16 椿峰
ゆっくり更新ごめんなさいです…
(これでよしっと)
せっせと荷物をまとめ、軽く掃除をする。
もともと物は少なく、装飾品や着物は、禿や他の妓女たちにあげたので、実質持って出る物は知れている。
(行った先にもいろいろ準備されているだろうし)
葵が最上級妓女である限り、その見送りも派手なものにするべきなのだろうが、身請け人である紫水がそれを是とは言わなかったこと、さらには葵自身がそれを望まなかったことから、最小限に抑えた見送りをすることとなった。
数日にわたって行われるはずの宴は、一夜で済ませた。紫水は都合がつかず、出席できなかったが、葵の常連だった御客はだいたい顔をそろえた。先日の宮中での一件があったからか、浮かない顔つきではあったが、盛り上がりに欠けることはなかった。
紫水が葵の見送りを派手にすることを是としなかった理由は大体想像がつく。
葵になんの相談もなく、身請け話を成立させてしまったということは、それだけ急いでいるからだ。宮中での一件がどういう方向に流れているのか、噂でさえの情報もないが、かなりまずいことになっているのは確かだろう。
葵に妓女をやめさせる、それは、紫水にとっても苦渋の決断だったはずだ。
葵が妓女をしていたのは、後宮を揺るがす負の力を炙り出し、可能な限り、秘密裏に始末することが目的だったからだ。それが皇后の死の真相に近づくと考えていた。
だが、その負の力を炙り出す前に妓女を辞めさせるということは、葵の情報処理能力、及びそれなりの知識が早急に必要とされている、そう捉えても差し支えはないだろう。
日が昇り始める。鷹の旦那が迎えに来るまで、後二半刻ほどだ。
丹華や蘭世とは昨晩たっぷり話したので、今更話すこともない。二人は葵の幸せを願う、と言ってくれた。つくづく良い小姐達を持ったと思う。
今頃、禿たちと一緒に店先にいるはずだ。妓女が身請けされるときは、総出で見送りをする。
そろそろ下に降りるか、と立ち上がると、戸を叩く音がする。
どうぞ、と言うと、入ってきたのは椿峰だった。
「どうしたの?」
今回紫水が身請けを申し出たのは、葵だけだ。つまり、椿峰は妓楼に残ることになる。
「このたびは、おめでとうございます。」
椿峰は恭しく頭を下げる。
「ありがとう」
形だけなのは葵も承知しているが、一応の返事は返しておく。
そのままでいるのもぎこちないので、そばに来るよう手招きする。
「あんたはここに残るの?紫水様に頼んで一緒に出る?」
しっかりしている椿峰だが、中身はまだ五歳の少女だ。売られたわけでもなく、紫水に仕えている身なのならば、何も無理をして妓楼に居続ける必要はないだろう。
妓楼は華やかに見えて、実際はかごに閉じ込められた鳥のようなものだ。自由に出歩くことは許されない。
葵としても、椿峰を置いていくことは少し気掛かりなのだ。不思議なことに、生意気でむかつくはずの少女は葵の中でも妹のような、目の離せない存在になっていたらしい。
素直にうん、と頷くことはまずないだろう、とは思っていたが、今目の前にいる椿峰はまるで葵を睨みつけるような形相をしている。
「・・・」
葵が固まっていると、椿峰はわざとらしくため息をつく。
「あなたがここをでていくのに、わたしがのこらなくてだれがじょうほうをあつめるんですか」
「いや、そうだけど…椿梓が無理して残る必要もないでしょう。確かに情報を手に入れにくくなるのは事実だけど、紫水の元には他にも優秀な人材はたくさんいるし…」
「わたしはゆうしゅうではないと?」
「そうじゃなくて!椿峰はびっくりするぐらい優秀だけど。ここは妓楼。もとはと言えば、女が身を売る場所なの。あんたが無理して残る必要がない、の意味分かる?そもそもなんであんたは私達に加担するの?危ないことだと分かっているんでしょう?」
葵や紫水がやろうとしていることは、綱渡り状態なのだ。安心できることなどほとんどない。
「それは…あなたがたがおっていることを、わたしもおっているからです」
椿峰は目を伏せがちにして答える。
「いや、でもそれは…」
葵の記憶の中に、椿峰という人物はいない。興味本位なら、いい迷惑だ。
「かかわっていたのは、わたしのははです」
椿峰はなるべく答えたくなかった、という風にして目を逸らす。
「あんたのお母さん、って、川で溺死したっていう…?」
「はい」
「あれは事故だったんじゃ…」
「はい、あれはじこです。そのこととはかんけいありませんので、おきになさらず」
椿峰はこれ以上は聞くな、と言わんばかりに顔を背ける。
葵はそんな椿峰の横顔が、誰かに似ているような気がしてならなかった。
(この子の母に、私は会ったことがある?)
