第47話 マシューについて
それから間もなくしてラウル様と共にブラウン男爵領を後にした私は、帰りの馬車に揺られながら窓の外を眺めていた。
「マティアスさん、とても良い人でした」
私がしみじみとそう呟くと、対面に座るラウル様はふっと笑った。
「前にも話したと思うが、ブルーフォレスト領は元々食料自給率の低い土地だった。この土地でも育つ食料の一つに森のキノコがあり、それ故にマシューが興味を持った側面もあると思う。世間では変わり者扱いされているが、あれもブルーフォレスト領と己の責務について真面目に考えている立派な男だ」
「ええ、私もそう思います」
私はラウル様の考えに真っ直ぐ頷く。ブルーフォレスト領の発展を思えば、一見変わり者だけどマシューさんの研究はとても重要なものだ。
そして私の夢を叶える為にも、彼の研究は欠かせない。
コウジカビが手に入れば、麹の元となる種麹が培養できる。そうすれば味噌、醤油、清酒、焼酎、みりんなどが製造できるようになる。
ああ、想像しただけで涎が出そう……! 私は恍惚とした表情を浮かべる。
「本当にいい人に出会えました。次にお会いできる日が楽しみでたまりません」
「そうか。……」
私がにやけていると、ラウル様は何か言いたそうにこちらを見つめてくる。……なんだろう? 私は首を傾げながら尋ねる。
「どうされましたか、ラウル様?」
「いや……」
ラウルは口籠りながら何やら思案気な表情を見せたが、やがて意を決したように口を開いた。
「その……マシューのことを話すエルシーは楽しそうだな」
「……え?」
思いがけない言葉に私は驚きの声を上げる。ラウル様はなおも続ける。
「俺と居る時よりも楽しそうだ。……なんというか、マシューの話をしている時の方が生き生きしている」
「え、そ、そうでしょうか?」
思いもよらない言葉に私は狼狽えた。確かにマシューさんの話をしていた時は楽しかった。
けれどまさか、ラウル様がそのように感じていただなんて。
ラウル様はわずかに頬を赤くして、拗ねた子供のように窓の外を流れていく景色に視線を向けている。これはもしかして……もしかするのかもしれない。
「もしかしてラウル様、嫉妬していらっしゃるのですか?」
私の言葉にラウル様は目を見開くと、ますます頰を赤く染める。
「むぅ、それは……その……」
ラウル様は分かりやすく狼狽えている。いつもの泰然とした態度とは似ても似つかない……これはとても、新鮮だ。
って、そんな場合じゃない。未来の旦那様を不安にさせてしまっただなんて、とんでもない失態だ。
本音を言うと、その可愛らしい嫉妬が嬉しくない訳じゃない。だけど人間関係というものは、こういう小さなすれ違いから大きく拗れるものだ。
ここはちゃんと否定しておかなければ、取り返しのつかないことになるかもしれない。私は慌てて口を開く。
「誤解です、ラウル様。私が生き生きしているように見えたのは、マシューさんへの好意ではなく、カビの話が楽しかっただけです」
「……カビ?」
「はい、そうです。私の夢にはカビが必要不可欠なのです。カビの為には海を越え山を越え、国境を超えなければならないと覚悟していました。でもマシューさんのおかげでエラルド王国から出ずに欲しかったカビが手に入りそうなので嬉しいんです」
私は身を乗り出して力説する。これは真実だ。コウジカビが手に入ったら、醤油や味噌はもちろんのこと、日本酒も焼酎もみりんも製造できるようになる。
きっと私の目はキラキラしていたことだろう。でもそれはマシューさんを思ってのことじゃない。あくまでコウジカビを思って、私の胸は熱く燃え滾っているのだ。
「なるほど……そうか。カビか」
私の話を聞いたラウル様は安堵の表情を浮かべる。その様子を見るに、どうやら誤解は解けたらしい。良かった。
「しかしコウジカビか。俺はまだその菌類についてよく知らないが、もしこれが手に入ったらエルシーの料理の幅が広がるな」
「はい! コウジカビから味噌や醤油を作れば、和食メニューの再現度が格段に上がります!」
「……また馴染みのない単語が出てきたな?」
「後で詳しく説明しますね」
「ああ、楽しみにしている」
こうして私たちは和やかに帰路を辿り、ブルーフォレスト邸に戻った。
そしてラウル様には、マシューさんがコウジカビに興味を持っていること、それが手に入ったらきっと喜ぶだろうと伝える。するとラウル様もそれを楽しみに待つと言ってくれた。
私がコウジカビを手に入れるまで、そう時間はかからないことだろう。
その日が待ち遠しい。私は穏やかな笑みを浮かべながら、コウジカビを使った調味料の製造に想いを馳せた。
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