第一話 守る覚悟!
突然の閃光。
思わず目をつぶる。
次の瞬間、耳をつんざくような轟音が響いた。
目を開けると、友達と遊びに来ていたショッピングモールの外広場が爆心地になっていて、そこに黒い人影のような化け物が出現していた。
黒い人影から放たれる光る弾丸によって、傷つき、倒れる人々。響く悲鳴。
最初はあまりの非現実さに幻覚や妄想を疑ったが、皆の様子からして現実のようだ。
そして、ひょんなことに魔法を使うための道具に登録された私。
皆を守るには、魔法で『心の姿』というものに変身して戦わないといけないらしい。
でも、私は精神病を患っている。
心の姿になんて変身したら、病気のことがバレるかもしれない。
バレたら昔みたいに差別されてもおかしくない……。
どうしたらいいんだろう?
一体全体、どうしてこんなことに?!
◆
今日の朝も目が覚めると、いつもの不愉快な声がした。
「まったく、だらしねー奴だなお前は。もう昼の十二時だぞ。けっ」
慌てて時計を見ると、まだ七時前。私こと景浦ひまりはほうっと安堵の息を吐く。
「やめてよクロ、どうせ嘘なんだから」
部屋の隅にいるクロと名付けた黒猫をにらみつける。
「そうとは限んねーぞ。この間、筆箱忘れてたの教えてやったろ。ヒヒッ」
「……だから厄介なんだよっ。たまに本当だから」
もう起きることにしたので、目覚まし時計のアラーム設定を解除する。
寝起きの頭をはっきりさせるため、ベッドから出て伸びをする。
気が付くと、クロはもう消えていた。
……このクロと言う名の幻覚は、私の脳が作り出した幻だ。
そう、中学二年の九月からこっち、私は統合失調症という精神の病気にかかっている。クロの幻覚も、その症状の一環だ。
他の病気はわからないけれど、少なくとも統合失調症における幻覚は、現実にはないものをあるように感じることで、やっかいなのはこの病気の当事者にとって幻覚は現実に起こっていることだということだ。
人語をしゃべる猫だなんて、他人から見れば非現実だとすぐわかる。でも、当事者は幻覚を実際に見たり聞いたりしているので、わからないことが多いのだ。
私の場合は、しゃべる猫なんているわけない、という考えを持てるようになったので、今ではクロは現実ではないとなんとか割り切れるようになったけれど、これがもし、もっと現実的な幻覚だったら、と思うと怖いものがある。
さらに言えば、幻覚が現実ではないとわかったところで、それを見たり聞いたりしている間の辛さはあんまり変わらないというのもある。
私は体に合う薬があったし、それを飲み続けているから比較的安定しているけれども、もし合う薬がなかったらと思うとそれも怖い。
クロと会話をするのも、本当は良くないと聞いてはいるが……自分の部屋など、他の誰もいないところでは、我慢しきれず返事をしてしまうことがある。
用意しておいた部屋着に着替え、部屋を出て階段を降り、リビングに入るとお母さんが朝食の準備をしていた。
「おはよう、お母さん」
「ひまり、おはよう。よく眠れた?」
お母さんが心配そうに聞いてくる。ひょっとすると、クロのせいで不機嫌が顔に出ていたのかもしれない。だとしたら珍しい。この病気には感情の平板化という症状もあって、中々顔には出ないのだが。
「うん、大丈夫、よく眠れたよ」
寝起きのシチュエーションは最悪だったが、睡眠自体は問題ない。
「なら、よかったわ。ちょっと待ってて、そろそろご飯できるから」
「お母さん、私もやるよっ」
「ありがとう。でも、先に顔洗ってきなさい。ふふ、今日はお昼に友達と遊びに行くの、楽しみにしていたものね。お母さんも嬉しいわ」
お礼を言って洗面所へ向かう。そう、今日はゴールデンウィークの五月四日で、高校へ進学してからできた友達に誘われ、映画鑑賞とショッピングに行くのだ。
嫌なことは忘れて、今日は楽しもう!
