17.
──意外と、1人が生きていくのに必要なものって少ないんだなぁ。
荷造りしながら、感慨に耽る。
いつもならこの時間、商工会議所の下請けで王立騎士団での給仕のお仕事をしているはずなんだけど、今日は休暇を頂いている。
……引っ越し準備をするために。
聞いて驚け!
何を隠そう、婚約が決まったカレシの家に同居が決まったのだ。
っていうか……こんなことになるとは私もびっくりだよ。
言葉もわからない異世界に転がり落ちて、苦節……えーと、この世界で1年ちょっと!
人間、努力すれば何とかなるモンなんだなぁ。
……いや、アレだよね。結婚前だから同棲ってやつだよね。ちょっとなに、この人並み程度(であると思いたい)の容姿である私が、婚約とか! マジデスカ?
くうっ、と悶えながら私は荷造りのための麻紐をグイグイ絞って蝶々結びを作った。
引っ越し荷物が入った箱は、木の皮を細くて長い平たいリボン状にして編んだものでできている。
木の皮だから結構堅いと思うんだけど、これってどうやって作ってるんだろ。割れたりせずにキレイに編まれているところをみると、何かそういう技術があるんだろうなと思う。
焦げ茶の塗料みたいのを塗って、柔軟性や耐久性を高めているらしい。軽いし、いい匂いがする。昔話で出てくる、葛籠とか行李とかってやつに似ている。
元の世界で使っていた、中身が見えちゃうようなプラスチックケースより、エスニックな感じがして私は好きだ。
それなりに節約して生活してるから、服だって日本に居た頃と比べて何枚も持っていない。
なんだか2時間程で、意外にも部屋はすっかり片付いてしまった。
家具はもちろんだけど、お鍋とか食器とかも「ハーイ。ボスから伝言でーす『何も持ってこなくていい。手ぶらでいいぞ、身1つでOKだから』だってよ。いっそ裸で行けば? 」ってイザルティさんから言伝をもらったんだよね。……私に露出の趣味は無いですから!
全部置いていくのも忍びなくて、愛用している小物類とか服とか、そんなものを一通り箱の中に詰め込んでみたんだけど、意外なほど引っ越し準備はあっという間に終わってしまった。
この国の言葉がわからなかった頃に使っていた、様々なイラストが描かれたボードは、もういらない物や捨てる物をまとめた一角に置いた。これを使わなくても普通に買い物をしたり日常の会話に困らなくなってしばらく経つ。成長したなぁ、私。
台所にはあんまり使い込んでいない調理器具や食器も残したままだ。
このお鍋とかって捨てちゃうのかなぁ。腰に手を当てて台所をぐるりと眺める。大家のテルセラさんに後の処理を頼んでいるんだけど、勿体ないなぁ。あ、もしかして古物商に売っちゃうのかな。
街には、リサイクルショップが結構あって、服とか雑多な物品が、それこそ店の天井まで積み上げられ売られている。
お給金をもらえるようになって、そんな店で何度か買い物をしたことがある。
宝探しのようで楽しかった。
お気に入りだったカップをそっと手に取る。私が買ったこれも、いつか誰かが使っていた物なのかもしれない。
できれば、誰かにまた使ってもらえると嬉しいなぁ。
……ああ、どうしよう。
それにしても、今更だけど……実感がまったく湧かないよ。
1年前(……といっても、この世界での1年は400日ぐらいあるし、1日の長さも違うようだから実際には1年半ぐらいだと思うんだけど)、私は突然この世界にやってきた。
「異界渡り」って言って、この世界ではそんなに珍しいことではないらしい。
帰宅途中だったはずなのに、気が付いたらいきなり砂浜に転がっていた。
学校帰りの制服姿のままで……本当に身1つで海岸に放り出されて呆然とする私を、どっかの漁師のオバさんが拾ってくれた。
初めは、事故にでも遭って自分の記憶が吹っ飛んだのかと思って混乱した。
でも、向こうからやってきた人が、束ねたオレンジの髪に明るい青の瞳をしているのをみて、「あーコレ、ヤバイヤツかも」って気が付いたんだ。
ドッキリにしては、持ってた変な形の漁の道具も本物っぽかったし、格好も見たことのないチュニックっぽい上衣にダブダブのズボン。菅笠っていうの? 植物を編んで作ってるらしい円錐形の日よけの帽子をかぶってて。
彼女は、海藻みたいのが絡まってベチャベチャに濡れた、私の通学カバンを持っていた。
「あー! それ、私の! 」
って叫んだんだけど、全然言葉が通じなくて、困った。
普通、異世界もののラノベとかって言葉が通じたりチート能力が使えたりするんじゃないの?
