ベッカライウグイス⑤ ベッカライウグイスは大混乱
ちょっと待ったー!
リスさんの結婚話で、夜のベッカライウグイスは大混乱。
みっちゃん、みずほさん、さくらさん、弘子さんは大暴走。
そこに私が呼ばれているのは、なぜ?
ベッカライウグイスが抱える、三つの問題とは?
どうなる、ベッカライ!!
結婚はしなければいけないものでもないし、ましてや誰かに意見されるものでもない。自分で考え、選ぶかたちであると私は思う。
けれど、そこに当事者以外の愛情が絡むとき、それが真っ直ぐな善意であればあるほど本人たちは迷ってしまうのではないだろうか。
誰かを愛することは、むずかしい。
みっちゃんやみずほさん、弘子さんやさくらさんは、明らかに、リスさんに愛情を持って心から心配している。味方と言えば、ここにいる全員は、リスさんの味方に間違いない。
だが、ベッカライウグイスに勤め始めてひと月余り経ち、私はどこか腑に落ちないものを感じ始めていた。
毎日のようにベッカライウグイスを訪れる四人。常連さんとはこのように日々集うものなのだろうか。
はじめの頃こそ、それは当たり前に思えた。私が初めてここへ来たときに、みっちゃんがカウンターに座っていた姿がベッカライウグイスの一部として鮮明に記憶されたこともあった。それに、さくらさんや弘子さんは、必ず毎日訪れるわけではない。
だが、みっちゃんとみずほさんは違った。定休日以外、必ずベッカライウグイスに来ているのだ。
定休日……。私は、定休日にはベッカライウグイスにいない。リスさんが、時々工場で試作を繰り返したり、焼き菓子を作ったり、足りないものを作り置いたりしていることは知っている。そして、みずほさんが工場に時折やってくることも聞いてはいたが、その姿を見たことはない。定休日にも、どこかしらでみっちゃんやみずほさんがリスさんを見守っていたとしたら……。
それはそれで、少し怖い気がした。
これからリスさんは、どうなってしまうのだろう。
親戚のおじさんおばさんたちが姪を思うがばかりに、つい耳の痛いことを言ってしまう場面が思い浮かんだ。私は、心の中でリスさんを励ました。
リスさん、頑張れ!
リスさんは、お店に二つある大きな窓にシェードを、小さな窓にはブラインドを下ろした。それから、カウンターに入りコーヒーを入れると、四つのカップを載せたトレーを持って我々の元へやってきた。私は、椅子が一つ足りないことにようやく気づいて、ショーケースの奥からスツールを運ぶとそこに腰掛けた。
リスさんから、淹れたてのコーヒーのカップを受け取る。我々は、いつもならば美味しいと感じるコーヒーを、ただの色のついたお湯のように思いながら、それを啜った。思い空気が立ち籠めているのを私は感じていた。
リスさんが、こんな風にコーヒーを飲む姿を初めて見た。どこか沈鬱な表情で、背もたれに体を委ね、両手を揃えてカップを持っている。小柄な彼女には大きめに見える暖かい色のカップと、ふさふさのポニーテールがフランス映画のように思えた。誰が、口火を切るのだろう。私たち全員が、それを待った。
「ええっと、リスさん……」
それは、弘子さんだった。弘子さんは、いつもリスちゃんと呼んでいるのに、そう呼びかけるのはどこか他人行儀のようなあるいはリスさんを尊重しているような、その意図を私は汲み取り難かった。
「……私たちはあなたの結婚に反対とか、あるいはその逆で、この機会に是が非でも結婚をお勧めするとか、そんなことは思っていないのよ」
私は、驚いた。先日の様子から弘子さんは、(国際)結婚反対派というか、心配しているのだろうと思っていたからだ。もちろん、みっちゃんは、反対派なのだろう。私は、ちらりとみっちゃんの表情を伺った。
