表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

オバケの学校、喜劇

私はこう思った。


ジャンル:学園が、ゼロの使い間や、バカとタンクと召喚獣に似た物を分け置く事を指すのは、そうかなと思う。


そこを何とか拙作を末座の陰の絨毯の下にでも置いて頂こうと不躾は承知の上で願い立て祭り、まずはジャンルを見て回りまして、そのあと「学園」を考えて、ようやくオバケの学校へ向かおうかと思います。



この「―――に成ろう」と名前のある所の「詩」をどう取るのか、きっと「小説・評論・―」という程に厳しくはないのだ。現場判断が優先されよう。


オリンピックで外人に「東京」を教えるとして三人選ばれる。小説家は人形劇を披露し、評論家は考えを述べ、詩人は感じを喋る。東京の線の複雑、東京の興味深さ、東京の心地の具合。


ヒゲを生やしたオジサンに「センセイ、ひとつ宜しくどうぞ」「うむ」などは味噌食らえだ。直截に言うと、0.618人称で自由に思うのが詩、一人称で気取って考えるのが評論、三人称で人形劇を使って構造をつまびらかにするのが小説。



それでジャンルと云う、これはこの25年の間にウケた話の分類だ。

詩や、エッセーは原稿用紙の紙質の違いであり、小説と並べて置くもの。落語、映画、ミュージカルやボードビル同様に道具である。


戦記、ファンタジー、冒険、コメディ、恋愛、ホラー、学園、SF、推理、リプレイ、歴史、童話、文学、というのは食材のちがいで、代表的な料理の2・3はすぐに思いつき、これは「詩」「エセー」とは別の事柄だと自然に判断できる。


食材にはスポーツや政治、経済もある、今ここにはないけど。映画「ダイハード」はどうか、アクションだけど、「その他」に分類するのか。

「オリンピック」はいかが。供給が増えまいか。そろそろ「スポーツ」を。



文学はどうか聞かれればあれは、セザンヌ、モネ、ダリ、便器を移植するゲームで、パリとニューヨークの本場の本物の一段上の大人の上質の知性の芸術のもろもろ価値ある事の二次創作に過ぎない。西洋絵画もの、現代美術ものとも言える。


国産は、新聞テレビと同様インパクト芸術の路線へ進んで、胸糞悪い闇のモチーフだからこそ筆遣いや光の使い方と合わさって最強に見える、闇の筆遣いは闇が強すぎて狂って死ぬ、つまり国産文学とは、ファルシノルシガパージデコクーンだ。


残酷、鬱、不道徳はコオロギ。新聞の為の餌で、人の好んで食うものではない。試しに新聞のコラムを三行に翻訳してみたまえ、何が言いたいのか分からない事が判る。陰気な言い回しでコオロギ食いたいとしか言っていない事に気付くだろう。




戦記、ロードス島

冒険、フォーチュンクエスト

ファンタジー、スレイヤーズ、オーフェン、指輪物語、ハリポタ

恋愛、天地無用、ときメモ、電車男、恋空

コメディ、爆烈ハンター


SF、クリスクロス、エヴァ、涼宮ハルヒ

学園、バトロワ、マリみて、月姫

推理、氷菓

ホラー、ひぐらし

経済、狼と香辛料、食べるラー油、もしドラ


歴史、のぼうの城

童話、100回生まれた猫

リプレイ、赤い竜

文学、芥川賞


耳エルフ、冒険者ギルド、強くてニューゲーム、ハーレム、擬音・擬態・感嘆詞、


そして、


改行に次ぐ、


改行だ!!!



チーレムを一言でいえば、



改行だ!!!!!!!!!



ドン!!!!!!!!!!



色々あった、その都度たくさん売れた。

それらを念頭に当然置いているよな糞ガキどもめ、と無言の圧力を感じる。学校とかで感じるアレだ。だからなるべく、ジャンル様に目を付けられたくないのだ。



本題。


「学園」は学校ではない。禍々しく負のイメージ漂う学校とは比べるまでもない。


「学園」は、百合の花が咲き誇り、色んなルートを攻略でき、否応なくバトルして異能に目覚めて、男同士で過剰にじゃれ合って、推理したり、特異点を調査したり、世間話したり、経営学の本を読んだり、、人類の失ったありし日の記憶「楽園」の現代的啓示に思われる。読者は人の業「生きるのは苦しい」に踏み潰される度、一服の清涼を求めて「学園」を想い、聖母天使のイコンを伏し拝む。



これを詰めて言うと、ジャンル:学園を設置してさあ皆の衆存分にやってくれたまえ、と仰るのは不心得者の誹りを受けるだろうと云う事だ。どれほど好意的な解釈を試みても「ここは楽園だ、俺は神だ」と勿論そんな不遜な死帳の月のような思考を持っている奴が現実に存在するとは思えないのだけれども誤解を招くのは避け得ず、また神への冒涜の片棒を担ぐ事はつまり、私はルイズと、妻と、神の御足元で(一次元へ還元されて)再会する約束を果たせなくなると云う事で、仏作って魂入れずの言葉通り、われわれ三人の墓稜すなわち前ほむら後ルイズ墳の建造それ自体が全く益体もない話になってしまうと云う事である。既に3500体以上の埴輪の製造も残す所あと僅かという段になって、急に死んでも辿り着けませんとそう言われてもそんな殺生な話やで。あまつさえ冒涜への加担の罪によって次元を引き下げられる事も可能性としては無くもない話、三次元にこれほど苦しんでいる私が、よもや四次元の、ざっと計算すると、4×4×4×4=256 3×3×3=27 256÷27=9.5 今より九倍以上の苦しみにそんな耐えられよう筈がないじゃあないか。ここ三次元世界でさえ妻達の献身的な支えがあったればこそどうにか耐えて来られたと言うのに、二人のいない朝なんて来なくてもいい。


