第十一話 絆の約束
魔法界の警察の特殊部隊の隊長さんに導かれるままに、巨人出現に伴い崩壊したマルノゴデパート跡に向かうと、警察と救急だと思われる車両でごった返していた。こちらにも車はあるんだね。仕組みはきっとナチュラルなんだろうけれど。
「先ほど救出されたばかりなんだが」
隊長さんが示した先にいたのは、
「やぁ……こうして会うのは、初めてだね……皆。まったく……、瓦礫の生き埋めに……なるなんて体験をする……とは思わなかったよ……」
平らなところに置かれた担架の上に寝ている男性から聞こえる、何度も何度も私たちを導き、助けてくれたその声。聞き間違えようはずもない。
「ナリユキさんっ!」
「どうしてもお礼を言いたくてね……助けてくれて本当にありがとう。少し、無理を言ったんだけど、会えて良かった……」
ボロボロの白衣姿のナリユキさんは、茶色の長髪はぼさぼさで、表情は険しく、柔和そうなたれ目の顔は苦痛にしかめられ、あざが浮かんでいた。長身の体を痛そうに縮こまらせている。
「ちょっと、どいてください!」
救急隊員が割り込んで、『アドバンスド・ヒール』をナリユキさんにかけてくれた。私たちが最初の頃から使っている『エレメンタル・ヒール』の上級版のようだ。あざが消え、ナリユキさんの表情が険しいものから柔和なものへと変わる。
表情が普通になったのを見て、肩書から想像していたよりもずっと若い方だったんだなあ、と呑気なことを思った。
「ふぅ、助かったよ。これでもう、妻と娘の元へ帰れるのかい?」
「いえ、ダメです。あらかた治ったかとは思いますが、念のため病院のナチュラルで精密検査となりますので、しばらく入院です」
「そんなぁ……。まあ、仕方ないか。妻の作ったシチューはまだしばらくお預けになりそうなのが残念だけど……」
元気になった途端、のろけ始めた様子にポカンとしている私たちを見たナリユキさんは、
「オホン、レッド、ブルー、シルバー……いや、アーニャさん、ほのかさん、そしてひまりさん。今回はこのままいったんお別れとなるけれど、いずれ必ずお礼をさせて欲しい。そうだ、僕の家に招待もさせてくれ。きっと妻と娘も会いたがるだろうから」
「ナッ、ナナナ、ナリユキさんのご自宅へ?! ぜ、是非!」
アーニャちゃんが憧れのアイドルの家へ招待されたかのような反応を示している。尊敬しているんだもんね。
「あっ、そうだわ! クローズ・メンタル!」
アーニャちゃんが変身を解く。そしてポケットを漁り、何かを取り出した。
「これ、ナリユキさんの分です。その、大したものではありませんが、あたしたちからの気持ちです」
「これは……緑色のキーホルダー? ああ、例のおそろいの……。綺麗だね! ありがとう」
ナリユキさんはアーニャちゃんから、私たちとおそろいで色違いのキーホルダーを受け取ると、大切そうに白衣のポケットにしまった。
「そろそろ病院に向かいませんと……」
救急隊員がナリユキさんに声をかける。
「わかりました、お願いします。皆、元気でね!」
「はいっ、ナリユキさんも元気で!」
そのまま、ナリユキさんは担架で救急の車へと運ばれていき、ナリユキさんを乗せた救急車は病院へと走り去っていった。
隊長さんに促され、現場から少し離れた所に移動する。邪魔になるだろうから妥当だと思う。
「今上がってきた報告によると、トレイターズのドン、ヴィンセントは逮捕された。抵抗する魔法力もなく、素直なものだったそうだ。トレイターズは壊滅状態、ヴィンセントも厳重に収監されるはずだから安心してほしい」
「ヴィンセントが叫んでいたのって確か、伝説にある魔神の名前でしたよねっ?」
魔神はクレス様と相打ちになって死んだはずなのに……。その旨を伝えると、
「この魔法界ではクレス様や神を信じる者がほとんどだが、彼は違ったのだろう。突入した隊員も魔神を信奉するようなヴィンセントの叫び声を聞いたと報告にある。いったい何がうれしくて魔神なんぞを信仰したのか私にはわからないが、彼なりの信仰があるのだろうな。まあ、イヴィルティそのものはクレス様のおかげで死んでいるから安心したまえ」
「なるほど……」
「それより、君たちは表彰ものだよ。ぜひ所属と連絡先を教えて欲しい」
そういって隊長さんは手帳とペンを取り出した。
「科学界の日本、津葉県、偉多川市に住んでいる、桜木高校に通う高校生の景浦ひまりですっ」
「わたしも同じ市と高校です~。名前は、姫野ほのかです~」
「あたしはフリージス魔法学校の高等部に通うアーニャ・ガーデナーです」
隊長さんは驚いたように目を見開き、
「報告では聞いていたが……、科学界か。すごい話だ。まるで伝説の生き証人にでもなった気分だよ。では科学界出身のお二人は……どうしようかな。こちらにはどうやって来たんだい?」
