第2話 最初のテイム
森の木漏れ日が足元に揺れる。異世界の空気は湿っていて、土の匂いが風に乗る。肩の上でコハクがふわふわと体を揺らし、目を輝かせている。あの光の中での出会いから、まだ一日も経っていないのに、もう懐かしい友のように感じられた。
「……ちょっと休もう、コハク」
木の根元に腰を下ろす。コハクがぴょんと飛び降り、私の膝に乗る。その柔らかさに思わず笑みがこぼれる。
そのとき、目の前の茂みから小さなうめき声が聞こえた。
「……ん?」
しゃがみ込んでよく見ると、透明に近い小さなスライムが、体を小さく縮め、ぐったりとしている。
「大丈夫……?」
恐る恐る手を差し伸べると、ふにゃりとした感触が手に伝わった。同時に、頭の奥に声が響く。
「……助けて……」
驚いた。スライムが……私に話しかけている。心の声――。
「……私の能力……これが、テイマーの力?」
思い切って手を添えると、スライムは体をぷるぷる震わせて、私の手に体を預けた。その瞬間、自然と心が通じた。まるで相手の痛みも感情も、手に取るようにわかる。
「……ルゥ。あなたの名前は、ルゥにしよう」
スライムの体が少し光を帯び、軽く跳ねる。まるで同意するように。肩の上のコハクも小さく鳴き声をあげ、二人で私を見上げる。
――これが、私とルゥの最初の契約。
木漏れ日の下でルゥと心を通わせた、その直後だった。
――バサッ。
風を裂くような音が、森の奥から響いた。
コハクがぴん、と耳を立てる。
「……来る」
言葉に出す前にわかった。
地面を揺らす足音。低い唸り声。
茂みの向こうから、牙の生えたイノシシのような魔物が三体、こちらを睨みつけている。
(コハクと私じゃ、ちょっと厳しいかも……)
喉が鳴り、胸が少しだけ強張る。
だが――膝の上にいたルゥが、ぷるん、と跳ねた。
「ルゥ……?」
透明な体が淡く光り始める。
さっきまで弱っていたはずなのに、その光は力強く、熱を孕んでいた。
魔物たちが一斉に飛びかかってくる。
「――っ!」
思わず身構えた瞬間、
ルゥの体が弾けるように膨張し、前へ跳んだ。
「ぷるぅっ!」
空気が震えた。
その一声と共に、ルゥの身体が波紋のように広がる。
光を帯びた衝撃が、円形に森の地面を走った。
――ボンッ!
最初の一体が弾き飛ばされ、木に激突して霧のように消える。
続けざまに、残りの二体も足元をすくわれたようにひっくり返り、ルゥの衝撃波に呑まれて消滅した。
ぽたり……と光の残滓が葉の上に落ちる。
「……え、え?」
私は目を見開いたまま立ち尽くし、コハクもぽかんとしていた。
ルゥは何事もなかったように、こてん、と私の足元に戻ってきて、誇らしげに揺れる。
「ルゥ、すご……!」
思わず抱き上げると、ルゥはくすぐったそうに震え、
コハクも悔しそうにしつつ嬉しそうに肩によじ登ってくる。
(私……こんなにも強い子たちと、出会えたんだ)
少し前まで、ただの高校生だったはずなのに。
そんな現実感のない感傷を吹き飛ばすように、胸の奥がじんわりと熱くなった。
「二人とも……これから一緒に、頑張ろうね」
木漏れ日が揺れ、森に静けさが戻っていく。
その中心で、私は二つの小さな魔物と、はじめての絆を確かに感じていた。
翌日、森を抜けて町へ向かうことにした。エルメルディアの森は広く、方向感覚が頼りない私は、コハクの助けを借りながら道を進む。コハクの直感で安全なルートを選び、ルゥも心配そうに揺れながら後をついてくる。
町に着くと、現実の日本とは全く違う景色が広がっていた。木造の建物が立ち並び、空には浮遊する小型の魔法陣があちこちで見える。人々の服装は多種多様で、剣士、魔法使い、僧侶のような姿もある。馬や荷車、そして小さな魔物を連れて歩く冒険者の姿も見えた。
「……異世界だ……」
胸が高鳴る。怖さよりも、新しい世界で生きる期待が勝っていた。
ギルドの建物は町の中央にそびえ、石造りの大きな門が冒険者を迎えている。中に入ると、雑多な声が飛び交い、依頼の掲示板には数えきれないほどのクエストが並んでいた。薬草採取、モンスター討伐、探索任務……その数は町の規模以上に多彩だ。
受付で登録手続きを進めると、ギルドの冒険者たちの視線が私とルゥに集まる。
「……スライム? こんな子連れて、何するつもり?」
ざわざわと広がる噂話に耳を傾け、この世界でのモンスターテイマーはただ魔物を懐かせるだけとされており、力は元の半分に、命令も知能の低さから遂行できない、ペットを飼っているのと変わらないとされるものであることを知った。
「モンスターテイマー?最弱職であんなに堂々としてるやつ、初めて見たぞ」
笑い声が周囲に広がった。肩の上のコハクが小さく鳴く。私は胸の奥がきゅっと痛むのを感じた。でも、ルゥの体に触れ、心は揺るがなかった。
「……私は、あなたたちが笑おうと、関係ない。この子達と一緒に生きていく」
登録が終わり、ギルドから出ると、町の空気に慣れるために周囲を歩き回ることにした。市場では野菜や果物が並び、人々の会話が飛び交う。小さなパン屋の前では香ばしい匂いが漂い、コハクが鼻をヒクヒクさせる。ルゥも地面をぴょんぴょん跳ねながら、好奇心いっぱいに町の様子を探っている。
初めての冒険者生活――まだ何もできないけれど、この子たちがそばにいるだけで心強い。町の雑踏を歩きながら、私は小さな声で誓った。
「行こう、コハク、ルゥ。二人と、この世界を歩くんだ」
肩の上でコハクが軽く鳴き、ルゥは地面でぴょんと跳ねた。
最弱職と言われても構わない。私には心を通わせた仲間がいる。
二匹の魔物と共に、少女の冒険が静かに、しかし確実に始まった。始まる――。




