35 ここは幻夢(VR)だ、いい湯だな
「あら、ここを訪れる人が来るなんて、いつぶりかしら」
青い光を浴びて微笑む美女は、そう言うと、ゆっくりと立ち上がった。湯煙の中に立つ姿は、光を反射する濡れた髪や、見事なプロポーションの肢体と合わさり、神話の中の女神のようだった。
羞恥心を感じさせない堂々とした態度に、逆に俺の方が恥ずかしくなり、視線を逸らした。
だが、警戒は解いていない。
こんなダンジョンの中で、人間の女性が沐浴なんてしているわけがない。
俺はこちらに向かってゆっくり歩いてくる美女を警戒するようにマントの下でカタールを構えた。
「そんなに身構えなくても、別に襲う気なんてないわ。久しぶりの勇者の来訪なのだから」
勇者?
俺は勇者の試練を乗り越えたのか? 俺は構えを解いた。もっとも、油断しても良いことはないので、カタールはいつでも抜けるように準備しておく。
「ここは勇者の泉。この〈迷宮〉における癒しの間よ。ここまでの試練を乗り越えた勇者を癒すための場所よ。ここで英気を養い、更なる試練に挑むことになるの」
美女はそう言って微笑んだ。
なるほど。安全地帯といったところか。確かにドラゴンを相手にして無傷で済むことなんかないし、このダンジョンの本来の目的である「勇者の選定」を考えれば、こういった救護策があってもおかしくはない。
想定されている試練が、およそ街中にあるとは思えないハードモードなだけで、その生還率の低さから、俺が放り込まれたように本来の目的とは違う用途――罪人の処刑場――として使われるようになったのだろう。
ミノスの迷宮に捧げられた生贄のように、ここを訪れた罪人の大半は、ミノタウロスならぬドラゴンに殺されたわけだ。
そして、竜を退ける力をもった「勇者」は、ここで英気を養い、次の試練へと向かうということか。
「なるほど。貴方はこの温泉の番人ということですか?」
俺の質問に、美女は微笑みながら、
「番人なんて無粋な者ではないわ。私はここの管理者であり、勇者を世話する者でもあるわ。言葉遣いも普段通りで良いわよ」
まぁ、ヴァーンニクだから、気に入った温泉さえあればどこでもいいんだけどね。美女はそう言って肩を竦めた。
肩の動きに合わせて揺れる双丘に、思わず視線が行ってしまうのは男の性だ。
浴槽の精霊
スラヴ神話に語られる、風呂場やサウナ、温泉などを守る存在だ。入浴を邪魔する者には、熱湯を浴びせたり、首を締められたりして殺されると言われているが、その姿からとても想像できない。
『どう思う?』
『確かに彼女は精霊よ。とりあえずは信じてもいいんじゃないしら』
俺はスマラに心話で尋ねると、あっさりと返される。
まぁ確かに、彼女の言を信用するならば、特に危険はないのだろう。それにゲーム内とはいえ、1週間以上入っていない風呂、しかも温泉に入れるチャンスを逃すのはもったいな過ぎる。
これが致死の罠だったとしても、悔いはなかった。
「それじゃあ、折角だから入らせてもらおうかな」
「分かったわ。それにしても、随分とみすぼらしい格好をしているのね。武器や鎧は立派なのに」
「不本意ながら、探索に次ぐ探索で洗濯もままならなくてね。竜との戦いで服が破れてしまったから、やむを得ず着ていた服を着直したんだ」
「なかなか大変な生き方をしているのね。まぁいいわ。とりあえず服を脱いで。ゆっくりしていくと良いわ」
ヴァーンニクの言葉に従い、俺は防具を外して腰鞄に仕舞うと、服を脱いだ。カタールは念のため、服の上に置いていつでも装備できるようにしておく。
