22 故あって幻夢(VR)で闘士をやる
アーチャーに案内された先は、牢屋(地下にあった)から2階層ほど上にある、通路の左右に扉がたくさんある場所だった。
「ここが闘士の宿舎になる。君の部屋はここだ」
アーチャーはそう言って一つの扉の前で止まる。扉には部屋番だろうか〈14〉の数字が刻まれていた。微妙に気になる番号である。
「その腕輪が鍵になっている。扉は魔法で施錠されているから、腕輪を着けた手でノブを回せば開錠される」
便利だな。オートロックなんて贅沢な。俺は左手でノブを回した。カチリと音がして扉が開いた。
「試合は毎日行われているが、君の試合はおそらく今週の〈闇の日〉だ。試合のある日は外出禁止だが、それ以外の日は自由に過ごせる。酒を飲むのも、女を抱くのも自由だ」
因みに、オーラムハロムの暦は、日本とは違って一月が30日で構成されている。1年は12か月というのは同じで、年360日となる。1週間は6日で、5週間で一ヶ月となるわけだ。
日にちは数字ではなく、曜日で表される。〈地〉〈水〉〈火〉〈風〉〈光〉〈闇〉の順で一回りとなり、〈○の日〉と呼ぶ。週の違いは何週目かで把握し、例えば10日目であれば〈2の週の風の日〉という言い方になるわけだ。
その腕輪がお前の身分証明もしてくれる。街の中では一般市民として扱われるから安心しろ、アーチャーはそう言って笑った。
「頑張れよ。勝てば自由になれる。あの方は闘士に関しての約束は守る」
俺も恩赦で自由になった身だからな。アーチャーはそう言って俺の肩を叩く。そしてその場から立ち去った。
俺は部屋に入ると、荷物を置き(荷物とミゼリコルドは返してもらえた)、備え付けの粗末なベッドに寝転がる。クッションはなく、木の板に毛布が敷かれただけのベッドに顔を顰めていると、スマラが影から飛び出し、俺の腹の上に乗って来た。
「なんか、大変なことになったわね」
「まぁな。とりあえず頑張って勝ち残ることにしよう」
スマラの問いに、俺は相槌を打つ。とりあえず、一休みしたら闘技場の中を調べることにする。武器や防具はどうするのか確認しないとだし、トレーニングができるのかどうかも知りたい。
俺は、今は休もうと思い、そのままベッドで眠りに落ちた。
目が覚めるとすでに日は傾いていた。俺は起き上がると、腹の上で丸くなっているスマラを抱え、そっと脇に降ろす。
まずは闘技場での試合の確認だな。
「俺は試合の確認に行くが、どうする?」
「ここで待っててもいいけど、何かあると困るから一緒に行くわ」
俺の問いに答えると、スマラは影に潜り込む。
俺は扉を開け、ふと思いついてレイピアを召喚する。
『我が手に来たれ』と念じると、レイピアが召喚された。まだ所有権は有効だったらしい。
俺は少し考え、レイピアをベッドの上に放り投げる。街のルールが良く分からないので、トラブルを避ける方が賢明だからだ。特に今は闘奴という立場なので、帯剣が罪になる可能性もある。どうせ呼べば来るのだ。改めて扉を開け、宿舎の出口へと向かった。
宿舎は闘場内に設置されていたようで、出口を抜けると、闘場の裏口らしき場所に出た。奥に見える大きな扉が、戦舞台へと続いているようだ。扉越しに、観戦する人々の歓声が聞こえてきた。手前にはある程度の大きさに区切られた、大小様々な部屋が並んでいる。訓練用の案山子などの訓練機材が見えるので、おそらく訓練場なのだろう。
今も数人の闘士と思わしき男が、訓練を行っているのが見えた。俺はその様子を横目に見ながら、机に向かって書類仕事をしている女性に話しかけた。
