24 幻夢(VR)で初体験は続く
扉をノックする音で目を覚ます。
眠り足りずにボーっとする頭を振りながら、扉越しに確認する。
「どちらさま?」
「私だ。開けてくれ」
声の主はアーチャーだ。俺は上体を起こすと、足元で眠っていたスマラを踏まないように気を付けながら、扉へと進む。
扉を開けると、アーチャーが立っていた。
「五戦全勝おめでとう。イーマン様から招待状を預かって来た。明日、城に来て欲しいそうだ」
時間は中に書いてある。アーチャーはそう言って封蝋が施された羊皮紙を渡してくる。俺が受け取ると、
「それじゃ確かに渡したよ。遅れないようにな」
と言って去って行った。俺は首から掛けた刻御手で時間を確認する。試合から3時間ほど眠っていたようだ。もう一度寝直すのもなんだったので、渡された羊皮紙を確認してみる。
内容は、明日の夜行われる晩餐に招待するとのことだった。私的なもので、参加者はイーマンだけのようだ。断りたいところだが、下手に気分を害すとまたトラブルになりそうだ。諦めて行くことにする。
とりあえず着替えて飯でも食べに行くか。俺は鎧を脱いで着替えると、スマラを起こして街へと繰り出そうとする。と、その前に賭札の換金を忘れていたので、訓練施設へ行き、ヴィオーラに声を掛けると、丁度仕事が終わるところだったらしく、一緒に賭け場へと向かう。
「配当金です。おめでとうございます」
受付嬢から配当金を受け取り、〈長者の蔵〉へと流し込む。ヴィオーラに頼んでいた配当金も納め、礼金を渡すと、
「これから祝杯を揚げに行くんだけど、一緒にどう?」
とヴィオーラにも声を掛けてみた。ヴィオーラは頷き、
「そうね。せっかくのお祝いだし、参加するわ」
着替えて来るから、闘場の前で待ち合わせましょう。ヴィオーラはそう言って家へと向かう。俺とスマラは本格的に増えた金で、何を買おうか相談しながらヴィオーラを待った。
着替えを終えて合流したヴィオーラを見て、俺は目を瞠る。
仕事中のヴィオーラしか見たことがなかったのだが、仕事着とは違う華やかな色合いのワンピースを着て、普段は降ろしている髪をアップに纏めて、派手ではないがしっかりと化粧をしたヴィオーラは、一瞬誰だか分からなかったくらい綺麗だった。
「待たせたわね。…どうかした?」
「い、いや何でもない。それじゃ行こうか。俺、この街は詳しくないから、どこか旨い店知ってるかい?」
予算は気にしないで、と言うと、ヴィオーラは頷き、
「それなら、とっておきの店があるわよ。案内するわ」
支払いは覚悟しておきなさい。ヴィオーラはそう言って歩き出す。俺はスマラと共にヴィオーラを追った。
案内されたのは、街の中央にある立派な建物だった。長い年月を感じさせる外観は、一目で分かるほどの風格を感じた。
「ここよ。アル=アシの街で一番の老舗の餐館で、味も値段も一流と評判なの」
私も入るのは初めてよ。ヴィオーラはそう言って俺の腕に、そっと腕を絡めてきた。そういえば、映画で見る晩餐会とかって、男性が女性をエスコートするんだっけ。
こういった店はそういうのも必要なのか? というかドレスコードとか大丈夫なのだろうか…。
そんな疑問を持ちつつ、ヴィオーラにむしろエスコートされながら、店内へと入って行く。玄関を潜ると、すぐにパリッとした制服を着こなした給仕が優雅にお辞儀をして迎えてくれる。
