39 〈簒奪者〉との遭遇、再び
光に包まれ、あまりの眩しさに眩んだ目が回復すると、そこはショゴスがいた空間ではなく、俺は石造りの通路に立っていた。背後は壁になっており、隠し通路なども見当たらない。俺は通路を進んでいくことにした。
通路に明りはなかったが、俺には《暗視》があるので問題なく歩を進めることができた。やがて通路は鉄で補強された頑丈な両開きの扉へと続いていた。
俺が扉の前に立つと、扉の奥でけたたましくベルが鳴った。すると両開きの扉がゆっくりと開き、中から現れたのは揃いの装備に身を包んだ兵士たちだった。
〈裾兜〉を被り〈鎖帷子〉の上から帝国の紋章ともう一つ別の紋章が描かれた〈上衣〉を着込んでいる。両手に構えた〈薙刀〉をこちらに突き出すようにして警戒している。
「止まれ! この通路から来たということは、〈慈悲の剣〉を抜けてきたのだな? 踏破した者は無罪放免となるが、念のために一応検査をする。大人しくこちらの言うことに従ってもらおうか」
兵士の一人がそう言って槍を構えたまま近づいてくる。こちらとしても敵対するつもりはないので大人しくしていた。
俺は《暗視》があるため不便はないが、この通路は薄暗いためか、確認のために目の前まで近づいてきた。すると、
「待て、その服は…皇家のものだな。ということはアディオール殿か」
兵士はそう言うと、通路の先へと声を掛け、同僚を呼び寄せる。そして、
「なぁ、この方の着ている服、皇家のもので間違いないよな?」
「なに? …間違いない。皇家の上衣だ」
と言葉を交わしていた。俺は事情を説明しようと話しかけようとした。しかし、兵士たちは俺に向かって槍を構えると、
「貴方がアディオール様であるならば、申し訳ありません。貴方がここに来ても決して通すなと命を受けております。抵抗するならば生死は問わぬ、と」
と言って槍を突き付けてきた。俺は思わず身構える。一体どういうことだ?
「おいおい、何お優しいこと言っているんだ。お前は命令をはき違えているぞ」
「〈慈悲の剣〉に戻るなら命令違反じゃない」
「それだと俺たちの手柄にはならないじゃないか。俺たちが受けた命令は『皇家の恥子であるアディオールを誅せよ。決して外へ出すこと罷らぬ』だろうが」
兵士の一人はそう言って槍を突き付けてくる。俺はため息をつきつつ、
「俺はアディオールじゃない、と言ってもダメなんだよな?」
「当たり前だ。俺はそんな嘘を信じるほどお人好しじゃないし、仮にそうだとしても、皇家の人物を詐称するのは不敬罪の中でも最も重い罪の一つだ。発覚した時点で死刑が確定する」
兵士は槍を構えたまま肩を竦める。そして、
「まぁ嘘なのはバレバレだがな。あんたが着ている上衣、皇家を表す装備は、全て皇家の者以外が身に着ければその身を滅ぼす呪いが掛かっていると聞く。その時点であんたはアディオールであるのは確定だ」
兵士の言葉に、俺は思わず目を見開く。慌ててスマラに、
『おい、呪いなんて聞いてないぞ?』
『失礼ね! 私が鑑定した時には呪いなんてなかったわよ』
すると、この装備が偶々呪いが付与されていないのか、皇家の装備を利用されないために流した偽情報なのかもしれないな。
いずれにせよ、俺はアディオールということで扱われるようだ。捕まろうが、戻ろうが、無事に済むとは思えなかった。それに兵士は知らないだろうが、戻ったところで通路は行き止まりなのだ。ここは諦めて突破するしかない。