「あの、闘場での試合について質問したいのですが」
俺の問いに、女性は書類を書く手を止め、俺の方を向く。そして俺の姿を上から下まで眺めると、腕輪に目を止め、
「…闘奴の試合ですね。腕輪を見せて下さい」
女性は俺を見て、腕輪を出すように言う。女性は腕輪の紋章を確認し、手元にある書類を確認する。
「貴方の試合は、今週の〈闇の日〉の第一試合です。闘場のルールは知ってますか?」
「いえ、全く。この街に来たのも初めてです」
俺の返答を聞き、女性は頷くと説明してくれた。
「それでは説明します。貴方は闘奴なので、試合を最低5回行う義務があります。これは途中で棄権することはできません。負傷があっても試合は延期されません」
女性の言葉を、俺は頷きながら一言一句逃さず聞いて行く。と、慌てて〈全贈匣〉から手帳とペンを取り出し、メモを取る。
「試合で使う武器や防具は、原則として自前の物を使用します。闘奴の方は装備を持たないことが多いので、闘場にある備品を貸与します。後で案内しましょう」
女性はそこまで言って一度言葉を切る。質問がないかどうかの確認だろう。俺は質問がないことを示すために頷く。
「見てもらえば分かりますが、あの区画が訓練施設になります。闘士であれば自由に使えますが、先着順なのであしからず。闘奴の場合、訓練施設と戦舞台以外で武器を使用すると罪に問われるので気を付けてください」
女性の言葉に俺は頷く。女性は一つの扉を指し、
「あの部屋は魔法で生み出した幻影と戦うことができる〈模擬戦室〉になっています。有料ですが、使用している武器の習熟には非常に効果があるので、利用してみてください」
あの部屋のみ予約制です。女性の言葉に俺は頷く。
「試合に勝てば勝利給が支払われます。不利な状況で勝利すれば、それだけボーナスがあります」
「不利な状況?」
「闘場では、賭けが行われています。賭け率は試合ごとに異なりますが、それまでの戦績や対戦相手の強さによって賭け率は決定します。その賭け率が貴方にとって不利な数字の場合、勝利すればより報酬は多くなるわけです」
なるほど、つまり強敵と戦う時はオッズが良くなるわけだ。俺は質問する。
「俺も賭けには参加できるんですか?」
「できますよ。自分の勝利に賭けることもできます。大抵の闘士の方は、願懸けの意味も込めて、自身に賭けることが多いみたいですね。賭けに関する詳しい方法は、賭け場で確認してください」
女性はそう言うと立ち上がる。
「それでは、これから武器庫へ案内します。付いて来て下さい」
「あの、よろしければお名前を聞いても良いですか? これからもお世話になると思うし。俺はヴァイナスと言います」
俺がそう尋ねると、女性は振り返り、
「ヴィオーラです」
と言った。短い付き合いになるかもしれませんけどね。ヴィオーラはそう言うとまた歩き始める。
俺は肩を竦めると、彼女の後を付いて行った。
「ここにあるものであれば、自由に使ってもらって構いません。決まったら教えてください。貸与の手続きをするので」
ヴィオーラに案内された部屋には、様々な武器が並んでいた。
ダークやサックス、カタールやハラディなどの短剣。
バスタードソードやグラディウス、ブロードソードなどの長剣。
フランベルジュやグレートソードといった大剣。
ブローヴァやブージ、フランシスカなどの斧類。
ベク・ド・コルヴァンやピッケルといった棘鎚類。
モールやフレイル、メイスといった戦鎚類。
パルチザンやハルバード、トライデントなどの槍類。