「僕は……リスさんが幸せなら、どっちでもいいんだ。ただ、こう、相手の素性をもっとはっきりさせたいだけだ」
みっちゃんが、何かを断言するのを、私は初めて聞いた。素性を、もっとはっきりって……。そう思いながら、私は、黙ってコーヒーを啜った。
断言しておきながら、みっちゃんは尻つぼみだった。
「この前は……すまなかったよ。つい、大きな声を出して怒ってしまって」
今更ながらみっちゃんは、何日も前のことを詫びてうなだれた。
リスさんは、めったに自分のことを話さない。話すことに意味を感じていないかのようにも思っていた。早朝に手伝ってくれていた羽鳥さんを除いて、ほとんど一人でベッカライウグイスを切り盛りし、閉店後はこうして残る人がいない限り、また一人で過ごすのだろう。いや、リスさんにも友人はいるだろう。ただ、私が知らないだけで。
そんなリスさんが、重い口を開こうとしたそのときだった。
カランコロン
夕闇の向こうから重い扉が開かれ、さくらさんが顔を覗かせた。
「遅くなっちゃって、ごめんなさい」
さくらさんの後ろからは、みずほさんも一緒に顔を出して、申し訳なさそうに眉を寄せた。
「ごめんなさいね、なんだか……みんなで集まって」
リスさんは、微笑むと、コーヒーを入れに席を立ち上がった。
私は、遅れてきた二人のために、扉の左側の壁に並べられている椅子を運んだ。カウンターは、六人分の椅子で少し窮屈になった。
「三多さん、ありがとう」
「あ、ごめんなさいね、ありがとう」
さくらさんとみずほさんは、私に言うと、腰掛けた。
さくらさんは、椅子に座るなり、
「あぁ、雨が降りそうよね」
と天気を嘆いた。私は、リスさんが、ショーケースの奥のカウンターで、二人分のコーヒーを淹れながら、天気の話に眉根を寄せるのに気づく。
弘子さんは何気なく聞いた。
「さくらさん、電気釜でしょ?」
「それが……今、市の陶芸教室で、釜から作りましょうっていうことになっていて……もう耐火レンガとかを搬入してるのよ。私もともと学生の時は学校の裏山に作られた釜派だったし、雨が降りそう、っていうことにだけは敏感なのよね」
「たいへんね。さくらさん家の電気釜を使うといいのに」
弘子さんが言った。
「電気釜もね、最近調子が良くなくって。釜が壊れたら、陶芸教室も終わりかな、って思ってるの」
「そう……」
みずほさんが溜息まじりに頷き、幼なじみ組が肩を落とすので、私まで少し悲しくなってきた。さくらさんは、慌てて言った。
「あ、でも、釜を持たない個人の陶芸家のために、大学が持ってる釜の隅っこを貸してくれたりとか、いろいろそういうのがあるから、大丈夫。懇意にしている窯元もあるし、私が陶芸をやめるわけじゃないから」
全員がほっとした表情を浮かべた。みずほさんが、おっとりとした調子で言った。
「さくらさんがもしお教室を辞めたら、私、一緒に土を探しに行ってみたいわ」
さくらさんは楽しげに言った。
「お教室を辞めなくても、行きましょ、行きましょ。いい場所を知ってるから」
さくらさんは、いつも和やかな空気を醸成してくれる。だが、みずほさんの心までは盛り立てられなかった。
「……そうね。外へ目を向けないと。私たち、いつまでもリスちゃんを見守っていちゃだめなのかもしれないわね……」
思いがけない、いや心のどこかで気づいていたみずほさんの呟きに、全員が黙った。
「私たち、いつもリスちゃんを陰で見守るどころか、表をうろちょろしてきたでしょ。りすちゃんは一人で何でもできるし、大人なんだし、心配もいい加減にしないといけないのよ」
