77話
宿の中から、外の景色を眺めていたアルベルトが異変に気が付いた。
慌てふためいた住民と思しき人々が、荷物を背負いながら何かから逃げているのだ。血の気が引いている表情を見るに、ただごとではないのは明白である。すると、アルベルトは窓に手を当てて覗き込むようにして外を見た。
「大通りの方でなにかあったみてぇだな」
そう呟くと、いそいそと厨房へと足を向ける。
机の上にいくつかの布袋を置いている与一が、近づいてきたアルベルトの表情を窺った。
「カミーユたちはまだ帰ってこないのか?」
「どうだろうな。それよりも、大通りの方角から人が逃げてきてるみたいなんだ」
アルベルトの言葉に、与一は首を傾げた。
「ちょっと心配だから見てくるが……与一。おめぇはどうする?」
状況が状況だけに、アルベルトは安全確認のために外に出ると言い出した。
「……いや、俺もついてく。逃げるってことは、なにか問題が起きてるんだよな? それなら、怪我人が出てるかもしれないから──」
布袋を手に取ると、真剣な表情を見せる与一。
見ないうちに、めんどくさがってなにもしていなかった頃とは別人のような顔をするようになった与一を見て、アルベルトは嬉しそうに溜め息をこぼした。出会ってから今日にいたるまでの日々の中で、仕事をまともにしないで一日中暇を潰している与一を見てきたアルベルトからすると、息子の成長を喜んでいるような感覚に近かった。
「ザイスの件もある。もしもの場合は、俺を置いて逃げろ。いいな?」
「おいおい。こんな時に格好つけても意味ないぞ……そういうのは、そうなった時に言ってくれ」
縁起でもない。と、与一は浮かない表情で言った。
「わ、わりぃ……ちょっと考え込みすぎちまったみてぇだ」
「そうならないことを祈ろうぜ」
こつん、と。すれ違いざまに肩へと拳を当てる与一。
「がっはっは! 前向きに行こうってか!」
大声で笑い、アルベルトは与一の後に続いた。
宿を出て大通りへと向かう最中、アルベルトは誰一人として歩いていない港を不自然そうに眺めていた。普段なら、誰かしらが歩いているはずの港道は無人と化し、ちょうど戻ってきた船からひとりとして下船してくる者はいなかった。
「どういうことだ……?」
眉を寄せて、何が起きているのか。と、考え込むアルベルト。
逃げる人々。すっからかんな港。下船してこない乗組員。アルベルトは嫌な感触を肌に感じながら、与一を通り越して足早に歩き出す。彼の胸の中は、不安でいっぱいの状態なのだ。
「……与一、止まれ」
目の前の角を曲がれば大通りだ。だが、なにかを察したアルベルトは壁に背を当てて与一に静止するように声を掛けた。ちらり、と。大通りの様子を窺ったアルベルトは息を飲んだ。
わらわらと群がるフードを被ったコート姿の集団。その中央から聞こえる、甲高い金属音。所々に転がる骸。それは紛れもない、戦闘によって作り出されている緊迫した空間だ。
「まさか、な」
もしあの中央にカミーユがいるとすれば、すぐにでも助けに行かなければならない。が、後ろには与一が控えているのだ。無暗に行動してしまっては、かえって火の粉を浴びてしまうかもしれない。
ここは慎重に動かなければならない。と、考えていると。
「どうかしたのか? って、なんの騒ぎだよ!?」
与一が顔を出し、大声を発してしまった。
「あぁ? あいつらの仲間か?」
「見せ物じゃねぇんだよ、さっさと失せろや!」
ふたりに気が付いたガラの悪い連中が、与一とアルベルトの元へと近づいてくる。すると、正面から近寄ってくる連中の隙間から、見覚えのある顔を見つけた与一が表情を変えた。
「アルベルトさん、あいつらの奥にエレナがいた気がする」
「……そいつはおめぇ、助けに行かなきゃいけねぇな」
「おいおいおい、俺らを無視して楽しくおしゃべりか? あぁッ!?」
小柄の男が、与一の胸ぐらを思い切り掴んで引き寄せようとした瞬間。
「あぐぉッ!?」
視界の外からの一撃に、男は掴む手から力が抜けてぺたり、と。膝から崩れ落ちた。
与一の傍にいたアルベルトが、男を思いっきり殴ったのだ。強気で食い掛かってきた相手を迷うことなく殴ったアルベルトは、任せろと言いたげそうな顔をして与一を見やった。
「それじゃ、俺たちも交ざりに行こうじゃねぇか!」
「わかってるさ! 俺は怪我人がいないか確かめるから、アルベルトさんは中央へ突っ切ってくれ!」
「て、テメェら! ここから先には──うわぁああああああああッ!?」
剣を抜いた相手の顔面を掴み、持ち上げて見せるアルベルト。
そのまま、宙へと浮かされた男は抗おうと必死に動く。だが、そんな簡単に大男の腕力から抜け出すことができるわけがなく。
「邪魔だ。どけ」
短く、ドスの利いた声。
アルベルトが発したそれは、若干の殺意と苛立ちを孕んでいた。
「はな、せ! この、このォ!」
必死に足をばたつかせて、アルベルトの腹部へと蹴りを繰り出す。そんな、先ほどまでの態度とは違い、無様に叫ぶ相手に対して、アルベルトは力いっぱい持ち上げてから、地面目掛けて思いっきり叩きつけた。
「ぐほ、ッがは!?」
叩きつけられた衝撃によって、その身体は小さく跳び、白目を剥きながらぴくりとも動かなくなった。
「まさかと思うが……あの中央にザイスがいるんじゃねぇよな?」
「可能性としては大きいだろうな。それよりも、相変わらずの馬鹿力だな。相手が可哀想だぞ……」
「それはそれ、これはこれだ。とにかく、行くぞ!」




