03.きっかけは「大丈夫ですか?」の一言
それから一週間後。
ヴィリアス様からいつものお茶会の招待状が届いたと思い、確認のため手紙の封を切ると、そこには彼の顔のように美しく整った文字でピクニックの誘いの言葉が綴られていた。
こんなことは珍しい。婚約してから定期的に彼と会う場は設けられているけれど、意味もなく二人でどこかへ出掛けたことはないのだ。
一体どうしたのだろうかと一瞬頭を悩ませてみたけれど、考えたって彼の考えていることがわかるはずもない。
もしかしたらたまにはどこかへ出掛けて来いとマーテラー伯爵に言われたのかもしれない。
ヴィリアス様は仕事以外でも真面目なところがあるのだと思う。
仕事でも顔を合わせているのに、好きでもない婚約相手とこうして休みが重なる度に律儀に会ってくださるのだから。
まぁ、会うだけなんだけど。
ともかく、良い機会だし、今度こそ彼にちゃんと話がしたいという思いを伝える決心をして、その日を迎えた。
*
「晴れて良かったですね」
「……」
「……今日はピクニック日和ですね」
「……」
「…………」
けれど、相変わらず無口なヴィリアス様を前に、結局私は今日もお天気の話題しか口にできずにいる。
私も人のことをどうこう言えないくらいはつまらない女である。
ヴィリアス様は無言ではあるけれど、決して無視されているわけではない。
無言で頷いてくれるのだ。……なかなか目は合わせてくれないけど。
だからまるっきり私のことが大嫌いというわけではない……と、思う。
何度同じことを言っても、嫌な顔をせずに頷いてくれるのだから。……無表情とも言えるけど。
だから結局私たちはこの気持ちの良い快晴の下、美しく咲き誇る花畑を見ながら恋人らしい会話はひとつもせずにただ歩いている。
時折見かける若いカップルは手を繋ぎ、微笑み合って幸せそうにしていた。
そう、ここはそういうラブラブな恋人同士が来るような場所なのだ。
こんなふうに、何か義務でも強いられているかのように歩く場所ではない。
私たちも将来結婚を約束した仲ではあるけれど、とても恋人同士とは言えない。
丘になっている花畑の横をゆっくり降りていくヴィリアス様の背中を見つめて内心で深く息を吐き、私はピタリと足を止めた。
「……?」
すると視界から私が消えたことに疑問を抱いたのか、ヴィリアス様も歩みを止めて振り返ってくれる。
やっぱりこうして私を気にかけてくれるところを見ると、ヴィリアス様は悪い人ではないのだと思う。
やっぱり、彼のことがもっと知りたい――。
「あの、ヴィリアス様……! 私、貴方のことが知りたいです!! 貴方ともっとお話がしたいです……!!」
「……――」
だから、口いっぱいに空気を吸い込んで、思い切り吐き出すようにそう言った。
瞬間、ひゅうっと私たちの間に風が吹き、日を浴びた彼の金髪がキラキラと輝きながらサラリと揺れた。
いつも何を考えているのかわからないポーカーフェイスの彼の、今日の空のように蒼い瞳が一瞬見開かれて私を捉える。
その途端、あまりにも美しすぎるその眼差しにドキリと胸が跳ねて、一気に顔が熱くなった。
私は突然、何を言ってしまったのだろう……!!
伝えるにしても、言い方というものがある。
まるで我が儘を言う子供のような、一方的な言い方をしてしまった。
彼が私の前で口を利いてくれないのには理由があるかもしれないのに……!!
「あ……ごめんなさい、突然……失礼しました。その……今のは忘れてください……っ!」
それでもやっぱり彼が言葉を発することはなくて、私はかぁーっと熱くなっていく顔を見られないよう俯き、勢いよく足を前に踏み出した。
「……っ!」
けれど、彼の横を追い抜こうとしたその時――
坂道になっていたせいもあり、思ったより勢いがついてしまった私は小石につまずき、バランスを崩した。
危ない……!
このまま勢いよく顔面から転ぶ……!!
そう思い咄嗟に手を出して目をつぶったけど、私の手が地面に触れることはなく、なんの衝撃も感じないことを不思議に思い、目を開けてみた。
「……え?」
「大丈夫ですか――?」
お腹のあたりを、温かくて柔らかみがあるのに、しっかりとした何かに支えられていることに気がついて後ろを振り返る。
目の前に飛び込んできたのはあまりにも美しすぎる碧眼と、そのすぐ上で揺れる金色の前髪。
そして食事をしている時以外には見たことがない、形の良いその唇が上下に開いている、ヴィリアス様の見目麗しいお顔。
同時に耳元で囁かれた言葉を聞いた途端、ぞくりと私の身体を何かが走り抜けた。
「あ……」
「……」
それがヴィリアス様の腕で、私は彼に支えられたのだと理解するのにも、今のが彼の声なのだと認識するのにも、とても長い時間がかかったような気がした。
「……申し訳ございません……っ!」
けれど、理解してからは早かった。
体勢を立て直し、バッと彼から離れる。
そして無意識に彼の吐息がかかった右耳を押さえていた。
「……」
「あ、ありがとうございます……!! 今日はもう、戻りましょう。本当に、申し訳ありませんでした……!」
耳が熱い。顔が真っ赤になっているのがわかる。
もうこれ以上こんな顔を見られたくなくて、私は前を向いて再び歩き出す。
もちろん今度は駆けだしてしまわないように、落ち着いて、落ち着いて……落ち着けない……!!
心臓が、壊れてしまったみたいにドクドクと高鳴っている。
これは、単に危ない目に遭ったからではない。
彼の……ヴィリアス様の声が、私の耳に焼き付いて離れない。
この世にあんなに美しい声を出す人がいるなんて。
心地良く胸に響いて、染み渡っていくような声だった。
過去にも、耳の近くで声を発せられたことはある。
たとえ親でも、親しい友人でも、耳に近すぎるとうるさく感じたり、息がかかるだけでも不快な思いを抱いてしまっていた。
それなのに、なんだろう、この感覚は。
初めての感覚だ。
ずっと聞いてみたいと思っていた婚約者の声を聞けて嬉しいはずなのに……。
初めて感じるこの感覚に、自分が少し怖くなってそれ以上ヴィリアス様とお話できなくなってしまった。
だから家まで送ってもらった帰りの馬車の中で、なぜだかいつも以上にじっと見つめられて、私はどうしたらいいのかわからなかった。
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