「服を脱いだら、そこに座りなさい。まずは身体を洗わないと。その状態で泉に浸かるなんて許せないわ」
ヴァーンニクはそう言うと、どこからともなく取り出した石鹸を泡立て始めた。俺はとりあえず言われたままに、指示された場所に座った。
「それと、影の中に潜んでいるのは感心できないわね。勇者に恥をかかせたくなければ、大人しく出てきなさい」
ヴァーンニクの言葉に、慌ててスマラは姿を現す。
「ほら、貴方もしっかりと汚れを落としなさい。猫だからって汚れたままで入らせはしないわよ」
俺は促されるままに、渡された小さな水瓶でお湯を掬い、頭からかぶった。スマラにも湯を汲んでかけてやる。
すると、背後から頭を掴まれ、洗われた。
ヴァーンニクの石鹸は特別製なのか、俺の垢や汚れがみるみる落ちて行く。石鹸に薬草でも混ぜているのか、良い匂いがした。
床に座る俺の頭を、背後からヴァーンニクが膝立ちになって洗っているため、首筋に柔らかいものが触れる度、俺のデリケートな部分が反応しそうになる。落ち着け俺。
気を紛らわせようと、俺はヴァーンニクから石鹸をもらい、スマラを洗ってやることにした。両手で石鹸を泡立て、そのままわしわしと洗う。
スマラもかなり汚れていたのだろう。黒い毛並みで目立たなかったのだが、泡と共に汚れが流れ落ちる。気持ちいいのか、スマラは黙ってされるがままになっている。
小さなスマラは先に洗い終わると、さっさと温泉へと飛び込んで行った。
「ああ、温泉なんて久しぶり! 気持ちいい…」
水が苦手な印象のある猫とは正反対のスマラが、気持ちよさそうに浮かんでいた。
さて、俺も身体を洗って湯に浸かろう、そう思って石鹸を手に取ろうとした瞬間、背中に感じた感触に思わず声を上げる。
ヴァーンニクが、今度は背中を洗ってくれているのだ。石鹸に包まれた彼女の手が、背中を撫でる感触の気持ち良さといったらなかった。
俺はあまりの気持ち良さに大きく息を吐いた。ヴァーンニクは、そのまま腕を取り、丁寧に洗ってくれる。
成長し、親と風呂に入らなくなってからこっち、他人に身体を洗ってもらう経験などなかったのだが、ロゼに洗ってもらった時よりも気持ちが良いとは思わなかった。
されるがままに身体を洗われ( 尻やらナニやら隅々まで洗われたのは流石に恥ずかしかった。もうお婿に行けない )、最後に泡をお湯で流されると、探索を始めてから一番の解放感に包まれていた。
探索生活で忘れていた、人としての生活の幸せを感じていた。
俺はいよいよ温泉に浸かる。少し熱めの湯にゆっくりと入り、肩までしっかりと浸かる。全身を包む心地よさを、俺は目を閉じてじっくりと味わった。
極楽だ。
ここはVRの世界だということを忘れてしまいそうな気持ち良さに、オーラムハロムのリアルさにはつくづく驚かされる。
もっとも、不具合によって現実世界に帰還できない現状を、許せるものではなかったのだが。
俺は湯に浸かりながら、今回の事を思い返していた。
おそらく、現実世界では大問題になっているのではないだろうか。オーラムハロムの全プレイヤーが俺と同じ状況に陥っているとすれば、いかに世界的大企業とはいえ、損害賠償だけで倒産する可能性がある。
もちろん、一部のAGSが不良品であり、僅かな人数だけが巻き込まれている可能性も高い。その場合、問題の発覚が遅れる可能性も充分にあった。
最悪の場合、下手をすると不具合は発覚すらしていない可能性もあった。なぜなら通報するべき人間(ロゼやゼファーも含めて)はオーラムハロム(ここ)にいて、現実世界への連絡手段が手元にないのだから。
