養っているだけと笑われた婚約者と、工房を辞めて同じ家へ帰ります
「まだその男を養っているのか」
親方の笑い声に、やすりをしまう手が止まった。危ない。危うく刃のほうを握るところだった。この人の口のために仕事道具で怪我をするなんて、割に合わないにもほどがある。
「フィリップの修理代は、私の給金とは別です」
伯爵家の勝手口で、私は工具箱の蓋を閉めた。退職まで、あと二日。仕上げたばかりの真鍮の鍵には、白い布で指跡も残さず拭いてある。親方の指がそこへ伸びたので、布ごと渡した。せめてそちらを持て。
「婚約者同士だろう。二人で協力すればいいじゃないか」
「協力して直しました。中はフィリップ、鍵の歯合わせは私です。注文を受けた日に、応援の職人として彼へ払う額も決めましたよね」
フィリップが、部品を包んでいた手を止めた。
「僕の分は、決めた額でお願いします」
声は小さい。それでも、閉めた扉の向こうへ逃げるような言い方ではなかった。
親方は二人分の欄がある作業票を折り、胸へしまった。
「精算は最後の引渡しだ。まだ二件ある」
そこで話を切るのも、給金を後ろへ隠すのも、これが初めてではない。私は受け取り欄の空いた控えを自分の袋へ戻した。
工具箱へフィリップの手が伸びた。
「私が持つ」
軽々、と持ち上げたつもりだった。箱は地面を好いていた。ずいぶん深い仲らしい。私は澄ました顔で、持ち手へもう一本、指を足した。
年上の婚約者として、このくらいは。せめて玄関を出るまでは。玄関が遠い。
フィリップは箱の底へ手を添えかけ、私の歩幅に合わせて隣へ来た。
「皿、包んでおいた。ルイーズの黄色いのも」
「ありがとう。私のは縁が薄いから、あなたの緑の皿と重ねないでね」
借りる家のために、一枚ずつ選んだ皿だ。まだ別々の部屋に置いているものが、ようやく同じ棚へ入る。
最後の引渡しと工房の部屋を出る期限は、二日後の夕刻だった。
「家に着いたら、」
「ルイーズ、明日の作業票を持っていけ!」
私は呼び戻され、箱を足元へ置いた。フィリップの言葉の続きは、親方の広げる紙の向こうへ行ってしまった。
* * *
翌日は、伯爵家の客用別棟で戸棚の錠を直した。
フィリップが内部を整え、私が鍵を合わせる。客室係が畳んだ敷布を抱えて待ち、開くようになった戸棚へ白い山を収めた。棚板が隠れるより先に、彼女は自分でも鍵を回した。
「これなら、片手に物を持っていても開けられますね」
その指先を見て、私は口元が緩むのを止められなかった。そう、それ。毎回、敷布を膝で支えなくても済むようにしたかったのだ。綺麗に並んだ布まで私の手柄にしたい。欲張りな錠前師である。
親方が私だけを廊下へ呼んだのは、フィリップが使った部品を片づけているときだった。
「身内になる男の手間まで取るのか。お前から言えば、あいつも納得するだろう」
「注文主は親方です。私たちが結婚する相手と、仕事代を払う相手は別です」
「なら、お前の分から回せばいい」
なるほど。私の懐を通れば、親方の懐は無傷で済む。便利な廊下を見つけたものだ。通行止めです。
「私の取り分も削りません。彼の作業が済んでいることは、今、親方も確認しました」
「最後の玄関錠が終わるまでは払えん。暇があるなら、明日の鍵の下準備をしろ」
親方は返事を待たず、私の前へ鍵材の包みを置いた。
戸棚の向こうでは、フィリップが客室係に古い部品を見せていた。彼女が尋ねたことへ、指で場所を示して答えている。そこへ割り込んで、私が親方に何を言ってやったか披露するのは、どうにも違う気がした。
だから私は、戻ってきた彼に夕飯の話をした。手早く仕上げれば、今日は一緒に食べられる。
「箱は僕が」
「私が持つ」
今度は胸へ抱えた。指は痛くない。代わりに腕が痛い。見栄の改善案として、まったく役に立っていない。
工房へ戻ると、私は鍵材を万力へ挟んだ。少しだけのつもりが、窓の明るさを使い切った。
廊下の端の部屋へ戻る前に、フィリップが包みを置いていった。
「パン、ここに置くね」
