43 〈幻夢(VR)〉でも角は割れるもの
「あの二人、救われたのかしら」
「きっと救われているさ。さぁ先を急ごう」
肩の上のスマラの言葉に、俺はそう答えると古樹を後にする。この森を抜けるためのヒントは『妖精の輪』にあるようだ。
沼を後にした俺たちは、再び森に足を踏み入れることになったが、注意して探していくと、道の傍らに『妖精の輪』が見つかることがあった。
『妖精の輪』がある道を辿っていくと、明らかに景色が変化し始めたのだ。俺は意識して『妖精の輪』を探したが、簡単には見つからずに何度も魔物との戦闘を繰り返した。大抵は今まで闘ったことのある魔物や野獣だったが、ワイバーンに襲われた時は焦った。森の中で大型の飛行生物に襲われるとは思っていなかったので、上方への警戒が疎かになっていたのだ。
向こうも自由自在とはいかなかったようだが、こちらも近接武器しかなかったので苦戦したが、何とか倒すことができた。それ以来、上方も警戒するようにしている。だが、戦闘自体よりも重要なのは疲労の蓄積だった。
〈妖精郷〉を呼び出すこともできず、ゴールの見えない中での戦闘は肉体よりも精神的に疲労する。俺はスマラと交代で休憩を取りながら、ゆっくりと、だが確実に歩みを進めていった。
『妖精の輪』を辿りながら森を進んでいると、水の流れる音が聞こえてきた。どうやら近くに川か何かがあるらしい。
「丁度いい。水辺で休憩していくか」
「そうね。そろそろ休みたいわ」
俺の言葉にスマラも同意する。水の音を頼りに進んで行くと、潺の音と共に、轟々という音も聞こえてきた。もしかしたら…。
不意に視界が開けると、そこには幻想的な光景が姿を現した。
小さいながら、清涼な水を湛えた滝が、水飛沫を上げながら流れ落ちている。滝壺から流れ出た水は、小さな渓流となって流れていく。森の中とは明らかに雰囲気が違った。
そして、滝壺ではウンディーネやプレシスが楽しそうに戯れている。だが、俺はそんな精霊たちの営みとは別のことに気を取られていた。
精霊たちの中心に立つ一人の女性に目を奪われていたのだ。
漆黒の肌が、水飛沫を受けてキラキラと輝いていた。腰まで伸びた髪は緑なす黒髪の中に、一条の白髪が混じっている。だが、それさえも黒髪を飾る美しい細工物のようで、女性の美しさを更に際立たせていた。
女性らしい乙張りのある体形は、煽情的といえるものなのに、不思議と性欲を感じさせない。
俺はしばらく見蕩れていると、こちらを向いた女性と目が合ってしまった。女性の視線が俺を捕えるのを受けて、精霊たちが姿を消す。俺は敵意がないことを示すように両手を上げた。
「失礼。声を掛けるのが遅れました。敵意はありません」
『このような所に何故只人がいる?』
女性は訝し気に問いかけてきた。『古代語ね』とスマラが心話で伝えてきた。俺は頷く。
女性は美しい裸体を晒したままだが、そこに羞恥心のようなものはない。普通、異性が目の前にいれば局所を隠すくらいはすると思うんだが。
俺は意識して身体に視線が行かないようにしつつ、
「故あってこの森に足を踏み入れることになりました。脱出する方法を探しているのですが…」
と今度は古代語で答える。女性は僅かに表情を変えたが、
「嘗ての森であればともかく、今の森から出ようとすることは非常に困難だ。空を飛べたとしてもそれは叶わないだろう」
と言う。空を飛べてもダメなのか…。やはりバーゲストを倒すのが確実だな。
「この森のどこかに〈黒妖犬〉がいるという話を聞きました。どこにいるかご存じですか?」
俺の問いに、女性は確かに表情を変えた。しかし、
「詳しい場所は知らぬ。だが、魔女が呼び出すときに用いた『祭壇』がある。そこに行けば会えるかもしれぬ」
と教えてくれた。なるほど、魔女の祭壇か。俺は再度問いかける。
「『祭壇』はどこにあるのでしょうか?」
「口で説明したところで、この森では意味がない。『祭壇』を目指すというのなら、共に行こう」