今はとにかく、ズォン=カの都にある〈探索者組合〉に行き、そこにいるであろう、GMなり運営のスタッフなりに不具合を伝えて、現実世界に帰還しなければならない。
もしくは〈陽炎の門〉から帰還するか。いずれにせよ、不具合に関しての報告は不可欠だが。
そのためにも、このダンジョンを攻略しなければ。
俺はこれからのことを確認すると、改めてゆっくりと湯の中に身を沈め、温泉を満喫することにした。
そこで、俺は思い出し、湯から上がると〈全贈匣〉から〈小さな魔法筒〉を取り出し、ヴァーンニクに聞いてみる。
「なぁ、ユニコーンも温泉に入れてやりたいんだけど、構わないか?」
「綺麗に身体を洗ってくれれば構わないわよ」
ヴァーンニクの了承を受け、俺は筒からユニコーンを呼び出した。久しぶりに外に出たユニコーンは、周囲を見回すと、俺を見つけて嬉しそうにすり寄ってくる。俺は鬣を撫でてやると、古代語で話しかけた。
「出してやれなくてすまなかったな」
「ううん、大丈夫だよ。中ではずっと眠っていたし」
俺が古代語を話したことに驚いたようだが、すぐに答えが返ってきた。俺はもう一度鬣を撫でると、これから温泉に入るから、身体を洗うことを伝える。ユニコーンは嬉しそうに頷いた。
「あら、仔ユニコーンなんて初めて見たわ。可愛いわね」
ヴァーンニクはそう言って石鹸を泡立て始めた。いきなり登場したヴァーンニクにユニコーンは驚いたようだったが、俺に湯を掛けられ、ヴァーンニクが優しく洗い始めると、目を閉じて気持ちよさそうにしていた。
身体を洗い終わったユニコーンが温泉に入ると、俺はもう一度〈全贈匣〉を開き、中から卵を取り出した。様子を確認しておきたかったのだ。
「あら、それは?」
「〈地竜〉の卵だ」
「へぇ、初めて見るわ。…ってそれ、もうすぐ生まれるんじゃない?」
ヴァーンニクは目を細めると、中を見透かすかのようにし、そう言ってきた。
確かに、俺の手に伝わる鼓動が、さっきよりも強くなっている気がする。
ここで生まれるのか?
俺が動揺していると、ヴァーンニクは肩を竦め、
「せっかくだし、生まれるのを見届けたいわね。温泉に浸かっていれば、生まれるのも早くなるでしょう」
一緒に入りなさい。そう言ってヴァーンニクに促された俺は、卵を胸に抱きつつ、温泉へと浸かるのだった。
スマラやユニコーンと共にしばらく温泉に浸かっていると、腕の中の卵が揺れ出した。どうやら生まれるようだ。
俺は湯船から上がると、床に座り込んで胡坐をかき、卵が倒れないように支えると、様子を見守った。
背後からはユニコーンやスマラ、ヴァーンニクも様子を窺っている。
卵が大きく揺れ、罅が入り始めた。罅は徐々に大きくなり、ついに殻が中から割られると、最初に覗いたのは鼻先だった。そして殻が割られていくにつれ、顔が見えてくると、つぶらな瞳が俺を捕えた。俺も思わず見つめてしまう。
竜の赤ちゃんは、俺を見ると小さく鳴き声を上げた。そのあまりの可愛さに、手伝いそうになるのをぐっと堪える。
卵から産まれる生物は誕生する時に、自力で殻を割り出てこないといけない。そうしないと生きていける力がないと判断され、淘汰されてしまう。これは最初の試練なのだ。
俺は必死に殻を割って出てこようとする仔竜をじっと見守る。スマラ達も、気が付くと卵を囲んで見守っていた。
