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15 もうこれは幻夢(VR)じゃない

 スマラから、俺が奴隷になるまでの経緯を聞いた。

 眠ってしまった俺を乗せ、ゴンドラは地下水脈を出ると、そのまま出口に停泊していた小型の船に、積んでいた荷物と共に俺を乗せたらしい。


 その船には、あの悪魔崇拝者の男が乗っていたというのだ。


 男も俺が乗っていたのは知らなかったらしく、皮肉気に笑うと、俺が男から奪った〈刻の刻御手〉を取り戻し、身に着けていた武器を奪うと、コボルドに金を払って俺を引き取ったらしい。

 そして、そのまま船に乗せられて河を下っていったそうだ。

 そして河口付近まで来ると、今度は大型の船(今乗っているこの船だ)に乗せ換えられ、手足を鎖で繋がれると、そのまま他の荷物と共に海へと出発したということだった。

 スマラは影に潜んでいる間は、飲食や睡眠を必要としないらしく、影から感知できる範囲で周囲を観察していたそうだ。

 反動で、影から出た時に起きる食欲や睡眠欲は、影に潜んでいた時間に比例して強くなるそうだが。

 ちなみに俺の奴隷としての生活サイクルが把握できてからは、スマラは隙をついて影から出て、食料庫から食べ物を失敬したり、荷物の影で睡眠を取ったりしていた。



 そして、ひたすらに櫂を漕ぐだけで終わる筈だった日の夕暮れ、突然、船内が慌ただしい雰囲気に包まれた。

 音頭を取っていた見張りが、上層から飛び込んできた男に声をかける。

「何だ! 何が起きた!」

「最悪だ! 海賊船に見つかっちまった!」

 男の言葉に、見張りは顔色を変え、

「くそったれ! 何でこんな場所で! 航路からは外れているだろ!」

「知るか! 向こうは帆船だ! 風向きと潮の流れを考えても、追いつかれちまう!」

 男はそう言いうと、俺達に向かって叫ぶ。

「おい、手前ら分かってるだろうな! 死にたくなかったら、死ぬ気で戦え! 馬鹿な真似をするんじゃねぇぞ!」

 男はそう言って、俺達に漕ぐのを止め、順番に並べと指示を出す。俺達が指示に従って並ぶと、金梃を使って次々に俺達の鎖を外し始めた。そして、鎖を外された奴隷から順に、手斧や短剣などの武器が渡された。

「準備ができたやつから、甲板に上がれ! 海賊相手に勇敢に闘ったやつは、褒美として自由の身にしてやるぞ!」

 見張りの男が、そう言って俺達を甲板へと向かわせた。

 俺は甲板へと向かいながら、これはチャンスなんじゃないかと考えていた。

 奴隷である俺達に武器を与えてまで迎撃をしなければならないほど、海賊は強いのだろう。向こうの人数によっては、俺達が戦っても勝ち目がないのかもしれない。

『スマラ、どうする?』

『どうするも何も、どっちが話を聞いてくれるのかしら? 私はどっちも期待薄な気がするけど』

 スマラの心話に俺は思案する。

 こちらの船はガレー船だ。漕ぎ手の人数が足りなくなれば、船を動かすこともままならなくなる。

 一方で、海賊船は帆船だという。ある程度の人数は必要だろうが、ガレー船に比べたら少ない人数でも動かせるだろう。

 状況を見て、いざとなったら海賊に寝返るか…。

 俺は手に持つ渡された短剣の具合を確かめながら、まずは海賊の確認からだと決め、甲板へと急いだ。


「来やがったな…。おい、手前ら死にたくなかったら気合入れろ!」

 甲板に上がると、ゼーフント達も武装を終え、迎え撃つ準備を整えていた。皆手に武器を構えていつでも迎撃できる構えだ。

 彼らの視線の先には、こちらへと近づいて来る船があった。


 大きい。


 こちらのガレー船に比べ、倍近い大きさがあるように見える。

 風に乗っているのだろう、こちらの船との距離が見る見るうちに縮まった。

 そして、ガレー船の側面に着くと、海賊船からは次々に鉤縄が投じられた。鋭い鉤爪が、がっしりと船の縁に食い込み、お互いの船を固定する。

 ゼーフント達は俺達に、鉤縄を切り落とすように指示を出した。

 奴隷たちが縁に近づき、縄を切ろうとする。

 そこに、海賊が射る矢が襲い掛かった。

 貫頭衣だけの奴隷に次々と矢が刺さる。射られた矢はそれほどの数ではなかったが、荒事に慣れていない奴隷たちは、それだけで混乱に陥ってしまった。

 身を隠そうと逃げ出す奴隷たち。それを押しとめようと声を張り上げるゼーフント達をあざ笑うかのように、海賊船からは、次々と渡し板が掛けられ、その上を渡って海賊たちが乗り込んでくる。