いつもは一番口数の少ないみずほさんが、雄弁だった。
さくらさんが呟いた。
「……大人、か……」
「リスちゃん、幾つになったっけ?」
リスさんは、いい匂いのコーヒーを二人分、カウンターから運んできた。あぁ、コーヒーの匂いが戻ってきたと私は思った。リスさんの小さな口元にも微笑みが戻ってきていた。
「27ですよ」
リスさんは、さくらさんとみずほさんの前にコーヒーを置いた。みずほさんはお礼を言い、さくらさんはお礼に首を傾けてリスさんを見上げた。
みずほさんは、言った。
「三多さんは?」
私は、突然年齢を聞かれて驚いたが、べつに嫌ではなかった。私の面接をした三人は、年齢を知っているのだが、みずほさんは知らないのだろう。
「29です」
みっちゃんがつぶやいた。
「リスさんと、変わらないね」
私の気持ちを、弘子さんは代弁した。
「変わります」
みっちゃんは、少し驚いたような顔で弘子さんを見たが、続けて言った。
「どちらにしても、ね。心配なことに変わりはないんだよ。幾つになっても、リスさんのことは心配なんだ」
なぜ、みっちゃんたちがこうも、まるで我が子のようにリスさんのことを気にかけ、毎日見守るようなことを続けるのだろうか。
そうだ、それが私の感じる小さな違和感の正体だった。みっちゃんとみずほさんは、リスさんを子どものように心配しているのだ。
私が、なんとなく腑に落ちないような表情をしていたのだろう。私を見た弘子さんが、分かるように説明してくれた。
「りすさんの両親はね、私たちの同僚だったの。私たちが幼なじみだって、知ってるでしょ?」
私は、頷いた。
「幼なじみはこの三人なんだけど、私たちみんな、同僚でもあったのよ。仕事仲間」
そうだったのか……。
弘子さんの目じりの笑い皺が深まった。
「ふふふ。驚いたわよね、赴任先で次々に会って」
さくらさんがコーヒーを飲みながら言った。
「まさかのみっちゃんが、いるんだものね。いや~みっちゃんにだけは会わないと思ってたわ」
くすくす笑いながら弘子さんが言った。
「みっちゃんが保護者としてだったら、会う可能性大だったかもね」
さくらさんと弘子さんが、当時を思い出して笑い声を上げた。
だが、ひと笑いすると、急にしんみりして、弘子さんとさくらさんは私に言った。
「そこにね、リスちゃんのお父さんもいたの」
「年齢は、リスちゃんのお父さんの方が上だったのよ。もう、リスちゃんのお母さんと結婚していてね、よく私たちを家によんで、パンを食べさせてもらったの」
「リスちゃんのお母さんは、ここをやっていたから、ご自慢のパンだったのよね」
「よく、『休日の分!』って、たくさん持たされたわよね~」
「そのときと、同じパンがたくさんあるのよ。リスちゃんは、お母さんの味をよく守ってる」
「当時から、ずっと来ているお客さんもいるくらいだものね……」
みっちゃんとみずほさんは、黙ってそれぞれのコーヒーに移る自分の顔を見ながら、二人の話を聞いている。
「……それから、私たち、それぞれまた転任してバラバラになったんだけど、研修では会うし、ここでは会うし、……気も合ったのね。さくらさんもみっちゃんも結婚して、みずほさんが加わって、リスちゃんが生まれて……」
「その頃が、一番楽しかったわね」
「りすちゃんは、私たちの天使だもの」
「私は、子どもが成人して離婚したし、弘子さんも子どもはいないから……。まぁ、いるって言えば、子どもは山ほどいるけどね、世の中に」
さくらさんは、笑顔を絶やさない。
ようやく、みずほさんも静かに話し出した。