お気に入りの白地に黒のボーダーの長袖Tシャツに、グレーのカーディガンを合わせ、さらに黒のスカートという姿に着替えて出かけた私は、既にバスの席に収まっている。窓ガラスに映った自分の肩までの髪が乱れていないかをチェックしていると、すぐに目的地の映画館もあるショッピングモール・ボルトンプラザについた。
ここには家の最寄駅から一駅下り、その駅から出ている無料のシャトルバスに少しの間乗ると着くのだ。
待ち合わせの映画館の前に向かうと、すでに友達――姫野ほのかちゃんがスマホを見ながら立っていた。長身で、ロングの黒髪が似合う子だから、すぐに見つけられた。
白いTシャツと水色のミニスカートに水色の薄手のジャケットを着ていて、足元は白のブーツと、モデルさながらの可愛さと格好良さがまぶしい。
私も背が低い方ではないけれど、ほのかちゃんと並ぶと小さく見えるんだよね。
「ほのかちゃん、ごめん、待ったっ?」
若干不安を覚えながら声をかける。時間通りのバスに乗ったのだからそんなに待たせているはずはないのだが、今の私は過去の辛い思い出のせいで対人関係に臆病なのだ。
「ううん、わたしも今来たところ~、ひまりちゃん……アハハ、今のデートみたいだね~!」
こちらに気が付いたほのかちゃんが、スマホをしまいながらニコニコと笑って言う。きっと冗談だ。ここはノった方が良いのだろう。
なんとか笑みを浮かべたつもりになって、
「ほのかちゃん、え、えーっと……今日も可愛いよっ!」
ほのかちゃんが目をぱちくりさせている。しまった、外した! と思ったのもつかの間、
「ふふ、ありがと~。じゃあ、美少女二人組、そろそろチケット取りに行こうか~」
「う、うん。行こう行こう」
ほのかちゃんの優しさに助けられたな。昔だったら――病気になる前だったら、もう少しマシな冗談を言えたかもしれないのに。病気になる前よりも、頭の回転が鈍くなっている気がする。
その後はのんびりしたものだった。チケットをスマホ経由ですでに座席指定で購入してあるためだ。
チケットを受け取るとき、売り場のキャラメルポップコーンに目が行ったけれど、この後のショッピングのためにお金を温存しておこうと思って我慢し、売り場でオレンジジュースだけを注文する。
コーラの入った紙コップを持ったほのかちゃんと一緒に、チケットを片手に入場待ちの列に並んだ。
二人で選んだ映画は、WEB小説が原作のファンタジーアニメ映画「異世界ぶんげいぶっ!」である。
高校の文芸部が活動中に魔法で丸ごと異世界に転移してしまうものの、これ幸いとファンタジー世界の取材を敢行したり、言葉の力が魔法になる世界なので豊富な語彙で無双したり、合作の小説を書くにあたっては本音でぶつかり合い、そして最後には、深い絆で結ばれた皆で、見事なリレー小説を書きあげ、神様に読ませて感動させて元の世界に戻してもらう――という、笑いあり涙ありのコメディだ。
しかし内容に反して、私の心は沈んでいた。……私も、あんな風に本音を言えるようになるのだろうか? 秘密を抱えている胸がチクリと痛む。
それは罪悪感だった。
私は、高校に上がってからは病気のことをクローズド――つまり秘密にして生活している。隣で映画に夢中になっているほのかちゃんにも、もちろん打ち明けていない。
エンドロールの後、本音で生きたい、しかし中学時代の被差別経験から言うのは怖くて仕方が無い、という葛藤を抱えつつ、表面上を取り繕って映画館を出た。こういう時、感情の平板化は役に立つ。
腕時計を見ると、もう十二時半過ぎだった。予定通りではあるのだが。
お昼を食べるため、いったんボルトンプラザ本館を出て、ボルトンプラザ敷地内のイタリア料理を食べられるファミレスのナイゼリヤに移動する。時間帯もあり、席に座れるまでにそれなりの時間がかかるようだが、映画の感想を話しあうことで時間は過ぎていった。
それは良いのだけれども、葛藤をやり過ごせていない私としては少し辛いものがある。極力、劇中のギャグシーンに触れることで自身の葛藤に関係のあることを話さないように努めた。
「ねぇひまりちゃん、本当に魔法があったらどうなるんだろうね~」
ふと思いついたようにほのかちゃんが質問してくる。
「う~ん、もっと世の中が良くなるんじゃないかな? 便利だろうし」
そうしたら、統合失調症も治る病気になるかもしれないのに。そんな無いものねだりを考えながら、しかし言わない。
「そっか~、そうだといいねぇ。でもわたしは、結局たいして変わらない世の中になる気がするんだよね~。人が使うものだしさ~」
なるほど。そういう考え方もあるか。
「ごめんね、夢の無い話しちゃって~。あっ、順番が来たみたいだよ、行こ~」