「もうロープはいい! 海賊どもを返り討ちにしろ!」

 ゼーフントは、声を張り上げて奴隷や部下を叱咤する。奴隷たちも生き残るため、叫びながらやけくそ気味に海賊へと向かって行った。

 こちら側に来た海賊たちに比べれば、こちらの数が圧倒的に多い。数を頼みに押し返そうと、先陣として飛び込んだ奴隷たちから悲鳴が上がる。

「ぎゃっ」「ぐぇっ」「げは」

 構えも何もない、勢いに任せた突撃を、一撃で薙ぎ払ったのは、派手な赤い布を海賊巻きにして、船上で使うには大きすぎる〈野太刀〉(グランド・シャムシール)を構えた男だった。

「おう、死にたくなかったら武器を捨てな。大人しくしてりゃあ、命までは取らねぇよ」

 男はシャムシールを肩に担ぐと、凄味のある笑みを浮かべる。


 強い。


 船上で振るうには大きすぎるシャムシールを軽々と振り回し、バランスを崩すこともない体捌きを見るだけで、かなりの実力者だということが分かった。とてもじゃないが、奴隷たちの勝てる相手ではない。

 男を中心に、半円状に空間ができる。男が足を踏み出す度に、その輪が広がって行く。

 男の後ろから次々に海賊たちが乗り込んできた。その動きを見ても、こちらの奴隷とは比べ物にならないくらい、慣れているのが分かった。

「くそっ、黙ってやられるわけにゃいかないんだよ!」

 ゼーフントと部下たちは、奴隷を押しのけ、武器を振り上げて海賊たちに襲いかかった。

 海賊巻きの男は、それを見て鼻を鳴らすと、無造作にシャムシールを振るう。


 一撃。


 薙ぎ払うように振るわれたシャムシールは、飛び込んできたゼーフントと部下たちをまとめて吹き飛ばした。

 カウンターを受けたゼーフント達は、甲板に転がり呻き声を上げている。

 男はそれらを見下ろしながら、周囲を見回すと、俺を見てニヤリと笑った。

「おい、そこの黒髪のやつ。お前なら、俺を楽しませてくれそうじゃないか」

 そう言って、人差し指を使い、チョイチョイと俺を呼ぶ。

 はっきり言ってやりたくはなかった。

 俺はため息をつくと、ゆっくりと近づいて行く。

「あんたらに逆らう気はないんだが」

「まぁ、そう言うなよ。俺に勝てれば近くの港で自由にしてやるぜ。どうだ?」

 男はそう言ってシャムシールを構えた。どうやら闘いは避けられそうにない。

 俺は意識を切り替えると、それまでゆっくりと近づいていた速さを一気に上げると、距離を詰めた。

 男はニヤリと笑う。だが、その表情が変わる。

 俺が距離を詰めたのは海賊巻きの男ではない。その後ろからニヤニヤと笑っていた髭面の男だった。

 髭面の男は自分に向かって来るとは思っていなかったらしく、慌てて〈船上刀〉(カトラス)を構えた。だが、それよりも速く振り抜かれた俺の手から飛び出したダークが、髭面の男の顔に襲い掛かる。

 キィンと甲高い音と共に、俺の投げたダークが宙を舞う。

 横手から海賊巻きの男がシャムシールを使って弾いたのだ。

 高速で飛ぶ短剣を横から切り払って弾くという、高度な技を見せたが、そのために体勢を崩す海賊巻きの男。

 俺はすかさず、何も持たない腕を男に向かって繰り出した。

 体勢を崩しながらも、無手の俺を見て余裕の笑みを浮かべる海賊巻きの男。その表情が再度変わった。

『我が手に来たれ!』

 俺の唱えた合言葉に反応し、手の中に輝きと共に現れたのは、愛用のレイピアだ。

 そう、失われたはずのレイピアは、未だ俺を主と認めてくれていたのだ。

 一か八かの賭けに勝った俺の一撃は、海賊巻きの男に致命傷を与える必殺の突きとなる。

 だが、海賊巻きの男も只者ではなかった。

 シャムシールを投げ捨て、その場に仰向けに倒れ込んだのだ。

 受け身も何も考えていないその動きによって、俺の突きは男の額を捕えることなく、真紅の布を剥ぎ取るに留まる。

 会心の突きを躱された俺は、レイピアを引き戻すと、足元に倒れる男に向かい、再度突きを繰り出そうとした。

 そこで感じたことは上手く言葉では説明できない。

 突然感じた悪寒に、俺はレイピアを手放し、何も考えずに後方へと飛び退いた。

 一瞬前まで俺の頭があった場所を、鋭い音と共に何かが通り抜ける。

 それは、男が放った蹴りだった。まるで逆立ちをするかのように繰り出された蹴りは、まともに受けていたら顎を割り、首を折られていただろう、十分な勢いを持っていた。

 男は蹴りの反動を利用して立ち上がり、腰から短剣を抜いて構えた。

 俺も体勢を整えると、合言葉を使い、レイピアを手に戻す。

 そのまま睨み合っていたが、不意に男が構えを解いた。

「今日のところはここまでだ。お前、気に入ったよ。どうだ、俺達と一緒に来ないか?」

 海賊巻きの男は、そう言ってニヤリと笑った。

 俺は構えを解くと、それでも油断せずに問いかける。

「自由は保障してくれるんだろうな?」

「いいぜ、客人として扱おう。キャプテン、構わないよな?」

 海賊巻きの男の言葉に、髭面の男が仕方がない、という表情で頷く。そして、

「よし、俺達の強さは良く分かったな! 大人しくしてれば命は取らねぇ。俺達は無益な殺しはしねぇ。金目の物だけ頂くだけだ」

 と言う。その言葉に合わせて、ガレー船の乗組員は、全員甲板の上に集められ、武装解除されて座らされた。

 驚くべきことに、俺の武器は取り上げられなかった。どうやら本当に客人として扱われるようだ。

 抵抗する気も失い、項垂れるゼーフント達を尻目に、海賊たちは船倉から食料や水といった必需品以外の金目の物――交易用の商品や酒、質の良い武具など――を運び出し、帆船へと運び込んでいく。

