6ミリアン
ついている日というのはあるものだ。
朝、出勤した時に本物のマルセルさんを見た上に、昼食を食べに後輩と中庭に出る途中、廊下を歩いているマルセルさんまで見かけてしまったのだ。
一日に2回。
良い日だった…。
精密画のマルセルさんは、28歳か29歳。
今日久しぶりに本物のお姿を拝見してみたら、精密画のマルセルさんが若い、と感じられてしまった。
私にも同じだけ時間が流れていることを考えると…一日でも若いうちに自分を高く売らなければ…ということを思い出して、ため息がでた。
そして、何も考えるな、と自分に言い聞かせて、クッションを抱きしめ、マルセルさんの顔を思い浮かべながらなんとか眠った。
朝起きると、仕事に行くいつもの服ではなく、少し派手なドレスを着た。
お父様のお客様に会うために、午前中の半日、仕事を休んでいるのだ。
恐らく私が借金のかたになるかどうかを見定めているのだろう。
応接室に入るなり、不躾な視線で全身を舐めるように見回されて、ぞっとしてしまった。
30代後半か、というその男性はろくに自己紹介もなかったし、お父様も紹介してくださらなかったので…あの人に嫁ぐのではないといいのだけど、そう思いながら地味な服に着替えて午後から出勤した。
塔についてみると、第3棟が少し騒ぎになっていた。
第3棟に、私の勤務先である第3研究科がある。
「何かあったのですか?」
「おっ、ミリアン!ちょうどいいところに!」
人だかりに声をかけると、私の声に気が付いたルーエ室長が、何が起こったのかを教えてくれた。
ルーエさんは私の所属する研究室の室長をしている。
曰く。
試作品の魔力回復薬を飲んでみる実験の、実験台になっていたところ、魔力暴走を起こしそうになってしまったらしい。
「ええ?あのマルセルさんが?!」
「そうなんだよ。それで、マルセルは他人より魔力が多いから、周囲に被害が出ないようにと自分の周りに結界を張ってくれたのは良いんだけど…見たことも無い新しい結界を作り出してしまったようでね。魔力も感知できないし、姿も見えなくなってしまったんだ。救護してやりたいんだがどうにも見つけてやれんのだ」
魔力暴走というのは、私は話でしか聞いたことがないのだけど。
その人の能力以上の魔力が体内にある状態になると、制御できなくなり、その人が使える魔法が勝手に暴発したり、体内の魔力回路も損傷を受けたりする、というものだ。
魔力回路が損傷を受けるので、ますます魔力の許容量が減り、暴走がおさまらない、という悪循環が続くのだとか。
そういうときは速やかに、魔道具の原動力にする魔石などに魔力を移せばいいはず、だったような。
マルセルさんや、ここで働く人たちがそんなことを知らない訳がないとは思うけど。
その前に。
マルセルさんはドラゴンをも倒したパーティーにいた、攻撃魔法系の魔術師だ。
当然、強力な魔法をたくさん使えるだろうし、こんなところで暴発が立て続いたら、死人が出そうだ…。
それは大騒ぎになるだろう。
そして、魔術師の塔にとって、マルセルさんは大事な人材だ。
そろそろ室長になってもおかしくないくらいの成果を既に出している、と聞いたことがある。
魔力回路の損傷が酷いと、数年は静養しなくてはならなくなるはず。
もし、マルセルさんが静養せざるを得なくなったら大痛手だろう。
「で、だな。第3棟からは出ていないことは恐らく確実なんだが…ミリアン、お前の例の魔力が良く見えるようになるやつ、あれを試してくれないか。魔力暴走対応チームがもうすぐ駆けつけるから、彼を見つけたらあの部屋に連れて行ってくれ。あの部屋で魔力暴走に対応するための準備をはじめているから」
「わかりました」
会議室のうちの一室を、急遽対応するための救護室にするらしい。
見ている間にも、何かの魔道具が大慌てで運び込まれていた。
それにしても、マルセルさんは、広大な敷地という訳でもない第3棟の一体どこにいるのだろう。
魔術師の塔や魔術研究所のような、情報が洩れてはいけない場所の敷地や建物の中は、転移魔法が使えないようになっている。
なので、第3棟のなかで姿が見えなくなったというのなら…本当に多分第3棟の中にいるのだろう。
…でも、魔力も感じられないって、一体どんな状態なんだろう?