不確かなことは口に出さない。現に、椿峰にはこれ以上話す気はなさそうだ。
「椿峰」
葵は敢えて本名で呼ぶ。
なんだ、という風に椿峰は葵を見る。
「私はここを出る。宮中に何が起こっているのかは分からないけど、良くないのは確か。これはあんたも分かっているわよね?」
椿峰は微動だにしない。ただただ葵の言うことを聞いている。
「正直言って、あんたをここに置いて行くのは不安だけど、外部からの情報が欲しいのもまた事実。だから、私宛に定期的に報告して頂戴。それなら、女主や妓女たちにも怪しまれることなく、文を送れるでしょう?」
ここで初めて椿峰は頷く。椿峰だって不安じゃないわけではないだろう。
「くれぐれも無理はしないようにね」
葵はかつての自分に語るように話す。正直言って、椿峰に諜報員の仕事など、真似事でもさせたくない。こんなに苦い思いをしてほしくない。
「あなたさまも、けっしてごむりをなさることのないように」
椿峰は深々とお辞儀をすると、部屋を出て行った。
〇●〇
葵は目の前に居る、無駄に整った顔を持つ男を半分ねめつけながら、揺られていた。
「なんだ、不服そうな顔だな。」
葵は視線をプイっと逸らし、ため息をつく。
あれから、きっちり時間通りに来た男は、いつもとは異なり、少々畏まった服装で現れた。
いつもは黒がかったような服装が多く、つまらない気もしていたが、それがこの男の立ち位置なのだと言うのだから、致し方無い。
第一、葵はそこまでこの男に興味がない。
特に会話になるような話題もないので、先程のことを尋ねてみよう、と思い立つ。
「そう言えば、椿峰のことですが」
男は、ん?という顔をする。
「紫水様にお仕えしている、という認識でよろしいのでしょうか」
葵は敢えて嫌味たらしく、目の前に座る、紫水に聞いてみる。
思い返せば、この男から椿峰に関しての説明は全く受けていない。
「まあ、そうだな。今のところは」
随分と言いにくそうな顔つきをしていることから、何やら隠していそうな雰囲気はムンムンだが、そこはまあ、踏み込まないでおこう。
「彼女の母親のことを伺っても?」
紫水は一瞬顔を曇らせる。
「いえ、聞かない方がいいのなら構いません」
椿峰も同じような顔をしていた。気配りが足りなかっただろうか。
「まあ、母親のことはおいおい話すが…あいつが俺たちに加担するのは、あいつの父親が絡んでいるから、ということだけは話しておいた方がいいか」
「父親?」
そう言えば、椿峰の口から父親の話が出て来たことはなかった。
「ああ、殺されたんだ。何者かによってな。」
紫水は険しい表情をする。
「それが、私たちの追う人物と関係が?」
「さあな、わからん。だが、椿峰曰く、可能性はあるらしい。その辺りは俺にもあまり話してはくれなかった」
椿峰は見た目よりも随分と大人びている。
そうさせたのは彼女の環境のせいだとすれば、少し胸の痛むところがある。
「それよりも、ちょっとまずいことになっているんだが」
紫水は車の窓を少し開ける。目的地はどんどん近づいてきている。
「お前にはかなり大変なことをしてもらうことになるかもしれないが…」
「覚悟はできています。貴方様の言う、ちょっとまずいは全然ちょっとではないですからね」
紫水はバツの悪そうな顔をする。
葵は、紫水と同様、窓の外を見る。
車がキキッと音を鳴らして止まった。
(帰ってきてしまったな、いや、迎えられる、と言うべきなのか)
葵は目の前の立派な門を見つめる。
物語の舞台は妓楼から、ここ、後宮に移る。




