第45話 夏の出会い
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あれはそう、去年の夏の出来事だ。田植えの作業を一通り終えて、比較的まったり落ち着いていた時期のこと。
私はラウル様と共に領地を回り、領地経営を補佐してくれている人々の屋敷を尋ねては挨拶を交わしていた。
序列でいうなら文官や武官の皆様がブルーフォレスト家を訪れるのが筋ではあるけれど、私たちは正式な結婚前だったし、領地を実際にこの目で見たいという私たっての希望でこちらから赴くことになった。
「この辺りがブラウン男爵家が管轄する土地だ。恐らく米作りに適した土地ではないかと思うのだが」
「素敵な土地ですね」
ラウル様が指し示した土地は、水源が豊かで平らな土地が多く、おまけに水はけも良さそうな土壌という米作りに最適な環境だった。
私は目を輝かせて馬車の中から農地を見る。現在はあまり作物を育てていないらしく、広い農地は閑散としている。
もっと間近で見てみたくなって、馬車を停めてもらうと私はあちこち見て回る。
その時だった。畑の脇にある林の入り口で、地面に頭を擦りつけるようにして蹲っている若い男の人を発見した。
てっきり体調を崩しているのかと思って近づいてみると、彼はいきなりガバッと体を起こして高笑いを始めた。
「くふふふふ……傘が開く前のタマゴダケのなんと愛らしいことか。まるでお伽噺に出てくる妖精のキノコのようじゃないか……! このまま永遠に閉じ込めておくことが出来ればどんなに良いだろう……いや、ダメだ。それでは傘が開くまでの過程を見ることが出来ない。あちらを立てればこちらが立たず……なんて世界は残酷なんだ……」
「はい?」
私は目を白黒させた。彼は地面に両手をつき、四つん這いのような恰好でブツブツと何か呟いている。
……もしかしてこの人はお腹が痛いとか体調が悪い訳ではなくて……今ここで一心不乱にキノコを観察していた?
そう言われてみれば、彼の足元には赤色の傘をつけたキノコが生えている。
目に鮮やかな真っ赤な傘に、蛍光オレンジ色に近い茎。どこか毒々しい色の組み合わせだ。私は思わず声をかけてしまった。
「あ、あのー、それは毒キノコではないんですか?」
「毒キノコ? いいえ、違いますとも! これはタマゴダケといって、有毒と誤解されることもありますが無毒な食用キノコの一種です! ああ、それなのに毒キノコと勘違いされ駆除されるタマゴダケのなんと多いことか……僕は悲しい。しかしその儚さもタマゴダケの魅力の一つと言えるでしょう」
「そ、そうですか」
私はたじろいだ。すると私の背後でラウル様が苦笑交じりに声をかけた。
「久しいな、マシュー。その様子だと相変わらず菌類に夢中の様子だな」
「おお……! 我が主にして無二の友人であらせられるラウル様……! 足元から失礼します」
マシューは立ち上がると、ラウル様の前に歩み寄り優雅にお辞儀をする。……先程まで四つん這いでキノコを愛でていた人と同一人物とは思えないような美しい所作だった。
「ラウル様……つかぬ事をお伺いしますが、こちらの方は?」
私はおずおずとラウル様に尋ねる。するとラウル様は鷹揚に頷いた。
「ブラウン男爵家の嫡男であるマティアス・ブラウンだ。俺とは旧知の間柄でマシューと呼んでいる。マシュー、彼女はエルシー・スカーレット。俺の妻となるべくスカーレット男爵領よりやって来た女性だ」
「おお……貴方が、ラウル様の新たなご家族となる方でしたか……初めまして、僕はブラウン男爵家の嫡男でマティアス・ブラウンと申します。どうぞよろしくお願い致します」
「初めまして。エルシー・スカーレットと申します。こちらこそよろしくお願いします」
立ち上がったマティアスさんは百九十センチを超える長身で、先ほどまで地面に這いつくばってキノコを愛でていた姿とは大違いだ。
「それでラウル様、今日はどのようなご用件でこちらへ?」
「ブラウン領を視察しつつ、エルシーを案内していたんだ」
「そうでしたか……ここで出会えたのも何かのご縁。僕が屋敷まで案内いたしましょう……道中の道端に生えるキノコの説明を交えながら」
「え、あ、はい」
マティアスさんは私たちに向かって一礼すると、すぐさまキノコの説明をしながら歩き出した。……なんて癖の強い人だろうか。するとラウル様は苦笑しながら私に教えてくれた。
「マシューは主従関係こそあるが、俺とは幼馴染のような間柄だ。宮廷学院を主席で卒業するほどの頭脳の持ち主だが、その優れた頭脳を菌類の研究に注いでいる変わり者だ」
「そうなのですね」
「変わり者とは手厳しい。ブルーチーズも白チーズもカビがなければ作ることは出来ません。菌類を研究することはブルーフォレスト家の為でもあります」
「そういう話になるとお前は止まらないな」
そう言って笑い合う二人はとても仲が良さそうだった。私も最初は面食らっていたももの、彼の話を聞くうちに次第に興味が湧いてきた。
……いや、それどころじゃない。彼の持つ知識は私にとって金の鉱脈同然だった。
何故なら、今後作りたいと考えている醤油に味噌にお酢。それらを作る上で欠かせない麹は、コウジカビと呼ばれる菌類の一種が必要不可欠だからだ。
菌類についての深い造詣を持つマティアスさんなら、この世界のコウジカビについて何か知っているかもしれない。私は逸る気持ちを抑えつつ、ラウル様とマティアスさんの後を追った。