すると、女性から思わぬ提案が来た。俺は礼を言おうとしたが、
「ただし、条件がある」
デスヨネー。無条件で助けてくれるわけがないか。
「条件とは?」
「今まで〈黒妖犬〉を倒した者は存在しない。挑戦した者悉くが奴の爪牙の前に倒れている。奴の前に立つ資格があるか、我が試してやる。我と闘い、資格ありと示して見せよ」
女性はそう提案してきた。結局闘うのか。シンプルなんだが、こうもう少し捻りがあっても良いと思うんだが…。
俺の心を読んだのか、女性は、
「今の森で必要なことは、何者にも負けぬ強靭な精神と強さ。弱肉強食が理の世界ぞ」
と言ってきた。まぁ〈妖の森〉イベントはハクスラ系だと理解はしているので、分かりやすくて良いと受け止めよう。
「分かりました。この場で闘うのですか?」
「ここは森の水場。水場では一切の闘いは禁じられている。場所を移そう」
やっぱり水場って戦闘禁止なのね。サバンナのオアシスなんかでは肉食動物が草食動物を襲わないとか聞いたことがあったけど、ここもそういった場所なのだろう。あれ、それじゃあ…
「〈黒妖犬〉もここでは争わないのですか?」
「否。〈黒妖犬〉は目に映るもの全てを敵とする。だが、ここに現れることはできぬ。精霊の加護があるからな」
水場を離れ、森へと進みながら女性はそう説明してくれた。なるほど、あの水場も〈古木〉の近く同様、安地ってことなのか。あそこでなら安全に休むことができるかもしれない。後で試してみよう。
女性に後に続いて渓流の際を下流に向かって歩いていく。因みに全裸のままだ。荷物を持っているようにも見えないので、今から向かう場所に置いてあるのだろうか。
先を歩く女性の形の良い尻が揺れる様につい視線を向けつつ( 男の本能だ。仕方がない )、着いた場所はやや開けた草地になっている。
「ここで良いだろう。我が相手をする。全力でこい」
女性の言葉に目を見張る。彼女は素手で闘うつもりなのだろうか?
「貴方は素手で闘うのですか?」
「心配するな。人化を解く」
女性はそう言って目を閉じる。すると彼女の周囲を光が包み込み、包み込んだ光が一瞬強く輝く。
思わず眩しさに目を瞑る。瞼越しに光が弱まったのを感じ、目を開くとそこには女性はおらず、別の存在が姿を現していた。
第一印象としては、デカい。
第二印象としては怖い。
第三印象としては強そう。
俺の目の前に立つのは、一頭の黒馬だった。だがその体格はこの世界で乗用する馬の倍近くある。競走馬というよりも輓馬の様にガッシリとした体格は威圧感バリバリである。
そして太くてゴツい脚。あの脚から繰り出される蹴りを受ければひとたまりもないだろう。
更に俺は、黒馬の額に目を吸い寄せられた。額からは白と黒の螺旋を描く、見事な角が生えているのだ。
黒いユニコーン。
オーラムハロムにおけるユニコーンにどういう種類があるのかは分からないが、クライスが白馬だった為に自動的にユニコーンは白だと思い込んでいた。
『なぁ、〈一角獣〉って黒いのもいるのか?』
『白だけだと思っていたけど…いるのかもしれないわ』
目の前にいるし。俺がスマラに心話で問いかけると、そんな答えが返って来た。
それにしてもプレッシャーが半端ない。今まで感じてきた中では地竜に匹敵する。気を引き締めないと死ぬな。
俺は最初から全力で行くことにする。マントを外して足元に投げ捨てると、〈無限の鞘〉から〈西方の焔〉を引き出す。そしてカタールを構えた。
準備をする俺の姿を見て、黒馬はピクリと耳を動かしたが、どうやら待ってくれているようだ。そんな態度からも黒馬の強さが伝わってくる。
「準備はできたようだな。来い」
黒馬の言葉に俺は頷くと、両手に構えた武器を使い、一気に距離を詰めた。先手必勝。
「ほう、思ったより動きは良い。だがこれはどうかな?」
黒馬は雄叫びを上げた。黒馬を中心に、音が質量を伴ったかのように衝撃がきた。これは〈竜の咆哮〉のようなものか…!
