1話
落ちこぼれの俺は、物心ついた頃から家族に虐げられてきた。
両親だけでなく、姉や弟、果ては屋敷の召使いまでもが俺を見下し、時には足蹴にし、殴られる日々。
まともに食事が与えられないことも珍しくなかった。
「この出来損ないめ!一族の面汚しが。我々の計画を狂わせるつもりか!」
「そうよ、どうしてくれるの?…そんな目で見ないでちょうだい。あなたの無能が移ったら嫌だわ」
「まあまあ、旦那様、奥様。この者にもまだ使い道はございますよ。例えば、皆様の鬱憤晴らしに…」
「それもそうか。感謝しろよ、無能。生かしてやっているだけでも有り難いと思え」
彼らはいつも、俺を貶めることで自尊心を満たしているようだった。俺に逆らう力など、あるはずもなかった。彼らにとって、俺を殴ることは日々のストレス解消なのだろう。
<ドゴォッ!>
鈍い衝撃と共に、胸に鋭い痛みが走る。
「……うぅっ、かはっ…!」
思わず咳き込むと、口から血が溢れた。それを見た家族は、汚物でも見るかのように顔を顰め、「汚らわしい」と吐き捨てた。床に雑巾を投げつけ、彼らは足早に去っていく。
俺は人間として扱われていない。ただ、痛めつけられるためだけに存在する、サンドバッグのようなものだ。次第に、俺は誰も信じられなくなっていった。
ただ一人、妹の日南を除いては。
「お兄ちゃん、大丈夫…?あの人たち、本当にひどい…。私が言ってきてあげる!」
「大丈夫だよ、日南。これくらい、すぐに治るから」
いつも俺の味方で、傷の手当てをしてくれた優しい妹。彼女の存在だけが、俺の心の支えだった。日南にいつか恩返しがしたい。その思いだけが、俺をかろうじて生かしていた。
しかし、そんな希望も突然打ち砕かれる。日南が、ある日突然、死んでしまったのだ。
原因は誰も教えてくれなかった。何度問い詰めても、「うるさい、失せろ」と冷たく突き放されるだけ。
目の前が真っ暗になった。生きる意味を見失い、俺の世界から光が消えた。
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何も感じない。
何も考えたくない。
私は、お人形さんなんかじゃない。
…そう思っていた時期もあった。
父が死に、家に金がなくなると、母はあっさりと私を捨てた。遠く離れた孤児院に置き去りにされたのだ。
レンガ造りの、柵に囲まれた二階建ての建物。敷地は無駄に広く、私が横になっても、まだ何人も入れるような空間が広がっていた。
最初は、少しだけ期待していたのかもしれない。新しい生活が始まるのだと。
けれど、そんな淡い幻想は、わずか三日で打ち砕かれた。
この孤児院には、地下があったのだ。
そこで行われていたのは、子供たちを使った非人道的な「研究」。
私たちは、モルモットだった。
一日中冷水に浸され、体温の変化を記録される。
麻酔もなしに、皮膚を少しずつ剥がされ、「再生能力」を観察される。
得体の知れない寄生虫を体内に入れられる。
密室に閉じ込められ、毒ガスを流し込まれる。効果や致死量を測るために。
奇妙な色の薬を、毎日飲まされる。
先生たちは、実験の前に必ず内容を告げた。「絶望を味わわせてやるためだ」と、歪んだ笑みを浮かべて。どうせすぐに死ぬのだから、何を教えても構わない、と。
最初のうちは、恐怖で体が震えて止まらなかった。寄生虫を入れられた時は、死ぬかと思った。幸運にも私は生き延びたけれど、隣のベッドの子は脳を食い破られて死んだ。心臓を食われた子もいた。内臓を蝕まれ、絶えず苦痛に呻きながら、それでも生かされている子もいた。
毒ガスの実験では、空気より軽いガスだったため、最初に立ち上がった子が窒息して死んだ。皮膚が焼け爛れ、誰だか分からなくなった子もいた。肺が機能しなくなり、苦しみもがいて息絶えた子も。皮を剥がされる実験で生き残った子は、精神が壊れ、自ら命を絶った。薬を飲まされた子たちも、次々と衰弱して死んでいった。
たくさんの友達が死んだ。仲良くなっても、すぐにいなくなってしまう。