私たちは、ワールド・トランジションの存在を明かした。すると、術式を転送してほしいと言われたのでその通りにする。
「ありがとう。これを使って、少なくともいずれ上からテレラインが行くだろうからそのつもりでいてくれ。今日のところは宿舎にでも泊っていったらどうだ? 歓迎するぞ」
「そうする~? ひまりちゃん」
「えーっと……」
その時、大切なことを思い出せた。
薬のことだ。
「……すみません、私は持病があって、毎日薬を飲まないといけないんです。でも、その薬の明日以降の分を持って来てなくて。だからすぐにでも帰らないといけないんです」
今こうしていられるのも、薬が効いているからだ。
一日忘れたところで急に再発するわけではないけれど、それなりに長い間、薬を断ってしまえば症状が悪化して再発する恐れがあり、正直その可能性は実に高いと思う。だからそれを防ぐため、毎日欠かさず飲んだ方が良いのだ。
というのも、現時点での統合失調症の治療というのは対症療法であり、私の飲んでいるエビリファイという薬も、ドーパミン仮説という説に基づいた、症状を抑えるための薬であり、根本的な治療をするための薬ではないのだ。
だから、飲むのを止めれば、また元に戻るようにして症状が酷くなっていくというわけだ。
今の時点での医学の限界、ということになる。
悲しいことだが、じたばたしてもしょうがない。
「あ、そっか~。じゃあ一緒に帰ろ~」
「うんっ! ありがとう!」
理解してくれる友達がいるって、嬉しいことだな。
「そうか。では、せめて私から感謝を伝えさせてくれ。魔法界のため、命を懸けて戦ってくれて、本当にありがとう。被害がこの程度で済んだのは君たちのおかげだ。新たな英雄に……敬礼!」
隊長さんは、敬礼をしてくれた。形式的なものではなく、心からのものだと伝わってくる。映画で見て得た程度の知識では答礼とかをするんだろうけど、正確な作法を知らないのでお辞儀を返すのにとどめておいた。
新たな英雄だなんて何だか照れちゃうけど、きっと私たちはそれだけのことをしたのだと思う。まだあまり実感はないけれど……。
「……さて、では私はこれで。アーニャさん、別れが済んだら、近くの隊員に声をかけて欲しい。家まで送らせてもらうよ。せめてそのくらいはね。聴取等はまた後日お願いします」
隊長さんはそう言って救出や治療の作業に加わった。
……別れ、か。
アーニャちゃんが科学界に来てから、なんだか夢のようにドタバタした日々だったけど、夢はいつかさめるし、日々は移ろいゆくものだ。
頭ではわかっている。
しかし、アーニャちゃんとの日々が終わるのは、心情的に受け入れがたいものだったようだ。私はうつむいていた。
いつの間にか、目から涙が流れているのを感じる。
アーニャちゃんにとっては魔法界にいるのが普通で、日常で、幸せなんだと思う。
でも……。
嗚咽は、自分だけではなく隣からも聞こえた。ほのかちゃんも泣いているみたいだ。
「なーんて顔してるのよ、ひまり、ほのか!」
その声にようやく顔を上げると、アーニャちゃんは――泣きながら笑っていた。
「二人が教えてくれたんじゃない、元気が、笑顔が大切だって。あたしもそう思うわ。笑顔の方がきっと幸せでいられるって。だから、ひまりとほのかも、笑顔でお別れよ!」
「……うん。ねぇアーニャちゃん、一つリクエストしてもいいっ?」
無理やり笑顔を作って、マルオカートのゲーム大会の後でアーニャちゃんがしたみたいに、リクエストを一つ。
「ええ、いいわよ!」
アーニャちゃんは、快諾してくれた。リクエストは、ささやかなもので――
「別れの前に、一度みんなでハグしようよっ」
「それ、いいわね!」
「ひまりちゃんナイス~~!」
信頼を形にしたい思いで二人を抱きしめた。
リライアンス・ユニオンが成立している以上、形は既にあるとも言えるが……何のことはない、寂しさを誤魔化したかったのだ。
「……ひまり、ほのか、あたしを魔法界に帰してくれて、そして親友になってくれて、ありがと。今日までのこと、絶対忘れないから。そして、これからのこともきっと」
「これからのこと?」
「ワールド・トランジションが使えるんだし、あたしたちの縁はきっとこれで終わりなんかじゃない。緊急時じゃないから、術式の使用許可申請とか、色々あるからしばらくはお別れだろうけど……あたしたちの絆は、明日へと、そしてもっと未来にも、続いていくのよ。そうしたいわ。いや、そうするのよ!」
「そうだよね~。死ぬまで皆で仲良くしていたいよね~」
「うんっ、そうしよう!」
そこまで話して、誰からともなく抱きしめ合うのをやめる。
「ひまり、これ確かに返すわ。今までありがとう。おじさんとおばさんにも、伝えてね」