突進した勢いを殺され、吹き飛ばされないようにその場で必死に耐える俺に向かって、黒馬は突進してくる。巻き込まれないようにスマラは慌てて影の中に消えた。
速い!
距離を詰めたとはいえ、黒馬と俺の距離は20メートル近く開いていたのに、一瞬で距離を詰められた。黒馬は額の角で串刺しにしようと突き込んでくる。俺は反撃を諦めて回避に専念する。突き出された角を辛うじて躱すと、次の行動に備えた。
〈慈悲の剣〉で成長した俺の動きで、ようやく対処できる程の速さ。俺の背中に冷たい汗が流れ落ちた。
「ほう、身のこなしは悪くないようだな。だが、躱すだけでは力を示すことにはならないぞ」
黒馬の言葉に、俺は頷くしかなかった。とはいえ、暫くは動きを見極めるために回避に専念するしかない。
俺の考えを読んだかのように、執拗に攻撃を繰り出してくる。そこには一切の容赦が感じられなかった。俺は必死に攻撃を躱していく。体捌きだけでは躱しきれない攻撃を武器で受け流すが、手に受ける衝撃が、威力の高さを物語っていた。
「どうした? 受けるだけでは勝つことなどできないぞ?」
攻撃を繰り出しながら、黒馬は挑発するように話しかけてきた。俺は黙って回避を続けた。
黒馬の攻撃は多彩だった。角を使った突撃が中心だったが、近接時には前後の脚を使った蹴りや踏み潰し、角による突き上げや叩きつけも行って来る。強靭な首に支えられた硬質の角による攻撃は、下手なメイスより遥かに凶悪な鈍器になる。
何より驚いたのが、尻尾による攻撃だった。一見して手触りの良さそうな外見の尻尾が、旋回の動きを以て繰り出されると、鞭のように叩かれるのだ。〈西方の焔〉で切り裂こうとしたが、巻き取られて引き込まれそうになった。慌てて〈西方の焔〉を手放すと、そのまま放り投げられてしまう。仕方なく俺は〈無限の鞘〉からアディオールのカタナを取り出して構えた。〈解除〉の〈戦闘特技〉まで使ってくるとは…。特に尻尾には気を付けないと。尻尾の攻撃だけは武器で受けずに躱そうと、俺は気を引き締める。
体感的には長く、その実1分足らずの間に繰り出された怒涛の攻撃を、何とか耐え切った俺は、ようやく反撃に移る。
今までのやり取りで、黒馬の動きはある程度見極めた。攻撃の後の有るか無しかの僅かな隙に、カウンターで攻撃を加えていく。
俺の動きが変わったことに気付いたのだろう。黒馬の目が僅かに見開かれた。
「ほう、この僅かな間で我が動きについてくるとは…。だが、それだけでは勝ったとは言えぬ」
俺の攻撃を躱すため、攻撃の勢いはやや衰えたが、俺の攻撃も躱され、あるいは角や尻尾で弾かれ、均衡を崩すまでは至らない。俺たちは互いに相手の隙を伺いながら、攻防を交わしていく。
地竜よりも遥かに小さいのに、それ以上に強敵だ。搦め手のない正々堂々とした闘いに、俺は自然と笑みを浮かべていた。
「この状況で笑みを浮かべるか。面白い奴だ。ではそろそろ本気で行くぞ」
拮抗した状況を変えるつもりなのか、そう黒馬に言われて、慌てて表情を引き締める。黒馬は一旦大きく距離を取ると、しっかりと大地を踏みしめるように構えを取る。
すると驚くべきことが起きた。黒馬の額に生えた角が左右に分かれていく。徐々に変化していくのだ。
螺旋を描いていた白黒の角が解かれ、優美な曲線を描く一対の角へと姿を変えたのだ。右に黒角、左に白角を備えた姿は、もはやユニコーンではない。
『嘘! あれってもしかしたら〈双角獣〉?』
スマラが驚きの声を上げる。双角を構えた勇壮な姿は、ユニコーンとは違う美しさがあった。真の姿を現したバイコーンは、その場で大きく嘶きを上げると、双角を中心としてエーテルが凝縮していくのが感じられた。
嫌な予感を覚え、俺はその場から全力で飛び退いた。間一髪、俺がいた場所が業火に包まれ、爆発した。俺は爆風に吹き飛ばされながら、なんとか受け身を取って立ち上がる。これは【火球】の魔法か?