やがて、力を振り絞った仔竜は、殻を割り切り、外へと姿を現した。力を使い切ったのだろう、その場でぐったりとする仔竜をそっと抱え上げると、俺は温泉へと向かい、胸に抱いたまま湯船に浸かる。当然、仔竜の顔が湯の中に沈まないように注意しながら。
仔竜は湯船に浸かりながら、気持ちよさそうに眠っている。
「どうやら、無事に生まれたようね」
ヴァーンニクが仔竜を覗き込みながら微笑んでいる。
スマラとユニコーンも無事に生まれたことを喜んでいるようだ。
俺はゲームの世界とはいえ、生命の誕生に立ち会えたことに感動していた。
この世界を作った製作者には本当に驚かされる。不具合で閉じ込められていることには文句を言いたいが、こんなイベントまで用意しているなんて、どれだけの費用と労力をかけているのか想像もつかなかった。
ヴァーンニクやスマラ、ユニコーンの表情や態度だって、とてもプログラムされた存在とは思えなかった。
近年のAIの進歩は破竹の勢いとはいえ、他のゲームではここまで現実と違和感のないイベントは存在しなかった。
胸の中で眠る仔竜から伝わる鼓動と温泉とは違った温もりが、作り物であるとは到底思えなかった。
ここはもう一つの現実なのかもしれない。
今までに何度もそう思い、昔見た映画の中にあった、『今まで生活していた世界が実はVRだった』、そんなことを思い出し、苦笑する。
流石に現実とVRの区別はできている。感情移入は大事だが、そこは弁えておかないと。すやすやと眠る仔竜を抱きながら、俺はVRの温泉に浸かり、束の間の休息を楽しんだ。
たっぷりと時間をかけて温泉を堪能した俺は、目を覚ました仔竜を降し、湯から上がると、装備を身に着けようとして、身体から傷が消えていることに気が付いた。どうやら、この温泉には癒しの効果があるようだ。
傷が癒えたことに感謝しつつ、改めて装備を手に取り、薄汚れてしまった服を見て考える。島の探索から直接このダンジョンに放り込まれたので、替えの服は使い切ってしまっていた。
服はともかく下着を着回すのは、せっかく温泉で綺麗になった今としては抵抗があった。
「ヴァーンニク、不躾なんだけど、下着とか服とかってないかな?」
「私たちは服を着る習慣がないもの。ここにはそんなものはないわ」
やっぱりか。もしかしたら勇者用に用意しているかもと期待したのだけど。
仕方がない。俺は諦めて汚れた服を身に着けようとした。すると、
「服はないけど、布ならあったような」
ヴァーンニクはそう言って、温泉の奥へと入って行き、しばらくして戻ってきた。手には何かを持っている。
「はい。何の布かは分からないけれど、ないよりはましでしょう?」
ヴァーンニクが渡してきたのは、2mくらいの薄手の布だった。温泉の湯気で湿っていたが、手触りは良いし、何より清潔そうだった。
「もらって良いのかい?」
「ここにあっても誰も使わないわ」
俺は礼を言って布を受け取る。さて、どうしたものか。
俺は見よう見まねで、褌のように身に着けてみた。腰をぐるりと回して股の間を通し、前で折り込んで固定する。
以外にフィットしたことに驚きつつ、動いて外れないかどうか確認してみる。どうやら大丈夫なようだ。
「ありがとう。助かったよ」
「礼なんていらないわ。ここにあっても役に立たない物だし」
ヴァーンニクに礼を言って、服を身に着け、他の装備も身に着けた。そして、ユニコーンと仔竜を見て、考える。さて、どうしたものか。
「〈小さな魔法筒〉は一つしかないが、どうするべきかな」
「流石にこの仔を連れて歩くのは危険すぎない? クライスたちは〈妖精郷〉で待っててもらったら?」
クライス?
