1.
気が付いたら、見知らぬ世界にいたとか……どこのラノベですか。
ギスムントは港町だった。
ベタつく潮風と魚の匂い、石畳、大きな市が毎日立っていて、早朝から夜中まで人が絶えない街角。
あとから知ったんだけど、この世界でもかなり活気のある都市だった。
「めそめそメソメソと! いつまでも感傷に浸ってグズグズしてんじゃねぇよブス」
世話役サマの有り難いお言葉が胸に刺さる。ここに来て1年ほどになりますが、おかげさまで、ようやっと生活基盤ができてまいりましたよ。ええ。
仕事の失敗でテーブルに突っ伏し愚痴る私に、彼は容赦がない。
よくある小説の世界じゃ、言語が通じるとか魔法が使えるとか、色々と神様にチート的な能力が与えられるんじゃなかったんでしょうか。
ところがどっこい、私にはそんな有り難い設定はひとつもありませんでした。ヒドス。
制服とカバンひとつで海岸に流れ着いてからというもの、本当に苦労した。
ただ、有り難い事にこの辺りの土地は異世界からの漂着者とか漂着物が結構多いらしくて、行政的に受け入れるシステムが整っていた。国の人口の1%近く。かなりの割合が異世界人だとか聞いたし、異世界人同士で結婚して何世代もこの地で家系を繋いでる種族もあるんだって。
右も左もわからない異世界で、こうして1年近くも生きてこられたのは、ここの異世界人に対する偏見が比較的少なくて、尚且つ突然の異界渡りの漂着者に対する受け入れ態勢が整っていたお陰と言ってもいい。
すごくラッキーだったのだ。……多分。
「コラ、てめぇ無視してんじゃねぇ」
クッソ。人が感傷に浸ってるのに、頭を拳でグリグリされる。
「いたた……なによ」
目の前には、嫌になるぐらいの整った顔があった。ちょっと掠れ気味の低い、だけど艶のある声。耳元でしゃべるな、ゾクゾクするじゃん。
イェスタは、私がこの地へ来てから役所の人に紹介された世話役だ。港町の人は濃い褐色の肌の人が多いけど、彼は内陸地方の出身らしく白い肌をしている。紫暗の目。ちょっと彫りは深めだけどしつこくないスッキリとした顔立ち。濃い藍色の髪は、一部が金属光沢のある銀へとグラデーションになっている。
こっちの人の髪は緑とかピンクとか「アニメキャラかよ! 」とか突っ込み入れたくなるような色が多いから、こんな濃くて暗い髪色はここでは珍しいらしい。私からしてみると比較的馴染める感じの色合いではある。
イェスタの年齢は私より3歳ぐらい年上っぽい。私の日本での年齢が16。イェスタはこっちの年計算で19歳だって。1日の時間の感覚とか、1年が400日ぐらいあるとか、多少の違いはあるようだから、多分もっと年上か。日本なら21歳ぐらい? ……いやまて、なんか5歳も年上に感じないんだけど!
まぁ、でも言葉が通じない私を何かと助けてくれて、彼が後ろ盾になってくれたお陰で、商工会議所を通じて王立騎士団の給仕のお仕事も頂けたし、アパートも借りる事ができた。
地球の、しかも日本からの異界渡りは凄く珍しいようで、イェスタは大学や役所の書庫を漁って誰かが書き残したらしい翻訳用文献を私のために探してきてくれた。ミミズののたくったような文字の解読は全くできなかったけどね! ……苦労したけれど、片言の言葉をなんとかつないで、この世界での意思の疎通を図った。
あとは、異世界渡りの人向けの言語習得とか学習プログラムなんかもあって、イラストとかで単語を覚えたり、この世界の常識を学んだり、無料でできたのだった。
初めの頃なんかは、言っている事の1%もわかって貰えたかどうか怪しかったんじゃないかと思う。でも伝えようとか、わかろうとする気持ちっていうのは言葉じゃなくても伝わるみたいで。
まだ渡ってきてから1年ほどなのだが、必死の努力の甲斐あってか、なんとか死なずに、この世界での生活基盤もできてきた。
「話、聞いてんのか? 頭悪くて耳も遠いのか? 」
──イェスタは、口は悪いけどいいヤツだ……多分。
「聞いてるってば」
イェスタは役所から受けた世話役の仕事もしているけど、それは日本でいうアルバイトのような感覚みたいだ。本業はギスムントの丘の上にある王立学校の研究員らしい。武術に関する文化の研究なのだそうで、私にも日本の武術を教えてくれと言うが、生まれてこの方剣道も空手もやったことがない私は、全く彼の役には立てなさそうだ。こんなことなら体育で習った柔道とか、もう少し真面目にやって覚えておくんだった。
彼は年に何度か行われる学校とギスムントの役所が主催のイベントで自分自身も舞台に立つのだという。きっと吹奏楽部の定期演奏会とか、文化祭の発表的なノリっぽい感じ。
学校の研究発表の場でもあり、地域に住む人たちの楽しみでもあるようだ。露店が出たり、近隣や外国からのお客さんもいっぱい来る、大きなお祭りみたい。
イェスタには「是非観に来て欲しい」……違った。 「見に来い」と以前から言われていた。
目の前に、虹色の箔押しがされた煌びやかな印刷の紙が差し出されている。
印刷技術もそうだけど、工芸に関する技術なら、私の住んでた日本にも負けないぐらい進んでいるようだ。異界渡りの文化や知識を貪欲に吸収して、この国の技術は諸外国より群を抜いて急檄に成長しているらしい。
そのうち、発電や通信技術も進めばケータイやスマホも出来ちゃうのかもしれない。
さっきまで、言葉がうまく通じないことで、王立騎士団の給仕のお仕事で注文の失敗をしてしまったことをイェスタに愚痴って落ち込んでいたのだ。
面倒見の良い彼は、こんな私でも元気づけようとしてくれる。
「気分転換にもなるだろ。俺のツテで特等席だ。ありがたく受け取れ」
鼻をすすってチケットを見つめ、おずおずと私はそれを受け取った。