返事をしたときには、彼の靴音が階段へ遠ざかっていた。私はやすりを置き、向かいに誰もいない作業台で、包みの端を開いた。
* * *
退職日の朝、袖口の繕い糸が小さな釘へ引っ掛かった。
まったく。今日まで私を引き留めたいのか、この工房は。私は青い袖をそっと外し、釘へ古布をかぶせた。最後の日に作業着まで取り上げられてたまるものですか。
床には、紐を掛けた寝具と着替えがある。廊下の向こうで、フィリップも自分の荷物をまとめていた。
六つの鐘までに伯爵家の引渡しを済ませ、こちらの部屋を空にする。親方へ出した退職の届けにも、その刻限を書いてある。
私は作業票の控えを開いた。
「三件とも、内部の修理代はあなたに。鍵の歯合わせは私に。今日の分も、初めに決めた額のまま。それでいい?」
「うん。今日の錠には、この部材を使う。取り替えたあと、中を合わせる時間が要る」
フィリップは小さな包みを解いた。前日に寸法を確かめ、自分で揃えた部材が布の上に並んでいる。
「鍵を試す前に、僕を呼んで。外から見ただけだと、引っ掛かる場所を決められない」
「わかった。私は昨日用意した鍵を持っていく」
ついでに二人分の荷物を下へ、と口にしかけてやめた。床の寝具がこちらを見ている。箱との勝負にも勝てない私が、対戦相手を増やしてどうする。
荷物は帰ってから運ぶことにして、私は食器を包んだ。
薄い蜜色の皿には古い手拭い。フィリップの深い緑の皿には、彼が取っておいた柔らかな端切れ。新居の棚は窓の隣だったから、朝なら緑が透けるように明るく見えるかもしれない。黄色いほうにはパンを置きたい。焼き色まで綺麗に見えるに決まっている。
台所を下見したとき、私たちは棚ばかり眺めて、家主に二度も寝室へ呼ばれた。借りる約束と今夜の待ち合わせは済ませてある。でも、鍵はまだ家主の手にあるし、住まいの取り決めも今夜、二人で確かめる。
期待だけで荷物を置いて帰るわけにはいかない。皿も私も、今はこの部屋にいる。
窓から最後に小さな庭を見た。朝日が古い硝子を通り、荷造りした布の上へ淡い金色の四角を落としていた。ここで繕った袖も、ここで選んだ皿も持っていく。窓だけは持てない。当たり前だが、少し惜しい。
伯爵家へ着くと、客用別棟では使用人たちが部屋の支度を始めていた。昨日の客室係が、空になった籠を抱えて会釈する。別の使用人は玄関の内側で、到着する荷物の置き場所を空けていた。
私はマーサさんへ作業票を示した。
「最後は、普段この扉を使う方にも開閉を確かめていただけますか。外の鍵と内側のつまみを、別々にお願いします」
「では、客室係と荷物を受ける者に頼みましょう。修理中もここを通りますが、差し支えませんか」
「手元を使うときだけ、お声を掛けます」
マーサさんは二人へ段取りを伝え、私たちの名前も一人ずつ紹介してくれた。
庭には白い花と紫の花が残っていた。磨かれた窓の中に、どちらの色も映っている。私は青い袖をまくった。今日の最後の仕事を、この扉へ納める。
* * *
午後、玄関錠に差した鍵が、半分回ったところで止まった。
もう少し力を入れれば動く。けれど、それでは朝の荷物を抱えた人が困る。私は鍵を抜き、歯についた擦れ跡を光へかざした。
マーサさんが別室へ呼ばれると、親方はすぐ作業台へ寄ってきた。
「まだ終わらんのか。納品できなければ最後の給金も払わんぞ。六つの鐘には部屋を空けろ。片づけがあるからと、こっちを遅らせるな」
親方の手が、給金袋を押さえている。
私はやすりを取った。あと少し歯を落とせば。今度こそ、引っ掛かりを逃がせば。
フィリップの指が、やすりを持つ私の手首に触れた。
「先に中を直す。鍵は、そのあとお願い」
彼は錠の中を見ていた。
「ここが戻りきっていない。鍵を削ると、直したあとに合わなくなる」
やすりの柄を握り直しかけた指を、開いた。
「お願い」
フィリップは蓋を外し、動ききらない部品を小皿へ置いた。傾いたまま擦れていた場所が、一筋だけ明るい。用意してきた部材を入れて、指でゆっくり動かす。途中で止まるたびに、彼の手も止まった。急げと喉まで出た。飲み込んだ。急いで削りすぎるところだったのは誰ですか、私です。