「ほう、良く避けたな。我が真の姿を見た者は極僅か。しかとその目に焼き付けるが良い!」
バイコーンはそう言って鬣を振り翳すと、次々と魔法を繰り出してきた。
俺はカタナを投げ捨てると、〈無限の鞘〉から〈聖者の聖印〉を取り出し、バイコーンに向かって突進する。
【火球】に始まり、【吹雪】や【呪弾】といった攻撃魔法が放たれるが、〈聖者の聖印〉によって打ち消されていく。魔法が打ち消されることに気付いたバイコーンは、攻撃を避けながら驚きの声を上げる。
「なるほど、そのような奥の手を持っていたか。だが、それだけでは勝てぬぞ」
バイコーンはそう言うと、繰り出す魔法を切り替えた。【蛇化】の魔法で落ちている木の枝を蛇に変えて襲わせたり、【軟化】の魔法で地面を柔らかな砂に変えて動きを制限してくる。
俺自身を対象とする魔法であれば打ち消せるのだが、地形や他の物体を対象とする魔法は打ち消すことができない。〈聖者の聖印〉の効果を理解した上で魔法を繰り出すバイコーンに、俺は内心舌を巻く。
しかも、今まで同様近接攻撃も繰り出してくるのだ。魔法と攻撃のコンビネーションは、今までの均衡を崩すには充分な威力を持っていた。
明らかに劣勢となった俺に対し、バイコーンは攻撃の手を緩めることなく襲い掛かってくる。
「どうした? お前の力はそんなものか? それでは到底我に勝つことなどできぬぞ」
攻撃の中での問いに、俺は不敵に笑みを浮かべる。それならこっちだって本気で行くぜ!
『スマラ、【神速】の魔法だ!』
『了解!』
スマラに【神速】の魔法を頼み、俺自身は【付与】の魔法を両手の武器に掛ける。反撃の手を緩めた俺にバイコーンは更に攻勢を強めようとしたが、これまでに倍する速度で反応した俺に対し、慌てて距離を取った。
「何? 魔法を使えるだと…? お前は〈戦士〉ではなかったのか…? まさか〈魔戦士〉…」
「生憎と、俺はそんなエリートじゃない。只の〈盗賊〉さ」
バイコーンは動揺し、自分に対して【神速】の魔法を掛けようとする。その隙を逃さず、俺は一気に距離を詰め、両手に構えた武器を繰り出していく。
今まで掠る程度だった攻撃が、次々と決まっていく。ようやく【神速】の魔法が掛かったのか、バイコーンも反応し始めていたが、【付与】を受けたカタールと〈聖者の聖印〉を受け流すことはできずに傷を増やしていく。
ここにきて初めて満身創痍となったであろうバイコーンは、大きく息を乱している。俺は油断なく武器を構えたまま、
「どうだい? 負けを認めるかい?」
と問いかける。バイコーンは息を整えつつ、
「確かに、お前の力は認めよう。だが、我もまた本気ではなかった。見よ、我が真の力を!」
さっき本気を出すって言ってたじゃないか! 思わずツッコミそうになるが、俺の方も【付与】の魔法を掛け直した。バイコーンは咆哮をあげると、バイコーンの全身をエーテルが包み込む。これは…。
「【倍化】によって高められた我の力はお前を遥かに超える! 我に本気を出させたこと、後悔するがいい!」
こいつ、余裕がなくなってきて、もはや俺を試すとかどうでも良くなってるな…。
段々言動が厨二病臭くなってきているバイコーンに対し、俺は内心ため息をつく。【倍化】は選択した〈能力〉の数値を2倍にする4レベルの魔法だ。非常に強力な効果がある反面、効果時間が切れると強化した時間に比例して、同じ時間だけ強化した〈能力〉が半減するというデメリットがある。使いどころが難しいが、〈能力〉が高ければ高いほど、効果が増すので切り札となることも多い。