 それらの作業が終わったところで、もう一度髭面の男が、

「よし、約束通り命は取らねぇ。どこへなりと行くがいいさ。あばよ!」

 と言って、帆船へと引き上げて行く。俺もその後に付いて行った。渡し板を渡るとき、俺は肩越しに背後を振り返った。

 ゼーフントが憎しみを込めて俺達を見ている。だが命は惜しいのだろう、襲い掛かってくるようなことはなかった。

 俺は前を向き、それきり振り返ることなく帆船へと乗り込んだ。



「改めて〈海竜号〉(シードラゴン)へようこそ!」

 海賊巻きの男は、大げさに手を広げると、芝居じみた(はっきり言って大根役者だ)態度で俺を迎えてくれた。

 俺は武装を解かれることなく、帆船へと乗り込んでいた。どうやら本当に客人として扱われるらしい。

周囲では、ふてぶてしい面構えの船乗りたちが手に入れた「お宝」を運んでいたり、操船のために慌ただしく動き回っている。

「それじゃ、早速だが自己紹介だ。俺はゼファーだ。よろしくな」

「ヴァイナスだ。よろしく」

 ゼファーと名乗った海賊巻きの男は、笑顔を浮かべると右手を差し出してきた。俺は警戒しつつも、そんな素振りを見せないように気を付けつつ、ゼファーの手を取り握手する。

「それにしても、良い動きだった。さっきの攻撃には肝を冷やしたぜ。危うくキャプテンがやられちまうところだったよ」

 握手をしたままのゼファーの言葉に、俺は苦笑を浮かべ、

「そう言いながら、きっちり防いでいたじゃないか。あの距離から投げたナイフを弾かれるとは思わなかった」

「偶々上手くいっただけさ。次も上手くいくとは思えない」

 ゼファーはそう言って肩を竦めるが、俺は次も防がれることを確信していた。おそらくゼファーは俺よりもレベルが高い。

 そして、ゼファーの右手に光る腕輪を見て、この男が俺と同じ〈探索者〉であることにも気がついていた。これでPCに出会うのは二人目だ。

 まぁ、こちらは〈刻御手〉を装備していないし、おそらくPCであるとはばれていないとは思うが。

 これだけの腕を持つ男であっても、〈簒奪者〉ではないという保証はないのだから。

「それにしても、お前ほどの腕を持った奴が、なんで奴隷に?」

 ゼファーの質問に対し、俺は肩を竦めると、

「まぁ、色々あってな。依頼の遂行中にドジ踏んじまった。それであの船に乗せられたわけだ」

「へぇ~。それじゃあ仲間とかも一緒にいたのか?」

「いや、パーティは組んでいなかった。そもそもまだ〈探索証〉も持っていないしな」

 俺の言葉に、ゼファーは驚きの表情を浮かべ、

「〈探索証〉を持っていない? モグリの探索者ってことか?」

「いや、これから登録して探索者になろうと思ってる。登録ができる街に向かう前に路銀が尽きそうだったから、駆け出しでも受けられる依頼を受けたんだよ。その依頼の最中に捕まって、奴隷船に売られたわけだ」

 俺はそう言って苦笑する。ゼファーは俺の答えにポカンとした表情を浮かべると、

「え? それじゃあまだ駆け出しも駆け出しってことか? あれだけの腕を持っていて?」

「一応、訓練所で最低限の訓練は行ったよ。3ヶ月くらいだが」

「それであの動きかよ…。天才ってやつはいるもんだな」


 いや、天才じゃないし。

 天才だったら〈魔戦士〉やってるし。


 盛んに驚嘆の声を上げるゼファーを制し、俺は、

「それで、俺はこの船で何をすればいいんだ?」

 と尋ねると、ゼファーは笑って、

「別に特にやることはないぜ? 客人として乗ってもらったからな。かくいう俺だって、操船に関しては船員(クルー)任せだし」

 と言っていた。ふむ、皆が慌ただしく仕事をしている中で、何もしないというのも、周囲の目が気になってしまうのだが、ホテルに泊まったと思えばいいか。

 適当に理由をつけて自己完結をし、俺はゼファーに質問をする。

「ゼファーこそ、探索者じゃないのか?」

「あー、俺は確かに探索者だけど、ここでの暮らしが気に入っているからなぁ。気儘な海賊稼業が肌に合っているというか」

 俺の質問に、ゼファーはそんな答えを返す。

 それに、とゼファーは呟く。その表情はさっきまでとは異なり、真剣なものだった。

「探している奴がいるんだ。そいつを見つけるためにも、今の立場は役に立つんでね。まぁ、そんな感じだ」

「友達かい?」

「友達というか、幼馴染だな。ちょっとした手違いで離れ離れになっちまったんだが、一緒に冒険しようと約束しててね。お互いどこにいるのか分からないから、色んな街を巡って手掛かりを集めているのさ。この船で行ける場所を探して見つからなければ、今度は内地を探すつもりだ」

