23 幻夢(VR)では盗賊のはずなのに
因みに、この闘場にある〈模擬戦室〉は、武器を習熟するのに非常に有効な施設である。
〈模擬戦室〉は、闘場であらかじめ使用する武器を使って訓練を行うと、試合の際、攻撃時にボーナスが発生するのだ。これはアーツのような扱いらしく、訓練を行い、試合で使用する度にボーナスが増えていく。もっとも、使用する武器の種類を変えてしまうと、それまでのボーナスはリセットされてしまうようなので、俺はバスタードソードとミゼリコルドを使い続けることによって、ボーナスを上昇させていた。
折角用意したスパイクシールドはお蔵入りである。だが、ボーナスによって助けられた試合もあったので後悔はしていない。
こんな便利な施設なら、色々な場所にあると思っていたのだが、闘場で試合をすることが必須条件になっているようで、他の場所にはない施設なのだそうだ。
闘場以外の戦闘でも、ここで得たボーナスは発生するらしいので、上昇できるだけ上昇しておこうと思った。
こうして闘場で戦うこと2週間、いよいよ5試合目となった。4度の戦いでモンスターを倒した俺は、番狂わせの新人として名を上げていた。
知名度の上昇と共に人気が出てもおかしくないのだが、俺の対戦相手であるモンスターは、過去の対戦成績を見ると、勝率は8割(開始前の降参による不戦勝含む)以上らしく、毎試合オッズは最大値の1:10(いわゆる万馬券のような高配当のオッズにはならない。分かりやすさもあるが、現実世界の競馬に比べて賭けに参加する人数が遥かに少ないし、普通そこまで実力差がある試合は組まれないのだ)のままだったのだ。
その悉くを勝利してきた俺は、自身に賭け続けたこともあり、かなりの金額を稼ぐことができた(俺は自分以外の分としてヴィオーラに頼んで、彼女名義で俺の賭札を買ってもらっていた。賭け金は俺が出し、配当の1割を礼として渡している)。
おかげで色々と装備を整えることができそうだが、今日の試合を勝たないと、自由の身になれないのだから、どれだけ金貨を得たところで宝の持ち腐れだ。
まぁ、最悪手首を切り落として腕輪を外し、逃げ出すつもりなので、全くの無意味ではないのだが。
問題は、手首を落とした場合、繋ぐのに【回復】ではなく、11レベルの【再生】という、使い手を探すのが苦労しそうな高レベル魔法が必要かもしれないということだ。
PCで現在、それだけの魔法を使える者はまだいないだろうから、NPCで探すことになる。これまでの街にはいなかったことを考えると、探すのは大変そうだ。
まあ兎に角、今日の試合に勝てばいいんだ。
俺は準備を整え、通路を進みゲートを潜る。アリーナに足を踏み入れると、大きな歓声が俺を出迎えた。俺は首を大きく回すと、対戦相手が出て来るであろう、ゲートを見つめていた。
ゲートが開き、対戦相手が姿を現した。一見すると、ヒューマンの男に見える。鍛え上げられた上半身は裸で、腰後ろに差した〈両刃の小剣〉とズボンの他は靴すら履いていなかった。
今日は対人戦なんだ…。
闘場で初めての対人戦に、俺は緊張しながらも剣を抜き、構えを取る。歓声の中告げられる開始の声と共に、男は雄叫びを上げた。その姿が見る見る変化していく。上半身が獣毛に包まれ、顔も獣に変化していく。両手には鋭い鉤爪が生えた。
『ちょっと、あれって〈人獣〉じゃない! 勝てるわけないわ!』
スマラが心話で叫びを上げた。
〈人獣〉
人族(この世界でPCとなれる種族を総じて「人」「人族」と呼ぶ)であるセリアンスロープとは異なる彼らは、人としての姿と2足歩行の獣としての姿を持つ、変身型のモンスターだ。知性もあり、交流できる者も存在するが、多くは敵対的であり、遭遇すれば大半が戦闘となる。圧倒的な身体能力も脅威だが、ライカンスロープが厄介なのは、彼らの持つ特殊能力、《無効:物理》だ。
この能力は、魔力の籠もっていない武器では一切ダメージを受けないというものだ。俺の持つバスタードソードとミゼリコルドでは、ダメージを与えられないのである。
例外として、銀製の武器であればダメージを与えることができるが、今は持っていないので意味がない。
どうやら、本気で勝たせる気がないらしい。
俺が降参するのを待っているのだろうが、そう簡単には降参なんぞするつもりはなかった。
俺は変身を完了したライカンスロープに向かって、【火球】の魔法を唱えた。変身を終えたばかりのライカンスロープが、避ける間もなく炎に包まれる。
今までの試合で一度も魔法を使っていなかったためか、観客からどよめきが上がる。俺は会心の笑みを浮かべた。
その笑みが凍りつく。
炎が消えたところに現れたのは、無傷のライカンスロープだった。ライカンスロープは再度雄叫びを上げると、真っ直ぐに俺に向かって飛び込んできた。俺は慌てて回避する。ライカンスロープは腰の剣には手も触れずに、両手の鉤爪を振り翳して攻撃してくる。
唸りを上げて振り回される鉤爪を避けながら、今度は【吹雪】の魔法を叩きこむ。
至近距離で発動した【吹雪】の冷気が、鎧越しに伝わってきた。氷の礫がライカンスロープを切り裂く。
――はずだった。
ライカンスロープは【吹雪】の魔法を意に返すことなく、攻撃を続けてきた。吹雪による視界の悪さは有効だったのか、大振りの攻撃は空を切る。その動きから、ダメージを受けているようには見えない。
攻撃を躱しながら、俺はライカンスロープの腰に差されたままの、ショートソードが淡く発光しているのを見た。
あれが魔法を無効化しているのか?