俺が不思議そうな顔をすると、スマラが呆れた声で、
「ユニコーンの名前よ。なに、知らなかったの?」
初耳だ。そういや、名前で呼んだことはなかった気がする。
「クライス、構わないか?」
「分からないけど、ヴァイナスが決めたことに従うよ」
俺の言葉に、クライスは頷いて答えた。良く見ると、身体が一回り大きくなっていた。体高が俺と変わらないくらいになって、額の角も長くなっている。
「お前、なんか育ってないか?」
「僕たちユニコーンは、普通の生物とは違って、きっかけがあることで成長するんだ。それには法則性があるわけじゃなくて、個体ごとに違うんだけどね」
なるほど、ユニコーンは成長方法も不思議な存在らしい。流石ゲーム。
「ちなみに、ユニコーンに限らず、ほとんどの〈幻想種〉はそういった感じだから」
横から補足するスマラの言葉に、それだと仔竜もきっかけがあれば成長するのだろうか? と思い、疑問を口にする。
「この仔もきっかけで成長するのか?」
「多分。まぁ、ある程度の大きさまでは普通に成長すると思うわよ。生育速度は分からないけど」
私もドラゴンを育てたことはないし。スマラはそう言って首を振り、ヴァーンニクとクライスも首を振る。まぁ、なるようになるだろう。
そこで、俺はこの仔竜に名前をつけてやることにした。せっかく生まれたのだ。愛情を持って育ててやりたい。
俺は見上げてくる仔竜を見ながら気が付いた。その背中に小さな羽根が生えていることに。
「なぁ、この仔羽根が生えているんだが…」
俺の言葉にスマラがきょとんとして、
「そりゃドラゴンだもの羽根くらい生えてるでしょう?」
「いや、この仔は〈地竜〉の仔だよな?」
俺の疑問にヴァーンニクが答えた。
「竜に限らず強大で長命な幻想種は、そもそもが『個』としての存在を重視されるの。雌雄はあってないようなもので、その気になれば個体のみで子孫を残すこともできるわ。それは人のように種の保存として子孫を残すのではなく、個として次の存在へと変化するために生まれて来るの」
ヴァーンニクの言葉は正直信じ難いものだった。俺の様子を見たスマラが補足してくる。
「この仔がその証拠。〈地竜〉から生まれた竜が〈地竜〉であるとは限らない。特に個体から生まれる場合はね。むしろ同じ竜であることの方が珍しいくらいよ。今は生まれたばかりだから体色が定まってないけど、もう少ししたら鱗の色がはっきりするわ。普通の生物とは成り立ちが違うのよ」
それが竜ってものなの。と言うスマラの言葉に、俺はそういうものなんだととりあえず納得する。
仔竜はしばらく温泉の淵で寝そべっていたが、やがて活発に動き始めた。それと共に薄桃色だった体色が徐々にはっきりしてくる。
洞窟の青い光では分かりにくかったが、《暗視》を持つ俺の目には日の光の下にあるようにはっきりと見える。
それは一見母親(?)の〈地竜〉と同じ緑色に見えたが、それよりも透き通っているように見える。何より羽根の生えた〈地竜〉は存在しないはずだ。
「この仔は〈緑竜〉になるのかな?」
「〈緑竜〉は〈地竜〉の別名よ。この仔は多分…〈翠竜〉ね」
俺の呟きをヴァーンニクが訂正してきた。
〈翠竜〉
この世界の竜は様々な種類が存在するが、〈水竜〉や〈翼竜〉と言った「亜竜」ではない竜に関しては、その鱗の色で呼ばれることが一般的だ。
まず色で呼ばれるものが〈赤竜〉〈青竜〉〈黄竜〉〈緑竜〉〈白竜〉〈黒竜〉〈紫竜〉。
これらの竜は例えば緑竜が〈地竜〉と呼ばれるようにブレスの種類や属性で呼ばれることもある。知性の高さはまちまちで、個体によっては魔法を使うものも存在するらしい。
次に金属色に対応したものが〈金竜〉〈銀竜〉〈銅竜〉〈青銅竜〉〈白金竜〉。
この竜たちは総じて知性が高く、ほぼ全ての個体が魔法を使う。当然ブレスも使ってくるので強力な存在だ。