まさか、の事態になっているわけではないよね…?
死んでしまえば魔力は当然感じられなくなる。
思わずぞっとして、その考えを頭から追い出した。
私の研究室の代表的な成果が、視力の良くない人が眼鏡無しでも良く見えるようになる術、なのだけど、これはこの研究室ができたばかりの最初の成果で、50年以上前のものだ。
その後、薄暗いところでも明るいときと同じように見えるようになる、だとか、色々発展させていって、最近は隠蔽の魔法がかかっていても見える、なんてところまで進んでいる。
そんな中、私の研究は魔力の可視化…つまり、目に見えない魔力を目に見えるようにする…というものだ。
今の術式では、私には良く効いて他人の魔力が見えるのに、他の人が試すと魔力なんて見えない、なんてことがあって、汎用性に乏しい。
効く人と効かない人の違いを調べている最中だ。
それが分かれば、皆に効果があるものに修正できる。
でも、少なくても現段階の術式でも、私は魔力を見ることができる。
そして姿が見えなくても、まるで残り香のように、魔力の痕跡というのは残っているはずだ。
私は室長に連れられて、マルセルさんが試作品の薬を服用したという部屋まで行き、そこで術を展開した。
今は、どうしても離れられない人を除き、第3棟から人が出て行っているらしいので、少しは見つけやすいかもしれない。
術が効いている間、普通の世界に、色とりどりの光が重なって見える。
この光が魔力の痕跡だ。
色や明るさが人によって違っているので、まずはマルセルさんの色と明るさがどんなものなのかを確認する。
時間が経つと消えてしまうものだけど、ここで相当魔力を使っていたようで、すぐに分かった。
赤みがかった、夕焼けのようなとても明るい光。
力強くて、とてもマルセルさんらしいと感じる。
どの光がマルセルさんのものかを確定できたので、今度はその光がどこへ向かっているかを辿る。
きょろきょろとあちこちをみて、どれが新しい痕跡か見極める。
我ながら、猟犬が獲物の匂いを辿っているようだと思う。
鼻が目に変わっているだけだ。
この術は犯罪捜査に使いたいということで研究されているのだけど、自分で研究していながら、実用化される気がしない。
というのも…ありとあらゆる人達の魔力痕があるがために、とてもじゃないけど誰か一人の魔力痕を見極めるのは至難の業なのだ。
まあ、人気のない山奥とかならいいんじゃないかな?
山の中で魔獣を探すのだったらすごく役に立つかも。
そう思っている。
まるで、ありとあらゆる色の糸がごちゃごちゃに絡み合っているように見える中、必死にマルセルさんの色を探す。
やがて、本当に糸のように細い魔力痕が廊下へ続いているのを、ようやく見つけた。
確かにこれだけ弱ければ、普段の強いマルセルさんの魔力に慣れている私達では、彼のものだとは感じ取れないだろう。
魔力の強めの人が近くにいるだけで、古い魔力痕は消え失せてしまうため、私が探し始めたのを見て、室長の指示で皆さんが廊下の端の方から眺めるだけにとどめてくれているのが有難い。
魔力痕は、第3棟から出ていく方ではなく、奥に続いている。
もしかすると、マルセルさんの研究室に向かっているのではないか、と思ったのだけど、そうではなかった。
私があとを辿ることで、どんどん痕跡を私が消していってしまっているので、緊張感がある。
もし見失ったら、そこで終わりだ。
糸のように細いけれども、明るく輝いているので何とか見ることができる。
大して明るく光らない痕跡しか残さない人物だったら、見失っていただろう。
ちなみに、私自身の痕跡も明るくはない。
痕跡を『見る』だけでなく、こうして実際に『追う』のに使ってみたことで、これはますます実用化には程遠いなあ、なんて考えながら進んでいくうちに、階段を上がり、3階に来てしまった。
私の研究室は2階なので、滅多に来ることのない階だ。
さっきの実験に使われていたのも2階だったし。
3階には誰もいないようで、痕跡は見やすくなっている。
光の筋が続いている先は…何の部屋か知らないところだった。
さっきマルセルさんを探しに行くなら、と念のために持たされた魔石を確認してから、そっとドアを開けた。