29 幻夢(VR)でも料理には愛情?
宿へと戻った俺は、温泉に入るというヴィオーラたちと別れ、早速料理をすることにした。
カウンターへ行き、店の主人に厨房の一角を借りられるようにお願いする。
主人は不思議そうな顔をしたが、使用料として結構な金額を払うと、仕込みの邪魔をするなよと言って貸してくれた。
俺は礼を言って、厨房へと進む。この世界で料理をするのは〈海竜号〉の時以来だから、久しぶりだ。
俺は自前の道具を取り出すと、料理を始める。まずは適当に切った野菜やサイズを合わせて切った肉の切れ端、牛や鶏のガラを煮込んでベースになるスープを作る。
今回はあまり煮込み時間を取れないが、代わりに出来上がりから1日寝かせたものを登録する予定だ。
その間に、買ってきた香辛料を使ってスパイスを作る。粉末状に加工してから記憶に従って配合していく。ここが一番手間が掛かるのだが、大事な部分なので丁寧に行う。
こうしてスパイスが出来上がったら、まずは玉ねぎを細かくみじん切りにした後、鍋で焦がさないように注意しながら、飴色になるまで炒めていく。こうして炒めた玉ねぎは一度取り出し、今度は具材となる肉や野菜を準備し、火が通るまで炒めていく。炒め終えた具材に作っておいたスープを入れ、灰汁を取りながら煮込んでいく。
煮込んでいる間に、ルゥを作っていく。小麦粉をバターで炒め、そこにスパイスを混ぜてルゥを作ると、煮込んでいた鍋に入れ、味を見ながら塩を加えていき、弱火で煮込んでいく。
それと同時に、もう一品別のものを調理していく。肉はひき肉に、野菜はみじん切りにして炒めた後、潰したトマトとスープを少し加えて煮込む。そこにスパイスを入れて塩を加えながら味を調えていく。
今度は米を炊く。炊飯器なんてないから、鍋を使って炊くわけだが、竈はガスコンロと違って火が一定ではないため、結構大変だ。マジックアイテムのコンロなんかは火力が一定に保てるらしいから、いつかは手に入れたい。
一時期アウトドアに嵌ったことがあって、その時に薪を使って飯盒炊爨をやっていたから、火加減等はなんとかなるだろう。それにこの世界の俺の身体は、現実世界のものに比べて遥かに能力が高い。火加減の整え方は遥かに上手くできている。
火加減を調節しながら炊きあがるのを待つ。その間に小麦粉を練って作った生地を大きめの平鍋で焼いていく。焼きあがったものを籐籠に盛り付け、今度は炊きあがった米を確認する。
うむ、ちゃんと炊きあがっている。一口食べてみると、コメの甘みが口に広がり、久しぶりの米の味に涙が出そうになった。
炊きあがった米を皿に盛ると、俺は〈饗宴の食卓掛〉を取り出し、その上に皿と籐籠を乗せ、登録用の合言葉を唱えた。食卓掛が一瞬光を放つと、皿と籐籠は消えていた。これで登録は完了した。後は明日鍋のものを登録すれば完了だ。
ふと周囲を見渡すと、宿の料理人達が不思議そうにこちらを見ていた。見たこともない料理に興味を惹かれているようなので、俺は鍋の様子を確認し、出来上がったことを確認すると、
「味見してみますか?」
と聞いてみた。盛んに頷く料理人達に苦笑しながら、俺は出来上がったばかりの「カレー」を皿に盛ったライスにかけ、完成した「カレーライス」を料理人達に食べてもらう。試食用に木匙を渡すと、アレな感じの見た目に怯んでいたが、食欲をそそる香りに負けたのか、匙で掬って口に運ぶ。
「これは、美味しい」
一口食べた後、料理人達は先を争うように試食用の皿へと木匙を向けた。あっという間に食べつくした料理人達は、作り方を教えてくれとせがんだ。
これから夕食の時間帯ということで酒場が忙しくなるし、俺も作ったカレーを食べたかったので、食事を終えてから教えることで話をつけた。試しに焼いたナンをキーマカレーと共に試食用として提供する。途端に群がる料理人達。仕事しろよ。
ある程度の失敗を見越して食材は大目に仕入れていたから、教えるのに問題はない。俺はベースとなるスープを煮込んでもらうことにし、一度部屋へと戻ることにした。
部屋に戻ると、ヴィオーラとスマラが寛いでいた。料理に結構な時間がかかっていたはずなのに、ヴィオーラから石鹸のいい香りが漂ってきた。どうやらついさっきまで温泉に入っていたようだ。
「お帰りなさい。料理はできたの?」
「ああ、冷めてもなんだから、すぐに食事にしようと思うんだが」
「いいわよ。じっくり温泉は堪能したし、貴方の故郷の料理も楽しみだわ」