「いらっしゃいませ。3名様でのご来店でよろしいでしょうか?」
「あ、はい。3名様です」
にこやかにスマラまで数に入れての接客に、思わず変な回答をしてしまう。
「畏まりました。こちらへどうぞ」
音も立てずに歩く給仕の後に続いて案内されていく。店内は【魔光】の魔法による青い光に包まれ、幻想的な雰囲気が漂っていた。テーブルごとの明かりには蝋燭が使われ、店内の青さと蝋燭の赤さのコントラストがより一層雰囲気を醸し出していた。
「こちらのお席でよろしいでしょうか?」
案内されたのは、店内でもやや奥まった場所にある席だった。比較的ゆったりとしたスペースがあり、周囲に気を遣わなくても問題なさそうで安心した。
俺が無言で頷くと、給仕はまずヴィオーラのために椅子を引き、次いでスマラのために、最後に俺のために椅子を引く。
猫に対してすらレディファストとは恐るべし…。
優雅な仕草でメニューを開き、ヴィオーラに渡す給仕は、
「後程お伺いに参ります」
と言ってお辞儀をし、立ち去ろうとする。そこに、
「あの、今日のお勧めはありますか? 一応祝いの席なんですけど」
と聞いてみた。ぶっちゃけ、こんな店入ったことないし、マナーとかルールとか知りません。
おれの不躾な質問にも眉一つ動かすことなく、給仕はにこやかに頷き、
「お祝いと言うことですと、本日はアル=ウルト産の林檎酒をご用意しております」
「じゃあそれで」
「畏まりました」
お辞儀をして下がる給仕に、チップとして金貨を渡す。流れるような動作でチップを仕舞い、再び足音も立てずに去って行く。俺はほっと息を吐くと、テーブルに突っ伏したい気持ちを必死に抑えつつ、口元を押さえて笑っているヴィオーラに、
「恥ずかしながら、こんな高級な店に入ったことなんてなくてね」
と言って肩を竦める。ヴィオーラは微笑みながら、
「それにしては手馴れているように見えたわよ。ウェイターに謝礼として金貨を渡すなんて、初めて見たわ」
と言った。見様見真似の付け焼刃も良いところだが、とりあえず形にはなっていたようで安心する。
「それで何を頼もうか?」
「あら、貴方のお祝いでしょ? 貴方が好きなものを頼めば良いわ」
『そうよ、好きなものを頼みなさい』
二人から言われて、俺はメニューを開き、何を注文しようかと選び始めた。
こういう時は無難にコースメニューを頼もうとしたが、スマラが食べにくそうだと思い、取り分けて食べられるように大皿料理を数点とスープ、バゲットなどを選んだ。それ以外にも二人が食べたい物を選んでもらいつつ、運ばれてきた林檎酒を注いでくれる給仕に料理を注文する。
そしてまずは何より乾杯だ、ということで俺はグラスを掲げると、
「それでは、闘場での勝利と自由に」
「乾杯」
『乾杯!』
前足で器用にグラスを掲げるスマラに驚きながらも、ヴィオーラはグラスを掲げて乾杯してくれた。俺も微笑んでグラスを傾ける。
旨い!
一口飲んだだけで、この酒が高価であろうことが感じられた。
林檎酒特有の酸味がまろやかで、発泡している酒特有の、炭酸の刺激が口の中で弾けた。後味に残る甘さも、決してくどくなくすっきりと消えていく。
後でもう1本頼もうと思いつつ、2杯目を注ごうとして、慌てて〈全贈匣〉から〈極光の宴〉を取り出し、ゴブレットを外して林檎酒を注ぎ入れた。これは登録に値する味だ!