 なるほど、どうやら転移の際、別の街に飛ばされたようだ。あれ? でもそれなら、

「相手の居場所も分からないのに、どうやって探すんだ?」

「そうなんだよなぁ。一応、〈陽炎の門〉の前で集合する予定だったんだけど、今まで巡った街には〈陽炎の門〉へ通じる転移ゲートがなくってな。それも含めて探索中ってわけだ」

「ちなみに、どれくらいの街を訪ねたんだ?」

「規模の大小はあるが、ここ一月近くで、10以上の街や村へは行ったぜ。もっとも、海沿いだけだが」

 一月かけて〈陽炎の門〉へ通じるゲートが見つからない…。どうやら、オーラムハロムは思っていた以上に、ゲーム的な利便性を排除しているようだ。

 流石に首都クラスの大都市であれば、ゲートは存在していると思いたいが、下手をすると、辺境やダンジョンの奥にしかないという、鬼畜仕様でもおかしくはない。

 その場合、一旦ログアウトして、リアルで連絡を取り合い、場所が確定してから合流したほうが確実そうである。

 俺はそのことを指摘しようとして、思いとどまる。

 今のところ、俺がPCであることをゼファーには伝えていない。ゼファーが〈簒奪者〉ではない、という確証がない以上、こちらから情報を開示するのは躊躇われた。

 なにしろ、初めてのPCとの邂逅が殺し合いだったからな。

 あげく、奴隷船に売り飛ばされるし。

「まぁ、とりあえずは部屋に案内するよ」

「ありがとう」

 俺はゼファーに案内され、船の中へと入って行った。



 〈海竜号〉は帆船で、俺が乗っていたガレー船と比べても二回りは大きい船だ。だが、帆船であるために漕ぎ手の必要がなく、船の中もゆとりがあるように感じられた。

 それでも、船員の数はガレー船に比べて多いようだ。操船に携わる人間は、ガレー船に比べて多くなるのだろう。

 俺はゼファーに船室の一つへと案内された。一応客室になっているらしく、個室だった。

「それじゃあここを使ってくれ。食事は1日3食。時間は5回で交代制だから、取りたい時間に合わせてもらえればいい。水は貴重品だから、大事に使ってくれ。もちろん酒もだ」

 ゼファーの言葉に頷くと、ゼファーは笑顔を浮かべ、

「まぁ、今日のところはゆっくり休んでくれよ。何かあれば声を掛けてくれ。船内は自由に見てもらって構わないから」

 と言うと、部屋を出て行った。

 扉を閉め、俺は一息をつくと、備え付けられたベッドに転がる。すると、影からスマラが姿を現し、仰向けに寝転がる俺の腹の上に乗って来た。

『とりあえず、奴隷からは解放されたけど、これからどうするの?』

 スマラの質問に、俺は天井を見上げつつ、

『そうだなぁ。ゼファーの話を聞いた中から判断すると、とりあえずは殺されるようなことはなさそうだ。彼らの「仕事」に手を貸すかどうかは分からないけど、最低でもどこかの街に着くまでは大人しくしていようと思う』

 と答えた。スマラは頷き、

『それなら、私もゆっくりするわ。おやすみなさい』

 と言って、俺の腹の上で丸くなる。スマラの重みと温かさを感じながら、俺もいつしか眠りに落ちていた。



 〈海竜号〉に乗ってから1週間が過ぎた。

 俺がこの船に来てからは、特に「仕事」をすることなく航海をしている。俺はその間、休憩時間の船員たちとカードゲーム(もちろん賭け事だ)をやったり、甲板で稽古をしたり、船長に海図の見方を教わったり、船員たちに教わって操船の仕方を覚えたり、のんびり昼寝をしたりして過ごしていた。

 この船の船員たちは、海賊とは思えないほど気さくで陽気な者が多かった。船長によると、元々は交易船としてやっていたのだが、海賊に襲われて財産を失い、似たような境遇の者が集まって、やむにやまれず海賊稼業を始めたそうだ。なんとも皮肉な話である。

 それでも、見境なしに襲うことは避け、襲った時にも極力命は取らないようにしているそうだ。

 義賊みたいなものだな。まぁ、海賊は海賊なんだが。

 ちなみにスマラも姿を現し、気ままに過ごしている。

 始めはなぜ猫がいるのか? と疑問に思われたが、俺が連れ込んだと言うと、あっさり受け入れられ、今ではマスコット替わりに可愛がられていた。

 スマラ自身も、船員たちにちやほやされるのは気分が良いらしく、最近ではすっかり馴染んでいる。

 そうして過ごしているうちに、仲良くなった船員から聞いた話では、どうやら、明日には近くの島にある港町に到着する予定らしい。そこで、手に入れた「商品」を売買するのだそうだ。

