第50話 甘酒を作ろう
更に十時間が経過した。私たちは保管庫から米麹を取り出す。取り出した瞬間、周囲に栗を蒸したのような香りがふわっと漂った。
「この甘い香りと、お米が自分の力で温まる力を確認できたら完璧です。後は麹をトレーに移して、くっついているお米を手でバラバラにして広げましょう」
私たちはトレーに米麹を移した。そして今度は手でバラバラにしていく。それから再び布に包んでトレーに入れて、二十四時間ほど室内で保管する。
それを何度も繰り返し、数日後……いよいよ麹が完成した。
四角い板状に固まった真っ白い米麹からは、甘い香りがより強く漂っている。お米を割って断面を確認してみると、菌糸が伸びて米同士がくっついているのを確認できた。
「ああ、僕の可愛い種麹たちがこんな姿に……なんて愛らしいんだ! エルシー様、感謝しますよ……僕にこれほど素敵な麹の姿を見せてくれて……!」
マシューさんは私たちそっちのけで、米麹に向かって語りかけている。その表情は恍惚としていて、瞳には熱が込められている。
彼の様子は米麹に話しかけているというより、まるで愛しい恋人か愛娘の晴れ姿を拝んでいるかのようだ。
この人、本当に菌類が好きで好きでたまらないんだな。
そんなマシューさんの様子を生温かい気持ちで眺めていると、ラウル様が腕を組んでうんうんと頷いた。
「菌類を前にした時のマシューの姿は、米を前にした時のエルシーとよく似ているな」
「えっ!? 私もあんな状態になっているのですか!?」
「ああ。君たちは対象こそ違えども、好きな物に対して一途で純粋だ。俺はどうにもそういう人間に惹かれやすい傾向にあるようだな」
「そ、そうですか」
私は改めてマシューさんの姿を見つめる。マシューさんは米麹をほぐしながら、愛しそうに話しかけている。それはもう、頬ずりでもしそうな勢いで。
……うーん。米作りや和食調味料作りにかける情熱は持ち続けるにしても、今後はもう少し言動に気を付けた方がいいかもしれない。
「くふふふふ……僕の可愛い麹、二度と離さないよ……」
「いや、私はあそこまでひどくないですよね?」
「さあ、どうだかな」
私とラウル様のやり取りは聞こえていないのか。それとも聞こえた上で聞こえないふりをしているのか。マシューさんはひたすら米麹と戯れていた。
「ところで、米麹の出来栄えを確かめる為にいい方法があるのですが」
「ほう、どんな方法だ?」
「興味深いですね……教えてください……」
「はい。それは『甘酒』です!」
「甘酒?」
二人は同時に首を傾げる。私は胸を張って言葉を続けた。
「お米と米麹を原材料に作る飲み物です。寒い冬に飲むと体が温まり、疲労回復やダイエット、美容効果もあると言われています。美味しいですよ」
「ほう、それは興味深いな。ぜひ賞味したいところだ」
「僕は食べることにこだわりはありませんが……麹の効果を知るという意味で興味がありますね……」
「ではさっそく作りましょう!」
私は早速甘酒作りに取り掛かった。甘酒の作り方は麹作りに比べると、時間も手間もかからない。まずは鍋に水とお米を入れて加熱する。
「ここで一旦火を止めて麹を加えます。攪拌してから保温容器に移し、60度前後を保てていることを確認できたら一晩置いて発酵させます」
「なるほど。これで甘酒の出来上がりを待つのだな?」
「はい。完成した甘酒を飲むのが今から楽しみです」
翌朝、三人は出来上がった甘酒を前にして顔を合わせる。
保温容器から取り出した甘酒を瓶に移す。その際に甘酒特有の甘い香りが漂い、三人は思わず唾を飲む。
「それでは、いただきます」
甘酒をカップに移してラウル様とマシューさんに手渡す。まずは私がカップに口を付け、甘酒を口に流し込んだ。
ドロっとした特有の喉越しと、麹特有の優しい甘さが口の中に広がった。
「……美味しい……!」
麹の優しい甘さが体に染み渡って、すごく癒される味だ。体の芯から温まるようで、肌寒くなってきた今の季節にもピッタリだ。
「ほう、これは……美味だ。柔らかい喉越しに米特有の甘さ……いや、この甘さは米の甘さだけではないな。だが昨日の調理過程を見る限り他の調味料は加えていなかった。ではこの甘さは一体……?」
「これが発酵の力……でしょうね。麹由来の酵素が米の成分を一晩かけて糖化させ、特有の甘味を醸し出している……そうですよね、エルシー様?」
「さすがマシューさん、その通りです。ラウル様の味分析もお見事です」
「そうか、これが麹の力というものか……」
ラウル様は興味深そうに、もう一杯甘酒を飲んだ。
「これは病みつきになる味だ。しかも体が内側から温まる。寒い季節に最適な飲み物だな」
「はい。まだ麹が残っていますので、また作りましょう!」
こうして私たちの初めての麹作りは無事に完了した。
そしてこの日から麹を活用した調味料作りにも取り掛かったのだけれども……そちらは麹作りの比じゃないぐらい長いので割愛する。
とにかく麹の持つ力はラウル様やマシューさんに理解してもらえた。麹を活用した料理や調味料の持つポテンシャルも十分プレゼンできた。
ラウル様はブルーフォレスト領における麹作りを推し進めてくれることになったし、製造・管理はマシューさんが行うことになった。
私は他にもやることが多かったし、基本的な作り方は知っていても応用となると弱い。菌類に関する知識は専門家であるマシューさんに任せる方が適任と思えた。
幸いなことにマシューさんもすっかり麹の魅力にハマってしまったみたいで、率先してやりたいと申し出てくれたのだった。
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