「ちょっと、持ち帰るとかマナー違反よ」
「ああ、違う違う。美味しかったから、お気に入りの杯で呑みたかったんだ。持って帰るわけじゃないよ」
料理が来たら、もう1本頼むつもりだし。そう言って笑うと、ヴィオーラも納得したらしく、
「私にももらえる?」
「喜んで」
そう言って差し出されたグラスに、林檎酒を注ぐ。
『私も!』
と言ってスマラが小皿を出すので注いでやる。
「あら、この子お酒飲むの? 猫なのに変わってるわね」
「ああ、俺の使い魔みたいなものだからな。ちょっと変わってるのさ」
『失礼ね』
俺はスマラを宥めるように背中を撫でてやる。スマラは『誤魔化されないわよ』と言いつつも、気持ちよさそうに目を細めている。
そうこうしているうちに、料理が運ばれてきた。次々に並ぶ料理はどれも旨そうだ。俺が料理を小皿に取り分けようとするのを給仕が制す。
「お取り分けいたします」
給仕はそう言って、料理を取り分けてくれる。俺は大人しくゴブレットに注がれた酒をゆっくりと味わっていた。
「どうぞお召し上がり下さい」
「ありがとう」
俺は礼を言い、追加で林檎酒を頼むと、料理を頂くことにする。
適当に頼んだ料理なのに、バランスよく皿に盛りつけられた様子は、こういう料理なんだと言われてもおかしくないくらい綺麗に盛り付けられている。
崩すのがもったいないが、せっかくなので冷めないうちに頂こう。俺はナイフとフォークを使い、料理を口に運ぶ。
旨い!
なんかさっきからこれしか言ってない気がするが、とにかく旨い。素材も上質なものを使っているのは当然としても、味付けも見事だ。様々なスパイスやハーブが使われているが、どれもが喧嘩せずに調和が取れている。
ヴィオーラも目を丸くしていたが、一心に料理を口に運んでいる。スマラは言わずもがなだ。
俺達は喋ることも忘れ、ひたすらに料理を食べていた。そして、全ての料理が無くなると、誰とはなしに大きく息を吐く。
いつの間にか届いていた林檎酒を開け、それぞれに注ぐと、ようやく落ち着いた。
「美味しかったわ…。さすが街一番のお店だけある」
こんなに美味しいもの、生まれて初めて食べたわ。ヴィオーラはそう言ってグラスを傾ける。スマラも満足したのか、椅子に戻って毛繕いをしている。
「こういった食事は歓談しながら食べるものなんでしょうけど、夢中で食べてしまったわね」
ごめんなさい、と謝るヴィオーラに、俺は首を振り、
「俺も必死に食べていたし、これからデザートでも頼もうと思うから、ゆっくり食べながら話せばいいさ」
と言って微笑む。ヴィオーラも微笑んで、
「そうね。改めて、闘場での勝利おめでとう」
「ありがとう」
ヴィオーラの言葉に礼を返し、杯を交わす。
「それで、これからどうするの?」
「とりあえず、明日イーマンから報酬を受け取る予定だけど、その後は探索に戻るだろうな」
「探索?」
「ああ。俺は〈探索者〉だからね。あるものを探す探索の途中で、紆余曲折あって闘場で戦う羽目になったんだけどね」
ヴィオーラの質問に俺は答える。ヴィオーラは頷いて、
「なるほどね。何を探しているのか、聞いても良いかしら?」
「構わないよ。〈陽炎の門〉というものを探しているんだ」
「〈陽炎の門〉…」
「もしかして、知ってる?」
俺の話を聞いて考える素振りを見せたヴィオーラに、俺は思わず身を乗り出してしまう。ヴィオーラは慌てて、
「ゴメンなさい。知らないわ。でも、コーストの街の南にある小島のどこかに、古い遺跡があって、そこに不思議な門があるって聞いたことがあるわ」
「南の小島…」
ヴィオーラの言葉に、俺は〈海竜号〉での航海を思い出す。
確かに海には大小様々な島が存在していた。無人島もあれば、小さな集落がある島も、大きな港がある島もあった。ただ、そんな遺跡のある小島は行ったことがなかったはずだ。
「その島にはどうやって行けばいいんだろう?」