俺はもう一度ため息をつくと、兵士たちに向かって無造作に踏み出した。
「おい、動くなと言ったろう! 大人しくしろ!」
「馬鹿だなぁ、反抗的な態度を取ったんだ。反抗の意志ありとして殺せばいいん」
兵士の言葉を遮るように俺は一瞬で距離を詰めると、抜きざまのカタールで兵士の首を跳ね飛ばす。
驚きに目を見開いたもう一人の兵士の首も、返す刃で切り裂いた。頸動脈を切り裂かれた兵士はヨロヨロと後退りながら、槍を取り落とすと、震える手で腰から何かを取り出し、口に咥えた。
回復用のポーションかと思ったが、兵士は最後の力を振り絞って行ったのは、取り出した笛を思い切り吹くことだった。
通路に響き渡る笛の音。笛を吹いた兵士はそこで力尽きたのか、その場に頽れる。
思わず俺は舌打ちをする。扉の奥からは複数の足音がこちらに向かってくるのが聞こえてきた。
俺は手早く羽織を脱いで腰鞄に仕舞う。やはり問題なく脱ぐことができた。どうやら呪いは偽情報のようだ。
呪いの内容にもよるが、こういった装備品には、俺ならば装備したら外せなくする呪いを籠める。そうすれば装備を外せないので、言い逃れはできなくなるからだ。
扉の奥からは、新たに兵士が現れた。その数は7人。そのうち6人は先の2名と同じ揃いのチェインアーマーにシミターという装備なのだが、一人だけ装備が異なる者がいる。
黒く染めたローブに身を包み、手には杖を持っている。ローブの上から羽織るマントは、〈魔術師組合〉に所属する証だったか。
深く被ったフードのため、年齢や性別は分からないが、一目で〈魔術師〉と分かる格好に俺は警戒を強める。
兵士たちは目の前の惨状に思わず足を止めるが、相手が俺一人と分かると、隊伍を組んで進んできた。通路は狭く、3人並ぶのが精一杯だ。兵士たちは3人ずつ2列に並ぶと一斉に襲い掛かってくる。
まず3人が攻撃し、後発の3人は負傷などをした場合のバックアップに回る作戦らしい。
兵士たちは良く訓練されているのか、連携して繰り出される攻撃は危なげないものだ。上手く他の兵士の隙をカバーしている。
グレイブとは違い間合いの短いシミターだが、狭い通路には適しているので、簡単には切り崩せなそうだ。
時間は掛かるが、丁寧に捌いていくか。
俺は3人が繰り出す攻撃を両手に構えた剣で捌きながら、兵士たちの連携の僅かな隙を突いて踏み込んだ。
防戦一方の俺に気を良くしていたのだろう、いきなり踏み込んできた俺の動きに兵士たちから動揺が伝わってくる。訓練は積んでいたようだが、実戦は少なかったのかもしれない。
だが、命の取り合いをするこの状況では致命的だ。俺は最も近くにいる隊列中央の兵士のシミターをカタナで弾くと、がら空きになった首筋をカタールで薙ぐ。
ぱっくりと裂かれた喉から大量の血を流し、兵士は仰向けに倒れていく。慌てて左右の兵士が切り掛かってくるが、崩された連携を補うこともないままの単調な攻撃に、思わず苦笑してしまう。
本当に実戦慣れしていないようだ。俺は冷静にシミターの斬撃を躱すと、後に攻撃してきた右の兵士に向かってカタナを振るう。
切り込んできた態勢を戻せぬまま、兵士の首が宙に舞う。
そこでようやく後方の兵士がフォローするために前線に出てくるが、俺はその時に最後方の魔術師が唱える魔法に気付く。
おい、この魔法は…!
