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39話

 

 ルフィナから受け取った黒い中折帽子。それを、何度も被っては何度も手に取る。似合っているかどうかなんて、他人の目がなければわからないものだ。


「まぁ、似合ってますよ。与一様」


 ぱぁ、と。目を輝かせるルフィナ。だが、与一は彼女に『買ってもらった』ということ自体に少しの不満を感じていた。あとでお金を返そうにも、彼自身はそんな手持ちも、ましてや財産すら持っていない。手に持っている帽子がいくらほどなのかなんてわからない。が、返さなければならないと思うにつれて、罪悪感が大きくなっていく。


「やっぱ、これは受け取れない……」

「あら、どうしてですか? こんなにも似合っていますのに」


 首を傾げ、頬に手を当てるルフィナ。そんな彼女の仕草に、頬を少し赤らめた与一はそっぽを向く。


「ぎゃ、逆に……なんで俺なんかに買ってくれたんだ?」

「そうですね。買い物の付き添いをしてくださってますし、感謝を込めてのプレゼントだと思っていただければ」


 どうやら純粋な好意のようだ。この際、断ったら彼女に失礼だ。と、与一は渋々ながらも帽子を受け取る事にした。今まで、私服でも仕事でも帽子を被った事のない与一にとって、頭になにかを被っているという状態は新鮮なものであった。日差しが直接目に届くことはなく、頭上から照り付ける日光によって熱くなることもない。そんな真新しい発見に、頬を緩ませる。


「その、だな。ありがとうな、ルフィナ」

「いえいえ、与一様は紳士な服装なのですから。もう少し着飾ってもよろしいと思いますよ?」

「……紳士? あぁ、なるほど」


 自身の服装を見て納得をする。確かに、スーツ姿の与一は紳士の恰好かもしれない。が、中身は無一文の居候だ。言葉遣いも適当であり、丁寧な口調のルフィナに比べたら品なんてものはない。


「紳士というには程遠いと思うけどなぁ」


 そう呟いて、空を仰ぐ。

 

「歩き疲れましたし、あそこのカフェで一息つきませんか?」


 彼女の指した方向には、オープンテラスの店があった。

 店の前にはいくつもの机といすが並んでおり、日差しを遮るようにパラソルがひとつひとつの机に設けられている。そして、それらを囲うかのように設けられた植木と、そこに植えられている様々な種類の花──まるで、自然の中で過ごしているかのような気分を味わえる場所だ。店内はカウンター席を中心としたもので、自分だけの時間を楽しみたいときにはいいかもしれない。と、無一文(よいち)は考えながら席に着く。


「見てください、与一様! 果実を存分に使ったサンドイッチですって」


 席に着いて早々、ルフィナは机の中央に置かれていたメニューを開いていた。何度もメニューを見せてくるのだが、与一にはこちらの文字は読むことができないので、会話に合わせて相槌を打ったり苦笑いを浮かべることしかできなかった。

 いくつか注文をし、心なしか落ち着きのないルフィナ。先ほど言っていた、果実を使ったサンドイッチが楽しみなのだろう。と、目の前でそわそわとしている彼女を見て微笑む。


「そういえば。今日、アルベルト様は不在なのですか?」

「ん? 朝の買い出しはもう終わってると思うから、戻ってきてはいると思うけど」

「入れ違い、ですか。最初にご挨拶しておかねばと思っていましたのに」


 律儀な子だ。歳はわからないが、セシルやアニエスよりは年上なのは間違いない。かといって、カルミアやカミーユのよりも若く、どちらかと言えば与一より少し下と言ったところだろうか。となると、二十歳前後なのだろう。と、彼女を見ながら考え込む与一。