「私も詳しくは知らないわ。でも、その島は呪われていると言われ、漁師や船乗りたちは決して近づかないそうよ。協力してもらうのは難しいかもしれないわね」
ヴィオーラの言葉に、俺は思案する。
島の近くまでは連れて行ってもらえそうだが、そこからは一人で行くしかないかもしれない。その場合、問題は帰りをどうするかということだが…。
「島に関しては、コーストの街で聞けば分かりそうだな。上手く〈海竜号〉と合流できれば問題ないんだが」
俺が考え込みながら呟いていると、ヴィオーラは俺のゴブレットに酒を注いできた。
「今考えても仕方ないでしょ。難しい話は明日にして、今は楽しみましょう?」
ヴィオーラはそう言って微笑む。俺は苦笑すると、注がれた酒を飲む。確かに今考えても仕方がないな。
俺は気を取り直して給仕を呼び、デザートを注文する。その後はヴィオーラと他愛のない会話を楽しみつつ、ゆっくりと時間を過ごしていった。
「今日はありがとう、ごちそうさま」
店を出て、ヴィオーラを家まで送ると、彼女は礼を言って帰った。俺は宿舎へと歩きながら、明日からの予定を考える。
『それで、どうするの?』
スマラの質問に俺は、
『とりあえず例の小島に行ってみるつもりだ。イーマンから報酬をもらったら、コーストの街に戻って聞き込みだな』
と答える。スマラは頷くと、俺の影に入る。そのまま心話で他愛のない話をしながら、宿舎に戻って眠った。
次の日、起きた俺は、荷物を纏めると宿舎を後にする。ヴィオーラに会って挨拶を終えると、イーマンの屋敷(城とも言う)を訪ねる前に、街で買い物をすることにした。闘場での勝利給や自身への賭けなどによって、10万ゴルト以上を稼いだので、奮発してマジックアイテムなどを手に入れようと考えたのだ。
特に最優先で手に入れたいのが、ジュネも持っていた〈マルラタの腰鞄〉だ。所謂魔法の鞄というやつで、1立方メートルまでの品物(生物を除く)を、5000WPまで収納することができる。
これがあれば、かなりの荷物を持ち運べるようになるし、〈全贈匣〉に収めておけば、持ち運べる荷物は更に増える。できれば複数欲しいところだが、まずは一つ手に入れたい。
俺はスマラと共に、街の中央広場の外れに居を構える《バーザイ魔導館》という店を訪ねた。
この店は所謂〈魔法の品物〉を扱う専門店で、比較的安価な〈普及品〉から、天文学的な価格の〈伝説品〉まで、様々な品物を取り扱っていた。
「いらっしゃい。今日は何をお探しで?」
店に入ると、片眼鏡を掛けた中年の男性が声を掛けてきた。彼は店の主人である「親父さん」だ。常連は皆そう呼んでいるそうで、本名は知らない。
「こんにちは親父さん。今日は〈マルラタの腰鞄〉が欲しくて来たんだけど」
「腰鞄ならいくつかあるが、どれにする?」
親父さんはそう言って、陳列棚に飾ってあった鞄を3、4つ用意してくれた。俺は手に取って具合を確かめてみる。
全てマジックアイテムであるので、見た目以上に頑丈な造りをしている。俺はその中でも側面にポケットが付いているものを選んだ。これはポケットの上から被せるように蓋がついているので、風雨にも強そうだったのだ。
「どれも容量は変わらないから安心してくれ。すぐに使うかい?」
俺が〈長者の蔵〉から金貨を取り出して支払いを済ませると、親父さんが尋ねて来た。俺は頷いて鞄を受け取る。
「所有者固定の儀式はするかい? 別料金だが」
俺は再度頷くと、追加で金貨を渡す。所有者固定とは、その品物を特定の人物にしか使用できないように制限を掛けるもので、この鞄の場合、俺以外が中から品物を取り出そうとしたり、物を入れたりしようとしてもできないように魔法で「鍵」を掛けるのだ。
この方法を使うと他人が使うことができない反面、手放すことができなくなる(正確には他の人が使えないため、下取りに出しても買い取ってくれないのだ)のだが、わざわざ手放す必要もないので所有者固定してしまおうと考えていたのだ。