魔術師の唱える魔法の正体に気付いた俺は、その場で構えを取り、魔法に抵抗するために、体内のエーテルを活性化させる。
兵士たちは動きを止めた俺に勢いづき、囲い込んで同時に攻撃を加えようと飛び込んできた。
その兵士たちと俺との間の空間を中心に、深紅の光が弾け、爆発した。
〈火球〉の魔法だった。
魔術師はあろうことか、味方である兵士を巻き込んで、範囲魔法である〈火球〉を唱えたのだ。
俺は兵士諸共〈火球〉の炎に包まれた。飛び込んできた時の倍する速度で兵士たちは吹き飛ばされ、通路の壁に叩きつけられると、そのままピクリとも動かなくなる。
俺も吹き飛ばされ、魔術師の方へと転がっていく。そして魔術師へはあと5メートルというところで勢いが落ち、ようやく止まる。
「くくくっ。やはりこのクエストは正解だったね。〈戦士〉向けのクエストだから僕は挑戦したくないけど、勇者といっても所詮は〈戦士〉。今の時期ならほとんどが駆け出しの探索者だ。いくら強力な武器があっても本人が弱いんじゃカモでしかない」
魔術師はそう言ってフードの奥で笑っている。なるほど、こいつはPCか…。
俺は動きを止めたまま様子を伺う。魔術師は倒したと思って油断しているようで、誰に話すともなく独白しながら近づいてきた。
「あいつらは止めろと言うけれど、今のところばれていないんだから構わないじゃないか。それに〈刻の刻御手〉自体は回収すれば自身の強化に繋がるんだし、ゲームなんだから取られるやつが間抜けなんだ」
しかも〈簒奪者〉かよ…。まぁ俺も以前取り上げたこともあったし、人のことは言えないが、積極的に狩ろうというつもりはないので、俺は〈簒奪者〉ではない…と思う。
「プレイヤーはQPの稼ぎも悪くないし、盾にするNPCは随時補充される。後は魔法を使うだけの簡単なお仕事だよ。なぜ止めるのか理解に苦しむね」
魔術師はそう言って俺に近づくと装備を回収しようと手を伸ばしてきた。
今だ!
俺は一息に立ち上がると、カタールを使い俺に向かって伸ばされていた魔術師の手を切り飛ばした。
突然のことに魔術師は呆然としていたが、斬られた腕から噴き出す血と痛みに絶叫を上げる。
「腕が、僕の腕がぁ~!」
痛みに慣れていないのか、その場で転げまわる魔術師を足で踏みつけ抑え込むと、俺は淡々と残る手足をカタナで断ち切っていく。
カタナを振るうたびに悲鳴が上がるが、NPCとはいえ味方を巻き込んで攻撃魔法を打つような相手に慈悲はない。
手足の自由を奪った俺は、痛みに呻く魔術師のフードを取る。そこには見た目は10代後半くらいの美形のエルフの顔があった。
「くそっ、死んだふりかよ卑怯者」
手足の腱を切られ、俺に踏みつけられて身動きの取れない状態から悪態をつく魔術師。俺はそれを無視してカタナでローブを引き裂き、魔術師の装備を確認していく。
「おいっ、何するんだ! 止せ、止めろよ!」
魔術師の抗議には一切耳を貸さず、俺は装備を剥ぎ取っていく。特に〈刻の刻御手〉は持っていた全てを取り上げた。
「ちくしょう、刻御手を知っているってことは〈簒奪者〉かよ! そんなことをして後でどうなるか分かってるんだろうな!」
動かない手足で虚勢を張る魔術師を、感情の籠らない目で見つめ返し、止めを刺そうとカタナを構えた。
「お前の顔は覚えたからな! 待ってろ、復活してすぐに殺してやるからな! 絶対にだ!」
逃げても無駄だ! そう捨て台詞を残した魔術師の首をカタナが切り裂くと、口から血と共にしばらく言葉にならない声を発していたが、命が尽きたのかガクリと首が仰け反った。その後、魔術師は光の粒子となって消え去る。
俺は取り上げた装備を手早く腰鞄に仕舞うと、魔術師が復活してくるのを警戒した。
だが、予想に反して魔術師は現れない。待ち伏せをしているのだろうか?