二人して、店員さんの後を歩いて席へ向かう。
「はい、ひまりちゃん、メニュー」
「あっ、ありがとう」
ほのかちゃんが二つあるメニューのうち片方を渡してくれる。こういう時に自分も気が利いた振る舞いをしたいが、病気になってから、私だけかもしれないが少し難しくなった。
今日はみどりの日、祝日なのでランチメニューはなく、通常のメニューから選ぶ必要がある。
意識を切り替え、食べたいものを探す。
気分的にはパスタか。ドリアも捨てがたいけど、好物のたらこパスタを特に体が要求している気がするので、それに決めた。後はドリンクバーかな。
顔を上げると、ほのかちゃんも決まっていたらしくニコニコしながらこちらを見ていた。
「決まった~?」
「うんっ」
ほのかちゃんがボタンを押してくれると、ほどなくして店員さんが来た。注文を終え(ほのかちゃんはハンバーグセットだった)、店員さんが去ってから、話題を振る。
「この後はどこに行きたいっ?」
「そうだね~。メディアはまだあったはずだし~……本屋さんに寄れればあとは成り行きで良いかな~」
メディアって何だろう。
質問するのを遠慮して、提案に回ることにする。
「わかった、じゃあまずは本屋さんに行こうよ」
「ひまりちゃんはどこか行きたいところ、無いの~?」
事前に調べた店名を頭の中で思い浮かべる。
「じゃあ、ルピスア……紅茶のお店に行きたいなっ」
「おっけ~! あ、ごはんが来たよ~」
たらこパスタを食べ始めるころには、憂鬱な気持ちは消えていた。
昼食後は約束通りまず本屋に向かった。
ほのかちゃんはパソコンでのイラストの描き方本を、私はマンガの新刊を買った。絵を描く趣味があるのだろうか? たぶんそうだろう。
「良い本あったわ~。ドット絵以外も上手くならないとね~」
ドット絵って何だろう。パソコンで描く絵の種類かな?
ルピスア――紅茶のお店では、試飲させてもらったりしたもののなかなか買う紅茶の茶葉を決めることができず、散々迷った挙句、リーズナブルなアールグレイのティーバッグを購入した。
そろそろ休憩しようと、二人でクレープを買って建物の外の広場へと向かう。階段を降り、ベンチに行こうとしたところで、それは起こった。
突然の閃光。目をつむると同時に爆発音。
驚きのあまりクレープを取り落とす感触。
目を開けると、爆発で傷つき、倒れている人々がいた。
あまりにも非日常的な光景に、思わず幻覚を疑った。でも、クロは出ていないし、驚いているのは自分だけじゃない。
これは現実だ!
爆発の中心部を取り巻くように血を流して倒れる人、人、人。その中に、ツインテールにまとめた明るい茶髪が印象的で小柄な女の子が立っていた。黒い、欧風の学校の制服のような服を着ている。
彼女は周囲をキョロキョロと見回したのち、爆発の中心部をにらみつける。
つられて見やると、煙が晴れたそこには、光を発する黒い影のような印象の人型があった。
茶髪の少女は前髪から緑色の髪留めを外し、
「リフレクト・メンタ――」
何かを叫ぼうとした。しかし、黒影の指先から発せられた弾丸が髪留めを弾いてしまう。
少女は怯まず、さらに持っていた黒いバッグから、メタリックレッドのハートが沢山繋がったような、金属製らしいブレスレットを取り出した。
少女はそれを身に着け、
「オーソライズ・イクス――きゃっ」
何か呪文のようなものを唱えようとしたが、再び弾丸で攻撃されてしまう。狙われたのはブレスレットだったが、少女は身を丸めてそれをかばった。そのせいで右肩に怪我をしたようだ。
「あなた、大丈夫~!?」
ほのかちゃんが少女に駆け寄り、守ろうとする。それを見て私も遅れて駆け寄る。
黒影はこちらへの興味を失ったのか、弾丸を別の人たちに浴びせる。さらに負傷者が増え、怒号と悲鳴が響き、人々が逃げ惑う。
その間に、ほのかちゃんは少女から何事か囁かれ、頷いていた。ほのかちゃんは例のブレスレットを受け取り、
「オーソライズ・イクスクルージブ・アー――」
早口で何かを唱えようとするが、黒影が再び魔弾を撃ち、ほのかちゃんまで腕に負傷してしまう。
「ほのかちゃんっ!」
「ひまりちゃん、これを~!」
ほのかちゃんが負傷した腕とは逆の腕で投げ渡してきたメタリックレッドのブレスレットをとっさに受け取り、黒影の弾丸を必死に避けていると、少女が力を振り絞った様子で話しかけてきた。
「いい? それはアーティファクトという魔法を使うための道具よ。今から伝える呪文をそのまま唱えて! とにかくあの黒い影を魔法で倒すのよ!」
ま、魔法?! 訳が分からないが、そんなものは最初からだ。言われたとおりにすることで皆を守れるならそうするまでだ!