戻ってきたマーサさんが、親方の横へ立った。親方は袋から手を離し、帽子を取った。
部品が端まで戻るようになると、フィリップは私へ場所を空けた。
「鍵をお願い」
今度は擦れ跡が一か所に絞れた。私は必要な分だけ歯を合わせ、縁を滑らかにした。差す。回す。抜く。真鍮についた指跡を拭いて、待っていた客室係へ渡した。
「普段の持ち方で、お願いします」
彼女は敷布を腕に載せたまま、鍵を回した。
「あら。ルイーズさん、指二本で回ります。これなら籠を下ろさずに済みますね」
内側の使用人が扉を閉め、つまみを動かす。扉が、その人の引いた分だけ開いた。
「フィリップさん。中から開けるときも、もう押し戻さなくていいんですね」
フィリップが顔を上げた。
「はい。中の部品が、途中で止まっていました。今は最後まで戻ります」
彼が言い終わるまで、誰も次の話を始めなかった。マーサさんも自分で扉を閉め、内と外を順に試した。
「ありがとうございます。これで安心してお客様をお迎えできます」
親方が作業票を差し出した。
「ルイーズに仕上げさせましたので、これにて三件とも完了です。連れのほうは補助に入りまして」
「フィリップさんが取り替えたのは、こちらの部品ですね」
マーサさんは親方の差し出す紙を受けず、小皿を見た。
私が答えかけるより先に、荷物を運んでいた使用人が頷いた。
「ええ。こちらでずっと直しておいででした。鍵を合わせたのはルイーズさんです」
「昨日の戸棚も、お二人で」
客室係は鍵をマーサさんへ戻した。
親方はまだ私を見ていた。そちらではありませんよ。今、お名前を呼ばれているのは。
「注文時にも、内部修理と鍵の調整、それぞれの職人代を伺っています。職人への支払いも、そのとおりですね」
「二人は所帯を持つ間柄ですので、そこは一人にまとめてですね」
「お一人で済んだのは、ご報告だけですね」
マーサさんは作業票を机へ置いた。
「こちらの残金は、お二人の精算を見届けてからお渡しします。三件分を、それぞれお確かめください」
親方は袋を開き、まず私の分だけを机へ並べた。
マーサさんは残金の入った箱へ触れなかった。客室係も、その場にいた。
私はフィリップへ目を向けた。
「あなたの分も、私が受け取って数えていい?」
「うん。お願い」
私が二人の控えを並べると、親方はようやく袋の底を傾けた。出てきた硬貨を分け、私は決めてあった額をフィリップの手へ渡した。彼は自分で確かめ、自分の財布へ収めた。
ああ、そこへ入るお金だった。親方の袋ではなく。ようやく正しい持ち主まで歩いてきたわけだ。
二人が別々に受け取りの印をつけてから、マーサさんは工房への残金を払った。
「なお、ご相談していた追加の錠は注文いたしません。今回のお取引はこれで終わりです」
「お待ちください。うちの職人なら、同じ仕様で」
「次のお見積もりは結構です」
連れが職人へ昇格した。ずいぶん忙しい口だが、もう間に合わない。
六つの鐘が鳴る前に、私たちは工房の二つの部屋から荷物を運び出した。親方が階段下で待ち構えていた。
「次の修理だけは相談に乗れ。お前たちが抜けたら、誰に中を任せると思ってる」
「部屋の返却を済ませたいだけです。中を確認してください」
空の部屋を見た親方が戻ると、私は旧居の鍵を机へ置いた。フィリップの鍵も、その隣へ載った。
「これで退職の用件は終わりですね、アルバートさん」
彼が指で鍵を引き寄せた。私は控えをしまい、荷物を持った。
後ろでまた名前を呼ばれたが、フィリップは足を止めなかった。私も、開けてあった出口を通った。
* * *
夜、新居の軒先には、小さな灯りがともっていた。
家主が持っていると思ったら、戸口の鉤へ掛けてあった。灯りの下に、腰を下ろせる低い台まで出ている。
「荷物はひとまず、こちらへ。遅くまでお仕事でしたね」
私は工具箱を台へ置いた。下ろすときだけは静かにできた。持ち上げるときから、そうあってほしかった。