『来ないわね』
『ああ。扉の先で待ち伏せているのかもな』
スマラに心話で答えると、俺はカタナを〈無限の鞘〉に納め、代わりに〈聖者の聖印〉を取り出す。
魔法に対する対策を準備し、俺は慎重に扉へと近づいていく。扉の影から手鏡を使い奥の様子を伺うと、そこには誰もいない。
俺はそのままゆっくりと歩を進める。扉を抜けた先には頑丈そうな鉄格子があったが、今は開いている。
鉄格子を潜って先へ進むと、兵士たちが待機する場所であろう部屋に出た。他の部屋に続くであろう扉が複数あり、中央にはテーブルが置かれている。テーブルの上には先ほどまで楽しんでいたのかカードや酒、干し肉などが散らばっており、彼らの平時の様子が偲ばれた。
どこに魔術師が潜んでいるのか分からないので、俺は一通り確認をしていく。〈火球〉を使ったということは、魔術師は最低でも3レベル以上だ。〈隠蔽〉の魔法を使って潜んでいる可能性も十分にある。
警戒しながら探索した結果、魔術師の姿はなかった。不意打ちの危険がひとまずないことに俺は安堵の息を吐く。
ここは砦のような場所のようだった。見張り台を兼ねた屋上に上って周囲を確認したが、帝都からはかなり離れた場所に建てられているようで、リィアに念話を送ってみても反応がなかった。
『随分帝都から離れた場所みたいだが、帝都に行くにはどっちに向かえば良いのかな?』
『私に分かるわけないでしょう。とりあえず街道があるみたいだから、どっちかに進めば宿場町くらいあるんじゃない?』
影から姿を現し、俺の肩の上で周囲を見回すスマラと心話を交わし、俺たちはとりあえずここを離れることにする。砦の中に戻ると、倉庫から当座必要になりそうな物を集めていく。武器や防具もあったのでゴブリン達に渡そうかと思ったが、魔術師の追撃を考えると悠長に過ごす時間はないと考え、諦める。
砦から外に出て厩舎へと向かうと、兵士たちが使っていたであろう馬が繋がれている。
どの程度の期間で兵員の補充がされるのか分からないので、俺は繋いである綱を解き、馬たちを自由にしてやった。そして選んだ馬に馬具を装備し、背に跨る。訓練されているのだろう、見知らぬ俺が跨っても暴れたりはしなかった。
〈慈悲の剣〉の中でどれくらいの距離を進んだのか分からないので、方向を決める根拠はない。俺は街道をどちらに進むか考える。
街道には目印らしきものはなく、判断のしようがなかったので、俺は適当に選んだ方向に馬を進ませる。
こういう時、〈絶対方角〉を持っていたらなぁ、と考えてしまう。もっとも〈妖精郷〉だって非常に有用な〈才能〉だ。取得したことに後悔はない。
俺は旅人や宿場町に出会えることを祈りつつ、馬を走らせた。
街道を進んでしばらくすると、なだらかな丘陵地帯だった景色が段々と変化してきた。木々が増え、その密度がどんどん増していく。
気が付くと街道の周囲は木々に囲まれていた。鬱蒼と生い茂る森の中を貫く街道を先へと進んでいく。
太陽は中天に差し掛かっているはずだが、薄暗い森の中までは光も届かず、時間の感覚が狂ってしまう。
変化に乏しい森の中を進んでいくと、不意に開けた場所へと辿り着いた。そこは宿場町だったようで、街道の周囲の森を切り開いた場所に10軒足らずの家屋が並んでいた。
俺は安堵の息を吐くと、馬を諾足で進ませる。街道沿いにある建物の中から宿屋兼酒場らしき店を見つけると、入り口脇に用意されている水場に手綱を結ぶと、扉を開けて中に入った。
中に入るとそこは典型的な酒場だった。時間が半端だったのか店内に客は少なく、食事を採っている商人らしき一団と、カードゲームに興じる探索者らしきグループがいるだけだった。