などなど…。
果てはバグナグやカイザーナックルといった拳闘具や、ウィップといったものまで揃っている。俺は色々な武器を手に取りながら、試合で使うものを選んでいった。
武器はレイピアがあるんだが、これまでの探索でかなり〈体力〉も鍛えられたので、もっと威力のある重い武器を使うことも考えていたのだ。それに、良い機会なので、別の武器も使ってみたかった。
「ここにある武器って、試合ごとに変えてもいいんですか?」
「原則として、変更はできません。武器を持ち替えたい場合は、自身で購入してください」
貸与と言っても最初の試合だけで、勝利した場合、勝利給から代金が差し引かれる仕組みになっているらしい。
結局買うことになるのであれば、使いやすいものを選んでおこう。俺は少し悩んだ末、〈片手半剣〉を選択した。これなら片手両手どちらでも使えるし、オーラムハロムでもポピュラーな武器なので、入手も手入れも容易であるのが利点だ。そして俺が使える武器の中で最も威力があるものの一つだった。万が一破損してしまっても、手に入れるのが容易であれば、困ることもないだろう。
〈両手大剣〉や〈両手槍斧〉などは、使えはするが必ず両手が塞がってしまう。それは避けたかった。
代わりに、後で〈刺突盾〉を買ってこようと思っている。盾ならばいざという時、即座に投げ捨てることで片手を空けることができる。バスタードソードとの相性も悪くない。
一方で防具は〈硬革鎧〉と〈板金鎧〉しかなく、俺の盗賊としての動きを考えるなら、〈硬革鎧〉しかなかった。
「準備はできましたね? それでは貸与の手続きを行います」
ヴィオーラはそう言って俺の選んだ武具の手続きをしてくれた。俺は早速〈模擬戦室〉を利用しようと思い、ヴィオーラに確認する。生憎、今日は予約で一杯ということなので、明日使用する予約を行い、今日のところは闘場で行われる試合を観戦することにした。
いくつか試合を見たら、賭けも行ってみよう。俺は一度宿舎に戻り武具を置くと、スマラを伴って闘場へと足を運ぶ。
闘場ではすでに試合が始まっていた。今戦っているのは、〈両手大剣〉を持ち、鍛え上げた筋肉を纏った戦士風のヒューマンの男と、同じく戦士風の〈三又矛〉使いのドラゴニュートの男だった。
二人の強さは拮抗しているらしく、体中に傷を作りながら、一進一退の攻防を繰り返した。
そんな戦いに終止符を打ったのは、ドラゴニュートの放った尻尾の一撃だった。
ドラゴニュートはヒューマンの死角から尻尾による足払いを掛け、それが見事に決まったのだ。
体勢を崩し、その場に倒れるヒューマン。その隙を逃さず、ドラゴニュートは構えたトライデントを突き下ろした。
ヒューマンの男は転がって避けようとするが間に合わず、トライデントはヒューマンの男の脇腹を大きく切り裂く。
ヒューマンの男はそのまま転がって立ち上がろうとするが、脇腹の傷が酷く、膝を着いたまま立ち上がることができない。そして、降伏のポーズを取った。
途端に湧き上がる観客席。それは勝ったドラゴニュートに送られる声援と、負けたヒューマンに対する怒号の入り混じる、闘場独特のものだった。
脇腹を押さえながらよろよろと立ち去るヒューマンの男。ドラゴニュートはゆっくりとアリーナを周りながら、歓声に答えていた。
ふむ。どうやら降伏しても良いらしい。もっとも、武器を使った殺し合いであるため、一撃で致命傷を負えば、降伏することもできないわけだが。