「どうかなさいました? わ、私の顔になにかついてます?」


 案の定、見られていることに疑問を抱いたのか。ルフィナは不安そうに眉を寄せ、小さく縮こまってしまった。


「なにもついてないよ。ただ、いくつくらいなのかなって」

「あら、女性に年齢を聞くなんて失礼ですよ?」


 少し小悪魔じみた笑みを浮かべるルフィナ。


「あ、いや。別にそういうつもりで言ったわけじゃなくて……」


 そんな、可愛らしい表情に内心焦りを隠せない与一は、目を泳がせた。


「冗談ですよ。ふふ、与一様って面白いお方ですね」

「か、からかうのはよしてくれ……」

「すいません、つい楽しくて」


 そう言って、微笑む彼女。

 自分と話をしていて楽しい。と、言われて喜ばない人間はいないだろう。与一も例外ではない。言われて嬉しい事があれば、人というものは自然と笑みがこぼれてくるものだ。実際、彼女と一緒に買い物をしてつまらないと感じることはなかった。有意義な時間だったと言ってもいい。会って初日で、ここまで親しくなれたのは彼女の人柄が良かったとしか言えない。が、逆にここまでエスコートされてしまっているということに、与一は男としてどうなのだろうか。と、自分が情けなくなった。


「仕事、するか……」


 人生とは、なにがあるかわからない。

 なにが目的で、なにがしたいか。そんなこと、最初から考えている人間なんてどこにもいない。なにかしらのきっかけが、思いが、衝動が、人を動かすのだ。


「お仕事、ですか?」

「そうそう。ここ最近まともに働いてないからなぁ。ルフィナと一緒にいて自分が情けなくなってきたんだよ」

「あらあら、人の好意に甘えることも大事ですけど。胸を張って、自分はこれをやっているって言える男性は素敵だと思いますよ」


 相談したのが、一緒に出掛けたのが、彼女で良かった。と、与一は心底感謝した。そして、彼女の頼んだ料理や飲み物が運ばれてきた。

 ルフィナは、ヤンサの街についていろいろと話してくれた。それも、地形などの専門的な話から市場を占める商人達の話など、聞いていて飽きない数多の話題や雑学に関心しながら、与一は彼女と時間を過ごした。




 宿に戻ってすぐのことだ。血相を変えたアルベルトがあちこちと走り回っており、与一を見るや飛び掛かってきた。両肩を掴み、力任せに与一の身体を振るう。


「与一ぃいいいッ!!! お客さんが来なかったか!?」

「ちょ、ちょっと。頭、頭がミックスされ……ぅ、きもぢわるい……」


 ガクガク、と。身体を前後に振るわれ、半ば強引にヘッドバンキングさせられている与一の顔色が徐々に青ざめていく。


「あ、アルベルト様? 与一様のお顔が……」

「この、与一ぃいいいいッ!!!」


 ルフィナの声は届かず、アルベルトは与一を振るうのをやめない。そこへ、カミーユとカルミアが丁度戻ってきたらしく、眼前で繰り広げられている光景に唖然としていた。


「な、なにがおきてるのぉ?」

「はぁ、また与一君がなにかしらやらかしたんだろうね……」


 苦笑いを浮かべるカルミア、頭を抱えるカミーユ。そんな両者を前に、ルフィナが頭を下げた。


「どなたかはわかりませんが。彼を、与一様をお助けください!」


 いきなり頭を下げられ、きょとんとするふたり。


「与一様って……はぁ、また面倒事に巻き込まれたとかじゃないだろうね……まぁ、断る理由もないけど」

「そうね、お願いされたら断れないわよねぇ……」


 嫌そうな顔ひとつすることなく、むしろアルベルトに仕返しができるとばかりにやる気を見せるふたり。相変わらず与一の名前を叫び続けるアルベルトの両側に寄り、腰を落として互いに腹部へと抱き着き、その大柄な身体を勢いよく持ち上げる。その拍子に与一は解放され、ふらふらと首を回しながら尻餅をついた。


「ん、あ!? な、なんだおめぇらぁああああ──ッ!?」

「「どらっしゃぁああああああ────ッ!!!」」

「う、うぉおおおお──ぐぇしッ!?」


 そして、揃って反り返る。バックドロップが炸裂し、見事に背筋から叩きつけられたアルベルトは自身の尻を拝み、股を開いて情けない姿のままびくんびくんと痙攣する羽目となった。

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