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80話

 見上げるほどの体格差。アルベルトよりも腕まわりの筋肉が盛り上がっており、ガタイがいいなんてものではない。人間なのかと疑うほど腕が太いのだ。与一の丸薬とは違い、こちらは生身で鍛え上げたものだ。時間制限、回数制限など存在しない、戦闘に特化した殺人鬼。

 ガララ、と。ブギーと呼ばれた男が通る場所には、錨を引きずった痕跡が長々と続いている。


「ぶほ、なんでにげない?」

「いやぁ、あれだよあれ。いい筋肉してるなぁってさ」


 冷や汗が頬を伝う。

 丸薬の多重使用だけはなんとしてでも避けたい与一は、引きつった表情を浮かべながら言葉を発した。敵は未だに何十人といる。そのど真ん中で、身体が動かないからと袋叩きにされるのは御免だ。時間を稼げば、アルベルトが戻ってくるかもしれない。と、様々な思考が左右する。


「きみはひょろっちい、ぼくにはかてない!」


 刹那、風を切る図太い音と共に、与一目掛けて錨が振るわれる。

 想定していたことだ。だが、こんなところで尻尾を巻いて逃げるほど、与一はできた人間ではない。一撃の威力は相当のものだが、武器が武器故に動きは遅い。対話でどうにかなるような相手ではないことは、既に察していたからこそ、与一は瞬時に判断してひらり、と。横へと逸れる。

 叩きつけられた道がぴきぴきと割れていく。この場所が整備されていない足場の悪い場所であったのなら、今の一撃で崩落、もしくは地割れを起こしていてもおかしくはない。与一の足元に伝う衝撃がぐらりぐらりと地震にも似た揺れを覚えさせ、同時に体勢を崩しそうになる。


「なんて馬鹿力だよ!」

「ぼかぁ、ばかじゃない!」


 大きく一歩を踏み出し、ぐおん、と。錨で薙ぎ払ってくるブギー。

 振り下ろすことしか能がないと考えていた与一は、予期せぬ攻撃を前に身体が硬直してしまった。


「──ッ!!」

 

 我に戻り、咄嗟に身を守ろうと胴体の手前で腕を重ねる。


「ぶほ? な、なんだきみは!」

「なんだきみはって、結構失礼な物言いだね」

「こんなでかぶつ、いつの間に雇ったのかしらぁ?」


 知っている声が聞こえ、ゆっくりと目を開けると、与一の前にはカミーユとカルミアの姿があった。

 薙ぎ払われた錨を『足のみ』で受け流したのであろう。地面にめりこんでいる錨を踏みつけたカミーユが、ちらり、と。与一に目を向けた。


「与一君を極力巻き込まないで終わらせるつもりだったんだけどね。まさかと思うけど、ひとりでここに来たのかい?」

「い、いや。さっきまでアルベルトさんとだな……って、まじで助かった。普通に死ぬかと思ったぞ……」

「調合師とあろう者が、そんな情けないこと言っててどうするのよぉ」

「ぼかぁ、でかぶつじゃない! じゃまをするなら、きみたちもころす!」


 ぼこぼこ、と。腕が膨れ上がり、カミーユが足で押さえているにも関わらず、強引に錨を持ち上げて見せるブギー。そこへ、風を切る音と共に飛来した矢が、獲物を捉えたかのように思えた。が、金属同士がぶつかり合ったかのような音が響き渡ると、矢は地面へと転がってしまう。

 体勢を崩しそうになったカミーユが小さく舌打ちをした。今の一矢で決着がつけば、どれほど楽であったのだろうか。カミーユがアルベルトと手合わせしても接近戦では力で負けてしまう。目の前にいるのはアルベルトよりも筋力のある男なのだ。正面から挑んだとして、無力化することができる可能性は極めて低い。


「はは、一か八かだったんだけどね……布袋の下に兜でも被っているのかい?」


 のらりくらり、と。頭を押さえてふらふらとしているブギーに対して、カミーユは苦笑いを浮かべることしかできなかった。傍で控えていたカルミアも、布袋の中に防具を身に着けているなどとは考えていなかったらしく、息を飲んでから剣を構えた。


「あ、あたまがくらくらする……なにをした! ぼくになにをした!」

「与一君、アルベルトはどこに?」

「そいつの攻撃で吹っ飛ばされたんだ。場所はわかるけど、無事かどうかは──」

「あのでかぶつは、私が食い止めるわぁ。だから、調合師としての仕事をしてきなさい」

「か、カルミア。ひとりじゃ流石に……」

「いいから、早く行きなさい」


 ぴしゃ、と。言い放ったカルミアがブギーへと足を進める。息を荒くしたブギーが錨を再び持ち上げ、カルミア目掛けてそれを振るうのだが、その攻撃は(かす)るどころか、何もない場所を叩きつけていた。

 カミーユは目を疑った。先ほどまで、ただ歩いているだけだったカルミアの姿が、一瞬にして別の場所に現れたかのように感じたからだ。目の錯覚ではない、気配の使い方を熟知している暗殺者である彼女だからこそ、気配ひとつで自身の残像に近いなにかを作り出したのに違いない。


「す、すげぇ……なんだよ、今の」

「私にもわからない。そんなことより、早くアルベルトの場所に向かおう」

「お、おい。カルミアはいいのかよ!」

「そんな悠長なことを言っている暇はないんだ。あっちでエレナがザイスと戦ってる。彼女を助けるためにも、アルベルトがいなきゃだめなんだ!」


 いつもの冷静さがないカミーユ。どこか焦っているようなその口調に、カミーユ自身が納得していないことを察した与一。カルミアをひとり残していくのは辛いのだろう。悔しそうに下唇を噛みしめたカミーユは、与一の背中を強く押す。


「エレナもここに……あぁ、くそう! どうして俺の周りは、いつも面倒事ばっかりなんだ!」


 歯を食いしばって、怒りを露わにする与一。

 カミーユと共に駆け出し、アルベルトが飛ばされていった店を目指す。


「時間がない。早く助けに向かわないと……!」

「あのオヤジに使えば、もしかしたら──」

「何か策でもあるのかい?」


 自身の胸元を撫でる与一を横目に、カミーユは問いかけた。

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