事実、この後の2試合は、敗者は降伏する間もなく殺されてしまっていた。嬲り殺しというわけではなく、単に喰らった攻撃が致命傷だったのだ。
やはり死は日常茶飯事らしく、勝者と敗者に送られる称賛と怒号は変わらなかった。
俺は賭けに参加してみることにした。肩に乗せたスマラと共に、次の試合のオッズを確認し、賭札を買う。今日の所は様子見なので、一番安い賭札で参加する。ちなみに、賭札は3種類で、一番安いものから順に、十ゴルト、百ゴルト、千ゴルトとなっている。
掛札は一人1枚しか購入することはできないので、シンプルで分かりやすい反面、とことん賭けたい人からは不満の声が出ているらしい(もっとも、そう言う人は友人に声を掛けて「名義」を借り、買ってもらっているそうだが)。
数試合に賭け、勝ち負けを繰り返したが、収支的にはやや負けといったところで今日の試合は終了となった。
日が沈み、観客がぞろぞろと帰路へ着く。食事は宿舎に併設されている闘士用の食堂で取るか、外食するかは自由らしい。試合のある日だけは、外出が禁止のため食堂で取ることになるが、賭けでスッた俺は、食堂で食事を取ることにした。闘士は食堂での食事は無料で行えるのだ。
1度まではお代わりできるということもあって、俺はスマラにもこっそり分け与えつつ、食事を済ませると、特にやることもないので部屋に戻り、眠りについた。
模擬戦室の使用も終わり、試合までの日を訓練しながら数日を過ごした俺は、試合当日の朝、食べ飽きたメニューを嘆息と共に胃に収めていた。
というのも、食堂で出されるメニューは常に同じなのだ。肉や野菜の入ったシチューと黒パン。それだけだ。
毎朝毎昼毎晩同じメニューというのは、食い道楽な俺としては正直堪える。モチベーションを保つためにも、しっかり稼いで旨い飯を食べたいものだ。
まあ闘士として戦う間は食住が保障されているので、早いところ稼ぎを安定させるか、自由の身になりたい。
『そういえば、試合の時って私はどうすればいいのかしら?』
『確認してないけど、今回は影の中でいいんじゃないか?』
『そうね。下手に戦いに参加すると反則にされてしまうかもね』
スマラは食事を終えると、そう言って影の中に潜り込んだ。俺は試合の直前であるため軽めに食事を終えると、準備を整えアリーナへと向かう。
アリーナへと向かう扉は闘場の東西南北にあり、俺が使うのは南側の扉だ。なぜ扉が四つあるのか? それは対戦する者同士が同じ扉から入ると、大抵トラブルになるからだ。
試合の前に怪我をしても良い事はないので、自重するべきなのだが、そこは血の気の多い闘士、理性ではどうにもならないようだ。
それにこういった仕事(?)は、相手に舐められると負け、というのがセオリーなので、売られた喧嘩は買わないといけないらしい。
そういったことを鑑みて、扉は四つ用意されているのだ。
因みに、原則として同じ主人を持つ闘奴同士が対戦することはない。中には子飼いの闘士同士を戦わせて悦に浸る者もいるそうだが(イーマンは自分の闘士同士を戦わせることはしないそうだ)、金を掛け、ある意味手塩にかけて育てた闘士を使い潰す真似はしないのが常識らしい。
「準備は良いですね? 健闘を祈ります」
ヴィオーラがそう言って送り出してくれた。俺は頷いてアリーナへと続く扉を抜け、歩いて行く。
アリーナまでの短い通路を通り、ゲートを抜けると、歓声が大きくなる。少し遅れて対戦相手が姿を現すと、歓声はより大きくなった。
姿を現したのは、体長5メートルはある〈巨大鰐〉だった。
おい! 闘場は対人戦だけじゃなかったのかよ!