私の家の鍵だ。アーニャちゃんはそこから大切そうに赤い宝石のイミテーションのキーホルダーを外して、ポケットにしまい、鍵だけを差し出してくる。
「うん、確かに受け取ったよっ」
本当に、お別れなんだな。
「それじゃあ、ひまり……」
「うん……『ワールド・トランジション』」
空中に大きな輝くリングができる。リングの中には、見慣れた光景が。
「行き先は私の部屋だけど、それでよかったよね? ほのかちゃん」
座標を指定しさえすればいいので、別に今の魔法界にいる位置と同じである必要はないし……正体がバレるのを防ぐため、隠れられる場所にしておいた。
「うん、バッチリ~。それじゃ、アーニャちゃん……またね~!」
『またね』か……いい言葉だな。またすぐに会える気がする。私も、
「またねっ」
「ええ、また会いましょう!」
三人とも泣き笑いのまま、ほのかちゃんと一緒にリングをくぐり……私の部屋に降り立つ。リング越しに手を振りあい続け、でも、いつまでもそうしているわけにもいかない。
私はワールド・トランジションを解除し、リングを消した。
そうしたら、あっけなくアーニャちゃんは見えなくなってしまった。
二人して『クローズ・メンタル』と唱えると、リフレクト・メンタルも解けた。
なんだか、魔法が夢か妄想だったような気すらする。
「……さ、ひまりちゃん、おじさんとおばさんに報告しに行こう~」
「うんっ、そうだね!」
寂しさを振り払うように、努めて明るい声を出した。
「もう遅いし、わたしはまたお兄ちゃん呼ばないとな~」
時計を見ると、既に二十二時を過ぎていた。もう魔法も使えないし、女子高生が一人で出歩くには遅すぎる時間だ。
一階に下りた私たちは、驚くお父さんとお母さんに事の顛末を話した。たくさん心配もされたけれど、終わり良ければ全て良しということでまとまった。そうこうしているうちにほのかちゃんのお兄さんの忠一さんが例の高級車で迎えに来て、
「じゃあ、ひまりちゃん、また学校でね~!」
と言ってほのかちゃんは帰っていった。
明日は火曜日だから普通に学校があるんだよな……。
行きたいような、せめて明日くらいは休みたいような。でも、今回のことは自分でやると決めたことだし、行くしかないか。
体力が回復するように、できるだけ早く寝た。
そうして、私とほのかちゃんに、そして多分きっと魔法界のアーニャちゃんにも、日常が戻ってきた。
今までのことに加えて、偉多川商科大学での戦いのことも報道され、SNSやテレビでも大騒ぎになっていた。つくづく、正体を隠せる魔法があってよかったと思う。今のところはアーティファクトもなくて魔法そのものが使えないので、バレることもきっとないだろう。まあ、私たちのことは正義の魔法少女として好意的に報道されているのでバレても問題ないのかもしれないけど。
「あれからもう一週間か……なんだか、今が平和すぎて、夢だったような気もするよっ」
一緒の電車で下校しているほのかちゃんに話しかける。
「でもひまりちゃん~、あれはあれで、かけがえのない現実だよ~。ほら~」
そう言ってほのかちゃんは通学カバンからパスケースを取り出した。そこには、青いイミテーションの宝石のキーホルダーがついていた。
そうだよね。私もパスケースを取り出して、銀色のフレームに、虹色の透明なイミテーションの宝石がついているキーホルダーを眺める。
「……そうだね。素敵な毎日だった」
戦うのは嫌だけど、アーニャちゃんとの日々は良いものだった。あの日々がなければ、信頼も友情も……そして自信も手に入らなかったと思うから。
「ね~、ひまりちゃん。今日遊びに行っていい~? 少しゲームしようよ~」
「うん、いいよっ!」
「死にぞこないが、今のうちにせいぜい遊んでおくんだな。ケッ!」
あ、そうそう。
クロが消えたのはあの一瞬だけで、今もこんな風に時折現れては嫌味や悪口、そしてごくまれに本当のことを言ったりしているんだよね。
真の統合魔法を使ったからって、別に病気が治るわけではないみたい。
少しは期待していたけど、違ったようで。
まあ、統合失調症の症状も含めて、私に日常が帰ってきた、ってことだね。
でも、なぜかはわからないけれど、魔法に出会う前よりは何だか、症状を受け入れられた気がする。
微々たる前進ではあるけど、前よりも存在を嫌なものだと感じていないような……。
「ヒヒヒ……」
あ、やっぱり嫌ではあるんだけどね。
ただ、これだけは言える。
私は相変わらず統合失調症の当事者だけど、あの時できたんだ。
だから、これからもできる、いろいろなことを。
きっと、ずっと、何度でも……。
第一章終わりです。
第二章の更新まではだいぶ間が空くと思います。