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60話

 宿の受付にて、与一は空腹を知らせる腹の虫に悩まされながら、机の上へと突っ伏していた。

 こちらの世界に来てから、栄養のあるものはあまり口にしていない。気が付けば、少し痩せ気味になりつつある自身の身体を見やり、このままではいけない。と、ギルドに買い取りをしてもらった後にでも外食をしてみようと考えていた。

 ぐぅ、と。何度も鳴る腹に、与一は溜め息をこぼすことしかできなかった。


「普通に腹減った……。朝からなにも食ってないしなぁ、このままじゃ飢えて死ぬぞ……」


 ぼそりぼそり、と。力なく呟く。

 それから、しばらくの間は何事もなく、いつも通りの暇な店番だったのだが、


「渡部与一! 渡部与一はいるの!」


 ばぁん、と。勢いよく開けられた扉から、ひとりの少女が声を大にして名を叫び、与一の元へと歩いてくる。

 あまりの出来事に、与一は目を丸くし、目の前にいる青黒い髪の少女を見た。すると、彼は彼女の服装に見覚えがあったのか、手を打ちながら口を開いた。


「こっちにもゴスロリがあるのか」

「はぁ? あんた、初対面の相手にわけのわからないこと言わないでよね」


 外見と違って、中身は刺々しいようだ。

 そんな、ツンケンした反応をする少女の態度に、与一は眉を寄せた。初対面がどうのこうの言っているにも関わらず、ぱっと見、彼女のほうが年下なのだ。それを、まるで上からの態度で接してこられたら、与一でなくとも複雑な心境になるか、頭に来て説教を垂れるかの二択であろう。


「……それで、俺の名前を叫びながら入ってくるってことは、冒険者ギルドの人?」

「逆に、それ以外に誰が知ってるっていうのよ」

「んー。わからん」

「わ、わからんって……はぁ、調子狂う言い方するのね……」


 がくり、と。頭を項垂れる少女。

 

「私は冒険者ギルドのサブマスターをやってる者よ。知らないとは言わないでしょうね?」

「い、いやぁ? 知ってるよ? あれでしょ、あれ。うん、わかる」


 目が泳ぎ、語尾が自然と高くなる与一。


「絶対に知らないでしょ……エレナよ、エレナ。ちゃんと覚えておきなさいよね!」

「へ、へいへい。それで、そのエレナさんは何の御用でここに?」


 空腹を我慢する与一は、どこか機嫌が悪そうな声音である。しかし、そんなこと知ってか知らずか、眼前で腕を組んでいる少女──エレナは、ふん、と。鼻息を吐くと同時に、見知った布袋を見せてきた。


「これ、あんたが作ったんでしょ?」

「カルミアに頼んでいたやつだな……ってことは、話を聞いてここに来たってわけか」

「そうよ。でもね、あんたが値段を言わないから買い取り以前の問題なの! わかる?」

「あぁ……そういうことね」


 エレナが、なぜここに来たのかを納得した与一。値段を言えば、彼女はここには来なかったのかもしれないのだが、こうして、ギルドの上に立つ者と対話ができているのだ。直接交渉を持ち掛ければ、ある程度の値段、期間、保証を得られるかもしれない。と、ここぞとばかりに頭がまわる与一である。が、値段を聞かれたところで平均的な値段とおおよその価格もわからない。それ故に、カルミアに聞かれた際に濁してしまったのだから、無一文という立場が裏目に出てしまっていた。


「値段は……どうしよっか?」

「どうしよっかじゃないでしょ! 言ってくれないとこっちも考えられないじゃないの!」

「ひぃ、いきなり怒鳴るのやめてくれ……」


 きんきんと耳に来る声に、与一は身を引いた。

 そんな、情けない声と行動に呆れたのか、エレナは溜め息をひとつこぼす。


「悪かったわね。あんたが、しゃきっと答えないのが悪いのよ」

「そ、そんなこと言われてもなぁ。値段とか、価値とかわからないんだよ……」

「あんた、今の今までどうやって生活してきたの!?」

「いやぁ。それは、その……宿の主に面倒見てもらってました……」

「情けない! 誇りある職──調合師として、それはどうかと思うわよ!」

「はい、すいません……」


 ここまではっきりと言ってくる人はいなかった。それも、自分よりも年下であろう相手に、だ。情けない。その一言に、与一の胸に刺さる何かがあった。

 この宿に居候してからというもの、アルベルトが面倒を見てくれるからと甘えていた。それに、カルミアもそれに対して何度も言ってきていた。だが、与一は働く以前にこの世界の事に関しては無知。働くにしても、ある程度の知識がないと仕事にならないのだ。