「私たちも、子どもには恵まれなかったの。だから、いつまでもリスちゃんの保護者みたいな顔をして……リスちゃんが素敵な人と結婚したらいいな、って心配して……」
誰も、リスさんのご両親が現在どうしているのかは話さなかった。だが、店舗があり、工場があり、付属した一軒家があり、お店はリスさん一人で切り盛りしている。それで十分分かることだった。
「私たち四人、いい大人がいつもつかず離れずで、リスちゃんもいろいろやりづらいところがあったと思うのよ」
みずほさんが、首を落とした。それから、誰もが口を閉じた。
沈黙を破ったのは、リスさんだった。
「そんなことない」
しんとした中で、きっぱりとリスさんは言った。
「私は、自由に選択してきたし、それをずっと見守ってもらえてたもの。両親が亡くなったとき、親戚もいなくて、私はひとりぼっちになった。でも、みっちゃんたちは、血のつながったどんな親戚よりも頼りになって、私がひとりにならないようにいつもそばにいてくれた。ドイツに行ったときは、みんなに会えないから、ホームシックになったわ。帰ってきても、入れ替わり立ち替わり、こうして来てくれて、本当にほっとした。……ずっと、変わらないでここに来て欲しいと思ってる。私が結婚しても……」
リスさんの宣言に、みずほさんは涙を浮かべていたが、弘子さんは大事なことを確かめずにはいられなかった。
「リスちゃん、シューさんは、日本で仕事をするの?」
「え?……ええ。そうだけど?」
弘子さんは、頷いた。
「私たちが心配しているのは、彼の仕事のことだったの。みっちゃんが、素性っていうのも、仕事のことよ。前にリスちゃんから聞いたことがあったから、シューさんの仕事のことは分かってるわよ。この街での仕事があったから、来ているのでしょ?」
さくらさんが続けた。
「その、お仕事ついでに結婚して、リスちゃんを連れて行くとか、あるいは置き去りにするとか」
今まで黙っていたみっちゃんが、おずおずと口を開いた。
「……そういうのが、心配でね」
弘子さんが眉を寄せて言う。
「なんだか、こう、あちこちの国を転々として仕事をする人との生活っていうのを、りすちゃんが楽しめたらいいいのだけれど、やがて疲れるんじゃないかな、と思って」
さくらさんの眉間にも、珍しく皺が見えた。
「こっちにリスちゃんが残ったとして、それじゃあ、結婚しても今までとあまり変わらないっていうか、世の中、別居したまま結婚ていう選択肢もあるけれど、それでほんとうにいいのか、いざ一緒に住むときにどうなるのか……」
四人が心の底から声を、弘子さんが代弁した。
「リスちゃんは、どうしたいの?」
リスさんは少しの間口を結び、それから急に思い当たったように目を見開くと、ゆっくり首を傾けた。
「なぜ、一緒に住むと……結婚……?」
さくらさんが身を乗り出して言った。
「いえ、結婚の前段階の、同棲っていうのもあるでしょ?」
リスさんは、歯切れが悪い。少しずつ考えながら、頭の中で何かを整理している。
「あの……私、ドイツではシューさんの家にお世話になって、シューさんと一緒に住んでたんですけど……」
さくらさんが、やんわりと言った。
「それは、違うでしょ?!シューさんのご両親も一緒だったでしょ?」
そして、とうとう、リスさんはズバリと核心を突いた。
「あの、私、シューさんとは結婚しませんけど……」
「ええーっ?!」
私たちは、ひっくり返りそうになった。
集う面々は、混乱した。
「ちょっとまって」
「どういうこと?」
「えっ、えっ……」
「ああ……よかったわ」
「本当?!」
