―閑話― 幻夢(VR)で鬼が笑う
もう何度目かも分からない、頬に伝わる感触に我は自分が大地に倒れているのを感じた。慌てて立ち上がろうとするが、頭を打ち付けたのか、身体がいうことを聞かない。
我が立ち上がろうともがいている間にも、周囲では闘いが続いていた。我の横を、同じように吹き飛ばされたのか、ホブゴブリンが宙を舞い、大地へと叩きつけられる。立ち上がろうとしているのか、倒れたままもがいているが、立つことができないでいる。
既にゴブリン達は倒れたまま起き上がることができない。我は歯を食いしばって立ち上がり、震える手を伸ばし、大剣を構えた。
目の前では、愛騎の狼に跨ったゴブリンライダー達が、三人掛かりで交互にヒット&アウェイを繰り返していが、見事な連携を掻い潜って繰り出された一撃をまともに喰らい、狼ごと吹き飛ばされている。
これほどの攻撃を繰り出す相手を、あの方は一人で倒したというのか…。一体、どれだけの修練を重ねているのだろう。三人掛かりでも抑えることができなかった存在に、次々と攻撃を受けて吹き飛ばされていくゴブリンライダーの影を利用して繰り出した攻撃は、しかし、あっさりと受け止められてしまう。我が全力で打ち込んだ一撃は、〈水霊亀〉の背を覆う甲羅に弾かれてしまった。
何という硬度!
もはや驚きを通り越して称讃しかできなかった我は、甲羅の表面を使って巧みに受け流され、そのままの流れで繰り出された反撃を受け、再び大地へと転がされた。
『止め! ここまでです!』
闘いの様子を見ていたテフヌト殿が、闘いの終わりを告げられる。我は何とか身体を起こしつつ、
「有難うございました」
t頭を下げた。〈水霊亀〉は頷くと、
『お主たちの闘志は中々のものだな。我に対しここまで食らいついて来る〈緑子鬼〉なぞ初めてだ。力もある』
と言って微笑んでいる。結局、一度も斃すことができなかった悔しさに染まる心が、〈水霊亀〉の誉め言葉で上塗りされていくことで喜びに変わる。
我ながら単純だとは思うが、四聖とも呼ばれる上位精霊からの誉め言葉が、嬉しくないはずがなかった。
「四聖殿に褒められるのは嬉しいのですが、戦士としては悔しくもありますな」
我の言葉に、〈水霊亀〉は楽しそうに笑った。我もつられて笑みを浮かべる。
我、ガデュスは主であるヴァイナス殿から命じられた通り、精霊達と訓練を行っていた。ヴァイナス殿はかつての我らの主、ヴァララウコのモリーアン殿を唯一人で打倒し、我らに武威を示したことで、我らの主となった方だ。
我らも主殿の所領であるここ、〈妖精郷〉に滞在しつつ、日々訓練を重ねているが、主殿は外界で探索に従事され、その過程で養われ、練り上げられた闘力は、上位精霊全員を相手にして、互角以上に対するまでになっている。
モリーアンとの闘いより、更に高められた闘力を見て、我は感嘆のため息を吐いたものだ。一体、どれだけの試練を乗り越えてこられたのだろうか…。
「よし、次は他の精霊達も交えてやってみましょう。ガデュス達も部隊を二つに分けてください」
「畏まりました」
テフヌト殿の指示に、我は答えると共に周囲の部下たちを叱咤し、闘いの準備を取らせる。周囲には他の上位精霊が姿を現した。〈誓約者〉である主殿の影響を受けて、以前よりも力を増した上位精霊たちが、やる気を漲らせて、闘いが始まるのを待ち構えている。
彼らとの共同訓練も、我らにとってかけがえのないものになっている。彼らの繰り出す多種多様な攻撃は、我らだけでは行うことのできない訓練として、我らに平時では得ることのできない経験を与えてくれている。
「テフヌト、僕は?」
「テフヌト、私は?」
「そうですね、今回は見学です。この戦いが終わったら、その結果を踏まえてどっちに入ってもらうか決めましょう」
テフヌト殿の言葉に、クライス殿とエメロード殿は頷いている。〈幻想種〉であるクライス殿はユニコーン、エメロード殿はエメラルドドラゴンだ。種として強い力を持つ二人は、未だ幼体であるために、まだまだ未熟であるそうだが、我らにとっては充分脅威となる力を持っている。
彼らもまた、我らの良き訓練相手である。幼体故か気まぐれに参加することが多いが、種族が異なる彼らの闘い方は、我らにとっても貴重な経験となる。時に味方として、時に敵として相対する中で、只のゴブリンでは経験することのできないであろう、多種多様な訓練を行うことができている。
戦神ヌトスを奉じる我らにとって、闘いとは喜びであり、神へと捧げる祈りでもある。モリーアンの元で他のゴブリン達と日々闘いに明け暮れた時とは異なる、だがそれ以上に充実した日々に、我は人知れず笑みを浮かべる。
「どうしました? 嬉しそうですね」
テフヌト殿の問いに、我は思わず口に手を当てる。少々気恥ずかしかったが、悪い気分ではない。
「御意。我は今、これ以上なく幸福を感じておりますぞ」
これから、我らの進む先に、どのような戦いが待っているのだろうか。以前では考えることもなかった『未来』に、我は思いを馳せる。主殿と共に進めば、きっと素晴らしいものになるに違いない。
我は一際大きく雄叫びを上げると、訓練と言う名の闘いの舞台を開幕するべく、大剣を振り上げた。