 久しぶりの陸地になる。船の生活にも慣れてきたが、久しぶりに地面を踏めると思うと、妙に懐かしさを感じた。港街なら、何か旨い物でも食べられるといいのだが。

 それに、そろそろAGSの接続限界時間が迫っていた。強制ログアウトが起きても大丈夫なように、船を降りるにしろ、残るにしろ、ログアウト後のことを考えると、ゼファーに相談した方が良いだろう。

 俺はゼファーに相談事があると伝えると、向こうにも相談事があったようで、夜に俺の部屋で話すことにし、それまではのんびりと過ごすことにした。



「よう、いるかい?」

 夕食を終え、部屋に戻ってしばらくすると、ノックと共にゼファーが声を掛けてくる。

「ああ。どうぞ、開いてるよ」

 俺が声をかけると、ゼファーが酒瓶と木杯を持って入って来た。

「よう、明日は港町に着く。色々仕入れられるからな。とっておきだぜ」

 そう言って瓶を掲げると、ニヤリと笑った。俺も笑顔で返し、

「酒か。奴隷になってからこっち、飲んでなかったから久しぶりだ」

 と答える。ゼファーは頷くと、

「俺だって久しぶりだ。『仕事』で稼ぎが良かったのと、明日着く港は商業が盛んなんでな。船員皆に備蓄の酒が解禁されたんだ」

 お前は客人だから、その中でもとびきりのやつだぜ。ゼファーはそう言って酒瓶の封を切り、木杯に注ぐ。

 注がれた酒から香る芳醇な香りが、部屋の中を満たしていく。その香りに、スマラがピクリと反応した。

『ちょっと、これってウヴォノン産の葡萄酒? 高級品じゃない!』

 スマラはそう言うと、寝転んでいたベッドから飛び出し、テーブルの上へと飛び乗った。

「うん? この猫酒飲むのか? 変わってるなぁ」

 ゼファーは珍しいものを見たという顔をしながらも、飲むか? と聞いている。スマラが頷くと、噴き出しながらも、木杯に酒を注いだ。スマラは器用に前足で木杯を抱えると、飲み始める。

 その様子に驚きの表情を浮かべるゼファーに苦笑すると、

「そいつは特別なんだ。まぁ座ってくれ」

 と言って席を促す。ゼファーはもう一つ木杯を持って来れば良かったな、と言いながら席に座る。

「俺は自前のコップがあるからいいよ。それで話ってのは?」

 俺は〈全贈匣〉を開き、中から〈極光の宴〉を取り出し、ゴブレットを外して酒を注ぐ。スマラが気に入る酒だ。覚えさせてもいいだろう。

 その様子を見ていたゼファーが、

「〈全贈匣〉…。珍しいギフトを持ってるな」

「そうか? 割と便利なんだが」

「容量が狭すぎる。それに大きなものが仕舞えないからな。貴重な〈才能〉スロットを使うには物足りない」

「まぁ、考え方は人それぞれだしな」

 ゼファーに対し、俺はそう答えると、葡萄酒を飲む。

「お前はやっぱりPCなんだな」

 唐突に言われた内容に、俺は葡萄酒を吐きだし、咽てしまう。

 しばらく咳をして呼吸が収まるのを待つ。その間、ゼファーはニヤニヤと笑いながら木杯を傾けていた。

 ようやく落ち着いたところで、俺は、

「なぜ、PCだと?」

「〈才能〉やスロットという言葉に対して疑問を持たずに会話していたじゃないか。それに〈陽炎の門〉のことを話したときにも疑問を持たなかった」

 スロットに関しては迂闊だったかもしれない。だが、ギフトに関してはム・ルゥやエトー、ジュネ達も使っていたし、〈陽炎の門〉に関しては大きな街にいけばあるだろうと思い、特に気にしてはいなかったんだが…。

「あのな、俺も今回のバージョンになって知ったんだが、〈現地人〉達は、ゲーム用語を使用しない」

 なんだって? 〈陽炎の門〉の街では普通に使っていたじゃないか!

 俺は疑問をぐっと飲み込み、ゼファーの次の言葉を待った。

「そして、〈陽炎の門〉に関しては、知っている〈現地人〉には一人もいなかった」


 なんだと…? 一体どういうことだ?


「別にお前を騙してやろうとは考えていない。信じる信じないはお前の自由だが、嘘は言っていない」

 そう言ったゼファーの表情は真剣で、嘘をついているようには見えなかった。

 俺が黙ってゼファーを見ていると、ゼファーは頷き、

「とりあえず、俺が知っていることは話そう。その上で判断してくれ。まず、俺の名はゼファー。PC名だが偽名じゃない。ベータテストにも参加していた。出身はアメリカ、ニューヨークだ」