俺はカウンターに向かい、店の主人であろう、カウンター内でコップを整理する男に話しかけた。
「すいません、まずは1杯頂けますか?」
「探索者か? 何が飲みたい?」
「それじゃエールを1杯。それと表に馬を停めているのですが」
「厩舎は裏にある。そっちへ回してくれ」
主人の言葉に頷くと、俺は一度表に出て馬の手綱を取ると、裏手へと連れていく。馬は素直に歩いて厩舎へと向かってくれる。
厩舎へ行くと、使用人らしき男が働いていたので、要件を伝えて手綱を預ける。
使用人に引かれて馬が厩舎に入っていく。本当に良く訓練された馬だ。俺はそれを見届けると、店の中へと戻っていく。
店に戻ると、カウンターにはすでにジョッキが用意されていた。俺は主人に礼を言って支払いを済ませると、木のジョッキに注がれたエールを一気に飲み乾す。
「おお、いい吞みっぷりだな! もう1杯どうだ?」
「頂きます」
主人の勧めに俺は頷いて、新たに注がれたエールを受け取る。今度は味わうようにゆっくりと飲む。《毒無効》があるため、ほろ酔いにすらならないのだが。
『私も呑みたい』
スマラが影の中から催促してくる。俺は頷いてスマラの分の酒を注文する。
主人に連れ合いの猫に食事をさせても構わないかと確認を取ると、他の客の迷惑にならないなら構わないと許可してくれた。
スマラに出てくるように心話で伝えると、影から飛び出したスマラはカウンターに飛び乗ると、ジョッキを器用に前足で支えながらエールを飲む。
いきなりエールを呑み出したスマラに主人は目を丸くしたが、不意に笑いだす。
「いや、エールを呑む猫なんて初めてだよ。噂に聞く〈猫の街〉なら珍しくもないんだろうが」
「〈猫の街〉?」
「ああ。南の大陸にあるって言われる街さ。そこでは猫が人と同じように大事に扱われていて、街の住人と同じくらい猫が住んでいるらしい」
『アル=ウルトの街ね』
スマラが心話で教えてくれた。へぇ、アル=ウルトの街って〈猫の街〉って呼ばれているのか。いつか訪ねてみたい。
「それにしても一人旅とは珍しいな。探索者は普通一団を組むものだと思っていたが」
「事情があって、今は別行動をしているんですよ。仲間は帝都にいるんです。と、そういえば聞きたかったんですが、帝都へはどうやって行けば良いんでしょう?」
「なんだい、帝都から来たんじゃないのか?」
「いえね、とある理由で帝都にある〈迷宮〉を探索することになったんですが、その出口が帝都から離れた場所にあったらしくて、出た所はまったく見覚えがない場所だったんですよ。そこでとりあえず街道沿いに進めば人に出会うか街に着くかと思って道なりにここまで来たという次第です」
「なるほどな。事情は分かった。帝都に行くにはここを出て街道を東に向かって進んでいけば良い。馬の足なら2日ってところだ」
主人の答えに俺は頷く。結構な距離を進んだんだな。まぁ街道は真っ直ぐに整備されているわけじゃないし、地下とはいえほぼ直線的に進んできた俺達としては長く感じるのかもしれない。
「街道を無視して真っ直ぐに進めばもう少し早くなりますか?」
「そりゃあ街道を無視すれば早いさ。街道は森を迂回するように敷かれているんだ。だが正気か? 真っ直ぐに進むってことは〈妖の森〉を抜けるってことだぞ。馬鹿な真似は止めておくんだな」
「〈妖の森〉?」
俺の問いに主人は頷き、
「ああ。見ての通りこの街道は森の中に作られているが、それでも可能な限り外縁を通るように敷かれている。理由は色々あるが、最大の理由は森が危険だってことだ」