何をしゃべっているのか分からなかったけど、オバさんの怒ったみたいな口調が、ちょっと怖かったなぁ。
家に連れて行かれた後、結構暑かったのに、レインコートみたいな頭からすっぽりとフードつきのポンチョみたいなのを被せられて。
とから知ったけど。私の髪の色が珍しかったから、町の人からの視線を隠そうとしたんだな。
振り返って考えてみたんだけど。きっと、オバさんなりの優しさだったんだね。
逆に、日本じゃないならさ、見ず知らずのあやしい人間にニコニコ微笑む人の方がきっとヤバイでしょ。
まぁ、逃げ出したとしても右も左も分からないのに、どこにも行けないもんね。
そんときは、どうしようもなかったから、こわごわ。幾らか警戒しながら、誘われるまま観念して後をついて行ったんだ。
「このオバさんに、どこかに売り飛ばされるられるんじゃないか」なんてことをかチョッピリ考えて、何時でも逃げ出せるようにね。
この世界の人たちは、みんなアニメキャラかよってぐらい奇抜な髪の色をしているんだよね。ピンクとか、青とか。
あと、異界渡りの獣人も結構居るから、ホントに、街を歩くと異世界感が半端なかった。
連れて行かれた先は「流民管理局」ってとこだった。
オバさんは受付の人と何か会話して。幾ばくかのお金を受け取って、あっさりとと帰っていった。
そういえば、あの時のポンチョ、あのオバさんに返しに行ってない。
移民管理局行けば教えてくれるかな。
随分言葉も分かるようになったんだし、いつか、お礼を言いに行かなきゃなぁ。
ラッキーなことに、ここは異界渡りに優しい国だった。
「流民管理局」に取りのこされた私は、管理局の人と(メチャメチャ苦労して)意思疎通を図り、異世界人登録をして、とりあえずの寝床とか、ごはんとか、色々とお世話になった。
やっぱり一番苦労したのは言葉だ。
異界渡りが多いといっても、どうやら日本人はほとんど居なかったみたい。
言語習得のために、コミュニケーションを助けてくれる、イラストがたくさん描かれたボードとか、小さい子供が読むような絵本を使ったりして、発音を教えてもらいながら、一つ一つ、憶えた。
後にも先にも、このときほど真剣に勉強したことは無かったんじゃないだろうか。
だって、言葉を覚えられるかで、ここで生きていけるのかどうかが決まるもんね。必死だよ。
私、頑張った!
異世界から来た人には、独り立ちできるようになるまで、大抵、アルバイトっぽい「世話役」の人が付いてくれる。
私の担当になったのが、イェスタだった。
私なんかの何処を気に入ったのか、わかんないんだけど……イェスタは実に事細かく世話を焼いてくれた。
……てか、言葉が分かるようになってくると、結構口汚く罵られていることもわかってきて。
なんかもう、取り繕うのも面倒になったからバンバン言い返したりしてたよ……。
でも、ケンカしてもすぐ仲直りしたし、次の日には忘れたみたいに、ケロッとしてたし。
口は悪いけど色々と面倒見てくれて、いいヤツだってのはわかった。
やっぱりさ、たった1人で心構えもなく、こんな言葉もわかんない世界にきちゃったわけで。
いくら私だって、ベソベソ泣いたりとか、情緒不安定になったりするわけよ。
いつも気を張っていられないもんね。
イェスタはそんな私を気遣って、あちこち連れて行ってくれたり、色々なものを見せてくれたり、毎日のように、引っ張り回して……泣いてる暇なんて、ないようにしてくれてた。
それに、私がへこたれてると、すぐ「ブス」だの「馬鹿」だの、幼稚な罵倒が飛んでくるから、短気で鉄火な私としては、言い返しているうちに気分が復活してくる。
流民管理局の宿舎を出て、王立騎士団で給仕のお仕事を始めて、どうにかこの街で生きていけるようになってからも、イェスタは変わらず遊びに来てくれたし、気にかけてくれた。
まぁ、そんなヤツなんだ。
──私の婚約者は。
だけどなぁ……
今ひとつ、実感が湧かないのは。
その婚約者が、この国の第3王子だということなんだよねぇ……。
微かな潮の香りがする窓を閉めた。遠くで夕暮れ時の鐘の音が聞こえたから、そろそろ迎えの馬車が来る時間だ。
ボーッと感慨に耽ってる間に、結構な時間が経ってしまった。
夕暮れ時はいつも、海岸の潮溜まりからの湿気った海の香りがこの地区までのぼってくる。
