89話
つぅ、と。背中から垂れ始める鮮血。丸薬の効果が切れ始めた与一の身体は、先ほどまでの治癒能力を発揮することはなく、ゆっくりと傷口を塞いでいた。同時に、腹部から伝わってくるじわりじわりとした痛みに、与一は気を失いそうになっていた。
流れる血の量は多く、傷が深いものであるのは明白だ。だが、痛みに負けていては、最後の策に出た意味がなくなってしまう。ザイスが魂を自身の力として変換するのなら、その魂自体を抽出してしまえばいい。と、再度魂を刈り取られる前に、封じてしまわなければと、与一は賭けに出たのだ。
「テメェ、なにをしやがった! 鎌が全く反応しねぇ!」
「……はは、調合師とは相性が悪いみたいだな。その鎌」
にしし、と。痛みに片頬を吊り上げながらも、歯を見せて笑う与一。
「許さねぇ、テメェだけは絶対に許さねぇ!!」
ぐぎぎ、と。ザイスは歯ぎしりをしながら鎌を構えた。
「テメェの魂と引き換えに、この街ごと刈り取ってやらぁッ!!!」
動きは先ほどよりも遅い。が、与一は避けることはせずに、ザイスを見ていた。
「死ねや、このクソ調合師がぁあああああ──ッ!!!」
与一の首目掛け、ザイスの振るう鎌が風を切る。
──カァン!
辺りに鳴り響く甲高い金属音。
それは、飛来した矢と鎌が接触した時に生じた音であった。
「あの、老いぼれがぁ……ッ!!」
更なる怒りを露わに、ザイスは矢の飛んできた方角、港の方へと振り返った。
「どいつもこいつも、俺の邪魔をしやがって!」
地面へと刺さった鎌を抜こうと、ザイスが力を籠める。しかし、身体強化のできない状態である彼が、鎌を抜くことはできなかった。感情とは裏腹に、鎌の能力がなければなにもすることができない虚無感に、顔をしかめることしかできない状態。
「ひとりじゃなんもできないんだな、お前」
「うるせぇ、今すぐにこいつを引き剥がして、テメェのそのムカつく顔を切断してやる!」
「そうか……なら、そうなられると困るしめんどうだから──これで終わりに……あ……ない」
多重使用しようと胸ポケットに手を伸ばそうとしたが、上半身はすでに裸。あると思っていた与一の表情に、焦りの色が見え始めた。必死になっていて、ないことすら忘れていたのだ。このような場面で、このような失態はあまりにも恰好の悪いことだ。
「くくく、悪あがきも終わりかぁ?」
びぃん、と。抜けた鎌から独特な金属音が轟く。
咄嗟に回避しようと与一が足を動かすが、積もりに積もった身体への負荷がその行為を拒絶する。一歩たりとも動くこともできず、勝ち誇ったかのように薄ら笑いを浮かべるザイスが、徐々に近づいてくる。
時間は残されていない。丸薬の効果も既に切れている。今の状態でザイスの鎌に刈られれば、その場に残るのは自身の肉片のみだ。だが、いくら動こうとしても足は動かず、無様にも前のめりに倒れ込んでしまった。頭上から聞こえてくる足音に、与一は絶望と後悔を抱いた。
「……まじかよ、ここにきてこれはないだろ」
「どうだぁ? 今の気分はよぉ!」
ぐい、と。頭を踏まれ、衝撃によって鼻から血が流れだす。
抗おうと腕に力を籠めるがこちらも疲労と負荷によるものか、伸ばすことも、曲げることもできなくなっていく──最悪な状況だ。
「遺言はそれだけかぁ? それじゃ、ぱぱっと終わらせてやるよ!」
そう言い残し、与一の首元へと鎌の刃を引っ掛けるザイス。
エドワードが狙撃をすれば、与一が助かる可能性はある。が、このような状況で場所も知られているのだ。もしザイスが気が付いて避ければ、与一に刺さってしまう。動けるはずのカミーユとアルベルトですら、手前にまで来て歯を食いしばっているのだ。まさに絶対絶命であり、どうあがいても助かる見込みなんてものはどこにも見当たらない。
「あばよ、調合師様ァ──ぐふぁ!?」
ザイスの言葉に、居合わせた者たちが息を飲んだ。
咄嗟に駆け出したアルベルトが、眼前で起こった現象に目を丸くする。そこには、分厚い本がザイスの頬へと刺さっている光景が広がっている。
「間に合ったみたいね!」
「ん、焦った」
「アニエス、それにセシルちゃんじゃねぇか……!」
まさかの救世主は、セシルであった。
先ほどギルドへと怪我人と共に戻ったアニエスが、セシルと一緒に助けに戻ってきたのだ。一瞬、驚いた表情で立ち止まったアルベルトが、思い出したかのように身体を震わせ、再度地を駆けた。
「ザイスぅううう──!!」
頬を押さえながら立ち上がったザイス目掛けての全力体当たり。
「ま、待て──ぎゃぁあああッ!?」
そのまま地面に押し当てられ、持っていた鎌はカランカラン、と。音を立てながら滑っていく。
「この肉だるまが! どけ、殺すぞ!」
「ほほう? この状況でまだ強気じゃねぇか。それなら、俺の特技『ロイヤル顎割りパンチ☆』をお見舞いするしかねぇな?」
「さっさとどけ、この雑魚がァ!」
馬乗りの状態から、天高く掲げられた拳に力が籠る。
刹那、アルベルトの発した顎割りという言葉に、ザイスは顔面目掛けて拳が振るわれると察し、守るべく腕を上げた。
「残念、これは腹部に叩き込まれるんだ」
「んなッ! テメェ、ふざ──ぐぁあ、おごぉ!?」
「ついでに、低確率で二発飛んでくるかもしれない」
「…………」
白目を剥き、がっくり、と。脱力するザイス。
大きく息を吐いたアルベルトは立ち上がり、与一の元へと足を向けた。
「おう、終わったぞ」
「最後の最後に、良い所を持っていたな……」
「礼ならセシルちゃんに言ってやってくれ」
「あぁ、そうだな……」
周りの路地から出てくる冒険者達を眺めなら、アルベルトは大きく息を吐いて終わりを告げた。
こうして、転生してから今の今まで与一を悩ませていた元凶は捕まり、騒動の起こったヤンサの大通りでは修繕工事がしばらくの間続いた。最後の最後に助けに来てくれたセシルとアニエスには、感謝の言葉以前に恩ばっかりもらっていると、なにかしらの形で返さねばと働き始めた与一。今後、調合師としてどのように成長していくのか、ひとりの男としてどのように恩返しをするのか。のんびりとしたくても、のんびりすることを周りが許してくれない与一の異世界生活は、一幕を閉じたのであった。