「何を作ったの?」
「カレー」
スマラの質問に、俺は端的に答えた。
「カレー!? ビーフ? チキン? ポーク? マトン? もしかしてシーフード!?」
俺の答えにスマラが異常に食いついてきた。っていうかこいつカレーが好きなのか? 猫なのに。
「チキンカレーと、キーマカレーを作ったよ」
「素敵! オーラムハロムでカレーが食べられるとは思わなかったわ。早く食べましょう!」
スマラは俺の肩に飛び乗ると、早く行こうと尻尾で盛んに頭を叩いてくる。
「盛り付けて準備ができたら持っていくから、ちょっと待ってて」
俺は二人にそう伝えると、厨房へと戻って料理を盛り付けるために厨房へと戻る。
酒場で席について待つ二人と別れ(スマラたちは早速酒を頼んでいた。手伝えとは言えず少し寂しい)て厨房に戻ると、料理人達が忙しそうに料理をしているところだった。
夕方ということもあって、酒場には多くの客が訪れていた。彼らも本分は忘れていなかったらしく、調理に盛り付けにと目まぐるしく動いている。
俺は厨房の隅へと移動すると、カレーを温め直し、チキンカレーを小鍋に移し、キーマカレーは深めの小皿によそっていく。
すると、料理人の一人が忙しい合間を縫ってサラダを用意してくれた。新鮮な野菜に刻んだベーコンと削ったチーズをかけた豪華なサラダだ。
「さっきの料理の礼だ。旨かった。後で作り方を教えてくれ」
料理人に対し俺が笑顔で頷くと、料理人も笑顔を返してくる。どうやらカレーが相当気に入ったらしい。
思わぬ副菜に俺は嬉しくなり、食卓掛を用意すると、合言葉を唱えてサラダを登録する。ドレッシングは後で別口に登録しよう。そのほうが味にバラエティができるし。
俺は出来上がった料理をトレイに乗せ、運んでいく。テーブルではスマラとヴィオーラが酒を飲みつつ寛いでいた。
「お待たせ」
「あら、言ってくれれば運ぶの手伝ったのに」
3人分の食事をトレイに乗せて運ぶ俺の姿を見て、ヴィオーラがそんなことを言いながらトレイを受け取った。それを早く言えよ! と思ったが、今日は俺の我儘で料理しているのでぐっと我慢する。
「とりあえず、口に合えばいいけど」
代わりにお決まりの文句を口にしながら料理を並べていく。チキンカレーは小鍋に入れてあり、好きな分量をかけてもらうことにした。最後に食卓掛を準備し、登録したライスとナン、サラダを呼び出して準備完了だ。
「それでは、いただきます」
俺は挨拶を終えると、まずは見本としてライスにカレーをかける。お洒落に半円状にかけるよりも、俺はライスが隠れるくらいにかけるのが好みだ。
「スマラはどれくらいかける?」
「たっぷりがいい! 肉多めでね!」
スマラの希望を聞くと、俺はスマラ用の小皿に盛られたライスにカレーをかけてやる。ナンは小さく千切って皿に盛ってあげる。
「ヴィオは少しかけてみて、その後で好きな分量をかけてみて」
「分かったわ」
俺の説明にヴィオーラは頷くと、ライスの上に少しだけカレーをかけ、一匙掬って口に運ぶ。味わうように目を瞑って咀嚼すると、一つ頷いて目を開き、俺を見てニコリと微笑んだ。
「初めて食べる味だけど、とても美味しいわ!」
「それはよかった」
ヴィオーラの感想に俺も笑顔で答えると、改めて自分のカレーを食べ始める。
ああ、この味だ…。
料理をしながら味見はしていたが、試食は料理人達に勧めてしまったので、カレーライスとして食べるのはこれが初めてだ。
オーラムハロムに来てから体感時間で半年近くが経ち、こちらでの生活にも慣れてきていたが、こちらにない日本の料理を食べると、不意に望郷の念が強くなった。
現実世界に戻りたい。
カレーを味わいつつも、俺は切に願った。オーラムハロムは素晴らしいゲームだが、俺にとってはやはりゲームなのだ。娯楽である。娯楽であるなら何の気概もなく楽しめる環境であってほしい。今のような状況は、楽しくないといえば嘘になるが、娯楽ではない。
「どうしたの? 美味しくなかった?」
カレーを食べたまま感慨にふける俺に、ヴィオーラが声をかけてきた。俺はその声にハッとすると、
「いや、ちょっと故郷のことを思い出してね。カレーは美味しくできているよ。我ながら良く出来ている」
と言ってニコリと笑った。ヴィオーラも微笑むと、今度はナンカレーに挑戦するようだ。スマラが器用にナンを両前足に持ってキーマカレーにつけ、口に運ぶのを見て自分でも見様見真似でナンを千切り、カレーをつけて食べている。
