33.新婚最初の夜
「……」
「……嫌……ですか?」
そのまま何もできずにいると、今度は少し不安そうなヴィリの声が耳元に落ちてきた。
色気の含まれているその声に、ビクリと肩が揺れる。
嫌って、何がだろう……抱きしめられることは嫌なはずないから、もしかして……?
「嫌ではないです……けど」
けど、とにかく恥ずかしい……! それに緊張してしまう。
こうしている今も、きっと私のうるさい鼓動がヴィリに伝わってしまっているだろうし、とにかく身体が熱い。
絶対顔が赤くなっていると思う。
言葉を濁して唇を噛んだ私に、ヴィリはそっと抱きしめていた腕を解いて、代わりに手を握った。
「あの……?」
「……」
そのまま握った手を見つめるように視線を落としているヴィリも、ほんのりと頬が赤い。
いつもは無表情なのに、最近はよくこういう表情を見せてくれる。
照れているような、何か緊張しているような……。
ヴィリからもドクドクと高鳴る鼓動が聞こえてきて、やはり緊張しているのは私だけではないことに少しだけ安心する。
そのまま動きがないヴィリに、ちらちらと送っていた視線を思い切って持ち上げると、至近距離でばちりと目が合ってしまった。
「……」
「……カティ」
一度見つめると逸らせなくなってしまいそうな蒼い瞳。
小さく微笑んでくれた形の良い唇――。
頬に手を伸ばしてきたヴィリの親指がそこを撫でるようにそっと動き、その熱から彼の想いが伝わってくるような気がした。
キスするんだ――。
私だってそれがわからないほど子供じゃないし、逃げるつもりもない。
ヴィリにも聞こえているだろうと思うくらい大きく鳴っている心音を抑え、覚悟を決めてまぶたを下ろす。
「……!」
だけどその三秒後、ヴィリの手と思われるものが、頭の上にポン、と乗った。
「それでは、今夜はゆっくりおやすみください」
「……え」
なでなでと、優しく数回頭の上で手を動かすと、ヴィリはそう言って立ち上がり、優雅な動作で私の部屋を出て行った。
「…………へ?」
――結局その後ヴィリが私の部屋に戻ってくることはなく、私はろくに眠れないまま朝を迎えてしまった。
「……」
昨夜のことを何度考えてみても、何かおかしい。
胸に突っかかる思いを抱きながら侍女に着替えを手伝ってもらい食堂へ向かうと、いつものような完璧な身なりのヴィリが既にそこにいた。
「おはよう、カティ」
「おはようございます……」
特にいつもと変わらない様子のヴィリに、昨夜のことは夢だったのだろうかと思ってしまう。
朝食を共にできるのはとても嬉しい。結婚したのだなと実感できるし、幸せなのだけど……。
『ヴィリアス様とカティーナ様、昨夜は別々に寝てたんですって!』
『まぁ! そんな! 朝方戻られただけではないですか?』
『いいえ、それがヴィリアス様がカティーナ様のお部屋にいたのはたった数十分だけだったようですよ』
『数十分! まぁ……それはいけませんねぇ』
「……」
食後に聞こえてしまったのは使用人たちのそんなひそひそ話。
うん……やっぱりおかしい? おかしいよね? 私、間違ってないわよね?
思わずその中に入って行きたくなってしまったのをぐっと堪え、自問する。
「……カティ? どうかしましたか?」
「いいえ……なんでもありません……」
ヴィリにはそんな噂話は聞こえていないようだけど、一体どう考えているのだろう。
確かに、ヴィリは紳士だ。
いつでも私を完璧なまでに優しくエスコートしてくれるし、嫌がるようなことは決してしないし、強引のごの字も感じたことのない人。
でも私たち、結婚したのよね……?
もしかして、これからもずっと寝室は別々なのかしら。
聞いてみたいけど……、はしたない女だと思われてしまうのは嫌……。
頭を悩ませながら今日も仕事の私たちは共に馬車に乗り込み、王城へと向かった。
*
「――それで、どうだったの?」
学園から帰るなり、クラウディア様は私を自室に呼びつけ、二人きりになった途端にわくわくした様子で口を開いた。
「……なにがでしょう?」
来た。来るとは思っていたのよ。
結婚後も私はもう少しクラウディア様の御側付きを続けたいとヴィリに希望した。
クラウディア様自身もそれを望んでくれたし、ヴィリも快く承諾してくれたので、私はまだしばらくこうして働くことが許されている。
けれど、婚姻の翌日に私だけを呼びつけて二人きりでお話がしたいなんて……本当に好奇心旺盛な王女様だ。
「ふふ、もう。惚けるんじゃないわよ! 王女である私に言わせる気?」
「……」
ご自分の結婚相手のことにも、それくらい興味を持ってくれると国王もお喜びになると思うのだけど。
婚約者候補のロナルト様とはその後どうなのだろうか。
「……クラウディア様が期待しているようなことは何もしていません」
「はい?」
「ですから、していませんよ、なにも」
「……」
「……」
たとえしていたとしてもどうだったかなんて言う気はないけれど。
でも、残念ながら本当に感想は述べられない。
キスもしていなければ、同じ部屋で寝てすらいないのだから。
「……嘘でしょう!? さては私に話したくないからって、嘘をついているのね!?」
「……」
ガタッと音を立てて椅子から立ち上がったクラウディア様に、私は小さく息を吐いて悲しげに表情を歪めてしまった。
さすがにそんな私の反応を見てクラウディア様も察してくれたようだ。
「え……、まさか、本当に……?」
「……はい」
俯き気味にも、はっきり返事をするとクラウディア様は「お気の毒ね……」と小さく呟いた。
十六歳のクラウディア様でさえ当然そういうことがあったことを期待していたというのに、ヴィリはどういうつもりなのかしら?
私のことが嫌いではないはずだから……もしかして、そういうのがない方なのかしら?
「ヴィリアスって何を考えているのかよくわからないところがあるとは思っていたけど、まさか新婚初夜に何もしないなんてさすがに驚きだわ」
「……」
そうですよね。とは思うけど、口には出さないでおく。
別にないならないで、構わない。
私はヴィリと結婚して、これから先もずっと一緒にいられれば、それだけで幸せなのだから。
私がまだ働いていたいと言ったから、子供だってすぐに作る気がないのかもしれない。
でもヴィリは伯爵家の跡継ぎだから、きっとそのうち望まれるだろう。
そうなったときに寝室を共にすればいいのだ。
うん、そうよ。焦る必要はないわね。




