。様々な種族が入り乱れ、あるテーブルでは仲間同士でジョッキを掲げ、またカウンターでは静かに杯を傾ける戦士がいる。俺はテーブルを縫うようにカウンターへと進み、酒場の主人らしき人物に話しかけた。
「すいません。部屋を借りたいんですけど」
「泊まりかい? 生憎と一人部屋は満席でね。相部屋になるけど構わんか?」
磨いていたコップを置いて、問いかける主人に俺は頷き、
「ええ、構いません。お願いします」
「そうか。なら宿帳にサインを頼む。代金は前払いで10ゴルト。夕飯と朝飯は出すぜ」
「分かりました。あと馬がいるのですが」
「裏に厩があるからそこへ回してくれ。飼葉と水は自分でやってくれ。そっちは1ゴルトだ」
俺は頷くと、金貨を用意する。代金を払って、馬を厩に移し、世話を終えて店に戻ると、主人が夕飯を用意してくれていた。
「ほれ、夕飯だ。足りなければ言ってくれ。おかわりは有料になるがね」
「ありがとうございます。いただきます」
主人が用意してくれた夕飯は、じっくり煮込まれたシチューにパン、香草と一緒に焼かれた肉と割と豪勢なものだった。
俺は夕飯を食べながら、主人に色々なことを質問した。この町の名前や周辺の町の名前と位置、危険な場所や仕事の依頼などに関してなど。
「なんだい、新人かい」
「ええ、まだ組合にも登録してないくらいです」
「ド新人かよ。それにしては良い鎧着ているじゃねーか。その割に武器は短剣だけ…〈魔術師〉かい?」
「いえ〈盗賊〉ですよ。武器は、まぁこれから揃えようかと」
「ほう? 荷物の中には剣が見えたが、あれは使っていないのか?」
流石探索者の宿の主人、細かいところを見ているな。
「あれは重すぎて俺には使いこなせないんですよ」
「使えない武器をなんで持ってるんだ?」
言っても大丈夫だろうか? あれは野盗から取り上げた戦利品だと。
俺が躊躇したのを察して、主人は、
「戦利品か何かかい? 一応下取りもしているから、いらないなら後で見せてくれ」
と言ってくれた。俺は頷き、
「分かりました。お願いします。あと、馬を引き取ってくれる場所はありますか?」
「馬なら馬屋を紹介できるが、お前さんは使わないのか?」
「2頭は必要ないですからね。1頭は売りに出そうかと」
俺の言葉に主人は頷く。
「そうか。お前さんの自由だ。馬屋は明日紹介してやるよ」
「お願いします」
戦利品に関しては、明日見てやるよ。主人はそう言って笑う。俺は頷きを返すと、食事を終え、鍵を借りて部屋へと向かう。
やれやれ、ようやく眠ることができる。ゲームの中なのに、これだけ疲労を感じるなんて…。これは賛否両論の評価がありそうだな。
ゲーム評価のレビューがひどいことになりそうだと思いつつ、俺は部屋に入るとベッドに向かい、すぐに眠りについた。鎧を着たままで眠るのは警戒しすぎかもしれないが、初めての町だ。油断しないようにしておこう。
次の日、眠りから覚めた俺は、主人が用意した朝食を済ませると、まずは野盗から奪った武器を下取りに出す。
「造りは悪くはないけど良くもないってとこだな。まぁ相場の半額で引き取るよ」
「お願いします」
こうして武器を処分したあとは、2頭いる馬の1頭を馬屋に売りに行く。どちらを売るか迷ったが、何となく懐いてくれている気がする方を残すことにした。
全ての処理が終わり、俺は宿に戻ると何か仕事がないか尋ねた。
「新人向けの仕事ねぇ…。まずは組合に登録したほうがいいんじゃないか?」
「できればそうしたいところですけど、この町に組合はないんですよね?」
「こんな小さな宿場町に組合はねぇな。もっと大きな街に行かねぇと」
「この辺りで大きい街ってアル=ウルトの街ですよね?」
「そうだなぁ。組合がある大きな街はアル=ウルトだな。馬の脚なら、3日ってところか」
「向こうに行ってもすぐに登録できるとは限らないし、仕事がなければ路頭に迷いますからね。余裕があるうちに少しでも稼いでおかないと…」
俺としては切実だ。なんせ土地勘が全くないのである。聞いた地名や街や村の名前は一つとして知らないものだったし、俺がいた〈陽炎の門〉のことを話したが、聞いたこともないと言われた。どうやら随分と遠くに転移されたようだ。
「そうさなぁ、ないこともないんだが…」
「どんな仕事ですか?」
主人の言葉に俺は食いつく。実際モロ犯罪とかでなければ何でもやる気になっていた。
「実はな、この町から北へ行ったところに森があって、その中に砦があるんだが、そこの隊長から依頼がきている。なにやら砦の地下を探索して欲しいそうだ」
「砦の地下?」
「詳しいことは分からねぇよ。ただ前に依頼を受けて砦に行った戦士がいたんだが、そいつは依頼完了の報告もないまま帰って来なかったんだよ。しかも依頼は取り消されていないから、失敗したんだとは思うんだが…」
なるほど、本当に失敗したのか、そう言う「設定」になっているクエストなのかは分からないけど、新人に対して出されるクエストなら、何とかなりそうだ。
「分かりました。受けてみます」
「そうか? 特に受領証とかはないから、直接尋ねてみてくれ」
後は向こうで聞いてくれ。そう言って笑う主人に挨拶をして、俺は砦へと向かうことにした。いよいよ初クエストである。