バイコーンは4レベルの魔法が使えるようだ。であれば、次の行動は…。
バイコーンは再び咆哮を上げると、その姿が瞬時に消え去る。次の瞬間、バイコーンは俺の背後に姿を現した。
【瞬移】の魔法。
同じく4レベルの魔法で、15メートルという短い距離ながら、瞬時に移動できる転移魔法だ。崖や城壁を超えたり、乱戦から離脱するのにも使える便利な魔法だが、こうやって距離を詰めることにも使える。
だが、来ると分かっている転移であれば怖くはない。俺は冷静にバイコーンが姿を現した瞬間、前方へと駆け出した。そして振り向きざまに魔法を放つ。
「【瞬移】を読んでいた!? まさか…」
「【破呪】」
俺が唱えたのは【破呪】の魔法。これは同レベル以下の魔法一つを打ち消すことができる。本来3レベルの魔法だが、俺はエーテルをより多く使用し、5レベル相当として使用した。対象は【倍化】の魔法。
バイコーンが慎重を期して6レベル以上で【倍化】の魔法を使っていれば効果はなかったが、そんな余裕はなかったらしい。俺の魔法が効果を発揮する手ごたえを感じ、バイコーンが急に弱弱しくなった。バイコーンは驚愕に目を見開き、
「ばかな…。我の【倍化】を解除するだと…。あれだけの力を持ちながら、どれだけの魂力を持つというのだ…」
ぶっちゃけ、SP的にはギリギリなんだが、それをわざわざ教えるような馬鹿な真似はしない。代わりに問いかける。
「さて、もう一度確認しよう。まだ認めないかい?」
俺はそう言いながら、武器を構えた。バイコーンは諦めたのか、ようやく首を垂れる。分かれていた角が再び一つに戻っていった。そして、
「このまま闘えば、間違いなく其方が勝つ。認めよう。我の敗北と其方の力を」
と言った。俺の呼び方が「お前」から「其方」に変わったよ。どうやら本当に認めたらしいので、俺は構えていた武器を降ろす。言を翻して襲い掛かってきても、魔法の反動で〈能力〉( おそらく〈体力〉が低下している )が半減したバイコーンなら、魔法を使わなくても勝てる。怖くはなかった。
「其方の力は示された。其方なら〈黒妖犬〉に勝てるやもしれん」
バイコーンはそう言って、俺の前に歩いてくると、跪いて首を垂れた。
「我に打ち勝った其方を我が主と認めよう。我が背に乗るが良い。共に行こうぞ」
バイコーンはそう言っているが、俺との闘いで傷つき、血を流している背中に跨るのは躊躇する。すると、バイコーンは哀しそうに俺を見つめ、
「どうした? 我の背では不服か?」
と問いかけてきた。俺は首を振り、
「そんな傷ついた身体に乗るのは気が引ける。傷は癒せないのか? 〈一角獣〉には癒しの力があるだろう?」
ユニコーンなら癒しの力を持っているはずだ。だがバイコーンは首を振る。
「生憎と我は〈玄子〉なのでな…。他者の命を吸い取ることはできても、自らを癒すことは出来ぬのだ。それに魂力を使い果たしているのでな。魔法も使えん。我が身の傷なら気にするほどではない。死ぬようなことはない。いずれ治る」
「〈玄子〉?」
聞き慣れない言葉に俺は首を傾げる。するとスマラが、
『〈玄子〉は〈白子〉と対になる存在のことよ。彼女は〈玄子〉だったのね。それで納得したわ。』
なるほど、アルビノに関しては知っていたが、その反対もあるんだな。このバイコーンはユニコーンの突然変異であると。となると命を吸い取るってのは、他者のHPを吸収して、傷を回復することができるってことか?