家主は書類を板の上に広げ、軒の灯りを少し寄せた。
「ルイーズさんと、フィリップさん。お二人が住む家として、このお名前でよろしいですね」
「はい」
二人の返事が重なった。
紙の上では、私たちの名前が同じ大きさで並んでいた。誰かに付いてきた者を書く小さな欄はない。家主の指が、名前から家賃の額へ、支払う日へ動いた。
私たちは、それぞれの財布を出した。
「最初の住居費は、この分け方で」
「うん。僕はこっちを払う」
下見の帰りに二人で決めていた額を、互いの前で出す。私の硬貨の列の隣に、フィリップの列ができた。彼の最後の一枚が、板へ小さな音を立てて置かれた。
多く出せる顔をして、こっそり彼の分へ足すこともできた。いや、何を格好つける気だ。引越し初日に一人で財布を薄くして、明日のパンを眺めるだけになる先輩など、相当格好悪い。
私は自分の財布を閉じた。
フィリップは取り決めを上から読み、途中で指を止めた。
「仕事場が変わっても、この契約には関係ありませんね」
「ありません。家賃を納めて、家を大切に使っていただければ」
「それから、ここ。片方が退去するときは、それぞれ届け出るんですか」
私は隣から同じ行を読んだ。婚約者と書くところはない。夫になる者の許可を求めるところも。
「ええ。一人が出たから、もう一人も自動的に退去、ということにはしません。残る方と家賃などの相談はしますが、ご本人に確かめます」
フィリップは頷き、紙を私のほうへ少し寄せた。
私は今すぐ彼と離れて住む予定などない。ないからこそ、その行までちゃんと読んだ。どちらかが相手を引き留めるために、屋根まで握る必要のない家へ入りたかった。
「私も、これでお願いします」
私が名前を書き、フィリップが続けた。家主は二人分の支払いを数えて受け取りを記し、控えをそれぞれに渡した。
それから、鍵を二本取り出した。
私は反射で両方受け取ろうとして、手を止めた。家主は気にした様子もなく、私の掌へ一本、フィリップの掌へ一本置いた。
「お二人とも、お帰りなさい」
フィリップの指が鍵を包んだ。
「ただいま」
小さな声が、閉じた扉の前に届いた。
私も同じ挨拶を返した。言ってから、まだ家の外に立っているのが、少しくすぐったくなった。家主は入口の灯りを残して、隣の自分の家へ戻っていった。
扉の硝子越しに、乳白色のカーテンが見えた。下見のときは結ばれていた布が、今は窓を半分覆っている。部屋の奥は暗いけれど、灯りの届く端だけが温かな色だった。
私は工具箱の持ち手へ指を掛けた。
上げて、一歩進んで、足で扉を支えて。先に私が全部運び込めば、フィリップは——。
指を離した。
彼は自分の寝具と着替えを脇にまとめ、私の手元を見ていた。
「箱、お願いしてもいい?」
「うん。ルイーズは先に開けて」
私は鍵を差した。
回して、扉を押す。
フィリップが工具箱を持ち上げた。私は内側へ入り、戸を大きく開けたまま待った。彼の青い作業着が灯りを横切る。箱の角が枠へ触れないよう、彼は身体を少し傾けた。
私は手を伸ばさなかった。
箱が床へ下りた。それから彼は外に残した寝具を取りに戻り、自分の荷物を抱えて、もう一度入ってきた。
「ここへ置いていい?」
「ええ。着替えは奥の棚にしよう。あなたの分も入るから」
紐を掛けた包みが、私の荷物の隣へ置かれる。彼のものが一つ増えるたび、床が狭くなった。下見では広いと思った部屋なのに。
もっと置いていい、と思った。
私は彼の背中が通りきるのを待って扉を閉め、鍵を内側から掛けた。フィリップは自分の鍵を上着から出し、しばらく見てから、ポケットへ戻した。私へ渡さずに。
ああ。私が頼んで、彼が引き受けて、それだけで箱がここにある。
こんなに楽をしていいなんて、先輩としての威厳が危ない。けれどもう、取り戻しに行く手が動かなかった。
フィリップが工具箱を開こうとしたので、私は上着を脱ぎながら尋ねた。
「何か直すの?」
「置き場所を決めようと思って。ここだと、夜に踏む」
なるほど。入居早々、私が自分のやすりで転ぶ家になるところだった。