俺は思わず心の中で悪態をつく。すでに後方のゲートは閉じられ、逃げ道はなかった。クロコダイルは俺を獲物と認識したのか、ゆっくりと近づいて来る。
こうなったらやるしかない。
俺は剣を構えると、クロコダイルを中心に、右回りで円を描く様に動いて行く。クロコダイルも俺を正面に捕えようと向きを変えながら追って来るが、俺は自分の身体が闘場の中心に来るように位置を調整しながら動いて行く。
壁を背にした状態では、動ける方向が限定されてしまうことを恐れたのだ。幸い知能が高いわけではないクロコダイルは、俺の意図には気づかずに動いていた。
そして、理想の立ち位置になったところで、俺は一気にクロコダイルとの距離を詰める。
俺を迎え撃とうとクロコダイルは口を大きく開けて威嚇している。その鼻先に向かって、俺は剣を突き込んだ。
剣先は鼻先を翳めると、裂傷を刻んだ。クロコダイルは痛みに身を捩らせると、そのまま勢い良く噛みついて来た。
巨体からは想像もつかないほど、早い。だが、俺は突き入れた剣を素早く引き戻すと、背後へと大きく跳んだ。
ガチリと音がしてクロコダイルの顎が閉じられるが、あるはずの俺の腕はすでに離れている。顎は空気を噛むに留まった。
俺は再度剣を構え、慎重にクロコダイルへと近づいて行く。闘場の中心に身を置くことは忘れない。そして隙を見て剣を突き、飛び退くことを繰り返した。
クロコダイルの鼻や口、前足などに傷が増えていく。それは小さなものが大半だったが、確実にダメージを与えていた。
消極的な戦い方に、観客から怒号が飛ぶ。だが、俺は無視して今の戦法を続けていく。
クロコダイルの強力な顎に囚われれば最後、そのまま食い千切られて終わるだろう。一度喰らえば終わりなのだ、無理はできない。
クロコダイルが噛みつくたび、場内に歓声が上がる。俺は避けることと逃げ道を減らさないことを重視しつつ、攻撃を重ねていく。
1対1であること、闘場が円形であることが俺にとっての有利な点だった。クロコダイルは強敵だが、基本的に「待ち」の体勢で獲物を狩る。一瞬の動きは俊敏だが、常に動き回るような機動力がない。そのため、常に正面に捕え、攻撃の瞬間(噛みつきや前足での引き裂き、尻尾による薙ぎ払い(テイルスイープ))を集中して見切れば、時間は掛かるがいつかは倒すことができる。
勿論、疲労すれば動きは鈍り、攻撃を受けてしまうだろうが、幸い制限時間があるわけでもない。疲労を感じた時は、息を整えながら距離を保つように移動するだけだ。
だが、闘場の運営はそんなつまらない試合を望んではいなかったようだ。壁面の仕掛けが動いたかと思うと、アリーナに大量の水が注ぎこまれたのだ。
すり鉢状の底に当たるアリーナに、段々と水が満たされていく。このままだと、俺は身動きが取れなくなり、クロコダイルは水を得た魚のように俺に襲い掛かってくるだろう。
クロコダイルはかなりダメージを与えている。俺は意を決して、勝負に出た。
俺はクロコダイルの側面に回り込むように移動する。今までにない動きにクロコダイルも戸惑ったようだが、ここぞとばかりに攻撃を繰り出してきた。
今の位置取りで最も効果的な攻撃、薙ぎ払いだ。太く長い尻尾が水飛沫を上げて振るわれる。俺はその尻尾を迎撃するように、上段に構えたバスタードソードを振り下ろした。
お互いのスピードが乗った攻撃は、何かを断ち切る音と共に決着がつく。
半ばから切り落とされた尻尾が、まるで別の生き物のように跳ねている。クロコダイルは痛みに身悶えし、こちらに注意を払う余裕などなさそうだった。
俺は剣を逆手に持ち替え、クロコダイルの心臓がある位置に向かって突き刺した。鱗や肉を突き破る手ごたえと共に、刀身が半ばまで飲み込まれた。
新たに生まれた痛みに、クロコダイルはより激しく暴れ出す。俺はその背に回り込むと、腕を回して口先を抱え込むと、腰から抜いたミゼリコルドを、目から突き入れた。