「他者のHPを吸い取って傷を癒すということか?」
「そうだ。他者の命を喰らって我が身を癒す。他者を癒す〈一角獣〉にあるまじき力よ。〈玄子〉である我に課された業そのものだ」
バイコーンはそう言って跨れと催促するようにグイグイと首を押し付けてくる。俺はバイコーンを宥めながらスマラに、
『スマラ、【回復】は使えるか?』
と聞いてみたが、
『使えるけど、この傷を治すには魂力が足りないわ』
と答えが返ってくる。俺もSPは殆ど残っていないしな…。そこでふと思いつき、〈全贈匣〉を開いて中から〈月光の護り〉を取り出して装備し、
「それなら俺のHPを吸え」
と提案する。バイコーンは目を見開いて、
「何を馬鹿なことを…。それではお主が死んでしまうではないか」
と言うが、俺は説明を続ける。
「死なない程度に吸ってくれればいい。ギリギリまで吸ったら〈月光の護り〉で癒すから」
「〈月光の護り〉?」
「この首飾りさ。これを身に着けて念じると、HPが全快するのさ。俺だって傷を負っているし、お前がHPを吸って回復できるなら、それで回復すればいい。その後で俺が回復すればどっちも回復出来て効率がいい」
因みに、実験を兼ねて〈妖精郷〉で満月の光に当ててみたのだが、問題なく効果が回復した。凄いな〈妖精郷〉。これで極論、3日で1回効果が使えることになる。タイミングよく〈妖精郷〉にいれば、だが。
俺の言葉に、バイコーンは俺を見つめ、
「其方が死ぬまで魄力を吸い取るとは思わないのか?」
と言ってきたが、俺は、
「その時はその時だ。俺が馬鹿だったってことさ。けど、そうならないと信じているけどな」
と返す。バイコーンは呆然としていたが、コクリと頷くと、俺の言葉に従ってバイコーンが念じると、額の角が輝き、俺の身体から何かが吸い取られていくのを感じた。それに従って、バイコーンの傷がみるみる癒えていく。
「なんという、温かい魄力なのだ…」
バイコーンの瞳が潤み、心なしか息が荒くなっている。どれくらい吸うのだろうか? 本気で全部吸われたらどうしよう…。
最悪死んだら蘇生するだけなんだが、どこまで戻されるのか分からないな。沼の樹のところまでか、さっきの滝壺までか…。
そんなことを考えていると、どうやら終わったようだ。吸い出される感覚が唐突に消えた。それと同時に立ち眩みが起きて、その場に膝をつく。スマラが慌てて影から飛び出してきて、
「ちょっと、大丈夫!?」
と聞いてきたので、俺は頷いて〈月光の護り〉を起動する。俺の体内に暖かな力が広がり、瞬く間に傷が癒えた。
「大丈夫だ。ちょっと立ち眩みしただけだよ」
「あんまり無茶しないでよ」
俺の答えにスマラが安堵の息を吐く。するとバイコーンが、
「主のおかげで傷を癒すことができた。命を以て与えられた慈悲は命を以て償うもの。この身が朽ちるまで御身の傍に仕えよう」
と言って頬を摺り寄せてきた。おいおい、いつの間にか呼び名が「主」になってるし…。随分とデレが進んだ気がするが、俺はバイコーンの首を叩き、背に乗ろうとして馬具がないことに気付いた。
「なぁ、馬具がないんだが…」
「そんなものは必要ない。主は跨るだけで良いのだ」
大丈夫か? 振り落とされたりしないよな…。俺は闘いで投げ捨てた武器を回収し、覚悟を決める。
スマラを肩に乗せ、俺はバイコーンの背に跨った。手綱がないので、仕方なく鬣を掴ませてもらう。
俺が跨ったのを確認し、バイコーンは走り始めた。
まるで草原を駆けるかのように、バイコーンは森の中を駆け抜けていく。肩の上でスマラが悲鳴を上げるが、俺たちが乗っているのが嘘に思えるくらい、振り落とすこともなく颯爽と駆けていく。
俺はバイコーンにどこへ向かうのか確認した。
「どこに行くんだ?」
「まずは先ほどの滝に戻る。傷は癒えたが、汗も掻いた。身を清めたい」
バイコーンの言葉に俺も同意する。とはいえ、俺としては沐浴も捨てがたいが、それよりも〈妖精郷〉に行くことができるかどうかの確認のほうが重要だ。滝壺に着いたら確認しよう。