混乱しながらいっぺんに口を開いた。一番最後にひっくり返った声を上げたのが、みっちゃんである。
しかhし、混乱が鎮静すると、新たな問題が浮かび上がってきた。それに気づくのは、やはり弘子さんである。
「待って。シューさんは、一時的な仕事で、この街に来ているのよね」
リスさんは、答える。
「ええ。コンピューターのシステムを構築しに来たっていってたわ。○○商事の」
さくらさんが言う。
「ああ~。○○商事。あそこ、ドイツ支店があるって、この前新聞に載ってたわ」
みずほさんは、何度も頷きながら言う。
「それで、日本のエンジニアに頼まなかったのね」
みっちゃんがみずほさんを引き継ぐ。
「やっかいだね」
そこで、リスさんが、既に周知の事実のようなそうではないような、大事なことをもう一度提示した。
「……あのね、それで、シューさんが、一緒に住みたいっていってるんだけど……」
「えっ?!」
四人は再びいっぺんに叫んだ。
「一緒に住むって、どういうこと?」
「りすちゃん、やっぱり……、シューさんはね、そういう気持ちがあってそう言ってるんじゃないかしら?」
さくらさんとみずほさんは、リスさんに言いながら、弘子さんに同意を求めるように弘子さんを見る。弘子さんは、肩をすくめてリスさんを見た。
リスさんは、真実を言う。
「……あの、シューさん、去年結婚して、赤ちゃんも生まれたばかりだから」
「なお良くない!」
とうとうみっちゃんが雷を落とした。
一同が一斉に口を閉じ、そんな中で、私はみずほさんがじっとこちらを見ていることに気がついた。なにか言いたそうであるが、今は何も言うべきではなかった。
そんな緘黙の空気を破るのは、さくらさんに決まっていた。
「分かった!私が、しばらくリスちゃん家に一緒に住むわ!」
一同がほっとするのが分かる。
しかし、弘子さんは安堵しながらも言わなければいけないことを言う。
「ね、それじゃあ、今日の反省が活かされてないでしょ?」
「そうだね」
と、みっちゃん。
そのとき、みずほさんが、小さな声で言った。
「リスちゃん、三多さんのお給料について、心苦しいって言ってたわよね……」
「え?……ええ」
リスさんは、確かにそうだと頷いた。
「三多さんは、春に越してきたばかりで、たぶん、またすぐお引っ越しするとなると……契約からいって違約金が発生したりするんじゃないかしら?」
みずほさんが、私に聞いた。
なぜ、私がお引っ越し……?と思ったが、私は素直に答えた。
「はい……、…そうですけど……」
さくらさんは、単刀直入だ。
「違約金って、どのくらいかかるの?」
私は、斜め上に視線を漂わせ、思い出しながら言った。
「ええーっと……二年契約で、一年目に出ると家賃二か月分、二年目だと一か月分、だったと思います」
私は、いずれもっといいところがあったならば引っ越そうとも考えていたから、契約上の重要事項は覚えていた。
みずほさんとさくらさんの様子を見ていた弘子さんが、何かピンときたようだった。
「ね、三多さん、リスちゃん、少し二人で考えてみたらいいんじゃないかしら。リスちゃん家ってお部屋が余っているじゃない?」
リスさんが、小さな唇を指で押さえ、それを離すと答えた。
「確かに、客間と二階にも一部屋……それに……」
みずほさんが、頷いた。
「私たち、防犯上、前から心配だったのだけれど、まさかほら、さくらさんとか弘子さんが一緒に住むわけにもいかないからなんともできなかったんだけど……ベッカライウグイスの宿舎をオープンしてみるのはどうかしら?」
私は、突然のことに理解が追いつかなかった。
「宿舎?ですか?」
なぜ、私の宿舎問題に?
