72話
ルフィナの申し出は、与一にとってはありがたいものだった。しかし、彼女は商人であって戦闘向きではないのだ。物流を生業としている職業だからこそ、不足しているものから必要なものを揃えることだってできる。だが、そんな悠長なことをしている暇はない。物資の補充をしようにも、ぎりぎりの状態の現状ではどうしようもないのだ。
「あぁ、なんだ。おめぇは、身を隠したほうがいい」
「なんでですか! 皆さんが困っているというのに、指を咥えて待っていろと言うのですか!?」
アルベルトが心配して放った言葉に対して、ルフィナは声を荒げた。
仲間を助けたい。その思いを胸に抱いていた彼女にとって、突き放されるようなアルベルトの態度は辛いものがあった。彼女の財力があれば戦力を揃えることすら簡単なのだが、被害を最小限にしたいと考えている一同からすれば、かえって巻き込んでしまう人が増えてしまう。それに、ルフィナは商人ギルドのマスターであり、まだ若い。それらを考慮した上でのアルベルトの判断は、賢明なものだと言えよう。
「気持ちはわかる。が、おめぇを危険な場所に近づけるわけにはいかねぇんだ。天秤のギルドマスターのおめぇに、なにかあってからじゃ遅いんだ」
説得を試みるアルベルトを横目に、話を聞いていたカミーユ、カルミア、エドワードが目を丸くした。
「待って、アルベルト。今、天秤って言ったよね?」
少し青ざめた表情で、カミーユがアルベルトへと問いかけた。
「こいつからは、隠しておいてくれと頼まれてたんだがなぁ」
ぼりぼり、と。浮かない顔で頭を掻くアルベルト。
お忍びでこの宿に来るのだ。ある程度の個人情報は伏せているのは一同も理解していた。まさか、それがオルサルド小大陸で名の知らない者がいないほどの大手商人ギルド──『天秤』のギルドマスターだとは想像もしてなかっただろう。現に、先ほどまでお子様だなんだと言っていたカルミアでさえ、驚愕した表情を浮かべながら唾を飲んでいる。
「ま、まさか、あの天秤のギルドマスターじゃったとはのう」
長い年月を生きているからなのか、エドワードは驚いているにも関わらず、どこか落ち着いた物腰だ。
「……軽率だったと思っています。ですが、皆さんがどうにかしようと考えているのに、私ひとりがなにもしないのはバツが悪いのです」
しゅん、と。肩を落としていつもよりも低い声音のルフィナ。
「天秤ってのは、ルフィナのギルド名ってことなのは理解したんだけど、そんなにすごいのか?」
「よ、与一君は世間に疎い人間なのかな?」
「世間知らずにも程があるわよぉ! 天秤と言えば、今じゃこの小大陸で物流の大半を占める大手なのよぉ?」
何も知らない与一に対して、カミーユは呆れた表情を浮かべ、カルミアは信じられないと言いたげそうに声を張った。
「ふぉふぉふぉ。別にどこの誰だろうと関係ない。誰かの力になりたいと思うのは、人としては当然のことじゃよ」
「まぁ、エドワードの爺さんが言うことも一理あると思うのだけれど……流石に何者か知ってしまうと、私もアルベルトに賛成せざるを得ないよ」
「私も賛成よぉ。最悪、人質としてとらえられてしまったら、与一と比べても天と地の差があるほどなのだからぁ」
「え、ちょ。なに、ルフィナと比べられると俺の価値ってそんなに低いの?」
「今更ねぇ。いつものことじゃないのよぉ」
「待て待て待て。俺はそんなに価値のない人間じゃないぞ!」
「そんなわけだからよ。ルフィナ、おめぇは大人しく待っててくれ」
それぞれが会話を進めているのを無視して、アルベルトはルフィナへと声を掛けた。どこか落ち込んでいる表情を見せた彼女は、力なくこくり、と。頷くと、厨房を無言のまま出ていく。その背中を眺めていた与一は、目を伏せた。
「……これ以上、誰も巻き込まれないように、俺たちが絶対にザイスとやらを止めなきゃだな」
「珍しくやる気じゃねぇか。いつもだったら、めんどくせぇとか言ってるのによ」
「それはそれ、これはこれだ。何をしに来るのかはわからなけどさ、少なくとも話をしに来るような性格じゃないんだろ?」
「あやつは危険じゃからなぁ。前に王都の冒険者たちが、名声を高めようと根城に攻め込んだらしいのじゃが、全員帰ってこなかったらしいからのう」
戦闘に長けている冒険者であっても返り討ちにあったのだ。そんな相手に、なんの策もなく対峙できるはずがない。一同は、それぞれの経験からどうすればいいのか。と、話し合いを続けた。
同時刻、冒険者ギルドの書斎のような部屋にて。
仕事の内容が記された羊皮紙を眺めているレイラの姿があった。途中、与一たちが話してくれた内容を思い出しては、仕事に集中しなければと首を振る。話を聞いて戻ってきてからというもの、ずっとこの調子で一向に仕事が進まないのだ。
「あー、もう! 集中できないじゃないのよ!」
読んでいた羊皮紙を放り投げ、ひらりひらりと散らばっていくそれらを眺めながら声を上げた。
「一体どういうことなのよ!」
ばん、と。机を叩きつけて立ち上がる。
今まで我慢して代理で仕事をこなしてきていたのに、鬱憤をぶつける相手が既にこの世にいないのだ。呑気に職務に耽っている状態ではないのだから、放り出したくなる気持ちは理解できる。
「明日の朝に詳しく聞きに行く必要がありそうね……」
足元に振ってきた羊皮紙を拾い上げ、大きく深呼吸をするレイラ。
「よし! そうと決まれば、さっさと終わらせるわよ!」
気持ちを切り替え、今やらなければならない仕事だけをこなしていく。だが、この時のレイラは考えもしなかった。港手前の大通りで、まさかあんなことが起きようとは──────