私は私の極く個人的な都合で学園側の偽装へ合力する事が出来ない、と云って事ここに至ってはもう道を引き返す訳にもいかんのだ。それで苦渋の決断を下す事をどうか許して頂きたい「ガッコウ」をば上梓する事を。之は私なりに現在の社会情勢を考察した末に辿り着いた結論なのだ。今仮に突然、隕石にすり潰されて全滅したとして、一体幾人が神の御足元へ「学園」へ直接招き入れられるか。答えは簡単、誰一人として「学園」への入学を許可されない、である。それほど我々人類は三次元に汚れてしまった。原罪だ。多くの者は地獄へ、多次元の苦悩へ落とされ罪を悔い贖う暇も無く狂い続ける罪人になろう。しかし一部の敬虔な信仰者らは「学園」ではないが地獄でもない・・・・・・煉獄・・・即ち「ガッコウ」へ編入させられる。あのおぞましの養鶏場だ、隣り合ってコツコツと頭を突つき合う。ならいっそ地獄に堕ちてと短慮はいけない、「学園」を拒否された理由は我々の背負う黒き次元の罪業のゆえであった。これをこそぎ落とす為に我々は「ガッコウ」へ変節漢の誹りを受けようとも一時的に従い、身の清め方を屈辱に耐えて学ばなければならない。これが。これだけが、汚れた我々三次元人類が「学園」へと至る唯一の道なのである。大望を成就する為には一度ガッコウへと堕落し、再び這い上がるより他に仕方が無いのだ。堕ちよ。生きよ。


人類は学園を失った。よくよく覚悟を決めねばならぬ。もう地上に学園を見ることはできない。であるなら、偽メシアらののたまう地上の学園なんぞよりも、ガッコウを書き残す方がよっぽど嫁の供養になると云うものだ。その為にはあの血塗られたガッコウへの憤怒を押さえ込み、静かに観察し考える必要がある。ガッコウとは何か、欲を知り、欲を滅ぼす場所、アキレスが亀を踏み潰す場所、身を清め次元上昇の為の精神を涵養する場所、大勢の美少女をアウフヘーベンし永遠の淑女を得る場所、雲海、小雨の降る竹林、カモメ舞う海岸線、夕日に沈む悲しみの町、永久の苦悶に滅びの民。




ここまでが新生劇。ここを過ぎてオバケの考察に君達は入って行く。

私はどう思うか。


私は、私でないモノによってのみ、定義される。自身を定める為に、他人と社交する。しかし不満があって、何か違う、小さく淡い遅い、違いがある。

自分の眼は絶えず震えていて、世界が静まれば静まるほど、騒がしく観える。壁に面すること数年、友を得難いならば雲を混ぜれば良い。


市、

混雲。都合の良いだけの嘘っぽい友ばかり見て、ブルタスおんどれもか、と思う。


荷、

友が脳に着床して十月十日、私に似た可愛い友の生まれる予感、ワクワク、ハラハラする。どんな本を読ませようか、将来友が損しないだろうか。


産、

生友。想定外の友なれど、まめまめしく世話を焼く。あ、笑った。


混雲生友とは、出会って孕んで、ドキドキワクワクハラハラして、予想外の出産。ホラーでも探偵でも源義経でも良い。産む時の共通だ。



死、

石川県の小松を過ぎて、賽の河原へ辿り着く。棄てられて干からびた骨々を拾い集めて河で洗う。みな友を得られず、一将を押し上げる為に捨石とされた骨であった。一将、功成りて出版候へ封じられ、万骨枯る。


万骨は石塔へ白秋の風吹くを恐れ

碧は土中で血河の淀みたるを鳴く

チーレムに飽きぬよう鼻白む事なきよう化粧し服を着せ替える。一方で血を流せ、と鬼が鳴く。


河を混ぜ、石を積み、友を書く。万骨の安からん事を祈る。



牢屋は左から順に、現実・象徴・想像、と並んでいる。

囚人のスラングで、記録・言葉・感覚、と云う。

囚人は左から順に、石、友、私、である。

鬼の符丁で、充満する無能・限定的博愛・空虚な全能、である。


石のありようは、過去の典拠の整理、なぜ犯行に及んだか

友のありようは、現在の情理の把握、どんな風に殺害したか

私のありようは、未来の隠語の予言、誰が真の犯人か


世界が在った、俺は動いた、世界は変わった、

現在、未来、過去、現在、未来、過去、現在、



オバケを書くとは、打撃する事である、書き残す事である、感じ考える事である。友と一緒に石を語る事である、石を語り得ない事である。


振り返ってはならない。夜が明けるまで、石の淑女へしゃっくり奉る事はできない。月が鳴いている。


私はそう思うだろう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