「そう。そうしたら、三多さんのお給料問題と、リスちゃんの防犯問題が解決すると思うの」
「防犯って、……まさか……シューさんの?」
リスさんを除く四人は、深く頷いた。
「外からも、内からも、防犯しておくに超したことはないよ。このご時世だからね」
みっちゃんが、一番深く首を頷かせた。
りすさんは、そんな大人たちの誘導を食い止めた。
「家、みずほさんが一月に一度、防犯錠や防犯フィルムをつけてくれていたから、もう全部の出入り口が堅牢です」
四人は、なかなか譲らない。
「じゃぁ、お給料問題じゃない?」
「そうね。宿舎を無料にしたら、三多さんがいま支払っているお家賃の分の支出がなくなるでしょう?」
「うん、その分お給料代わりになるわ」
そこは、リスさんの弱点だった。リスさんは、本気で私のお給料問題を考えてくれていたのだった。
「シューさんのことは抜きにしても……三多さんのお給料のことは、本当に考えていたの。今は、時給になってるでしょ?でも三多さんはフルタイム、正社員と同じ働き方で、なのに待遇が……。この頃じゃ材料費や光熱費も値上がって、家は古いからいつオーブンを入れ替えたりしなくちゃいけなくなるかと思うと、そんなにお給料を出せなくって……でも、もし三多さんが家の宿舎を使ってもらえるのなら……少しは」
ここに、二つの実利、いや、三つの実利があった。
シューさんの住居希望問題。
私のお給料補填問題。
リスさんの店主としての経営問題。
(そして、プラスアルファの、みっちゃんたちの心の安寧問題)
私は、口ごもった。
「で、でも……。リスさんは構わないんでしょうか?」
実は、リスさんには秘密の彼がいて、訪ねてくることもあるかもしれない。いや、そんなことをこの四人に知られないまま今まで過ごせたというのだろうか……。私は突然のことで、いったい、どう身の振り方を決めればいいのか、自分のことなのに決めかねた。
困っている私に、リスさんは言った。
「三多さんさえよければなんですけれど、ルームシェアだと思って、使ってもらえたら嬉しいです。うち、本当にお給料が少なくて……手当なんかもないから、どうしようかって、毎日パソコンとにらめっこしていたくらい申し訳ないと思っていて。あ、もちろん、これからちゃんと契約して手当とか賞与とか、考えようと思っていたんです」
真摯なリスさんには、本当にありがたくて、頭の下がる思いになった。
さくらさんが言った。
「リスちゃん家ってね、一部屋、住み込みの職人さん用に作られていて、なんとバストイレも独立してあるのよ!ね?」
そうなんだ……。私の心が少し動いた。見てみたいな。
リスさんが、たたみかける。
「そうなんです。私を妊娠中に、母がお店を一人でやっていくのが大変で、一人住み込みで修行中の職人さんを雇っていたんです。そのときにリフォームして。玄関は一つだから、完全なワンルームにはならないんですけれど、三多さんのプライベートは、最大限に尊重されます。お休みの日の朝帰りも、大丈夫です!」
そう言って胸を張った。
朝帰りはしないけれど……。
四人プラス、リスさんは、私をじっと見つめた。
もしや……今日私が残されたのは、この話もあったからなのかと、今になって思った。
そうか……。私は、少しの間考えた。
あまり、完全に決めて実行しなくてもいいのではないだろうか。ひと月以上勤めてリスさんの人柄はよく分かっている。同じ時間を過ごしても無理なくやってこられたし、真面目で思いやりのある人柄だ。仕事に関わることしか知らないが、リスさんともう少し、個人的な関わりを持つのも悪くはない、というか、私は彼女に少し興味を持ち、もっと彼女のことを知りたいと思うようになっていた。
私は、結論を出した。
「分かりました。考えてみます。とりあえず、シューさんが滞在している間、試験的に私が住まわせてもらえるといいんですが……」
五人の表情に、希望が灯った。
リスさんは、はじめて、子どものような笑顔になった。
そこへ、ぴこん、とリスさんのパソコンの鳴る音が響いた。
リスさんが、弾かれるように立ち上がった。
「あ!今日、業者さんにお願いしていた材料の返事を待っていて」
リスさんが、ショーケースからつながるカウンターの上に置かれていたパソコンを見に行った。
そして、なぜだか小さな唇を真っ直ぐに引き延ばしてパソコンを持ってくると、私たちに画面を見せた。
そこには……、満面の笑みを浮かべ、ブルーベリーを頬張るシューさんの姿が映し出されていた。手には山盛りのブルーベリーを載せ、見てよ!と言わんばかりに自分の顔と並べて写っている。
誰も、何も言わない。仕方がないので、私は言った。
「……今年、ブルーベリー早くないですか?」
全員で、ブルーベリー色に変わったシューさんの口元を見ていった。
「……早いね……」
ベッカライウグイスの夜は更けていった。
甘夏デニッシュの完成形に、ブルーベリーが三粒ずつ載せられた由来は、
ここにありました。