そして宝石の名を冠するもの。〈真珠竜〉〈翠竜〉〈蒼竜〉〈紅竜〉〈金剛竜〉〈玻璃竜〉といった竜達は、魔法を使うことは当然として、他の竜にはない特殊な能力を持っている。総じて能力も高く、竜王と呼ばれるものの多くが宝石竜から出現するそうだ。
また相似の存在として〈龍〉があるが、こちらはモンスターではなく神やその眷属になるらしく、出会うことは稀だという。
「この仔の名前はエメ。エメロードだ」
俺はそう言って仔竜の頭を撫でた。すると、エメは嬉しそうに声を上げると、俺の手に額を擦りつけてくる。どうやら気に入ってくれたようだ。
そのあどけない姿を見ながら、俺の心には蟠りもあった。俺はエメの母親を倒している。エメに対して、その引け目と言うか罪悪感のようなものを感じているのだ。
俺はエメの頭を撫でながら、皆に相談した。
皆の答えはあっさりとしたものだった。異口同音に「気にすることはない」と言うのだ。
「さっきも言ったけど、竜は『個』としての存在よ。生み出す役目を担うのが成竜の役目なだけ。そして、この仔の卵があの場に存在し、貴方に拾われたのは何かの『因果』や『運命』によって必然だった、そういうこと」
ヴァーンニクの説明の後半は、はっきり言って良く分からなかった。俺がいまいち分かっていないのを見て、スマラが、
「そもそも、弱肉強食の世界において、殺されて恨んだり、殺した相手に同情するなんてことはない。それは生存競争なんだから。そんな感傷を持つのは人だけよ。この仔だって共にありたいと思うから、ここにいるの」
そうじゃなかったら、とっとと牙を向いて襲い掛かるか、逃げ出しているわ。スマラはそう言って鼻を鳴らす。
「僕たちは敵意に対して敏感です。敵意を持った相手は本能で分かるんです。逆に敵意や悪意、害意を持たずに接してくる存在に対しては、素直に接しますよ」
クライスもそう言って頷いている。
つまり、気にしているのは俺一人だけで、皆は(エメも含め)気にしていないということなのか。そしてエメは一緒にいたいからここにいると。
すぐには割り切れないだろう。だが、気にしていても仕方がないということは分かった。俺はもう一度エメを撫で、レベルアップで新たに覚えたドラゴン語で話しかける。
「俺はお前の母親を殺したんだ。それでも付いてくるのかい?」
「うん」
エメは頷く。すごい、生まれてすぐに言葉を理解している。流石ドラゴン。
俺はクライスとエメに〈妖精郷〉の説明をし、そこで待つようにお願いした。二人は疑問を持つことなく頷く。クライスといい、エメといい、この信頼が重い。いかにゲームのシステムに則っているとはいえ、心情的にはくるものがある。
彼らの信頼に答えるためにも、必ずこの試練はクリアしてみせる。
俺は決意を新たにすると、改めて準備を整え始めた。
「それじゃあ幸運を祈っているわ」
そう言って微笑むヴァーンニクに見送られ、俺達は温泉を後にする。
あの後クライスたちを〈妖精郷〉に連れて行ったのだが、ヴァーンニクも一緒に付いて来たのだ。そして〈妖精郷〉を気に入ったヴァーンニクもテフヌトと同様〈召喚環〉を設置することになった。
彼女はこれからもこの温泉を見守り、そして次の勇者が現れるのを待つのが役目だということだったが、待つ間何もせずに無聊をかこつことは存外に苦痛であるらしかった。
そこで〈召喚環〉の設置となったのだが、場所は家の地下2階。ここには備え付けの風呂があるのだが、そこを管理してくれるそうだ。
今のような犯罪者処理施設として利用されている間は、彼女の元に辿り着くものが現れることはほとんどないだろう。俺は〈召喚環〉がヴァーンニクの気晴らしになるといいなと思いつつ、ヴァーンニクに手を振り、先へと続く通路へと向かって行った。
 