そのまま柄まで刀身を刺し込んでいく。苦し紛れに振り回された前足の爪が腕を翳めるが、気にせず抑え込みを続けた。
やがてクロコダイルは痙攣すると、ゆっくりと動きを止めた。俺は完全に動きを止めるまで抑え込み、ミゼリコルドを抜きながら立ち上がる。
流し込まれていた水は止まっていた。俺が突き刺したままのバスタードソードを引き抜き、鞘に納めた時、アリーナに歓声が響き渡った。
俺の勝利を讃える歓声と、それを上回る怒号がアリーナ全体を包み込み、津波のようだった。
俺は観客に答える余裕もなく、再び開いたゲートへと向かう。俺がゲートを潜った後も、歓声は止まることがなかった。
『おめでとう! ちゃんと勝てたじゃない』
スマラが心話で勝利を讃えてくれた。俺はそれに答える余裕もなく、扉を抜けたところで座り込んでしまった。次の試合を待っていた闘士が迷惑そうに顔を顰めるが、疲労で足が言うことを聞かなかった。
「大丈夫ですか?」
ヴィオーラがそう声を掛けてくる。俺は頷くと、剣を杖にして何とか立ち上がり、部屋の隅へと移動した。
「怪我は酷くないですか? 有料ですが魔法による治癒も受けられますよ」
ヴィオーラの言葉に俺は、
「大丈夫です…」
とだけ答えると、息を落ちつけようと深呼吸をする。
「かすり傷ばかりなので。御心配をおかけしました」
「勝利の高揚から、怪我を忘れて死んでしまう闘士もいるんです。折角勝ったのに死ぬなんて勿体ないですからね」
息を整えて俺が答えると、ヴィオーラはそう言って肩を竦めた。その所作とは裏腹に、ほっと息を吐く表情には安堵が浮かんでいた。なんだかんだ言って心配してくれているようだ。
俺は立ち上がると、改めて礼を言う。
「心配していただき、感謝しています」
そう言って頭を下げると、ヴィオーラは顔を逸らし、
「今日のところは宿舎に帰ってゆっくり休んでください。次の試合の日程は明日決めましょう」
と言って受付へと戻って行った。俺はもう一度頭を下げると、痛みと疲労で上手く動かない身体を鼓舞しながら、ゆっくりと宿舎へと戻って行った。
部屋に戻った俺は、まず【回復】の魔法で傷を癒すと、武具を外してから、賭け場に向かう。今回の試合に掛けていた配当金を受け取るためだ。
試合の時の八百長を防ぐため、闘士自身のオッズは試合後まで分からないようになっている。そのためいくら払い戻しがあるのかは分からないが、俺は自身の勝ちに最も高い賭札を購入していた。
勝ち札だった場合、購入した金額に加え、オッズ分の配当金が支払われる。俺は賭札を賭け場の受付に渡し、配当金を用意してもらった。
目の前に積まれた袋の数に、俺は始め何が用意されたのか分からなかった。だが受付の人の、
「おめでとうございます」
の言葉に、オッズが大きかったことを実感した。
なんと、俺の試合は1:10で俺の不利だったのだと言う。クロコダイルは新人が当たる対戦相手としては最悪の部類だったそうで、殆どは姿を見ただけで降伏するらしい。
そんな相手を倒したので、俺の手元には1万ゴルトの大金が転がり込んできたのだ。受付の机の上に置かれた金貨袋の山に、俺はどうやって運ぼうか悩んでしまった。
1万ゴルトの金貨は1万WPになる。とてもではないが持ち歩くことはできない…。
部屋まで運んでもらうことも考えたが、少々目立ちすぎる。宝石に変えてもらうにも、両替商に持ち込むのであれば、運んでもらうことには変わりがない。色々考えたが、他の人の換金もある。
仕方がない。
俺は〈全贈匣〉から「貯金箱」を取り出すと、カウンターの隅を借りて、袋から金貨を流し込んでいく。ザラザラと音を立てて、貯金箱の中に金貨が流れ落ちていく。しばらく作業を続けて金貨を全て流し込むと、〈全贈匣〉に戻し、立ち去ろうとした。そこに、