 ゼファーはいきなり自己紹介を始めた。ゼファーはアメリカ人だったのか。しかもベータテスター。

「クラスは〈戦士〉。レベルは5だ。〈体力〉特化のビルドなんで、他は大したことないけどな。まぁそれでも20前後はあるが」

 なるほど。シャムシールを軽々振り回す膂力は伊達ではなかったわけだ。

「好きな武器は刀系。俺、サムライが大好きなんだよ」

 ゼファーはそう言って笑う。なるほど、それでシャムシールなわけか。

「それなのに、海賊?」

「いや、今の生活はやむにやまれずってやつだ。前に言ったろ、人を探してるって。スタイルを通すほど金もないし強くもない」

 まぁ、そうだな。ゲームを始めて大した時間は経っていないし。まぁ、それはそれとしてこちらも自己紹介するか。

「ではこちらも改めて。俺はヴァイナス。PC名だが偽名ではない。正式サービス組で、出身は日本。埼玉だ」

「サイタマ? トーキョーの近くか?」

 ゼファーの質問に、隣の県だよと答える。

「クラスは〈盗賊〉。レベルは4だ。〈能力〉はわりと万遍なく上げている。盗賊は器用貧乏なんでね。〈才能〉はさっき見せた〈全贈匣〉だ」

 そう言えば、ゼファーのギフトは何なんだろう?

「俺か?〈絶対方角〉(ディレクション)だよ。俺、リアルでは方向音痴でな。〈才能〉は迷わなかった」

 なるほど。それは切実だ。

「それでこいつは相棒のスマラ。ゼファー、ネコ語は分かるか?」

「ネコ語? 分からん。言語は共通語、エルフ語、ドワーフ語、セリアン語、古代語だな」

「なら共通語で挨拶ね。初めまして、スマラよ」

「な…! 猫が喋った!?」

 そりゃ驚くよなぁ。俺も驚いた。

「失礼ね! 私は〈妖精猫〉。ただの猫とは違うわよ!」

「へぇ、流石ゲームだ。猫も喋るんだなぁ」

「別に妖精猫だから喋るわけじゃないわよ。大抵の猫はネコ語しか喋れないし。でも、喋れないだけで、人間の言葉は理解しているわ」

「マジで? やばい、家で飼ってるマイケルも、俺の言葉を理解してるっていうのか?」

「多分、分かってると思うわよ。こっちで会った子は皆そう言ってたし」

 スマラの言葉に頭を抱えるゼファー。っていうか、現実世界の猫が言葉を解してるわけないだろう。騙されてるぞ。

 それにしても、このゲームのAIは良くできている。NPCと話していて、会話が留まることがないのだ。

 どんな話の内容でも、会話が成立する。そのNPCの立場に関係のない話でも、それが世間話のようなものなら問題なく対応してくるのだ。まるでNPCの一人一人にエキストラとして「中の人」を用意しているみたいに。

 まぁ、スマラはPCのサポート用キャラクターみたいだし、特別なのかもしれないが。

「それにしても、酒飲みで喋る猫か…。この世界は驚きに満ちているぜ」

 おかわりを要求するスマラに酒を注ぎつつ、ゼファーはしきりに感心していた。それを横目で見ながら、俺も杯を干す。

 さっきは咽たせいで味わう暇もなかったが、改めて味わってみると、旨い。

 しっかりとした味と香りがあるが、それが後を引かない。後味が非常にすっきりしているのだ。これは油断するとどんどん飲んでしまう。

「良い酒だな」

「だろう? 船長のとっておきをくすねてきた」

 大丈夫か?

「ウヴォノン産の葡萄酒をここで呑めるとは思わなかったわぁ」

 スマラが満足そうに毛繕いをしている。

「有名なのか?」

「有名よ! ウヴォノンは砂漠の中にあるオアシスの街だけど、砂漠の過酷な環境でしか育たない砂葡萄を使った葡萄酒は、採取できる砂葡萄の稀少性もあって非常に高価なのよ。場所によっては同じ重さのダイヤで取引されたりするくらいよ」

 スマラの説明に、俺は思わず葡萄酒の瓶を見た。確か10WPのダイヤの価値が大体200ゴルトくらいだったはずだから…。

 この大きさの瓶で1000ゴルトってところか…。

 って、1000ゴルト!? マジックアイテムが買える値段だぞ!