主人はそこまで言って喉の渇きを覚えたのかコップを手に取る。俺は金貨を取り出し、
「奢りますよ」
「良いのか? 済まないな」
俺が金貨を渡すと、主人は嬉しそうにコップにエールを注いだ。それを呑んで一息つくと、
「なぜ森が危険なのか? この森は人を惑わす。浅いところなら問題はないが、深いところに行くと方向感覚が乱されるらしい。コンパスも役に立たない。それに魔物も数多く棲んでいる。特にやばいのが〈黒妖犬〉だな」
「〈黒妖犬〉?」
再度俺が問いかけると、主人は頷いて、
「ああ。昔、森の中に住んでいた魔女がいたんだが、ある時近くの村で疫病が蔓延してな。それが魔女の仕業だといって村人が領主に嘆願して、派遣された兵士と共に魔女狩りをしたんだよ。魔女は捕えられて火炙りにされたんだが、その時に呪いの言葉を口にした。『汝らに呪いあれ! 我が望みを聞き届けよ! 暗黒の力よ、幾層もの世界に潜み、魂を食らうものよ! 常闇の女神マイグノラよ! 母なるシブ=ニググラトフよ! 我が願いを聞き届けたまえ!』とな」
主人はそこまで言ってエールの残りを飲み干した。俺はもう1枚金貨を取り出したが、主人は首を振り、
「さすがに2杯は呑み過ぎだ。仕事中なんでな。それで話の続きだが、魔女の末期の呪いによって姿を現したのが〈黒妖犬〉だったのさ。そいつは身の毛も弥立つ声を上げたかと思うと、恐怖に怯える村人たちを食い殺していった。足が竦んだ者はいうまでもなく、運良く逃げ出すことができた者も、いつの間にか逃げた先に回り込まれて殺されたそうだ。結局生き残りは一人もなく、事態を重く見た領主は付近一帯への立ち入りを禁じた。以来森に足を踏み入れる者はなく、時折聞こえる〈黒妖犬〉の咆哮に怯えながら暮らしている」
それでいつしか〈妖の森〉と呼ばれることになったのさ。主人はそう言って話を締めくくった。
主人が用意してくれた2杯目のエールを呑みつつ、俺は話を聞いていた。なるほど、これはクエストというよりは、エリアに固定湧きする強敵モンスターといったものだろう。
設定上、たとえ村人と兵士とはいえ、集団を1体で殲滅するのだから、かなりの強さを持っていることになる。
現実世界でもそうだが、数というのは純粋に強さに繋がる。もちろん、状況によって判断は変わるが、よくあるゾンビ系アクションゲームなどで感じることはないだろうか?
強力な武器を持っていても、ゾンビの数が多すぎて殲滅速度が間に合わずに殺される、といった状況だ。
前回ゴブリンに襲われた時、俺はこのことを痛感した。1対1では絶対に負けない相手であっても、それが10体、20体と同時に戦えば手数や勢いで負けてしまうこともある、ということを。
その後は食事を採りながら主人と雑談を交わし、そろそろ寝ようかというときになって、それは現れた。
扉を開いて姿を現したのは、紋章の描かれた揃いの革鎧を着た2人の兵士だった。彼らの一人が口を開く。
「裏手の厩舎にいる馬の持ち主は誰だ? 少々話を聞きたい」
兵士の言葉に俺とスマラは顔を見合わせる。これはミスったかな…。
「どうした? いないのか? この場にいないのなら部屋を改めさせてもらうぞ」
店に迷惑をかけるのは忍びない。俺はカウンターの上に宿代より少し多めの金貨を置き、立ち上がると、
「厩舎にいるのは俺が乗ってきた馬だ。何の用だ?」
「お前か。聞きたいことがある。一緒に来てもらおうか」
兵士の一人が俺の後ろに回り、とっとと歩けと促してくる。俺は大人しく従うと、前を歩く兵士の後に続いて店を出る。去り際に主人と目が合うと、心配そうにしていたが、俺はそれに目礼し、スマラと共に店を後にした。