専用の羊皮紙に書かれた魔方陣の上に鞄を乗せ、指先を軽く切って魔方陣の隅に書かれた模様の上に血を垂らす。
すると魔方陣は光を放ち、光が収まると何も書かれていない羊皮紙だけが残っていた。俺は鞄を腰につけると、試しに〈長者の蔵〉を仕舞ってみた。
見た目は小さな鞄なのに、何の抵抗もなく仕舞うことができた。他の荷物は後で整理して仕舞うことにして、俺は他の品物も見て回ることにした。
次に目を引いたのが、長さ40センチ程の見事な装飾が施された円筒形の容器で、ベルトを通して携帯するための加工も施されている。これは〈無限の鞘〉と呼ばれる品物で、大きさの大小に関わらず、合計2000WPまでの武器を収納することができる。
最近武器が増えてきたのもあるし、レイピアを仕舞っておきたかったのだ。後はレイピアを収納した状態で、召喚が可能かどうかの確認も必要だ。
武器によっては腰鞄には長さの関係で収納できないので、これに仕舞ってから鞄に入れることができるのが便利だ。
それに取り出す時も簡単だし、探索で手に入れた武器に鞘がなくても仕舞っておけるのが大きい。
高額だったが、手に入れておいて損はない。他にも欲しい物があるが、手が出ないほど高額か、在庫がないということで諦めた。
「それと、武器や防具に魔法を掛けることはできますか?」
「できなくはないが、初歩的なものに限るな。それに加工には結構時間をもらうことになる。出来合いのものであればすぐに用意できるがね」
「そうか…。愛用の装備を加工してもらいたかったんだけど、時間が掛かるのか…。仕方ないな」
〈森妖精の鎖帷子〉はともかく、革鎧の方は籠手以外は質が良いとはいえ普通の鎧だったので、この機会に防御の魔法を付与してもらおうと思ったのだが…。
武器や防具は、魔力を込めることで威力や防御を上昇させることができる。これは武具の持つ固有の能力とは別に付与できるもので、一般的に〈魔力付与〉と呼ばれている(2レベル魔法の【付与】とは別のもの。効果は累積する)。
武器には5段階の威力強化をエンチャントすることができ、更に別のエンチャントによって効果を増幅することが可能だ。
ただし、これには制限があり、元となる武器の威力によってエンチャントできる内容に上限が設けられている。つまり、威力の低い武器には威力の弱いエンチャントしか付与することができない、とういうことになる。
防具に関しては3段階の防御強化のエンチャントが行え、こちらは特に制限がない。防具は大きく分けて4種類(頭、胴、手、足)に分類されるが、それぞれの防具にエンチャントすることができる。これは一揃いの全身鎧であっても、部位ごとに異なる部分鎧でも違いはない。
いずれのエンチャントに関しても、同じものに繰り返し付与し直すことは可能だが、その場合「上書き」となる。複数のエンチャントを施したからといって、効果が累積するわけではないので、注意が必要だ。
当然、効果の高いエンチャントほど費用がかかる。今の俺の懐具合では、余裕を持ってエンチャントできるのは、各防具に最も低い防御魔法を付与するくらいなのだが、エンチャントに時間が掛かるのであれば、イーマンの所で報酬をもらってから検討しよう。
報酬の額によっては、エンチャントをもう1段階上でできるかもしれないし。
「とりあえず、付与に関しては検討します。その時は改めてお願いします」
「了解した。いつでも来てくれ」
俺は親父さんに挨拶すると、店を後にする。イーマンの所へ行って報酬を受け取ることにしよう。
「よく来てくれたな。まずは座ってくれ」
城を訪れた俺を、イーマンは自ら迎えてくれた。勧めに従い、椅子へと腰掛ける。上等なソファーは俺の身体を心地よく受け止めた。
「まずは見事な勝利に祝いを述べよう。おめでとう」
