11ミリアン
「昨日の礼をと探していたのだが…集中しているようだったので声をかけそびれてしまったのだ」
私は咳きこむのが落ち着いたところで、水筒のお茶を一口飲んでから、屈みこむようにベンチに座る私の背をさすっているマルセルさんを見上げ…。
あまりの至近距離で見てしまったことに、顔が赤くなっただろうことを自覚した。
「す、すみません。私は自分の研究分野以外の術については本当に苦手で…つい没頭してしまったみたいですね」
どぎまぎしながら俯いてマルセルさんを視界から外し、マルセルさんに気が付かなかったいい訳をしていたら、マルセルさんの手がぱっと離れた。
「あ、ええと、もうお体は大丈夫なのですか?そのご様子だと魔力回路もなんともないようですね?私はお礼なんてしていただけるようなことはしていませんから。お心遣いありがとうございます」
「いや、会話をするために君の素早さを勝手に上げさせてもらったからな…。筋肉痛などになっていないか心配をしていた」
「筋肉痛…残念ながらというか、なりませんでしたね」
筋肉痛になっていたとしても、即、回復魔法で治してしまうけど、私達魔術師は体を鍛える機会が少ないので、筋肉痛になったときは放置することも多い。
筋肉痛のあとは筋肉量が増えるものだけど、回復魔法をかけると、放置に比べて筋肉の付きが少なめになってしまうのだ。
それにしても、昨日今日と、マルセルさんの過剰摂取だ。
もうすぐ借金のかたに嫁がされる私を、神様が気の毒に思ったのかもしれない。
きっとそうだ。十分に堪能しておこう。
私が顔を見つめない程度に視線をずらしたまま、全身全霊でマルセルさんを堪能しようとしていたら、手に持っていた小瓶を指さされた。
「それに何かを封印しようとしているように見えたが…もしよければアドバイスをしても?」
よ、良かった!
今、封印のテストのために小瓶に入れているのは、私の魔力を込めた小粒な魔石。
マルセルさんの魔力がこもったやつは、研究室の机の引き出しだ。
ここで、マルセルさん本人に、マルセルさんの魔力のこもった魔石を封印しようとしているところを見られていたとしたら、私は変態と思われてしまうところだった。
新人だったときにもアドバイスを貰って、一回で成功した経験があるのだから、教えてもらえるのなら何でも聞きたい。
私は大きく頷いて、マルセルさんを見上げた。
綺麗な琥珀色の瞳と目が合ったとたんに、視線をずらされて、なんだろうと首を傾げる。
私も後ろを向いてみたけど何もなかったので、また見上げる。
「あー…頻繁に開封する前提の封印、だろうか?」
「あ、そうです!できれば、流布されているやつじゃないのがいいなあと思っていて…」
すごい、私がどんなのを施そうとしているかまでお見通しだ。
そうして、私は早速教わった通りの術式で試してみて…消費魔力も少なく、私より相当強い魔力の持ち主じゃなければ開封は難しい、でも私にだけはすんなりと開く、という、理想通りの封印が出来た。
「わあ!ありがとうございます!助かりました!」
「いや、こちらこそ大したことはしていないが…。それにしても、そんな小さな瓶に一体何を封印するのだか…って、ああ、立ち入ったことだな。失礼」
「あ、いえ、いいんです。私、多分ですけど…近々お見合いをして結婚することになりそうでして。良く言えば政略結婚。まあ…よくある話…借金のかた、ですね。で、嫁ぎ先に持って行った趣味のものを、不審がられないようにしたかったんです。これでひと安心です」
「お見合い…」
「そうなんです。お見合いとはっきりとは言われてないですけど、昨日も知らない人に挨拶をするためだけに、半日仕事を休むことになりました。あはは、こんなつまらない話をしてしまって、すみません。色々ありがとうございました」
私がぺこり、と頭を下げたら、マルセルさんは、「こちらこそ色々聞いてしまって、すまない…」と申し訳なさそうにしてくださったので、「私が勝手に話をしただけですよ」と笑っておいた。
私に興味もないだろうマルセルさんに、うっかり話をし過ぎてしまったなあ、と反省はしたのだけど…でも少しはこれでこんな子もいたっけね、と記憶に残ったらいいな、なんて思ってしまったのだった。
午後、研究室に戻ってたまたま一人になった隙に、小瓶に入れてある魔石を、私の魔力のこもったものからマルセルさんの魔力がこもったものに取り換えておいた。
今、第3棟はマルセルさんの魔力のこもった魔石だらけなので、私の机にあった小さな魔石から漏れ出るマルセルさんの魔力なんて、気が付くようなものではない。
それこそ、室長の机の上に、大きなマルセルさんの魔力を孕んだ魔石が置かれていたりしているくらいなのだ。
私的にはどこに行ってもマルセルさんの魔力を感じられて、にまにましそうになってしまうので、慌てて顔を引き締めている。
封印した小瓶は、素敵なことにチェーンを通すことができる部分があった。
私は早速ネックレスのチェーンに通して…胸元に小瓶を収めたのだった。
胸の谷間にちょうど収まって、いい感じだ。服の上から見ても分からない。
私は上機嫌で、その日の午後の仕事をこなしたのだった。