意識が逸れた俺の腕を、ライカンスロープの鉤爪が切り裂いた。咄嗟に身を引いたおかげで深手ではない。腕に刻まれた4本の傷から血が流れる。
あの剣を何とかできれば…。だが、ライカンスロープの攻撃を避けながら、剣を取り上げることは難しいどころの話ではなかった。攻撃を喰らうのを覚悟で捕り付けば、剣を奪うことが出来てもその後が続かない。
打開策を考えている間にも、ライカンスロープの攻撃は続いている。致命傷は避けているが、段々と小さな傷が増えていく。
降参すれば楽になれる。
負傷と疲労の中で攻撃を避けながら、脳内で囁く悪魔の誘惑を必死に振り払う。観客席のどこかから見ているであろう、この試合を組んだやつの思い通りにはしたくなかった。
これがダメなら降参だ。
俺はバスタードソードを振りかぶり、大振りの攻撃を繰り出した。魔力のない武器だと分かっているのだろう、ライカンスロープは腕を上げ、そのまま受け止める。
今だ!
俺はバスタードソードから手を離し、即座に念じた。
『我が手に来たれ』
俺の手の中に呼び出されたレイピアを振るい、予想外の行動に動きの止まったライカンスロープの顔を薙ぎ払う。
使い慣れたレイピアの一閃は、ライカンスロープの両目を切り裂いた。魔力の籠もったレイピアの刃が、ライカンスロープから光を奪う。
突然襲った痛みに、ライカンスロープは叫び声を上げ、片手で目を押さえながら、出鱈目に残った腕を振り回していた。
もはや攻撃とは言えないその腕を掻い潜り、俺はライカンスロープの背後に回ると、腰に差さったショートソードを引き抜いた。
そのまま逆手に持ち替えると、同じく逆手に持ち替えたレイピアと共に、背中へと突き立てた。目の見えないライカンスロープは避けることもできぬまま、勢いのついた刺突をまともに受ける。
魔力の籠もった2本の刀身は、ライカンスロープの身体を貫き、途中にある心臓を切り裂きながら、獣毛に包まれた胸部から飛び出した。
ライカンスロープは腕を背中に回し、俺を掴もうとするが、俺は武器を手放すと背後へと跳躍する。
ライカンスロープは刺さったままの剣を抜こうとするが、角度が悪く抜くことができなかった。
やがて、傷口から流れる血を止めることもできず、剣を抜くこともできないまま、ライカンスロープはよろよろと数歩彷徨うように歩いたところで、仰向けに倒れる。
倒れた拍子に剣の柄が押し込まれ、さらに傷口を広げていく。そのまま痙攣すると、ライカンスロープは胸から生えた刀身を掴んだところで動きを止めた。
突然、アリーナを歓声が包んだ。どうやら勝てたらしい。
俺はライカンスロープに近づくと死を確認し、向きを変えて剣を抜いてやる。そして、改めて身体を横たえると、僅かの間黙祷を捧げる。
そして、ショートソードをライカンスロープの胸の上に置き、バスタードソードを回収すると、アリーナを後にした。
やばかった。レイピアが召喚出来なかったら降参だったな。もっとも、あの対戦を組んだ時点で俺を生かす気はなかった気がするが。ゲートを潜って訓練場まで戻ると、ヴィオーラが迎えてくれた。
「とうとう5勝目ね。おめでとう」
ヴィオーラが微笑みながら祝福してくれた。初めて見せる表情に、俺は唖然とする。ヴィオーラは微笑みながら、
「闘奴はほとんどの場合、2、3戦もしないで死んでしまうの。だから意識して仲良くしないようにしているの。仲良くなってしまったら、別れが悲しくなるでしょう?」
と言う。なるほど、俺にそっけない態度を取っていたのはそういうわけか。
「でもこれで生きてここから出られるわけね。本当におめでとう。貴方のこれからの行く末に幸あらんことを」
ヴィオーラはそう言って俺に近づくと、そっと頬に口づけしてくれた。
祝福のキスに俺が照れていると、ヴィオーラも頬を赤らめながら、
「兎に角、今は休みなさい。報酬とかの受け渡しは明日よ」
と言って受付へと戻って行った。突然の祝福イベントで驚いたが、段々と実感が湧いて来た。
これで、晴れて自由の身だ!
剣闘士なんてやることになるとは思わなかったが、いい経験になった。金を稼ぐこともできたし、装備を整えて、これからの探索に備えよう。
だが、今はとにかく休みたい。
俺は部屋に戻ると疲れた身体に鞭打って〈全贈匣〉から〈月光の護り〉を取り出し、傷を癒した。そこで限界が訪れ、着替えることもしないまま、ベッドに倒れ込むと睡魔に身を委ねた。