イーマンはそう言って笑顔を浮かべた。俺も微笑み、
「ありがとうございます。魔物や猛獣とばかり戦う貴重な経験をさせてもらいました」
と答えると、イーマンは苦笑し、
「それに関してはすまなかったな。お前の対戦相手を選んだのは妹なんだが、あいつは俺に対抗意識が強くてな。俺の闘士が戦うと分かると、自らの手駒で最も強い奴をぶつけて来るんだ。今回は闘士の予定がつかなくてな。仕方なく魔物で代用したらしい」
おいおい、あの対戦は意図的に厳しく組まれていたのか…。とりあえず勝ったから良かったものの、内情を聞いている間、俺は苦笑したままだった。
「まあ、おかげでオッズは跳ね上がり、俺はたっぷり儲けさせてもらったがな。お前の実力あってのものだが、妹様々だな」
イーマンはそう言って笑う。俺は苦笑を返すしかなかったが、一つ確認しておきたいことがあった。
「それにしても、最後の試合は酷くありませんでしたか? 魔法の武器を持たない者を、〈人獣〉と戦わせるのは」
俺の問いに、イーマンは顔を顰め、頭を下げてきた。
「あれに関しては、本当に申し訳なかった。まさか〈人獣〉をぶつけてくるとは思わなかったよ。あいつは上級闘士との対戦で使う予定だったのを、急遽お前にぶつけて来たんだ。とはいえ、お前が魔法を使えるのを知っていたから、大丈夫だとは思っていたんだが、まさか〈聖者の聖印〉を持たせていたとはな」
あれは大誤算だったよ、とイーマンは済まなそうに言う。
「〈聖者の聖印〉?」
「ああ。あの〈人獣〉が持っていた剣のことだ。あの剣の所有者に対する低い階梯の魔法を無効化する能力を持っている。第3階梯までの魔法は回復魔法や強化魔法も含めて一切が無効化される」
なるほど、それで納得した。俺の【火球】や【吹雪】が無効化されたのはそのせいか。SPを余計に消費して、レベルを上げて魔法を掛ければ無効化されなかったようだが、あの時はそんなことを考える余裕はなかったからな。
「それにしても、お前が何処からともなく魔剣を取り出したのには驚かされたぞ。まさかあんな奥の手を隠していたとはな。それに最後の二刀流は見事だった。ナジィルの呆気に取られた表情は見物だったぞ」
ナジィル・アル=アシ、イーマンの妹だな。噂では柔らかな物腰の美女だということだが、どうやら兄の前ではかなり奔放に振る舞っているらしい。それに関しては別に構わなかった。俺に関わらないのであれば、だが。
「それもあったが、お前はこの闘場で今までにない記録を作った。最悪の下馬評の試合だけで5連勝するという偉業をな」
栄光ある〈魔物狩り(クリーチャーキラー)〉の誕生だ。イーマンはそう言って大きく手を広げ、その後拍手をして俺を褒めてくれた。俺としては苦笑するしかない。
「それでは、改めて勝利の報酬を渡そう。受け取りたまえ」
イーマンはそう言って、手ずから俺に報酬を渡してきた。
ずっしりと思い布袋の中身は金貨であろう、じゃらじゃらとした質感が布越しに伝わってくる。それとは別に、一振りの剣が渡された。この柄の拵えは…、
「これは〈聖者の聖印〉ですか?」
「そうだ。あの不条理な試合の報酬として、ナジィルから取り上げてきた。思うところはあるだろうが、勝者の権利だ。受け取っておきたまえ」
実際もらっても使いどころが難しい。俺の使う魔法の大半が無効化されてしまうので、使える状況がかなり限定されてしまう。
でもまぁ、状況に合わせて使えば非常に強力な効果ではある。〈無限の鞘〉もあることだし、ありがたく貰っておこう。
「それで、これからどうするのだ?」
「その前に、この腕輪を外したいのですが…」
「おお、そうだったな。これが鍵だ」
イーマンからの質問に、俺は忘れてはいけないことを確認する。イーマンから鍵を受け取り、腕輪のスリットへと近づける。すると、腕輪は光り輝き、腕輪はカチャリと音を立てて外れ、床の上へと転がった。
これで本当に自由の身だ!