「珍しい物をお持ちですね。〈長者の蔵〉ですか。持ち運びには不便ですが、金貨を仕舞うには最適ですよね」
と受付嬢に声を掛けられる。
「〈長者の蔵〉?」
「ええ、その壺みたいな貯金箱ですよ。重いし嵩張るので、〈ルーザの財布〉の方が有名ですけど、ルーザと違って上限がありませんもの。持ち運ぶ手段さえ確保できればとても便利ですよ」
なるほど、これは〈長者の城〉と言うのか。詳しく話を聞いてみたが、どうやら金貨が無制限に入るというのは、スマラが言っていた通りのようだ。実際に持ち上げてみても、重さは貯金箱自体のものしか感じない。
俺は受付嬢に礼を言い、一度部屋に戻ることにした。思いがけず大金が手に入ったわけだが、何に使おうか迷ってしまう。欲しい物を挙げれば際限がないが、一番欲しい物は決まっているので、街で売っていれば手に入れるつもりだった。
影から出て俺の肩に乗ったスマラと、何を買おうか話しながら部屋へと戻っていると、不意に声を掛けられた。
声の方を見ると、アーチャーが俺に向かって手を振り、
「初戦勝利おめでとう。まさかクロコダイルに勝つとはね。イーマン様も驚いていたよ」
と言って微笑んだ。俺は礼を返すと、
「それで、何か用か?」
「特に用事というわけじゃない。労いの言葉を言いに来ただけさ」
次の試合も頑張れよ。アーチャーはそう言うと去って行く。
『何だったのかしら?』
『さぁ?』
本当に言葉だけを言って去って行くアーチャーの後姿を見ながら、俺は彼の行動を測りかね、スマラと共に首を傾げていた。
まあいいさ。まずはゆっくり休んで、次の試合に備えないとな。街を散策した時に目星をつけていた店で祝杯を揚げようと、これからの予定を考えながら、身支度をするために部屋へと戻った。
「こちらが試合の報酬です」
勝利をスマラと共に祝った次の日、闘場の受付に顔を出すと、ヴィオーラからそう言って何かを渡された。確認すると、金貨と装飾品だった。
「金貨は勝利給です。貸与していた武具の金額を差し引いているのでご了承下さい。装飾品はイーマン様からの贈り物です」
詳細はこちらに、と言ってヴィオーラから封蝋され、丸められた羊皮紙が渡された。
「それとこちらが腕輪の鍵になります」
どうぞ、と渡された鍵を受け取り、早速腕輪へと嵌め込んでみる。
カチリと音がして嵌め込まれた鍵は、一瞬光を発し、そのまま腕輪の一部へと変わっていた。
「それでは、次の試合をいつにしますか?」
ヴィオーラの問いに俺は、
「〈模擬戦室〉を使えるのは最短でいつですか?」
「とりあえず今日使えますが?」
「それだったら、次の試合は明日が良いです」
「え? 明日ですか?」
俺の答えにヴィオーラが驚きの声を上げる。
「特に怪我とかもないですし、できるだけ早く自由の身になりたいですから」
「それにしても明日とは…」
ヴィオーラが戸惑っている。そりゃ連日で戦うやつは少ないだろうけど、俺としては一刻も早く自由になって、〈陽炎の門〉の探索に戻りたいのだ。多少の無茶は覚悟の上だ。
「…分かりました。明日の第2試合に登録します」
良いんですね? とヴィオーラに確認されるが、俺ははっきりと頷いて答える。
ヴィオーラはため息をついて首を振ると、書類に書き込んでいく。俺は〈模擬戦室〉を使う旨を伝えると、受付を後にした。
その後俺は3つの試合を行い、いずれも勝利を飾った。圧倒的に不利な予想を覆しての勝利だ。
2試合目は巨大な棍棒を振り回す〈食人鬼〉
3試合目は鋭い刃の様な牙を持つ〈剣歯虎〉
4試合目は大斧を繰り出す〈牛頭鬼〉
どうやら、俺の戦いは意図的にモンスター相手で組まれているようだ。俺としても対人戦よりは、心情的に闘い易いので構わないのだが。
そうして期間を空けずに闘い、その度に勝利をする俺の評価は闘場で徐々に高まり、期待の新人として知られるようになった。そんな中、俺の最終戦である5試合目が行われる日となる。




