24 不老不死の秘薬
「ゆ、誘拐?」
葵はやんごとなき御方の前で素っ頓狂な声を上げる。
「そうだ」
そんな葵の様子とは裏腹に、やんごとなき御方は冷静に返す。
「なんでまたそんなことが?」
葵はいかにも訳が分からない、と言った様子でやんごとなき御方を見つめる。
「たまたま杜利が誘拐されて車に乗せられているところを目撃した、と連絡してきたんだ」
「誰がですか」
葵のその問いに、やんごとなき御方、こと紫水は葵に文を尽きさす。
葵がそれを受け取り、中を確認すると、見覚えのあるような字体が並んでいた。
「これは…」
「ああ。俺が殺される、とわざわざ文を寄こしてきた奴と恐らく同一人物だ。非子がその時と同じように解読した、と言っていた」
そう言う紫水の後ろで、非子はピースサインをしている。
葵は紫水に悟られぬよう、非子にこっそり親指を突き立てる。
「送り主は分からないのですか?」
「…全く見当が付いていないわけではない、が…」
そこで紫水は言い淀む。確信を持つにはまだまだだということだろう。
「その人物が信用に足る人物なのかによっては、誘拐、というのもいささか信じられないものですが」
「それはそうなんだが…」
どうやら、紫水が言い淀んでいるのは、確信を持てていないから、というよりは葵には話せないことだから、と理由の方が大きいようだ。
葵は察した、という様子で気まずそうな顔をする紫水に向き合う。
「では、少し整理しましょう。杜利は貴光妃に毒を盛った罪で投獄されていた。そして先日、李春妃と桃林妃が何者かの思惑によって、それぞれ被害を受けている。東宮を狙ったのかは定かではないが、刑部の官吏が射られ、片目を失明。その刑部の官が管理していた獄から杜利が脱走、と見せかけて誘拐された」
葵がこれまでに起きたことを淡々と告げる。紫水がどこにも突っ込みを入れないことから、ここに間違いはない。
「なんだか、繋がりそうな気がしなくもないというか、なんというか」
不意に葵の隣から声がした、と思いきや、隣には暁笙が立っていた。
「わっ」
突然のことに葵は思わず驚きの声を上げる。
「そういえば、その杜利の実家の酒蔵は脱税疑惑も浮上していましたね。果たしてこれは偶然と言うべきなのか…」
「そうだな、かなり厳しいところだ」
そんな葵には目もくれず、暁笙と紫水は互いの話を進めていく。
「早急に杜利の居場所を見つけなければなりませんね」
「ああ、それと李春妃と桃林妃の件の犯人もな」
紫水は眉間に皺を寄せて、頬杖をつく。ろくに寝ていないのか、目の下が黒ずんでいる。
「急がなければならないのは事実ですが、医官としては、休息をとっていただきたいところです。このままでは主上の二の舞になるやもしれませんよ」
「ああ、分かっている」
暁笙の発言に呼応するように、非子が寝間着を持って来る。紫水は立ち上がると同時に、上掛けをパサリと落とす。
非子が紫水の着替えを手伝っているのを葵はボーっと見つめる。
紫水こと東宮はかなり綺麗な顔立ちをしている。この国のかつての后に似ている、というがどうであろうか。
(御后様は中性的な美人だったものなあ)
葵はかつての御后を思い出し、東宮と比較してみる。確かに、きりっとした目元なんかは似ているかもしれない。
あまりにもじっと見つめすぎたのか、紫水に怪訝な顔をされる。ところが、そんな怪訝な表情も悪戯めいた表情へと変化する。
「なんだ、俺の顔にでも惚れ直したか?」
途端に葵は眉間に皺を寄せ、紫水を半眼でねめつける。
紫水は苦笑すると、少し休む、と言って寝所に赴いて行った。
何故か取り残された葵と暁笙は、互いの存在を知りつつも、何をすれば良いのか分からない。気まずい空気だけが流れている。
「あのさ、」
先に口を開いたのは暁笙の方だった。
なんでしょう、と葵は暁笙の方を見る。まともな話をされるのかと思いきや。
「お前は、ああいった男の顔が好みなのか?」
