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【四】追手

 東金の街の喧騒を抜け、滝台へ向かう道は上り坂になる。

 御成街道の起点でもあり八幡神社があることから参詣する人、帰る人で間道も人が多い。


 うららかに晴れた日だ。


 前から来る町人姿の二人がこそこそと耳打ちしている。

 二人が脇を通り過ぎざま、じろじろと小八郎とその背後を見た。後ろで小さな笑い声が聞こえる。

 女の二人連れが袖で口を押えて笑いを堪えながら通り過ぎた。


 小八郎が与一を抱いて歩きながら後ろの文十に目をやった。


 文十は細い柿の木の枝を肩に背負っていた。

 枝先に着いた二三枚の葉と一緒に、洗ったおしめが二枚微風にひらひらと舞っている。


「なんとかなんねえのかい、それ」半目になって言う。

「他に歩きながら乾かすいい方法があるんなら教えてくだせえ」

 文十は相変わらず無表情だ。

「旅芸人が興業の宣伝してるみてえじゃねえか」

「似たようなもんで」

「道々で噂になっちまうぞ」

「もうとっくになってる思いやすぜ」


 まずいな、と思った小八郎だったが他にどうしようもない。


 かなり頓馬な格好をしているはずの文十を見やったが、文十はどこ吹く風だ。というより、全くの無表情である。

 明るい空の下で改めて文十の姿を見直した。


 破れ目の目立つ陽に灼けた三度笠。

 長い年月を塵埃と雨風に曝されて変色した道中合羽は、触れなくてもやすりのような感触になっているのが見てとれる。

 煮しめた雑巾のようになった手甲脚絆は、干し過ぎて乾ききった吊るし柿のようだ。


 整った顔立ちにはよく見るとまだかすかな若さが残っているが、歩き続けてきた歳月がそのかおを石のようにかたくななものにしていた。


 どのような人生がこの男にあったのだろうか。

 決して褒められた生き方をしてきたわけではないはずの小八郎ですら、そう思わせる何かを男は持っていた。


「――おめえ、女に惚れたことはあるのかい」

 文十がちらっと目を動かした。

「藪から棒になんですかい」

「いや、ちょっと気になってな」

 文十が答えるはずもない。

 訊くだけ野暮だな、と思った小八郎だった。



 滝台から吉倉、八街へ抜けるまでに二刻(約四時間)。



 風が乾いた土を巻き上げ、緑濃い地平に向かって吹きわたっていく。

 放された馬のいななきが聞こえる牧の間を抜ける道に、小さな茶屋と煮売り屋があった。

 交代で与一の面倒を見ながら、飯を流し込む。


 文十が抱いているとめそめそと愚図りだした。

 苦虫を噛み潰したような顔になる。


「乳もやったししもも替えてるんだが、なにが不満なんで」

 珍しく表情の変化した文十を面白がるような顔で小八郎が見やった。

「道中に飽きたんだろ。――ちょっと待ってろ」

 啜っていた茶を床几に置いて、小八郎が懐紙を取り出す。

 折り目を付けて小刀で切り込みを入れた。慎重に折る。

 立てかけてあった柿の枝をちょっと指先でいじる。

「これじゃヤワすぎるな。――おめえの手裏剣を一本貸せ」

 怪訝そうな顔で文十が懐からかねの棒を取り出し、手渡した。

 しばらく手にとってしげしげと眺める。

 半尺ほどの長さで適度な重さがあり、片側が鋭く尖らせてある。黒い錆色が越えてきた年月を思わせた。

 付け根に小さな穴が開いている。

 葉のついた柿の枝先を折り、口と指先で器用に結ぶと折った紙の真ん中に通して、さらに手裏剣の穴に通した。


 風車だ。


 文十が抱いている与一の顔の前にかざす。

 原野を吹きわたる風が、くるくると風車を回す。

 珍しいものを眺めるように目をくりっと見開いて、じいっと見つめていたかと思うとけらけらと笑い出した。

 

 初めてみる、与一の笑顔だった。


 小八郎の顔がほころぶ。

「おい、見ろよ。笑ってるぜ、ちび助」

 文十の口元が上へ曲がった。


 たぶん精一杯の笑顔なのだろう。小八郎は思った。





「佐倉の狩野屋、か」

「へい。そこの手代だかなんだかに孕まされて暇を出されたとか。太田の百姓の女房が知ってやした。玉かんざしは手切れ金代わりってことじゃねえかと」

 仁兵衛が頷く。

「くたばる前に女に金で頼まれたとすりゃ合点がいく。――佐倉か。すぐに発ったとして子連れじゃあまだ着くめえな」

「追いやすか」甚吾が気色ばむ。

 まあ待て、と仁兵衛が手をかざす。

「おめえらじゃどのみち歯が立つめえ。それに大勢が追ったんじゃ目立ちすぎる。――俺の顔をつぶす気か」

 じろりと睨んだ。へえ、と言って甚吾が小さくなる。



「手裏剣を使う渡世人……聞いたことがあるな。のう兄者」

 黒野木残史郎は窓框に腰かけた桑染の着物の背中に声をかけた。


 振り向いたその顔は残史郎と同じ顔だ。


 京之助は歯でふくべの栓を抜くとぐいっと一息(あお)った。

 うぷっとおくびを漏らす。ぷうん、と酒の香りが仁兵衛の鼻にまで届いたが、仁兵衛は表情を変えない。


「いたな。上州辺りだったかで手練れの五人を仕留めたとか。……目刺しの文十とか言ったか」


 串で歯をせせりながら京之助は、窓から部屋に入ってきた小さな蛾を目で追った。

 開いた窓からわずかな人声がせせらぎのように入ってくる。この二人がいる部屋の中だけが氷のように冷たい雰囲気が流れていた。

 残史郎の酷薄そうな眼が仁兵衛と甚吾の顔を交互に見る。

 一言口の利き方を誤れば、眉一つ動かさずに目の前の人間を両断しそうな危険な空気が漂った。

「もう一人も名はわかりやせんが顔を見た奴らを案内につけやす」

 甚吾がかしこまった。

 ふん、と京之助が鼻を鳴らす。


「たかが渡世人と遊び人風情か、この黒野木兄弟の手をわずらわす奴とも思えんな」

 京之助がひゅっと右手を振った。

 澄んだ音がして、飛んでいた蛾が串で柱に縫い止められた。


 甚吾がぞくっと背筋を震わせた。


「まあ、そうおっしゃらず。手前どもの顔を立てると思ってお願えいたしやす」

 仁兵衛が藍色の袱紗ふくさを残史郎の前に押しやった。

 残史郎は重さを計るように袱紗を手の中で弄んだ。


「佐倉か。夜には着くか」

「途中まで馬を出しやす。夕刻前には着く段取りで」


「よかろう」





「――佐倉まで?」

 佐々木がお文の顔を見た。

 お文が頷く。

「嫌かい?」

 佐々木が首を振った。

「や、別に構わんが。お前さん、ひとり旅の方がいいんじゃないのか」

 少し意地悪気に訊く。お文がついっと横を向いた。

「まあ、ちょっと……昨日の連中に会ったりしたら面倒だしさ」

 それもそうか、と佐々木は笑った。

「足の具合はどうだ」

 お文がちょっと下を向く。

「ちょっとだけ痛むけど、大丈夫。よく効いたよ、膏薬」

 佐々木がかすかな笑顔で頷く。


 二人は歩き出した。















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