 価格を知り、思わずゼファーと顔を見合わせる。ゼファーは真っ青になっていた。こりゃ、ばれたら只じゃ済まなそうだ。

 まぁ、飲んでしまったものは仕方がない。ゼファーにはご愁傷様と声を掛け、話を進めることにする。

「それで、話ってのは俺がPCかどうかを確認することだったのか?」

「いや、それもあったが、それだけじゃない」

 ゼファーは後悔を断ち切るように杯を干すと、真剣な表情を向けてくる。

「〈刻の刻御手〉は持っているか?」

「ああ。それが?」

「すまないが、身に着けてみてくれ」

 突然の申し出に、半信半疑ながらも、言われた通り〈全贈匣〉から自分の刻御手を取り出し、身に着けた。

「ありがとう。そうしたら、ログアウトをしてみてくれ」

「ログアウト?」

 こいつはいきなり何を言い出すんだ。だがまぁ、何かしらの理由があるのだろうと思い、俺は特に気にすることもなくログアウトをしようとして、愕然とした。


 ログアウト機能が存在しないのだ。


 俺は何度も確認したが、まるで最初からそんな機能はないというように、刻御手には何もなかった。刻御手が時を刻む音だけが、波の音と合わさり、静かに流れて行く。

 俺の様子を見て、ゼファーはため息をつく。

「やはり、ログアウトできないか」

「これはどういうことだ?」

 俺の質問に、ゼファーは首を振り、

「分からない。ただ、刻御手によるログアウト機能がなくなっているのは間違いがないようだ」

 俺達の刻御手が両方とも同じ状態であるなら、おそらく他の刻御手も同様にログアウトができない状態になっているだろう。

 そう言って肩を落とすゼファーを見ながら、俺は焦る気持ちを必死に抑え、他の方法がないか考える。

 運営に対する「GMコール」のような機能は、初めから付いていないことに、これほど不安を掻き立てられることになるとは思わなかった。

 リアル志向を突き詰めたゲームシステムの結果とはいえ、こういったアクシデントにプレイヤー側からできることが少ないのは、やはり問題がある。

 しかも、ログアウトができないと言うゲームとしての致命的なバグが重なっている。本来なら運営から然るべき対応がされていないとおかしい。

 それがないということは、偶々俺達だけに起きているトラブルということも考えられた。

「なるほど、それで〈陽炎の門〉か」

 俺の呟きに、ゼファーは頷く。俺は改めて、他のログアウト方法を思い出す。


 〈陽炎の門〉を使ったログアウトについて。


 これは、可能であるのならば最善の方法だ。〈陽炎の門〉には当然管理者がいるわけで、管理者は運営にも連絡する方法を持っている可能性が高い。

 もし、連絡方法を知らなかったとしても、ゲームの関係者である以上、何かしらの手段は持っているはずだ。

「だが、今まで色々な場所を巡って、〈陽炎の門〉は見つからなかった。この辺りの海域周辺の街には〈陽炎の門〉がなかったんだ。もっと内陸の街にあるのかもしれないが、闇雲に向かっても見つかる保証はない。だから、俺はここで海賊に手を貸しながら、行商人や旅人達から情報を集めることにした」

 確かに、様々な場所を旅して交易をする行商人や、遠方から旅をしてきた旅人なら、〈陽炎の門〉を知っていてもおかしくはない。

「ヴァイナス、お前が今まで訪れた街には〈陽炎の門〉はなかったのか?」

「俺も大した数の街を訪れたことはないが、チュートリアルを受けた街以外に、〈陽炎の門〉は見ていない」

 期待していたのだろう、ゼファーは俺の答えに、がっくりと肩を落とす。

「それなら、もう少しでAGSの連続起動限界時間になる。そうすれば強制的にログアウトできるじゃないか」

 俺はそのこともあって、ゼファーに相談するつもりだったのだ。安全にログアウトできる場所を確保するために。

 俺の提案に、ゼファーは力なく笑う。

「ヴァイナス、気づいていないのか? 俺はアメリカでプレイしているんだぜ」

 ゼファーの言葉に、俺は一瞬何を言われているのか分からなかった。だが、その言葉の意味を理解した時、更なる恐怖に包まれた。

 〈オーラムハロム〉は全世界でプレイができるVRMMOとしても期待されていた。同一サーバで世界中の人々が同時にプレイするという、画期的なものだったのだ。

 従来のVRゲームはグローバルなタイトルであっても、各国ごとのサーバで管理され、お互いのサーバの行き来はできないものが大半だった。また行き来できるものであっても、サーバ変更の手続きなどが必要で、かつ装備やお金を持ち込めないなど制限も厳しかった。

 そこで〈オーラムハロム〉は同一サーバでの一括運営という、新たな挑戦を試みたわけだが、世界中で同時にサービスがスタートしたわけではなかった。

 時差などの関係もあって、サービス開始は日本ではPM12:00ではあったのだが、〈オーラムハロム〉を製作した会社の地元であるアメリカでは、先んじて(日本時間で)AM12:00から稼働していたのだ。つまり…。

「俺がログインしたのは、日本のサービス開始より12時間前。とっくに連続稼起動界時間は超えているのさ」


 AGSの強制ログアウトも故障している…?


 俺は信じたくない事実を聞かされ、呆然とする。

「それって…」

「ああ、俺のAGSが初期不良でトラブっているってんなら良い。だが、他のAGSまで全て故障しているとなると、事態はかなり深刻になる。だから、俺が今日話をしたかったのは、他のPCに刻御手でのログアウトの可否と、刻御手がダメだった場合、強制ログアウトを試してもらいたいと頼みたかったんだ」