 調合師として、ポーションを納品して暮らそうとも考えた。しかし、生前、社畜であった頃の記憶がそれらの考えをよからぬ方向へと持って行っていたのも事実。与一は日々悩んでいたのだ。これからどう生きるべきか、どう稼げばいいのか、と。


「正直、今回買い取ってもらおうと思ったのは一時的なものなんだ」

「一時的? どういうことよ?」


 片眉を吊り上げ、エレナは与一の表情を窺う。どこか後悔しているような、どうしたらいいのかと困惑している表情である。


「何かしらの事情があるの?」

「身の上話だがな。ここに来る前は寝る暇も惜しんで働いて──いや、働かされてたんだ。こっちに来てから、仕事に就いたら二の前になるんじゃないかってさ……ださいよな、仕事が怖いなんてさ」

「…………」


 与一が話始めると、彼女は不思議と大人しくなっていた。

 黙々と彼の話を聞き、時折相槌さえ打っていた。情けないだ、どうだこうだ。と、先ほどまで言っていた相手が、ここまで親身になって自身の話を聞いてくれるのだ。話をしている側からしたら、ありがたいの一言に尽きる。


「病気にかかっても、さ。上のやつらはそれを許してはくれなかったんだ。あれ体調管理が甘いだの、あれ仮病で休みたいだけだろだの。もう嫌で嫌でさ、上に立つやつらには恨みしかなかったんだよ……」

「それ、私の目の前で言うの?」

「別にエレナが悪いとか、そういうのじゃないんだ。ただ、前の働いていたところは最低だった。て、話だよ」


 ずい、と。身を寄せて睨んでくるエレナに対し、与一は顔を背けながら弁解した。

 

「なるほどね。あんたが、働きたくないのは環境が嫌だったからってことね」

「まぁ、大体そんな感じだ」

「なら、自分のためだけに働けばいいじゃないの」

「自分のためだけ?」

「そうよ。誰かにこき使われるのが嫌なら、自分は自分のためだけに働きます! って、心構えを貫き通すの」


 目の前にいるのは、与一の考えていた飾りものの立場を主張してくる少女ではなかった。彼女の立場からは想像していなかった助言に、彼は目をぱちくりとさせた。友人や、家族。親しい仲間が教えてくれるそれを、彼女は初対面でありながらも教えてくれたのだから。

 

「今の話を聞いて、私から催促をしようなんて考えれるはずがないじゃないの。買い取ってほしい時だけ、ギルドに持ち込めばいいのよ。それに、冒険者ギルドは自由なのよ。そんな屁理屈ばっかり並べてないで、利用する時は利用しなさい。いいわね?」


 びし、と。人差し指をさすエレナ。

 そんな、立派な考え方と、立場に溺れずに物事を整理して言葉にする彼女を前に、与一は自身がなぜ悩んでいたのだろうか。と、ここは自分の知っている世界ではなく、異世界だったのだと、改めて知ることとなった。

 利用したいときに利用する。それが、施設としての本来のあるべき姿だ。彼女はそれを教えてくれた。冒険者ギルドも例外ではない、お金が必要な時にだけ訪れればいい。簡単な話だったのだ。


「まったく、どんな人かと思って来てみれば。くだらないことで悩んでる暇があったのなら、誰かしらに相談すれば良かったのに。いつまでも引きずって、ねちねちしてるなんてこと。今後、一切するんじゃないわよ。いい?」

「わかったよ。なんかあったら、エレナとかに相談すればいいんだろ?」

「私は忙しいのよ! ま、まぁ、どうしてもって言うのなら、聞いてあげなくもないけど……」


 にしし、と。笑って見せる与一と、少し気恥ずかしそうに髪を指でくるくると巻くエレナ。


「……なんか、調子狂うわね」


 そう呟くと、エレナは踵を返した。


「明日、値段を考えてから持ってきなさい。そうしたら、買い取ってあげるから」


 首だけ振り返り、横目で与一を捉えると、彼女は宿を後にしていった。


「思っていたより、いいやつだったな」


 そんな、後ろ姿を眺めていた与一の視界の隅に、純白のワンピースを纏った美しき銀髪の乙女が、ぽつり、と。入り込んできた。


ふぁの(あの)こへどうひか(これどうにか)ひてくへはへんか(してくれませんか)?」

「……あ、すっかり忘れてた」


 鼻に詰まった万能薬を指し、半べそをかきながらこちらへと近づいてくるルフィナであった。

 この後、与一が遊び半分に鼻に詰め込んだことを話すと、彼女は泣きながら『お嫁にいけない』。と、声を大にして泣き出したのは言うまでもない。

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