タイミング良く階下でドアの開け閉めする音がして、話し声が聞こえた。優しげな低音とトーンの高めの少年の声。テルセラさんとイザルティさんだ。
2人とも、異界渡りだ。テルセラさんは獣人で、イザルティは有翼人。
100人に1人は異界渡りか異界渡りの子孫、なんて言われるほど、異界人の多いこの国だけど、私の周りには、それにも増して異界渡りが多いような気がする。流民管理局つながりの知り合いが多いからかなぁ。
「ハルカー! 用意できてるー?! 」
「で、できてるよ、今行くね! 」
イザルティの声に、慌てて返事する。
ドアを開けて……しかし、紐で括った葛籠は嵩張るし想像より結構重かった。
げ、欲張って詰め込みすぎただろうか。
そんなつもりはなかったんだけど、コレ持って階段を降りるのは大変かも。
──折角詰め込んだ荷物を減らすべきだろうか。でも今更……
思案していると、階段を上がってくる靴音。
「ハルカ様、失礼致します」
開けっ放しのドアから少しだけ身を屈めるように、ひょっこりと狼のような面相が覗いた。
部屋の戸口は充分に高さがあると思うのだけど、テルセラさんの背丈では耳の上の方が丁度引っかかる。
糖蜜色の毛並み。掠った三角の耳がピピピッと動いた。
その脇を擦り抜けるように、軽やかに入ってきたのは小柄なピンクの髪。イザルティさんだ。
「ハルカー、荷物これだけ? 」
可愛らしく小首を傾げる姿は少女のようだ、が……彼は男だ。
片方しかないつばさは、いつも通りサラシでしっかりと固定されてしまっているのだろう。
私が「マジ天使だし出せばいいのに」と言ってみても「飛べるわけでもないし目立つし」と、邪魔者扱いだ。
今日は長い髪を編み込みにしてサイドに垂らしている。飾り紐は空色からエメラルドグリーンと白のグラデーションに金糸が編み込んである。動きやすそうな上衣にニッカボッカみたいなズボンとブーツ。腕にも首にもジャラジャラと巻くのは有翼人の風習らしい。
──ふぉお……可愛い。
いつ見ても、色彩が華やかで私より女子力が高い。
心の中でイザルティさんを愛でながら、私は返事をする。
「あー、うん。それだけなんだけど……結構、重くなっちゃっ……た」
「荷物はこれだけですか」
言い終わる前に、テルセラさんが軽々と片手で荷物を抱えあげていた。
まったく獣人は力持ちだな。頼もしい。
イザルティさんが持ったら折れそうだもんな……イェスタとの組み手を見て、彼が存外強いのは分かってるけど。
「下に馬車が来ています。お持ちしますね」
「あ、は、ハイ。ありがとうございます」
「イェスタ、仕事切り上げて屋敷で待ってるってさ」
さっさと荷物を運んで階下に向かう姿を追いかけようとして、立ち止まる。
──もう、ここに来ることはないかも知れない。
ふと、感傷にかられて部屋を振り返った。
もうすぐ暮れていく窓の外の風景。充分な広さの、こざっぱりとした白壁の部屋。足音が階下に響かないか、気にして歩いた木のフローリング。ひとつだけのテーブルと椅子。少しずつ買いそろえた食器が並んだままのスカスカの食器棚。小さな台所。お気に入りだった青系のキルトがかかったベッド。
路地を挟んで3階建て、4階建ての家が建ち並ぶ小路だ。見える空は小さい。
外の建物に反射して入ってくる陽の傾いた柔らかな光に、全ては静かに佇んでいた。
……日本からこちらに来てしまったときは、当たり前だけど覚悟も出来なかった。
よく切れるハサミで、スッパリと切られてしまったように。あの世界から私は切り離されてしまった。
自分の住んでた街も学校も、家でさえも……薄れていきそうな記憶を手放さないように、時折必死で思い出すことがある。
曖昧になってしまうほどに、実は元から鮮明に憶えてはいなかったのだと気が付かされた。
あの通学路の家並みの屋根の色は何色だったろう。読みかけの本の題名は。クラスメイトの全員の名前は。
忙しい毎日の中で、あの懐かしい日本は脳裏から薄片のようにポロポロと崩れていくようだ。
夢の中でさえも朧になっていく記憶。
思い知って、もっとしっかり見ておけば、知っておけば良かったって、後悔した。泣いた日もあった。
──だから私は、今度こそは、そんな日常の風景を目に焼き付けておきたかったんだ。
イザルティさんが声をかけてくれるまで、ずっと、見ていた。