 ゼファーはそう言って頭を下げてきた。

 まさか、こんなことになっているとは…。俺はふと思いつき、スマラに質問する。

「スマラ、お前は現実世界にもいるって言ってたよな? それってログアウトしているってことなのか?」

「ログアウトが何か分からないけど、〈オーラムハロム〉(ここ)と〈覚醒の世界〉(むこう)を行き来するのは簡単よ」

「どうやるんだ?」

「寝ればいいのよ」

 スマラはあっさりとその方法を口にした。だが、俺もこの世界で何度も眠っているが、それでログアウトはしなかった。

 ゼファーに視線を送ると、やはり同じことを考えていたのだろう、首を横に振る。

「俺達は眠っても、ログアウトはしなかったぞ?」

「それはどうしようもないわね。私は眠る以外の方法で世界を行き来するやり方は知らないわ」

 くそっ、ダメか…。いや、それなら…。

「スマラ、向こうに戻って助けを呼んできて欲しい」

「どうやって?」

「そりゃ、事情を話して…」

 と言ったところで気が付く。スマラは言っていた。人間の言葉は理解していても、喋ることはできないと。

「私は向こうではネコ語しか喋れない。私の周りにはネコ語を理解している人間はいないわ。それに文字だって書けない」

 猫が書いた文字なんて、向こうでは信用されないでしょうけど。スマラはそう言って顔を洗う。

「なら、〈陽炎の門〉のある街を知らないか?」

「〈陽炎の門〉なんて、聞いたことがないわよ。呼び方が違っているのかもしれないけれど、世界を行き来する門なんて見たことも聞いたこともない」

 なんてこった…。

 後は、俺の強制ログアウトを試すしかない。

「分かった。俺が強制ログアウトできるかどうか試そう」

「頼む。もしログアウトできたら、各方面に連絡して、俺達がログアウトできるようにして欲しい」

「了解だ。まさか、こんなことになるとはな…」

 俺は椅子にもたれかかったまま、天井を見上げる。

 無事にログアウトできればいい、だができなかった時、どうするべきか。

 俺は考えをまとめることもできないまま、ただぼんやりと天井を眺め続けた。



 俺はゼファーと相談し、ログアウトが確認できるまで、〈海竜号〉に滞在することにした。

 幸い、強制ログアウトまでは、この港町に滞在するのが分かっていたので、できなかった場合にも話がしやすいからだ。


 そして、

 俺が〈オーラムハロム〉にログインして24時間が経過した。

 結論から言って、強制ログアウトはできなかった。


 俺やゼファーのAGS自体がトラブルの原因であるのなら、運営が感知していなくても不思議はないし、こういった問題は、大抵の場合ユーザー側からの指摘で発覚するのが普通だ。

 初期不良はいつの時代にもついて回ることだとはいえ、よりによってサービス開始直後のゲームトラブルと同時に起きるなんて。


 不運というにはあまりにも偶然が重なり過ぎたトラブル。


 はっきり言って、これはかなり深刻な問題だ。後はもう一つ残った手段を試すかどうかだ。


 【消滅】によるログアウト。


 これは最後の手段にしたかった。別にキャラクターを失うのが嫌だからという馬鹿な理由からではない。

 AGS自体の故障だった場合、最悪、AGSの中に閉じ込められたままになる可能性があるのだ。

 どのシステムが不具合を起こしているのか分からない以上、コールドスリープが解けないまま、外部との連絡も取れず、再度キャラクターを作ることもできずに、誰かが気が付いてくれるまで、永遠にタイトル画面を見続けることになるかもしれないのだ。

 AGSの構造上、バッテリー切れを待つこともできない。もちろん、メーカーが問題を認識して、強制的に止める可能性もあるが、現状こちらからそれを知る方法はないので、期待するわけにもいかない。

 今はまだオーラムハロムで動くことができている以上、こちらで出来ることを全て試してみてからでも遅くはない。


 目が覚めた時、もはや見慣れた客室の天井が目に入り、俺は強制ログアウトが起きなかったことを悟った。

俺は強制ログアウトできなかったことをゼファーに伝え、最後の手段に関しての見解を述べると、ゼファーも同意してくれた。

「やはり、PC全員に起きている可能性が高いな。【消滅】によるログアウトもこちらで出来ることをやってから試すべきだな」

 ゼファーの言葉に頷き、俺は改めて考える。


 これからどうするべきか。


 はっきり言って、現時点では何も思いつかなかった。かといって、自暴自棄に【消滅】を選ぶ気にもならない。

 そこで、ゼファーが話しかけてきた。

「なぁ、これからどうするんだ?」

「正直に言って、途方に暮れている」

「もし、良かったら〈陽炎の門〉を探すのに協力してくれないか?」

「協力?」

 俺の問いかけにゼファーは頷き、

「ああ。俺はもうしばらくはこの辺りを探索してみる。もし他のエリアに行くのだったら、〈陽炎の門〉を探して、見つけたらログアウトして現状を伝えて欲しいんだ。もちろん、俺が先に見つけたら、ログアウトして現状を伝える。アメリカと日本じゃ対応が違うかもしれないが、できることはやっておきたいんだ」

 なるほど。確かに当面の目標としては、〈陽炎の門〉を探すことに異論はなかった。まずはそれを目指して動くべきか。

「分かった。協力しよう」

「ありがとう。それで、改めてどうする?」

「別に当てがあるわけじゃない。問題なければしばらく同行しても良いだろうか?」

 はっきり言って、俺はこの世界のことをほとんど知らない。ム・ルゥに教わった知識だけでは到底足りないし、実地の知識は重要だ。それに、このまま旅を続けるにしても、準備が必要だ。俺は今、金も探索装備も持っていないのだから。

「構わないぜ。ただ『仕事』を手伝ってもらうことになると思うが」

「仕方がない。べつに聖人君子ってわけじゃないからな。金を稼がないと装備も整えられないしな」

「分かった。これからも宜しく」

「こちらこそ」

 ゼファーの出した手を握り、俺はこれからのことを考え、思いを巡らせていた。


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