04.王女のバラ園1
あの日以来、私はヴィリアス様のことばかり考えるようになっていた。
「どうしたの、カティ。またため息ついて」
「ごめんなさい、モニカ」
彼女は学園時代からの数少ない私の友人、モニカ・プリンツ。私と同じ子爵家の娘で、彼女もクラウディア様の御側付きに選ばれた。
二人ともまだまだ見習いだけど。
モニカはふわふわの可愛らしい茶色の髪をして、おっとりとした性格をしている。
しゃべり方も静かで、私の耳にも心地良い。
お昼の休憩中、隣で食事を摂っていたモニカに問いかけられて、私はまたため息をついてしまっていたことを知らされた。
「何か悩み?」
「悩みではないのだけど……なんだかずっと考えてしまって」
「何を? あ、もしかしてヴィリアス様のこと?」
「……そう」
「やっぱりそうなのね。乙女がつくため息の八割は恋の悩みだもの」
「……そうなのかしら?」
モニカは可愛くて人気がある。まだ婚約者はいないけれど、王宮で働いていたらすぐに高位貴族に見初められて婚約の申し入れがあることだろう。
私は今まで誰かを好きになったことはない。
ヴィリアス様は婚約者だけど、それだって父に決められた相手だ。
好きだとか、そういうことは考えたことがなかった。
「それで、ヴィリアス様と何かあったの?」
「うん……その……、ヴィリアス様の声が」
「え? 声?」
「そう。この間、初めてヴィリアス様の声を聞いたんだけど」
「初めて?」
「うん。それがね、なんていうか……とてもいい声をしていたの」
半年前に婚約したにも関わらず、初めて声を聞いたということにモニカは驚いたようだ。彼女の声のトーンが少し高くなった。そういえば一言も会話をしたことがないなんて相談は、したことがなかったかもしれない。
それは置いておいて、問題はその声だ。
ヴィリアス様の声はとても澄んでいて甘く、優しい低音ボイスだった。
色気のある男らしさも含んでいて、耳元で発せられると身体が痺れてしまうような……。
「カティ、顔が赤いわ」
「思い出すと……つい」
「まぁ」
あの時耳元でヴィリアス様に囁かれた「大丈夫ですか?」の一言がずっと私の中に残っている。
思い出すだけで、なんだか熱くなる。
「それで、また嫌な気持ちにでもなったの?」
「ううん、それがまったく。耳元で話されるのは苦手なのに、彼の声はもっと聞きたくなってしまったわ……。その時はなんだか怖くなってしまったけど」
モニカは私の耳が人一倍良いことを知っている、数少ない人物だ。
「そう……でも、それなら良かったじゃない。カティにとって一番の問題が解消されるのかもしれないわ」
「え……?」
「だって、夫婦になるのだもの。不快な声の方と一生を添い遂げるのはカティにとってとても苦痛なことでしょうけど、ヴィリアス様の声はもしかしたら特別なのかもしれないわよ」
「特別……?」
確かに、家族でもあんなに近くで話されると不快に思ってしまう。たぶん、モニカでも。
だから、少なくとも嫌な気持ちにならなかった相手と結婚できるのなら、それはありがたいことだ。
「そうね……確かにそうだわ」
「これを機にもっとヴィリアス様とお話できるようになるといいわね」
「うん」
モニカには、ヴィリアス様と全然会話が弾まないという話はしていた。
彼女もクラウディア王女の御側付きだから、ヴィリアス様が無口な方だということはもちろん知っている。
モニカに相談して良かった。
「――二人とも、今日はクラウディア様が早く学園から戻られる日よ! お茶会の準備もあるのだからいつまでも休んでいないで、早く片付けなさい!」
私たち側付きの者のために用意されたこの部屋の扉が開き、美しくも鋭い声が響き渡った。
「イヴリン様だわ。早く行きましょう」
「ええ」
食事が済んでからもおしゃべりをしていた私たちにそう声をかけたのは、一年早くクラウディア様の御側付きを務めている伯爵令嬢のイヴリン・バイエルン様だ。
長くて艶やかな黒髪がとても美しい人で、年齢も一つしか変わらないのにとても大人に見えるせいか、少し近寄りがたい雰囲気がある。
「カティーナも急いでちょうだい。のんびり休んでいる暇はないわよ」
「はい、イヴリン様。すぐに」
バタバタと片付けをしていると、歩み寄って来たイヴリン様に直接声をかけられてしまった。
イヴリン様はもっと何か言いたげに私に視線を向けたけど、目が合うとふいっと逸らして行ってしまった。
「……」
「カティ、行くわよ」
「ええ、ごめんなさい」
なんだろうかと不思議に思いつつも、モニカに声を掛けられた私は大して気にとめることもなく彼女のあとに続いた。
*
その日の午後からはクラウディア様主催のお茶会の準備に追われ、忙しなく過ごした。
侍女と違い、私たちもドレスを纏いその会に参加することになっている。
王女のバラ園で開かれたお茶会には、クラウディア様のご学友が招待された。
このバラ園は王宮内にある、クラウディア様お気に入りのお庭だ。
クラウディア様はよく一人でこの庭を訪れる。今日はバラの花が見事に咲いたので、ご友人たちを招待したのだ。
『ねぇ、あの人でしょう? クラウディア様の護衛騎士の、ヴィリアス様って』
二十数名が招待された学生ばかりのこの茶会の場でも、ヒソヒソとヴィリアス様のことを話す女性の声に私の耳はピクリと反応した。
『そうよ、あのお方よ。間違いないわ。噂以上に素敵な方ね』
『本当に。いいなぁ、クラウディア様、あんなかっこいい方に守ってもらえて。私なら絶対好きになっちゃうわ』
『でも彼、すっごく無口なんでしょう?』
『いいじゃない。寡黙な美男子……素敵だわぁ』
それはまだ異性に憧れを抱いている少女の声だった。
もちろん本人にも、クラウディア様にもこの声は届いていない。
「……」
今日もヴィリアス様は少し離れた場所で姿勢良く直立し、クラウディア様を見守っている。
本当に、どうしてあんなに美しい男性が私の婚約者なのだろうか。
そう思いながらヴィリアス様を見つめて内心でため息をひとつ吐いて、お手洗いに行こうと席を立ち、私はその場を離れた。
……茶会に戻る足取りが重い。戻ったら、今度はヴィリアス様には婚約者がいるという話を耳にするかもしれない。
クラウディア様のご友人なら、その相手が私だということも噂になっていて、見定められるみたいに注目を集めたり、コソコソと陰口を言われるかもしれない。
そんなことは慣れているけれど、やはり気持ちの良いものではない。
まぁそれも仕方ないかと俯き気味にバラ園へ足を進めていると、突然前方から声をかけられた。
「カティーナ殿」
「はいっ!」
頭上から落ちてくるような私の名を呼ぶその美しい声は、そのまま私の身体を突き抜けていった。
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