「こっちのほうが辛いのね…。でもこれはこれで美味しい」
どうやら気に入ってくれたようだ。俺は考えるのをやめ、自分でも料理を味わうことにした。考えたところですぐに状況が変わるわけでもないし、遺跡を探索すれば〈陽炎の門〉があるかもしれないのだから。
キーマカレーにナンをつけて食べる。これも辛さが効いていて旨い。見るとヴィオーラがキーマカレーを匙で掬ってライスにかけている。と思うとチキンカレーを少量皿に移すとナンをつけて食べていた。
なるほど、食べ比べているわけか。カレーと主食の組み合わせを入れ替えて試しているらしい。ヴィオーラは何度か頷くと、
「これ、かけるソースを変えても普通に美味しいわね。パンにも合うかしら?」
「パンの中にカレーを入れて揚げ焼きにした〈カレーパン〉って料理もあるから、合うと思うよ」
ヴィオーラの笑顔の質問に、俺も笑顔で答えた。カレーパンはパンを焼く前からやらないといけないので、今日は時間がない。
ヴィオーラは気になってしまったらしく、給仕を呼ぶとパンを頼んでいる。食べきれるのか? まぁ、パンは余ったら明日に回せばいいし、何とかなるか。
俺はカレーを食べながらどの組み合わせが最も美味しいか意見を交わすスマラとヴィオーラを見ながら、食事を続けるのだった。
食事のあと、料理人達にカレーの作り方を教えた俺は、温泉に入って疲れを癒しながら〈極光の宴〉からワインを注ぎ月見酒を楽しんだ。そして部屋に戻ると、すでに寝入っていたヴィオーラを起こさないようにそっとベッドに潜り込むと、眠りについた。
次の日(案の定抱き着いていたヴィオーラの脇腹をくすぐって起こすと)、一晩寝かせたカレーがどうなっているかを確認するため、厨房に向かう。
厨房は朝食を用意する料理人達が忙しそうに働いていた。俺は挨拶を交わすと、竈に火を入れてカレーを温めていく。温まったところで杓子を使って味を見る。
うむ、一晩寝かせて味の馴染んだカレーはより一層美味しくなっていた。俺は両方のカレーを用意していた中サイズの銀製の壺(口が広くスープなどを入れて食卓で使うもの)に入れると、食卓掛を取り出して登録する。
その後は料理に使う分を残して料理人達に提供した。俺が教えるために作ったカレーは、あの後特別料理として酒場で提供したらしい。香辛料をふんだんに使った料理として結構な金額にしたそうだが、大好評であっという間に完売したらしい。俺が買った米があまり多くはなかったので、ナンで提供したそうだが、どちらのカレーにも合うとのことで問題なかったそうだ。
これは俺たちの賄いにする! とホクホク顔で料理に戻る料理人達を眺めながら、俺は取り分けたキーマカレーを煮詰めている間に、パン生地を練っていく。出来上がったパン生地を寝かせている間に、カレーを提供した代わりに煮詰めている鍋の火の番を料理人にお願いすると、朝食を取るためにスマラたちを呼びに部屋へと戻った。
部屋に戻るとスマラたちはいなかった。どうやら温泉に行ったらしい。朝風呂とは贅沢な。俺はいそいそと風呂に入る準備を整えると、温泉へと向かう。
朝からふやけきっている二人に合流すると、俺も温泉を堪能した。今日からは船での生活になるのため、いつ温泉に入れるか分からないので、じっくりと堪能する。
温泉を楽しんだ俺たちは、酒場に行って朝食を取り、出発の準備をスマラたちに任せると、厨房へ行って料理の確認をする。
パン生地の具合も良く、カレーも適度に水分が飛んでいい感じになっている。俺は手際よく小分けにしたパン生地の中にカレーを入れて丸く形を整えていく。
この時にカレーに干しブドウを混ぜておいた。以前老舗のレストランで食べたものに入っていたのが美味しかったので真似してみたのだ。そして、パン粉をつけると用意した油で揚げていった。きつね色になるまで揚げると、焼き網の上に移して油をきっていく。
しばらくして油が切れたパンを木の葉で小分けに包んでいく。こうして出来上がった〈カレーパン〉を食卓掛に登録すると、昼食用に取り分けた分を腰鞄に仕舞い、余った分を料理人達に提供する。
喜ぶ料理人達に挨拶をして厨房を後にする。部屋に戻ると、準備を終えたスマラたちが待っていた。
「準備は終わってるわ」
「ありがとう。それじゃ行こうか」
俺たちは最後のチェックを済ませると、部屋を後にする。いよいよ遺跡の探索だ。俺は希望と不安の入り混じった複雑な気持ちを抱えつつ、港へと向かった。