割と真剣な顔で尋ねられる。とりあえず、足を踏んづけておいた。
〇●〇
「いや、悪かった」
暁笙は葵に向かって笑みを浮かべながら謝罪する。
「いえ、もう構いませんので」
葵はそう言いながら、自分の盃に口を付ける。今宵は満月だ。盃になみなみと注がれた酒には、くっきりと丸い月が映る。
暁笙に一杯やらないか、と誘われ、現在東宮の宮の庭にいる。
「お前は、東宮付きの侍女、という体なんだよな?」
暁笙は葵に確認するように尋ねる。
「まあ、そうですね。以前は医官付きのお手伝いでしたけど」
葵は桃林妃の宮に訪れた時のことを回想する。暁笙もああ、と頷く。
「じゃあ、一定の職に就いて活動する、というよりは、色々なりすまして活動している、ってことか」
「そうですね。暁笙様は医官としての一定の職の中で活動されていますから、少々私の活動には違和感がおありかもしれませんが」
そう言って葵は酒を飲み干す。甘口なのに、すっきりとしている。これならいくらでもいけそうだ。
「そんな一気に飲んで酔わないのか?」
「酒にはそこそこ強いので」
妓楼にいると、妓女を散々酔わせてよからぬことを、なんて考える御仁もいなくはないので、ある程度飲めるように訓練はした。
「好みの酒は?」
「辛すぎず、甘すぎず、くどくないもの」
「注文が多いな」
暁笙はふはっと笑う。
「暁笙様は?」
「特にない。酒なんてほとんど味がしないし」
「それ、危なくないですか?なんか変な毒でも飲みましたか?」
「別に普通だが?」
暁笙は素面顔で酒をあおる。
「ああ、そういや毒といえば、なんだが」
「なんでしょう?」
「不老不死の秘薬、について聞いたことはないか?」
「不老不死の秘薬?」
葵は顎に手を添える。
「聞いたことがないわけではないですが、実在はしませんね」
「実在しない?」
「はい」
葵は手酌で酒を一気にあおる。
「なんか、一時噂になった代物があるんです。不老不死の秘薬だと言って。でも全然不老不死の秘薬ではなかったですね、普通に猛毒でした」
「な、なんだったんだ、それは!」
暁笙はまるで葵に突っかかるかのように距離を詰めてくる。
「…どうしたんですか?」
「その不老不死の秘薬ってなんのことだったんだ!」
暁笙は切羽詰まったような、慌てたようなそんな様子で尋ねてくる。
「そんな慌てなくてもちゃんとお話ししますよ。確か、金属なのに液体だっていう…」
「まさか、水銀か?」
暁笙は絶望に近いような表情で尋ねてくる。だんだんと顔色が青くなっていく。
「だ、大丈夫ですか?」
暁笙のあまりの変貌ぶりにさすがの葵も慌てる。
一方の暁笙は、そうか、水銀か、だから…などとブツブツとひとりごとを呟いている。
「まあ、おっしゃる通りの水銀なわけですが…高貴な身分の人間しか手に入らないとかで、当時は民衆に広がることもなく、大きな事なきは得ました」
「それっていつのことだ?」
暁笙は切迫したような表情で聞いてくる。
「えっと、去年くらいでしたかね。国営事業の一環で行った開発の影響で、水銀が見つかったんだとか。私も詳しいことは知りません」
「そうか…そうだったのか」
暁笙は唇を嚙みながら頷いている。どうやら合点のいくところがあったらしい。
葵はそんな暁笙を横目に酒をあおる。水銀の一件は、葵が妓楼にいた時に御客が言っていた話だ。
それにしても。
(不老不死の秘薬、なんてな)
あるわけがない。そもそもそんなものが手に入ったところで、生き永らえたいとも思わない。
愛する人と永遠に、という理由もちょくちょく聞くが、そんなもの形あるものでもないのに、いつ途絶えるか分からない。
(人を好きになるってどういうことなんだろうな)
葵は妓楼にいるときから、幾度も考えを巡らせた問いを思い出す。
いつか自分にも分かる日が来るのだろうか。
(まあ、しばらくはなさそうだな)
葵は空になった盃をおくと、ごろんと寝そべって、静かな夜に耳を澄ませた。