先生たちは私たちを「お人形さん」と呼んだ。いつしか、子供たち自身も「私はお人形」と呟くようになり、その瞳から光が消えていった。
でも、なぜか私は、まだ「私」でいられた。思考することを、やめられなかった。
そんな私に興味を持ったのか、先生たちは頻繁に私を実験台にした。
ある日、他の子供たちが、先生の命令で私にボールを投げつけてきた。最初はなんてことなかった。でも、だんだん痛くなってきた。よく見ると、ボールの表面には無数の小さな棘が生えていた。
そのうち、誰かが投げたボールが、別の子に当たった。それをきっかけに、子供たちの間で怒号が飛び交い、殴り合いが始まった。掴み合い、蹴り合い、首を絞め合い…そして、殺し合いにまで発展した。
地獄絵図の中でも、なぜか私だけはいつも無傷で生き残った。どんな混乱の中でも、死んでいくのは周りの子たちばかり。
やがて、子供たちは囁き始めた。「あの子と一緒にいると死ぬ」と。
誰も私に近づかなくなった。
「死神」
いつしか、私はそう呼ばれるようになった。
悲しかった。虚しかった。
それでも、私は諦めたくなかった。
人間として生きたい。誰かに愛されたい。
その一心で、私は耐え続けた。
実験は、日を追うごとに過酷さを増していった。
また、たくさんの「お人形さん」が死んでいった。壊れて、捨てられていく。
それでも、私は死ななかった。壊れもしなかった。
そんな日々の中で、私は自分の中に特別な力があることに気づいた。
軽い物を、手で触れずに動かせる。せいぜい5キロ程度の重さまでだけれど、確かに「能力」と呼べるものだった。
もしかしたら、この力があったから、私はまだ壊れずにいられたのかもしれない。
ある日、私たちは久しぶりに一階の食堂に集められた。いつもは地下の冷たい鉄の部屋で食事を与えられるのに、なぜか今日は、陽の光が差し込む明るい食堂だった。
何かがおかしい。周りの子たちは久しぶりの「まともな」場所に少し安堵しているようだったが、私の胸には嫌な予感が渦巻いていた。
「今日は、特別にご馳走だ。これを食べてもらおう。安心しろ、死にはしない」
先生がそう言った瞬間、飢えた子供たちがテーブルに殺到した。山盛りの、見た目も匂いも良い料理。普段の実験食とは比べ物にならない。一口食べてみると、驚くほど美味しかった。
でも、だからこそ怪しい。「死にはしない」という言葉が、逆に不気味に響く。
私は警戒して、ほんの少しずつしか口にしなかった。
だが、周りの子たちは、我先にとむさぼり食らっていた。まるで何かに取り憑かれたように。
10分ほど経っただろうか。
突然、一人の男の子が激しく嘔吐した。それでも、他の子たちは食べるのをやめない。むしろ、焦るように口に詰め込んでいる。
これが、実験なのだろうか?だとしたら、あまりにも悪質すぎる。
<バンッ!!>
「!?」
鋭い破裂音。見ると、食堂の隅に座っていた女の子が、文字通り破裂していた!
内臓が飛び散り、頭部が天井に叩きつけられる。胃の内容物が床にぶちまけられた。
「おえぇぇぇっ…!」
強烈な吐き気に襲われる。人が死ぬ瞬間を、こんな形で目にするなんて…。なのに、周りの子たちは、一瞬動きを止めたものの、またすぐに食べ始めた。狂っている。
<バンッ!><バンッ!><バンッ!>
次々と、同じように体が破裂していく子供たち。
気づいた。破裂したのは、特にたくさん食べていた子たちだ。
「やめて!食べちゃダメ!」
私は叫び、近くの子の腕を掴んで止めようとした。
しかし、彼らは「邪魔をするな」と言わんばかりの憎悪の目で私を睨みつけ、振り払った。
必死に訴えても、誰も耳を貸さない。
結局、その日は20人近くが破裂して死んだ。
最後に、生き残った子供たちに先生がいつもの薬を飲ませ、騒ぎは強制的に終わらされた。
後片付けをさせられながら、生き残った子たちに囲まれた。
「なんでお前だけ平気なんだ?」「私たちだけ、こんな目に遭って…」「やっぱりお前は死神だ」
口々に罵られ、殴られ、蹴られた。反論する気力もなかった。