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35話

 矢が放たれるかと思われた瞬間、風を切る音と共に飛来したなにかによって、男が成そうとしていた行為は阻止される。


「ぐぼはぁ……な、なぜ、だ」


 彼の胸部から顔を出している独特な矢じりの形に、与一は見覚えがあった。昼間、カルミアの肩に突き刺さった物と同類。いや、同一人物によって製作されたそれとまったく同じものだ。

 矢じりを伝い、赤黒い液体がぽたりぽたりと垂れる。同様に、男の口からごぽっと液体が(あふ)れ出す。


「死に、損ない……がっ」


 言い終えるや、男は前のめりに倒れ込み、ぴくりとも動かなくなった。

 痛みに顔を歪めながら、与一は自身の両足に刺さっている矢を抜こうと手を伸ばす。もし、自分やセシルにも同様に矢を射られる可能性があるとすれば、今の状況は非常に不味い。身動きの取れない状態の与一と、虚ろな目をしたまま一切の反応をしないセシル。どちらかが助かったとしても、必ず片方が命を落とすだろう。いや、最悪の場合は両者共に命を奪われてしまうかもしれない。


「────くっそ。くそぉ!」


 必死に抜こうと力を籠める。だが、矢が少しでも抜けかかると中の肉を引きずるかのような痛みが身体を硬直させる。ひとりでは、まともに矢の一本すら抜く事ができない。

 少しでも可能性があるのならば。と、与一は自身の上着の内ポケット──『治癒の丸薬』を取り出そうとする。が、ぴたりと止まる。いくら傷を癒す事ができても、矢が刺さってしまっている状態ではなんの意味も成さない。


「……早く、ここから離れないと」


 迫りくる恐怖から逃れようと、焦りが与一を急がせる。

 何度も矢を抜こうとする。だが、ぐちゅり、と。湿り気を帯びた音を立て、鮮血が辺りへと飛び散る──それの繰り返しだ。

 次第に朦朧(もうろう)とし始める思考の中で、与一はひとつの疑問を抱き始めた。


 ──なぜ、俺たちを狙わないんだ?

  

 矢を射た人物が自分たちを助けるはずがない。彼は、自分と周りにいる人間を殺そうとし、セシルを(さら)った張本人なのだ。そんな彼が、なぜ雇い主であろう黒ずくめの男を射たのか。

 疑問は膨らむ一方だ。だが、そんなひとつの疑問はすぐに解決されてしまった。


「ふぉふぉふぉ、ジジィに説教がどうだとか威勢よく言っておったのに、なんじゃ? その様は」


 陽気な口調で話しかけてきたのは、先ほどの老人だった。その喋り方には、殺気などと言った敵視するような感情は込められていなかった。


「ほれ、じっとしておれ。今、矢を抜いてやるからのう」

「……ジジィ、なんのつもりだ。さっきまで、俺を殺そうとしておいて───」

「ほれ、まずは一本じゃ!」

「いってぇ! なにしやがんだジジィ!」


 勢いよく抜かれた衝動で、露わとなった神経から痛みが伝達し始める。顔をしかめながら、与一は老人の顔を睨みつけた。先ほどまで敵対していたのだ。それをなぜ助けるような行為をしたのか。と、更なる疑問が湧いてくる。


「なに、苦しんでおる若者を助けたまでじゃ。わしのなかでは罪滅ぼしなのじゃがな……」

「……どういうことだ」

「その前に、もう一本の方も抜いておかねばな」

「人の話聞いて──いってぇ! いてぇって! いい加減にしろ、ジジィ!」 

  

 あっという間に、老人は与一の両足に刺さっていた矢を抜いた。


「このままでは命に関わる。お主、調合師なのじゃろう? ポーションのひとつやふたつ持っておるのなら、早く飲んだほうがいい」

「……ったく、どういう風の吹き回しだよ」


 まるで、身内を心配するかのように接してくる老人の態度に、与一は溜め息混じりに言葉を返す。そして、治癒の丸薬を取り出し、口へと放り込む。飲み込んですぐに効果が現れ始め、両足に空いていたふたつの穴は瞬時に塞がり始めた。


「ほほぉ、これが調合師のつくるポーションの効果……」


 彼の傷が癒えていく様を、老人は顎に手を当てながらじっくりと見ている。正直、与一自身は居心地が悪かった。カルミアといい、この老人といい。この世界の人間は一度敗北を味わうと、人が変わったかのように接してくるのだろうか。アルベルトとカミーユも、カルミアの件についてはなにも言わなかった。むしろ、それが普通なのかと受け入れ始めてしまいそうだ。


「なぁ、ジジィ……なんで、俺たちを助けるような真似をしたんだ?」

「……お主が言ったではないか。俺に尻拭いをさせるな、とな。わしは、間違った生き方をしていたと考えさせられたのじゃ。そして、それらの元凶となった男を止めた。ただ、それだけのことじゃ」


 すると、老人は立ち上がってセシルの元へと歩み寄り、懐から取り出した鍵で手枷と足枷を外した。


「この子には怖い思いをさせてしまったのう……調合師よ。いや、渡部与一よ。わしには残された時間でやらねばならないことがある。それらを終わらせ、この命、お主の為に使うと誓おう」

「ま、待ってくれ。言ってることがまったく理解できないんだが……」

「いずれ、わかる。それに、お主の連れのふたりも、そろそろ事を終えて戻ってくる頃じゃろう」


 そう言い残し、老人はその場を後にする。その背中は、どこか吹っ切れたかのような、真っ直ぐとしていて迷いのないものだった。遠のいていくその姿に、与一は唖然とした表情を浮かべながら首を傾げた。


「……わけがわからん。いろいろと無責任すぎるだろ」


 ぼそり、と。呟き、与一は自身の足が動くことを確認する。そして、セシルを抱き上げて宿を目指す。

 歩き出す前に、ちらりと傍に転がる骸へと目をやる与一。自業自得だと言えばそうなのだが、最後の最後まで自身のことを追いかけてきた事を考えると、今後とも調合師という職業を続けていく上で、なにかしらの陰謀に巻き込まれてしまう可能性はある。今回の件を肝に銘じ、二度とこんなことが起こらないようにしなければ。と、与一は決意するのであった。

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