俺は腕輪を拾い、イーマンへと渡す。イーマンはそれを受け取ると、改めて話しかけてくる。
「では改めて、これからどうするつもりなのだ? 私としては君には自由契約の闘士としてこれからも戦って欲しいのだが」
闘奴で戦わせたというのに、すぐ契約を持ちかけてくるとは。どうやら相当気に入られたようだ。
「お誘いはありがたいのですが、探索の途中でしたので、探索を再開するつもりです」
「そうか…。残念だが、仕方あるまい。よかったら探索のことを聞かせてもらえないだろうか」
イーマンの言葉に俺は頷き、俺が〈陽炎の門〉を探していること、コーストの南海の小島に、門のある古い遺跡があり、そこを探索するつもりであることを伝えた。探索のために小島まで乗せてくれる船を探していることも。
「なるほどな。そういうことなら一つ提案しても良いだろうか?」
「提案とは?」
俺の問いにイーマンは頷き、
「実はな、ナジィルの闘士が怪我から復帰してきたのだが、本来戦うはずだった魔物を君が倒してしまったので、対戦相手がいないために試合が組めずにいるのだよ」
イーマンの言葉に俺は苦笑するしかなかった。もう少し考えて対戦を組めよ。俺は思わず出掛かったツッコミを抑えるのに必死だった。
だが、顔に出ていたのか、イーマンも苦笑すると、
「我が妹の浅慮には呆れてものも言えないのだが、この街の住民達にとっても、闘場は重要な娯楽でな。試合に穴を空けると暴動が起きかねん」
領主も領主なら、住民も住民である。ただまぁ、欧州や南米ではサッカーの試合の結果によっては暴動紛いのことが起きることもあるそうなんで、一概に責めることはできないかもしれない。
「それで、俺にどうしろと?」
「うむ、君には闘場で試合をして欲しいのだ。もちろん、報酬は用意しよう。君にはうってつけのものを用意するつもりだ」
イーマンはそう言って立ち上がると、机の奥にある棚から、置物を持ってきた。
台座に置かれたそれは、瓶の中で精巧に作られた帆船が、水飛沫を上げて海原を進む様子を象って作られた立体模型だった。
意図が分からずに首を傾げる俺に対し、イーマンは、
「これは〈瓶詰の船〉と呼ばれるものだ。瓶の蓋を外して合言葉を唱えると、帆船として使用できる」
これを報酬として渡そう。とイーマンは言う。
〈瓶詰の船〉! 確かにこれがあれば帰りの船を待たせておいたり、迎えを頼んだりする必要がなくなる。問題は、誰が操船するのかということだが。
「確かにありがたいんですが、どうやって船を動かすんです? 見たところ帆船の様ですし、俺一人では…」
「この船は魔法の船だ。操船自体は一人でできるらしい。もっとも、測量などはしてくれないので、乗り手が行う必要があるがね」
イーマンの言葉に、俺は頷く。
それならなんとかなりそうだ。〈海竜号〉で過ごす間に、操船に関する知識は学ばせてもらった。海図や羅針盤の使い方や、天測の仕方などは実地で教わっているので問題ない。
流石に天候予測とかまでは難しいが、嵐の中で操船するようなことでなければ何とかなる。
「分かりました。依頼を受けましょう」
「おお、やってくれるか! 有り難い。よろしく頼む」
試合の期間、滞在する部屋は用意する。そう言って笑うイーマンに、俺も笑顔を返す。
少し寄り道になるが、結果としては悪くない。俺は自分自身にそう言い聞かせると、いよいよ対人戦となる試合に思いを馳せた。