私は頷いた。
「呪文は、オーソライズ・イクスクルージブ・アーティファクトよ!」
「オーソライズ・イクスクルージブ・アーティ――」
間一髪、弾丸を避けながら、
「アーティファクト!」
そう叫びながら私は、少女とほのかちゃんが倒れ込んでいるところに突っ込んでしまった。
「わ、わ、わ、ごめんっ!」
倒れこんだ私は、二人に謝った。そうしていると、不思議な光が三人を包み込む。
『イニシャライズが終了しました』
機械的な音声がブレスレットから聴こえてくる。
「嘘?! イニシャライズが三人一緒にかかるなんて?! 普通は一つに一人なのに……」
動揺した声で少女が言う。しかし、そんな不思議なことよりも、次のことでさらに驚かされた。
『今から、戦うための術式を転送するよ。君たちだけが頼りだ。うまく切り抜けてくれ』
頭の中に、男の人の声が聞こえてきた。幻聴かと思ったが、ほのかちゃんを見ると同じように驚いて周囲を見渡している。しかし周囲に話しかけてきている男性はどこにもいない。
「き、聞こえた?」
一瞬、幻聴がバレるかもと思ったが、勇気を出してほのかちゃんに質問する。
「聞こえた~。わけがわからないけど~、でも、今はやるしかないね~」
やっぱり、現実なんだ。そうしているうちに、ブレスレットが輝き、点滅した。
『術式:リフレクト・メンタルを受信、展開しました』
「あなたたち、皆で手をつなぐわよ! イニシャライズが同時にかかった以上、理論上そうしないと魔法が使えないはずだから。安心して、リフレクト・メンタルは『心の姿』に変身して戦うための魔法よ。成功すれば防御力が格段に上がるし、変身した後は手を繋がなくても魔法が使えるはずだわ!」
ツインテールの少女が手を差し伸べてくる。
しかし私は躊躇した。
心の姿だって? そんなものになったら、きっと私の心の――いや、精神の病気の統合失調症が明るみに出てしまう。
そんなの、嫌だ。そうしたらきっとまた、昔みたいに――。
なんでこんなことになったんだろう。楽しい休日だったはずなのに!
「ひまりちゃん?」
すでに少女と手をつなぎ、こちらに手を差し伸べているほのかちゃんが不思議そうにこちらを見てくる。
眼を逸らすと、その方向には、傷つき倒れた男の子の姿が。
そうだ。
今、この状況をなんとかできるらしいのは、自分達だけ。しかも、自分が協力しなければ、何もできない。
……病気になって見失っていたけれど、幼いころの私の夢は、アニメの中の、皆を守る魔法少女になることだった。年齢が上がるにつれて、夢は自衛隊隊員という現実的な目標になったけれど、皆を守りたいという思いだけは変わらなかった。
今ここで逃げだしたら、私は私の思いと永遠にサヨナラすることになる。口先だけで皆を守りたいと言ったって無駄だ!
私は――。
私は、例え病気がバレて差別されても、皆を守る!
私は二人の手を取った。
「ありがとう」
目を合わせて、少女が言う。
「こ、こちらこそっ」
「お礼は勝ってからだね~。それにしても、攻撃がまばらで無差別だね~。こっちは助かるけど、どうしてかな~?」
ほのかちゃんが冷静に疑問を呈す。
「細かいことはわかんないけど、たぶん、あの黒影を動かしている魔法が単純なんだと思うわ」
「そう、わかった~。あなた、名前は~?」
「アーニャ・ガーデナー。アーニャで良いわよ」
「景浦ひまり、よろしくねっ」
「わたしは姫野ほのか~」
「ひまりにほのかね!」
少女――アーニャちゃんは力強くうなずいて、
「行くわよっ、声を合わせて唱えてっ!」
私たちは手をつないだまま輪になって、
「「「リフレクト・メンタルーー!!」」」
唱えると、私たちの体を三者三様の光が包む。
アーニャちゃんは赤色。
ほのかちゃんは青色。
そして私は……虹色。
「うそ、虹色って――統合魔法?!」
アーニャちゃんが驚いている。
統合って、やっぱり病気がバレたんじゃ――。
「それって、奇跡の再来よ?! 伝説に出てくる英雄の……」
と思ったら、そんなことはなかったみたい。ホッとしていると三人とも光が収まり、服、髪、そして眼の色が変化していた。
アーニャちゃんは炎を思わせる深紅のミニスカドレスをまとい、髪は赤、眼も深紅に。
ほのかちゃんは着物をアレンジしたような群青のミニスカドレスで、髪と眼も青に。
そして私は――白メインでアクセントに黒が入っているミニスカドレスに、髪は銀髪になっていた。眼も――窓に残っていた大きなガラス片を見ると、銀色だった。
それを見たら、憧れの魔法少女になった気がして、勇気が湧いて来るのを感じた!