第46話 ブラウン男爵家
「それではマティアスさんがエラルド王国におけるヨーグルトの発酵を行った第一人者なのですか!? 凄いです!」
「ヨーグルトに類する食物は世界各地の文献にありますから……僕はどのような菌が使用され、どのような過程で発酵・熟成されるのかを研究して再現しただけですよ」
ブラウン男爵家のお屋敷に到着する頃には、私たちはすっかり意気投合していた。
「二人共すっかり打ち解けたようだな」
「はい、マティアスさんの知識は本当に素晴らしいです!」
「いやあ、それほどでも……というか、エルシー様の知識も素晴らしいですよ」
「ああ、素晴らしい女性だ。俺の健康も気遣って減量に協力してくれた。今の俺があるのはエルシーのおかげだ」
ラウル様が照れ臭そうに言うと、マティアスさんはラウル様の姿を頭の天辺から足の爪先までしげしげと見つめ、ぽんと手を叩いた。
「おお……言われてみれば、ラウル様のお体が大分薄くなられたご様子」
「……今の今まで気付かなかったのか?」
「申し訳ございません、他人の容姿に僕は興味がないもので……興味があるのは菌類とその働きだけです」
マティアスさんは悪びれる様子もなくそう言った。怖い物知らずというか、なんというか。まあ、それが許されるぐらい親しい間柄なんだろう。……ということにしておこう。
それから私たちはマティアスさんの案内で、お父上であるクロード・ブラウン男爵にご挨拶をした。
当初の目的は私の挨拶だったけど、どうやらラウル様に仕事の相談がある様子だったので、私は席を外すことにする。するとマティアスさんが声をかけてきた。
「もしよろしければ、僕の研究室をご案内いたしますよ。エルシー様は菌類にご理解があるご様子ですので……」
「まあ、ありがとうございます! ……ラウル様、よろしいでしょうか?」
「ああ、行ってくるといい」
「はい!」
そして私はブラウン男爵にも会釈をすると、応接室を出てマティアスさんの研究室に向かった。彼の研究室は屋敷を出て、庭の外れに独立して建てられている建物だった。
研究室の中は、とにかく広かった。彼のキノココレクションが整然と棚に並べられていて、見たこともないような種類のキノコもたくさんある。
「この棚に並んでいるのは栽培に成功した菌床のキノコです。奥の部屋ではカビの培養を行っています」
マティアスさんの研究室は細かく区画が分けられていて、それぞれの区画で湿度や温度の管理が入念に行われている。
私は興奮気味に一つ一つの区画を覗いていく。するとマティアスさんが棚に寄りかかるようにして、私の様子をにこにこしながら見ていることに気が付いた。
「……本当に僕の話を興味深そうに聞いてくださる方ですね」
「だって、どれもこれも興味深いお話ばかりなんですもの」
「菌類の話にここまで興味を持ってくださった人は初めてですよ……大体は気味悪そうに逃げていくというのに」
「皆さん勿体ないことをなさいますのね。こんなに興味深いお話なのに」
「まあ別に構わないですけど……敬遠されればされるほど、僕は研究に没頭できますから」
そういうとマティアスさんは不気味な笑みを浮かべた。元々の性格なのか、それとも理解されなかったが故の人格形成なのか。
彼はあまり人付き合いが得意そうなタイプではないことが伝わってきた。
……それにしても、これほどまでに菌の研究を成功させているとは……。
この分なら彼の知識があれば、醤油や味噌作りはそこまで苦労しないかもしれない。私は期待で胸を膨らませた。
「あの、実は私も特定の菌類の研究に興味がありまして……マティアスさん」
「マシューでいいですよ」
「それではマシューさんは、『コウジカビ』というカビの一種をご存知でしょうか?」
「……コウジカビ? それは一体どんな菌類ですか!?」
コウジカビの名前を出した途端、どこか気怠そうだったマシューさんの目の色が変わった。この人、本当に菌類の話が大好きなのね。
「ええとですね、コウジカビというのは湿度の高い環境で生息するカビの一種でして、特徴は――」
前世で覚えたコウジカビの特徴を口にする。前世では農業大学に通っていたこともあって、一応コウジカビの特徴や生息条件について知っている。
マシューさんは私の話を聞きながらふむふむと相槌を打っていたかと思うと、突如弾かれたように部屋の隅に駆け出した。
部屋の隅には本棚がある。マシューは本棚から本を次々と取り出してページを捲る。
「……なるほど、それは恐らく不完全菌の一種ですね……極めて近しい菌が東方の小国で利用されているという資料があります……」
「それではこの世界にもコウジカビは存在するんですね!?」
「この世界?」
「あ、いえ……この国でも」
私は慌てて言い直す。マシューさんはあまり興味がないようで、そうですかと言って資料に目を落とした。他人に興味の薄い人で助かった。
「いえ、この国にはありませんが……取り寄せようと思えば取り寄せることも可能ですよ」
「本当ですか!?」
「はい。僕の菌類愛好家の人脈ネットワークを使えば」
「ありがとうございます、ぜひお願いします!」
私は思わず前のめりになって頭を下げる。するとマシューさんはパタンと本を閉じて、興奮気味に目を輝かせる。
「いやあ……お礼を言うのは僕の方です……! ちょうど新たな菌類の研究に乗り出したいと思っていたところなんです。しかし僕一人では国内や隣国で生息する菌類には目が向いても、遠い小国の菌類にまでは意識が向きませんでした。感謝しますよ、エルシー様……!」
マシューさんは興奮気味に語る。どうやら私は、とても良い人に巡り合えたらしい。
「あと……そのコウジカビについて、もっと詳しく教えて頂けると……」
「ああ、それはですね――」
そして私たちは時間を忘れて話し込み、気が付けばラウル様が迎えに来るまで話し込んだ。