あっという間に滝壺へと戻って来た俺たちは、再び人型を取り、滝壺へとダイブするバイコーンを横目に見ながら、〈妖精郷〉への扉を呼び出す。
予想通り、〈妖精郷〉への扉を呼び出すことができた。ここも安地だったらしい。突然光を放って現れた扉に、バイコーンと戯れていた精霊達が慌てて姿を消した。そして水面の影からこっそりと様子を伺うように顔を出す。
バイコーンも驚いたのか、じっとこちらを見ていた。
「すまない。驚かしてしまったかな。ここなら〈妖精郷〉の扉が呼び出せるかと思って試してみたんだ」
俺の言葉にバイコーンは頷き、周囲の精霊たちに危険はないと伝えているようだ。精霊たちは再び姿を現して、バイコーンの傍で遊び始めた。
「主もこちらで水浴びしないのか? 気持ちいいぞ」
バイコーンは濡れた髪を掻き揚げながらそう提案してきた。俺は肩を竦め、
「お前が終わったら浴びさせてもらうよ」
「何故だ? 共に浴びた方が早く終わるぞ?」
俺の答えにバイコーンは不思議そうな顔をする。すっかり険が取れ、穏やかな雰囲気となったバイコーンは、改めて見ると実に美しかった。
黒曜石のような肌は濡れたことでキラキラと輝き、水面の光を受けて佇む姿は女神のようだった。俺はバイコーンの裸体から目を逸らしつつ、
「なんでわざわざ人型に?」
「このほうが身体を隅々まで洗えて便利なのだ。本来の姿では上手く洗うことができない」
もっとも、この姿だって我の姿であることには変わりないのだが。そう言って微笑むバイコーンを、どうしても女性として意識してしまう。
「今のお前の姿は、俺には刺激が強すぎる」
「ふむ、主は我を『女』として意識ているということか?」
「まぁ、そういうことだ。だから一緒に水浴びをするのは恥ずかしいんだよ」
目を逸らしつつ言った俺の言葉に、バイコーンは笑みを深くして近づいて来た。
「主ほどの『男』に『女』として見られるとは、我も捨てたものではないな。我のことをそんな風に見てくれた者などいなかった」
我は〈玄子〉故に、な…。その言葉に思わずバイコーンを見る。バイコーンは微笑んでいたが、その瞳は別の感情を映していた。それは寂しさ。
〈玄子〉であるが故に、彼女は孤独だったのだろう。その姿も相まって恐れられ、忌避されてきたのかもしれない。
俺は思わずバイコーンを抱き締めていた。バイコーンは嫌がる素振りも見せずに、そっと抱き返してくる。
「ああ、こうして誰かと触れ合うことなど何時ぶりであろうか。遥か遠く、故郷で兄弟たちと過ごして以来か…」
バイコーンの言葉に込められた想いを感じ、俺は抱き締める力を強くした。バイコーンはくすぐったそうに身を捩るが、自分からは離れようとしなかった。
しばらく抱き締めていると、スマラから、
「いつまで抱き合っているわけ? さっさと水浴びして〈妖精郷〉に行かない? 疲れたし、早く休みたいわ」
とツッコミが入った。俺は慌ててバイコーンから離れると、バイコーンは少し名残惜しそうな表情をしたが、すぐに水浴びを再開した。俺も急いで装備を解き、下着姿になって水浴びをする。
精霊の加護を得ているためか、水温は冷たすぎずに非常に心地よい。俺は頭まで一気に水に浸かり、水の流れで汗を流す。精霊たちが悪戯しているのか、身体のあちこちがくすぐったい。特に害はないのでされるがままに放っておいた。
〈妖精郷〉に戻れるなら、風呂に浸かってゆっくりしたかったので、ここではさっと汗を流すだけにする。
スマラは水浴びするつもりがないらしく、岸辺にある岩の上で丸くなっていた。俺が水から上がるとバイコーンは先に水浴びを終えており、黒馬の姿に戻っていた。
「それで、どこへ行くのだ?」
「今からもう一度扉を開いて〈妖精郷〉へ行く。色々な奴がいるが皆俺の仲間だから心配しないでくれ」
「心得た」
バイコーンにそう説明し扉を呼び出すと、バイコーンは俺の前で跪く。乗れ、ということか?
俺が跨ると、バイコーンは立ち上がり、扉へと向かっていく。スマラが慌てて付いて来た。俺たちは扉を潜り〈妖精郷〉へと入る。
 