食卓の下を私が指すと、彼は首を振った。
「足を伸ばせなくなる。こっちの壁際は?」
「そこなら、朝の光も届くね。でも今日は蓋を閉めたままでいい。もう仕事はしないでしょう」
フィリップは留め金を掛け、箱を壁際へ寄せた。
私は彼を椅子へ案内する代わりに、棚の扉を開けた。
「上と下、どちらが使いやすい?」
「服は下でいい。ルイーズのやすりは、湿気が来ない上に置こう」
「では、布は真ん中。食器は台所の棚で」
二人で包みを解いていく。私が棚へ手を伸ばす横で、彼も自分の着替えを収めた。皿の包みを見つけると、結び目を指でほどき、黄色いほうを私へ渡した。
私は受け取って、今夜の食卓へ置いた。
「家に着いたら、あなたと夕飯を食べたかった」
フィリップは、緑の皿を隣へ置きながら言った。
私は皿の縁へ指を掛けたまま、彼を見た。
「私も」
それだけ答えると、彼は食べ物の包みを取りに行った。帰り道で買ってきたパンと、冷めても食べられる煮豆。それから小さな焼き菓子が二つ出てきた。
「これも買ったの?」
「うん。僕の分から」
私が袋を持ち、彼が食べ物を選んだのだった。店先では荷物の紐が手首へ食い込んでいて、包みの中まで見ていなかった。
焼き菓子には薄く砂糖が掛かり、端が香ばしく色づいていた。黄色い皿へ載せると、思っていた以上によく似合う。パンを置くつもりの皿に、もっといいものが来た。幸先がいい。たいへん、いい。
私は煮豆を取り分け、彼はパンを切った。
家主から使っていいと言われた椅子は、二脚とも少しぐらついた。座るなりフィリップが下を覗いたので、私は自分の椅子を食卓へ寄せた。
「今夜は直さないことにしよう。夕飯が先」
「うん」
彼も腰を戻した。
窓の乳白色の布に、卓上の灯りが丸く映っている。緑の皿にはパンの淡い断面、黄色い皿には豆の赤茶色。工房の作業台では置けなかった場所へ、肘を置ける。私は皿を少し押しやり、空いたところへ腕を載せてみた。
フィリップが煮豆の鉢をこちらへ寄せた。
「もう少し食べる?」
「食べる。今日の私はよく働いたので」
そこは見栄ではない。胸を張って、もうひと匙もらった。
彼の皿にも残りを分ける。片方が食べ終わる前に席を立たなくていいから、パンをゆっくり噛めた。焼き菓子は最後にして、二人とも手を伸ばさずにいる。その小さな我慢が可笑しくて、私が先に半分へ割った。
夕飯が終わると、彼が皿を洗い、私が拭いた。黄色い皿を棚へ収め、緑の皿も隣へ立てる。どちらも布で包み直す必要はなかった。
フィリップは空になった食卓を拭き、玄関へは行かず、奥から寝具の包みを持ってきた。
私は戸口に立ったまま、その紐が解かれるところを見ていた。
「窓側だと、朝まぶしいかな」
彼が顔を上げたので、私は寝室へ入った。
「カーテンを引けば大丈夫。私は窓側がいい」
「じゃあ、僕はこっちに敷く」
彼の毛布と私の毛布は、厚さも色も違った。並べると端が揃わない。私は短いほうへ自分の余った掛け布を足し、フィリップは枕を二つ、壁から離した。互いの寝具を動かすたびに一言尋ね、返事をして、ようやく二人の寝る場所ができた。
明日着る青い作業着を、並んだ鉤へ掛ける。私の袖口の繕い目を、寝る前の灯りが白く拾った。直そうと思えば、まだひと針足せる。
私は針箱を開けずに棚へ戻した。
先に横になったフィリップが、掛け布の端を持ち上げ、私の足元へ掛かっていないところを直してくれた。
「灯り、消していい?」
「ええ」
暗くなる前に、私は枕元へ鍵を置いた。彼の鍵は、向こう側の小さな台にある。
灯りが消えても、カーテンの端には軒先の明るさが薄く残っていた。フィリップが寝返りを打つ。すぐ隣で布が擦れる。その音を聞きながら、私は持ち手の跡がついた掌を開いた。
明日は箱を運ぶ前に頼もう。けれど、その話は明日でいい。
「おやすみ、フィリップ」
「おやすみ、ルイーズ」
私は掛け布を肩まで引き上げた。次に目を開けたとき、乳白色のカーテンは朝の光を含み、隣の枕には、まだフィリップの頬が載っていた。




